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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン3
72/125

第二十二話

 夏に向けて駆け足気味に上がる気温。

 だが、早朝はまだまだ春の気温と匂いが残っている。

 一日花が多くなり、強い香りが湿った風に流され鼻孔にまとわりついた。

 たかしは気合を入れてふっと短く息を吐くと、タオルを肩にかけ直して歩くスピードを少し早めた。

 ユリに別れを告げられて、既に十五日が経っていた。

 その十五日間というのは、たかしに新しい習慣が出来た期間でもある。

 待ち合わせ場所の公園では、既に昌也が待っていた。

「おまたせ」とたかしが声をかけると、昌也は爽やかに振り返って挨拶を返した。

 ウォームアップを済ませて、うっすら額に汗をにじませている昌也の表情は血色が良く、まるで夏の太陽のように照らされているようだった。

「最高の朝だな」昌也は感動に頭を振りながら言った。「セロトニンが分泌されて、夜はぐっすりだぞ」

「どっちかというと疲労でぐっすりだよ……。初日は死ぬかと思った」

「そんなきつくなかっただろう」

「トイレまでが遠くて漏らすかと思ったんだ。ゾンビってこんな気持なんだと思ったよ」

「あっはっは! 面白いこと言うな。なぁ……ゾンビになっても鍛えられると思うか?」

 昌也の表情があまりに真剣なので、卓也も真面目な顔で頷いた。

「他のゾンビはともかく、昌也は鍛えられそう」

「だろう? でもな。ゾンビになるのももう最後だ。そろそろ体が筋肉についていける頃だからな。さぁ、行くか」

 昌也はたかしの胸を軽く叩くと、ジョギングの前にまずはたかしに合わせて公園を一周歩いた。

 一定のリズムの呼吸は、朝の新鮮な空気を楽しむには最適だった。

 最初は呼吸が乱れ、徐々に体が温まり、会話を楽しめるほど呼吸が楽になる頃には、朝は目覚めの静けさの上に生活の賑やさを着込んでいた。

たかしと昌也は隣並んで一緒に走っているわけではない。

 スタートとゴールが一緒。

 せーので一緒に走り始めて一緒に走り終わる。

 たまに追いついた昌也がたかしに声をかけるくらだが、最初の頃に比べてその会話が楽になってきた。

 三〇分の有酸素運動。地味だが、確実に自分の中でなにかが変わっていると、たかしは自信をつけてきていた。

 ご飯は美味しいし、爽やかなまま午前中を過ごせるし、大学の講義も集中して聞くことが出来る。更に夜はぐっすり眠れる。

 いいこと尽くめの習慣だった。

 誰に文句を言われることなく、邪魔されることもない――はずだった。

「あら……」と、深夜バイト帰りの京に遠巻きから見つかると、たかしの日常は再び騒がしさを取り戻したのだ。



「は? 昌也が? たかしと?」

 マリ子は歯ブラシを咥えたまま京を睨んだ。

「ええ。それはもう楽しそうだったわ」

「信じらんない……」

 マリ子は表情を崩さずに玄関ドアの前で仁王立ちしてたかしを待った。

 汗を流し、太陽を浴び、季節の風を感じながら帰宅したたかしは、それはもう上機嫌で爽やかな顔だった。

 今なら何百万人を前にしたステージに飛び入り参加しても、丁度いい緊張感の中一曲歌えそうなほど清々しい気分だ。

 だが、それもマリ子の鬼の形相が目に飛び込んでくるまでのことだ。

「便座のおろし忘れは明夫だよ……」

 とりあえず思い当たる節を潰していこうとしたたかしだったが、我慢の出来ないマリ子はあっさり口にして責め立てた。

「元カレと仲良くするってどういうつもり? なにが目的なのよ」

 昔の恋人とコソコソ仲良くやられるマリ子の不快な気持ちは理解できるが、昌也がマリ子と付き合っていた昔のこと。

 最初は低姿勢で弁明を続けていたたかしだったが、次第になぜ自分がここまで言われなければならないのかと腹が立ってきた。

 一度頭に血が上ってしまえば、言葉が口から出てくるののは簡単だった。

「ならこっちも言わせてもらうけど、マリ子さんだってユリさんと仲良くしてるだろう。それも、オレが振られたその日から」

「振られるようなことをするのが悪いんじゃないの? 元恋人で失敗してるのに、また元恋人で失敗するつもり?」

 これにはたかしも反論がすることが出来ずに、言い淀んでしまった。

 話題がタイムリー過ぎるのと、今回の破局の原因はたかしに九割原因があるからだ。

 苦し紛れに「だからってオレのことを話題にするのはどうかと思うよ」と、想像で批判するしかなかった。

 当然「してないわよ」とマリ子に一蹴された。「そんなの恋愛のルール違反でしょう。そっちでしょう? 朝にコソコソ出掛けて」

「そんなことしないって! 最近ようやく、まともに喋れるようになったんだぞ……。先に聞いたのは筋肉の声じゃなくて、関節の悲鳴だよ……」

「なによ……」とマリ子から肩の力が抜けた。「てっきりセックス事情とか聞いてるかと思った……」

「オレをそんな男だと思う?」

「男は皆同じ。でも……そうね。納得……」

 マリ子はたかし汗に濡れた姿を見て、自分にも経験があると頷いていた。

「やっぱり一緒に走ったんだ」

「それは序の口。そのうち前戯と言い張って筋肉チェックしてくるわよ……。あぁ……思い出しただけでムカついてきた……。女の魅力は僧帽筋のバランスで決まるって本気で言ってるのよ」

