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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン3
66/125

第十六話

「まだ良くならないの?」

 ここ数日自室にこもりきりのたかしを、明夫は快く思っていなかった。

 というのも、体調不良の間は他の三人がたかしの仕事お補っているので、生活リズムに少し変化が訪れてしまったのだ。

 些細なことなので普通は気にならないが、明夫にとっては大問題だ。アニメの開始時間に間に合わない可能性がある。

 今では色々な媒体で気安く見られるようになったアニメだが、明夫は配信時間ピッタリでリアルタイム鑑賞することでテンションが上がるタイプだ。

 だからこそ。一人ずっと文句を言っているのだった。

「背中が痛むまでガスが溜まってたのよ、最短でも二週間くらいはゲップとオナラ地獄よ」

「そんなに長いの?」

「一応病院に連れてったでしょう。治らないのはアンタへのストレスもあるんじゃないの?」

 マリ子は最新のヘアカタログをスマホで見ながら、適当に明夫の相手をしていたのだが、あることを言われるとスマホのテーブルに放り出して、立ち上がって臨戦態勢へと入った。

「ちょっと待った。なんでそっちがその態度なのさ。普通こっちが取る態度だろう」

「どうせバカなことを言い返してくるから省略してあげたのよ。なんならお尻蹴られて泣くとこまで省略してあげましょうか?」

「そっちがストレスの元の可能性だってあるだろう」

「ほーらバカ言った。おっぱいは人を癒すのよ。知らないわけないでしょう?」

 マリ子は自分の胸を横から押さえ込むと、重量感たっぷりに揺すって見せた。

「だとしたら、男はみんな母親と結婚してる。なぜしないか。二次元があるから」

「違う。男は母親のおっぱいを探してる。だから得意になって吸ってくんのよ。そして女は上手に吸えたって褒めてやんのよ。男はみんなおっぱいの上で踊ってるの。女がジャンプするだけで、男は足を止めるってこと。この意味わかる?」

「……わかんない」

「……私も。なんの話してた?」

「二次元のおっぱいは最高で、マリ子のおっぱいはオタクになれなかった惨めな男が好きになるって話」

「残念でした。私のおっぱいは女にも評判が良い。これどういうことかわかる? ……どういうことよ。絶対そんな話してなかったでしょう」

「僕はそういう話をしてた」

「違うわよ。たかしのストレスをどうにかしようって話でしょ。そうよね?」

 明夫は「さあ」と肩をすくめた。

「とにかく、私たちで話し合ってても埒が開かないわ」

 マリ子はテーブルからスマホを手に取ると、早速いつものグループにメッセージを残した。


 そんなことを知らずにいたたかしは、悟のお見舞いを心から喜んで部屋へと入れたのだが、目に見える問題が一つあった。

「なに?」

 たかしは怪訝に目を細めた。

「なにってお見舞いだよ。それ以外でこんな格好をすると思う?」

 悟は真っ黒なフリル付きのドレスのようなワンピースの裾を翻した。

「お見舞いで、その格好をする意味がわからない……」

「こういう衣装って体型をカバーできるんだって。この内巻きの髪も輪郭をカバーできる。僕みたいに小柄な男にピッタリだって」

「……化粧もしてる?」

「してる。三つの時からお姉ちゃん達にもされて慣れてるよ。だからそれはいい。問題はこれが僕の趣味じゃないってこと」

 悟がゴスロリ衣装に身を包み、濃いめの化粧をしているわけは、女性陣が面白がって着せ替え人形を始めたからだ。

 元々はオタク三人は悟にコスプレをさせてたかしを喜ばせようと考え、それを実行していたのだが、少し調べ物をしている隙に、あのセンスはありえないとマリ子が手を加え、京が水着を持ち出してきたところでたかしの部屋へ逃げ込んできたというわけだ。

「なにが起こってるのさ……。あいたたた……」

 たかしは不安になって体を起こすが、ずっと同じ体勢だったためガスが一箇所に溜まり、また背中が痛み出した。

「ほら、大人しくしてなよ。なにかが起こるのはこれからなんだからさ」

 たかしの背中を支え、ゆっくりベッドへ倒す姿は、たかしからはまるで女性そのもののように見えていた。

 だが、それに動揺する暇はない。不穏な言葉が、真紅の口紅に染められた悟の唇から紡ぎ出されたからだ。

 しかし、答えを貰わぬまま去っていってしまった。

「見た? あの美女。男なのに妹キャラだ。二次元でしかありえないことが現実に起こってる。2.5次元だ……。知ってる? 2.5次元が一番人間の心を惑わせるんだよ。そのうち論文も出るよ。三人の共同名でね」

