第十七話
地元のさほど大きくないショッピングセンター。
そのフードコートで、今まで満面の笑みでステーキを頬張っていた芳樹が、急に真剣な顔になって「聞いてくれよ……」と切り出した。
「その切り出し方好きじゃない……」
たかしは今までにされたくだらない相談を思い出して、眉間に深いシワを作った。
「オレだけのことじゃねぇんだよ。悟はもちろん。たかし……オマエにも関係のある話なんだぞ」
「そんなニンニク臭い口で言われても」
「オレは呪いをかけられたんだ」
「そう。じゃあ、また明日学校で」
たかしは食べかけのうどんごとトレーを持ち上げるが、芳樹に腕を掴まれてしまっては再び座るしかなかった。たかしの力で振り払えるほど、芳樹はやわに鍛えてはいない。
「聞いてなかったのか? 呪いだぞ」
「いいか? 聞き逃したんじゃない。聞いてないふりをしたんだ。そんなこと大声で言うなよ……。街中の精神科医の良い研究対象になるぞ」
「いいからこれを見てくれ」
芳樹は鉄板の上のステーキを端に寄せると、空いた真ん中のスペースにコーンを並べた。
「コーンアレルギーにでもなったわけ?」
「数えてみろ」
芳樹があまりに真剣な声で言うので、たかしも只事ではないと思って鉄板に目をやった。
コーンの塊は二つある。左が四で右が五だった。
「四と五がどうしたっていうのさ」
「どうしただって? これこそが呪いだ!!」
芳樹はテーブルに勢いよく手をついて立ち上がった。
ここは学食ではないので、他人から発せられる冷たい視線はまるで刃物のようにたかしに突き刺さった。
「頼むから座ってよ……。なに? どうしたって言うんだよ」
「わかった……これならどうだ?」
芳樹は先に置いたコーンの真下に、全く同じ数だけコーンを置いた。
「四と五が増えて、もう一つ四と五が出来ただけだけど」
「ほら見ろ。もう自分で答えを言っている。四と五が二回続けば? どうだ?」
「四と五? 二回? 四五四五ね……ただの下ネタじゃん」
「そうなんだよ!!」芳樹はやっとたかしが理解してくれたと、拳を握りしめて叫んだ。「四と五が続くと、もうオレはそれにしか思えない」
「大げさな……」
「じゃあ、これはどうだ?」
芳樹は左のコーンを二つ食べると、残りの二つを右の五つのコーンへと混ぜた。
「どうって。数学どころか算数問題だぞ。七個に決まってるだろう」
「違う。四つあったのがゼロになったんだぞ。0と七だ」
「まさか数字のゼロをアルファベットのオーに置き換えるとか言わないだろうな……」
たかしが結局下ネタだと呆れていると、芳樹は突然拍手を響かせた。
「おめでとう。これでたかしもオレと同じ呪いにかかった」
「くだらない」
「オレも初めはそう言ってやった。でも、今じゃどうだ? こんなに取り乱してる」
「そこは否定しない。そういう考えって、普通は中学生で卒業するもんだ」
「オレも同じことを言ってやった。でも、男は一生中学生だって」
「さっきから言ってやった言ってやったって。誰のことを言ってるんだよ」
「サウナで一緒になるおっさんだよ。あのおっさん……人に話したら呪いが解けるって、すっきりした顔で出て行きやがったんだ」
「待った……それってオレに呪いをかけたってこと?」
「オレの言ってること信じてないんだろ。ならいいじゃねぇか」
「気分が悪いって言ってるんだ」
「でもオレは気分爽快! ありがとよ! 親友!!」
芳樹はステーキを一切れたかしのうどんに乗せると、残りは無理やり口に突っ込み、勝手に別れを告げて帰っていった。
たかしは呪いのことを信じていないし、いつもの芳樹の気まぐれに付き合わされたと諦めながら、残りのうどんを啜った。
汁まで飲んだことを後悔しつつ、食器を返して帰ろと返却口まで歩いて行ったところで、あることを思い出した。受け取りブザーの番号が四。そして芳樹の受け取り番号が五だということを。