「彼なら言いそうだ」

 すっかり意気投合して昌也についてあれこれ離す二人だったが、立ち聞きしていた京は心底がっかりしていた。

 せっかく面白い展開が見られると思ったのに、落ち着くところに落ち着いてしまったのだ。

 もう一波乱欲しいと悩んでいる京の元へ、寝起きの明夫がやってきた。

 これはチャンスだと、すぐさま仲間に引き入れた。

「いいところに来たわね。明夫君」

「……今その言葉を聞くまでは……いいところだった。でも、最悪の一日になると僕は予感した」

「そんなことないわ。見て、あの二人を」

「見たよ。あの二人を」

「どう思う?」

「どうも思わない。強いて言うなら、僕の親友とその息子を篭絡した悪女ってところ」

「わかったわ……」京はこれでは埒が明かないと作戦を変えることにした。「私は指揮官。あなたはその部下よ」

 突然の提案に「はあ?」と明夫は声を裏返した。

「だから私は指揮官。あなたは部下。命令は情報収集。あの二人は何か隠してるわ。それを暴いて頂戴」

「僕がそんな子供だましに引っかかると思うわけ? もう大学生の大人だよ」

「これならどう。私は”女”指揮官。あなたはその部下」

 一見なにも変わっていないような配役だが、頭に女とつくだけで明夫の目の色が変わった。

「条件がある……」

「なに?」

「女指揮官じゃなくて、女”司令官”に変えてもいい?」

「……いいけど」

「やりい!」

 明夫はガッツポーズをすると、これは一大イベントだといつものオタク友達に連絡をした。

 そのことまで京は織り込み済みだった。

 問題は京の目的である、マリ子とたかしがお互いにまだ恋愛感情を持っているかという研究と、オタク達がごっこ遊びをしたいという目的が一致しないことを知らないことだ。



「それじゃあ、明夫は”悪の”女司令官の部下になったっていうのか?」

 大学の廊下端にあるベンチで、赤沼は羨ましいとため息をついた。

「そうだよ。僕が右腕。それで……有能な右腕につきももの、おとぼけ役と苦労人の配役が必要になる。僕が君達二人を呼び出した意味がわかるね?」

 明夫は二人の顔をそれぞれ見ると、青木が聞こえるか聞こえないかのようなボリュームで「試験だ……」とつぶやいた。

「そんなことするわけないだろう。僕の中でおとぼけと苦労人は決まってる。そうだろう? おとぼけ」

 明夫が真面目な顔で青木を見ると、青木は真面目な顔でうなずき返した。

 次いで「頼むぞ。苦労人」と赤沼を見たが、赤沼は複雑な表情を浮かべていた。

「しょうがないだろう。君がおとぼけ顔か?」

「嬉しいような嬉しくないような……」

「僕はおとぼけでもかまわないよ。でも、コードネームはレックスだ。今日から呼び方はレックスに変えてくれ」

 明夫が青木のSNSツールの名前表示を変更すると、赤沼が不平不満の声を上げた。

「ちょっと! そんなのずるいよ! それなら僕もスコーピオンとか、サンダーフラッシュストリームとかがいい!!」

「君がスコーピオンっていう柄か? サンダーフラッシュストリームもだ」

「それなら青木もレックスって顔をしてないだろう」

「ティラノサウルスはおとぼけな顔をしてるだろう」

「ティラノサウルスじゃなくて、Tレックスだよ。だからレックスだ。サウルスじゃいまいちピンとこないだろう」

 コードネームの由来を説明する青木だが、誰もその話を聞いていなかった。

「僕ならスピノサウルスを選ぶね」と明夫が言うと、赤沼は「流行りに流されるのはオタク道に反するぞ」と不満だった。

「いいだろう。今じゃ、ゲームだってティラノサウルス――」

「レックスだ」

 青木は譲れないと会話に割って入った。