たかしは頭の中で結合して分裂しようとする数字をなんとか振り払った。
一度数字がくっついて横並びになってしまえば、芳樹の言っていた呪いが本当になってしまう気がした。
これは早く帰ったほうがよさそうだと思い、スマホを取り出して時間を見ると一時四十五分だった。
たかしは思わず「嘘だろう……まさか呪いって本当なのか」と呟いた。
その声は自分でも思ったより大きく、少しだけ周囲の視線が突き刺さったので、たかしは逃げるようにフードコートを後にした。
『四五パーセントオフだよ!』
『今なら四つ買うともう一つ貰えちゃうキャンペーン実施中。四個を五個にしよう』
『ただいまの湿度は四十五パーセント』
たかしは次々目に入る広告や、流れるアナウンスを無視すると、家へと真っ直ぐ帰った。
だが、その道中。電車の中吊り広告や誰かの会話など。まるで意識しているかのように、脳へ情報へと入ってきてしまった。
家へ着く頃には、顔面蒼白になっていた。
その顔をマリ子に見られ「大丈夫? 病院へ行ったらどう?」と言われた。
「病院って呪いも解いてくれる?」
「……大丈夫? 病院へ行ったら? 今度は最初に勧めた病院じゃないわよ」
「大真面目な話なんだ。聞いてよ」
たかしはマリ子の腕を掴んでリビングへと引っ張った。
その様子が尋常じゃないので、マリ子は「ちょっと! ちょっと!!」と足を踏ん張った。
「あのねぇ……呪いなんて言葉を聞いて。ちょうどその話がしたかったの!! って女が喜ぶと思ってる? 女が好きなのは占いよ」
「バカみたいなことだって思われるかもだけど。大真面目なんだ……」
「わかったわよ……。大真面目なのか大馬鹿なのかだけ聞いてあげる」マリ子はたかしにソファーに座るように促すと、自信は冷凍庫からアイスを取って戻ってきた。「さぁ、話してみて。時間は私がアイスを食べ終えるまで」
マリ子がカップアイスの蓋を開けると、それがスタートの合図かのようにたかしは今日あったことを捲し立てた。
初めは真面目に聞いていたマリ子だったが、特定の数字がエッチな単語や擬音に聞こえるというくだらないものだとわかると、話半分でアイスの美味しさに集中することにした。
「――それで、この呪いの何が怖いかっていうと……これだよ……」
たかしが時計を指して言うので、マリ子は振り返って時計を見た。
時刻は十五時七分だ。
「07よ? 7分って意味」
「それは朝までのオレの話。今は全く別の意味に思えるよ」
「面倒臭いから結論から言うわね。たかし……あんたは大馬鹿よ。おめでとう」
「でも、こんな偶然ってありえる? 見るもの全てがエッチなことを連想させるんだぞ」
「偶然じゃない。セックスの時。私がベッドから転げ落ちてもエッチだって言ったじゃない」
「あれはいつもと違う弱気な声が出たから興奮しただけ。でも、そのセックスの時は四時五分でもないし、四月五日でもなかった!!」
「ちょっと……せっかく良くなってきたガス溜まりがぶり返すわよ。まったく……それならこれはどう?」
マリ子は置きっぱなしのプリントを裏返すと、そこに『0513』と数字を書いた。
「おごいさん? ……もしかしてセクシー女優の名前?」
「おばか……。私達がルームシェアを始めた日よ。五月十三日。これでもエッチなの?」
「……正直。その時が一番エッチな妄想してた」
「知ってる。初めてエッチした時に、月面着陸に成功した宇宙飛行士並に喜んでたから。なのに今は誰も捜査しにこないってどう言うこと?」
マリ子はたかしの心配事をいつの間にか自分の愚痴へと変えていた。
「訂正さえて貰えばオレは月面着陸は初めてじゃない」
「わかったわよ。ベテラン宇宙飛行士さん。地球流で呪いを解いてあげるわ。ほら、ついて来て」
そう言ってマリ子がたかしを連れ出した先は外ではなかった。
二階の京の部屋だ。
事情を説明するなり「面白い……」と京は口角を上げた。
「連想により行動が変わるって話を知ってるかしら?」
たかしとマリ子は顔を見合わせてから首を横に振った。
「身近な例だと、子供向けのアニメのCMにスナック菓子が多いのは、子供が食べたくなっておねだりをさせるためよ。実際に実験もされてるのよ。他にもメルマガのおすすめ商品とか。プライミング効果と呼ばれてるわ。先の刺激が後々の行動に影響を与えるって言ったほうがわかりやすいかしら?」
「さっぱりよ。それが変態たかしになった原因なの?」
「いいえ、全然。近しいものが心理学にあるってだけ。たかし君の場合は一種の現実逃避よ。恋人に秘密を打ち明けられないモヤモヤを他で解消しようとしてるの」
「うわ! それ最低。恋人がセックスさせてくれないから、他の女に手で抜いてもらうようなもんでしょう?」
「……違うわ」
「違うって。よかったじゃない!」
マリ子は勝手に場を荒らして勝手に納得していた。
「でも、このままじゃ数字に支配されちゃうよ」
たかしはバカげた話だろうけど真剣に悩んでるんだと打ち明けた。
「そうね。でも、数字は支配しない。なぜなら、もう時間は過ぎたから。ここに男子中学生がスケベな妄想をするものがある?」
「私はあったほうがいいと思う」殺風景な京の部屋を見回して、マリ子は心底ガッカリしていた。「ブラの一枚でも干しておくのが、男を部屋に入れるときの礼儀よ」
「そう? なら今度からそうするわね」
「今からでもいいのよー! えい!」
マリ子は京に抱きつくと、ベッドに押し倒してじゃれついた。
「ちょっと……まだオレがいるんだけど」
「なんでいるの?」
ベッドから起き上がったマリ子はたかしを睨みつけた。
「さあね。誰かに連れてこられたからとか?」
「至極当然の答えね」
「そうだろう」
たかしは仲間が出来たと顔をほころばせた。
「あら、これには反応しないのね」
「今の中にエッチな言葉なんてあった?」
「あるわよ」とマリ子はニヤニヤしていた。「『し』と『ご』て四と五。至極はそのまましごく」
「それって考え過ぎじゃない?」
「……それで相談してきたのはそっちでしょうが」
「本当だ!? それを考えないってことは……治ってる!! 呪いが解けた!! ありがとう!!!」
たかしは何度も京に感謝の握手をすると、踊り出しそうな軽やかな足取りで部屋を出ていった。
「なにあれ?」マリ子は理解できないと首を傾げていた。
「そう? 私の予想によると、そのうちマリ子も同じようなことで悩むと思うけど」
「エッチな連想ゲームさせるだなんて、飲み会で下半身を膨らませてる男くらいよ。期待に胸を膨らませろっての。しかも、オマエが出すのは期待じゃなくて液体だろって。これまじウケない?」
「それじゃあ……これはどう?」
京はスマホに081という文字を打った。
「なに? 局番? おっぱいだって。私にもついてるんだから、余計な連想なんてしないわよ。レポートの邪魔してごめんね。ばいばーい」
マリ子はアイスのカップを捨てに階段を降りたのだが、その途中であることに気付いた。
「8って横にしたらまんまおっぱいじゃん。大発見。しかも1はおっぱいを支えてる腕のように見えるし、0は顔に見えてきたわ。なんてバッカみたい」
マリ子は自分で自分を笑いながらゴミ箱の蓋を上げたのだが、急に手を止めた。
「カップ? 待ってこれって胸のサイズ? 【ハイパーカップ】? 超でかいってこと?」
マリ子の「くそ!! 呪いをうつされたぁぁあ!!!」という叫び声は、二階の京の部屋にも聞こえていた。
「いいレポートが書けそうね」