「Tレックスより、スピノサウルスだろう? 僕らは反逆者じゃないんだ。別に流行を毛嫌いする必要はない。僕らオタクが嫌いなのは、僕らが作った文化を勝手に一般流用することだ。そうだろう? 僕らの文化や言語が、棲み分けの出来ない若者によっていくつ広められた? 文化財不法輸出入等禁止条約違反だよ。僕らは僕らの世界を守る義務がある。そのためには、ある程度の交流は必要だ。スピノサウルスがTレックスに取って代わるくらいなんだ。怪獣娘フェチ、巨大娘フェチを守れるなら、僕はTレックスって書いたTシャツを着て歩いたっていいね」

「ロックバンドのファンだって思われるだけだよ。それで? 結局何をすればいいわけ?」

 赤沼はここに集められた経緯は知らないが、その目的は知らないと説明を求めた。

「決まってるだろう。僕らの雇い主は悪の”女幹部”だ。言われずともやることはわかる」

 オタク二人は明夫の言葉に深くうなずくと、さっそくスマホを起動してあることを始めた。

 そして、それは数日後なにかわかることになる。



「なに……これ」

 京は急にお仕掛けてきたオタク三人に面食らっていた。

 三人が現れたことにではない。手に持った大荷物にだ。

「なにって、悪の女幹部にはかかせないだろう? 衣装が」

 赤沼はウキウキ顔で床に衣装を並べていった。

「新手のセクハラかしら……」

 京は床に並べられた衣装に頭を抱えた。

 なぜなら際どいレオタードに真っ黒なハイヒールブーツ。それになぜか学ランの上着だった。

「本当酷い……」

 青木はつばを吐くように言うと、赤沼が並べた衣装を雑に追いやって自分の買った衣装を並べた。

「軍帽と眼帯は外せないだろう。まずは顔から描く、ほとんどの絵師が生命を生み出すときにすることだ。絵を描くって行為はさ……この世界で最もピュアな子作りだと思わない?」

「思わないわ……」

 京はSMもののエロ動画でしか見ないような衣装が並べられた瞬間に、遠くへ衣装を放り投げた。

「まったく……わかってない。わかってないよ。同じオタクというスティグマを与えられたのが信じられない。彼女がなにを不満に思ってるかわかってる? 君達は見た目だけを気にしてる。そんなのマリ子と一緒だ。僕はディティールにこだわる。つまり彼女の設定を考えたわけだ―ー」

 大学生。性別は女。魔法少女に憧れていた過去があり、それを理由に魔法少女を目の敵にする。極悪非道だが、ある夜だけ昔を思い出すんだ。

 実は憧れではなく、夢は叶っていた。

 しかし、味方と敵は表裏一体。彼女の正義はどこへ。

「――以上の計算式から導き出された結果は――これ」

 明夫は羽の生えた猫のぬいぐるみをダンボールから取り出した。

「なるほど……マスコットキャラか……悪キャラののグッズ展開は昨今のビジネスモデルだ」

 赤沼がもっともらしい理由をこじつけて納得して見せると、青木も乗っかった。

「魔法少女ってとこにこだわりを感じるよ。妹成分を接種できる。実に見事なワクチンだ。悪を中和するワクチンだよ!」

「……私はこれをどうすればいいわけ?」

 ぬいぐるみを押し付けられた京は困っていた。話についていけないどころか、ぬいぐるみにも全く興味が無いのだ。

「簡単だよ。今日から抱いて眠るだけ。それだけ大きな男の子からの票は鰻登り、いや……君なら大きな女の子もけるかもしれない。もしかして君はオタクの中でも男女ハイブリッド票を獲得できる人材なのかもしれない……これは大きな問題だぞ!!」

 明夫が声を大きくすると、「研究が必要になります!!」と赤沼が更に声を大きくした。

「研究をするには白衣が!」

 青木はスマホをいじりながら言った。

「これは忙しくなるぞ……」

 明夫は人数分の白衣が必要だと、京の分まで注文を始めたのだ。

「餌の撒きかたを間違えたかしら……」

 京は暴走するオタク達を見て、引き返すのは難しいとため息を落としたのだった。

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