 青木は悟がしていた化粧の残り香を思い切り鼻から吸い込むと、同じ分だけ吐き出した。

「一応聞くけど……なに?」

『お兄ちゃん。早く良くなって』

 青木はスマホを印籠のように持ち、保存してある音声を流していた。

「もう一度だけ聞くぞ……なに?」

「なにって、あの『緑川のぞみ』だよ!? 彼女が今まで何人のオタクの妹になったと思ってるんだ? 彼女がいるから僕らオタクは兄弟として繋がってるんだ」

「外の世界へ出ろよ。兄弟内で遊んでるから成長しないんだ……」

「僕をみくびるなよ。年老いても妹だ。四十歳だろうが六十歳だろうが妹は妹。皆それに気付いてないんだ」

「オレが話に飽きてることもそろそろ気付いて」

「そうだね。話を元に戻そう。妹ボイスだったね。これは実に歴史が深い。僕は草分け的存在が三人いると思ってる。まずはこの声――」

 青木は次々にアニメの一場面やラジオドラマを聴かせると、たかしよりも自分が一番癒されて満足したので部屋を出ていってしまった。

 次にやってきたのは芳樹だ。

 顔を見るなり「帰っていいよ……」とたかしは芳樹を追い返そうとしたが、いるのはベッドの上だ。言葉だけで芳樹を追い返すのは不可能だった。

「よう! 久しく見てないだろう――こういうのをよ。やっぱり男の悩みは親友が一番理解してるってな。出すもん出してスッキリしな」

 芳樹はアダルトDVDを数枚。お札をばら撒くように、ベッドへ置いた。

「溜まってるのは性欲じゃなくてガスなんだけど」

「似たようなもんだろう。出たらスッキリするし、出したら嫌なことも忘れられるだろう?」

「ありがたいね。……中古シールまで貼ってあるのも思いやり?」

「おいおい、新品のアダルトDVDの値段を忘れちまったのか?」

「明らかに開けた後があるんだけど」

「中古だからな」

「一枚中身が入ってない」

 たかしが空のDVDケースを見せると、芳樹はやばいとDVDをかき集めた。

「リビングに入れっぱなしだ! 久々に動画サービスじゃなくてDVDだからな。勝手が違う……悪いけどお見舞いはなしだ!」

 芳樹はいちいちやかましい音を立てながら家を出ていった。

 すかさず「待たせたわね!」と公子は部屋に入ると、澱んだ空気に顔を顰めた。「ダメだね。何日も部屋に引きこもってる匂いがするよ。これはもう運動しかないね」

 公子が「えいえいおー!」と両拳を掲げると、運動は論外だとロズウェル事件の宇宙人のようにマリ子と京に腕を掴まれて連れ去れていった。

 ドアの向こうから公子の文句が聞こえるが、京は「仕切り直すわね」と改めて部屋へと入ってきた。

「もう好きにして……」

 止まらない来客に、たかしは今日はそういう日だと覚悟を決めていた。

「お見舞いよ。栄養ドリンクと気晴らしの雑誌」

 京はビニール袋に入ったままのお見舞い品をたかしに渡した。

「うそ……皆でオレを殺そうとしてたんじゃないの?」

「そんなことするわけないでしょう。さぁ、飲んでちょうだい」

「……なにを?」とたかしは驚愕した。入っていたのは栄養ドリンクというよりも、勢力増強ドリンクだったからだ。「マムシを飲めって? まさかサソリを飲めって?」

「たかし君……両方飲まないと効果は望めないわ。元気になって欲しい。皆の願いはそれだけよ」

「これは京さんの願いとしか思えないけど……」

 たかしはDVDのタイトルを京に向けた。

 そこには『ギャルVS気の合う彼女』という文字がデカデカと書かれていた。

「ええ……とても興味深いわ。どっちを使ったか。どういう風な妄想をしたのか。全部教えて。レポートの提出でも可よ。どれだけ時間をかけたのかも教えて欲しいわ」

「芳樹と同レベルだ……」

「それはいただけないわ。ちゃんと今の状況とシンクロするような内容のアダルトDVDだった?」

「DVDだからダメなのよ。男のニーズは女が一番わかってるの」マリ子は水着姿で部屋に入ると、くるっと回ってポーズをとった。「どうよ? 海が楽しみでしょう?」

 ご機嫌でファッションショーをしに来たマリ子だったが、エプロンをしているせいで肝心の水着が見えていなかった。

「あら、裸エプロンみたいで大胆ね」

「洗い物してたの。水着だから濡れてもよかったんだけど、水飛沫お腹に当たったら冷えちゃって」

「でも、本当すごいわ。下なんてギリギリじゃない」

「そうでしょう。おっぱいの膨らみに布が引っ張られて下が足りないの。これ、ヒモ水着だったらノーパンに見えるよ。超エッチくない?」

「お二人さん……オレは病人の前に恋人持ちなんだけど」

「忘れてた……」マリ子はすっかりエプロンを脱いで、水着姿でグラビアアイドルさながらのポーズを取っていた。「はい、たいさーん」

 マリ子は部屋でファッションショーの続きしようと、京と公子を誘って二階の自室へと上がっていった。

 ドタドタと階段を小走りで上がる音が天井付近から響くと、ようやくたかしの部屋は静けさを取り戻した。

 しかし、それもわずかな時間だった。

「やあ、親友。君の人生を変えにきたよ」

「人生を終わらせにきたの間違いじゃないか」

 どうせ明夫はろくなことをしないだろうと思っていたたかしだったが、なんと明夫は誰もしなかった空気の入れ替えを始めたのだ。

「別に風邪じゃなくても、新鮮な空気って大事だろう?」

「まぁね」

「それにミントティー。胃腸にいいらしいよ」

 明夫はまだ湯気が立つカップをたかしに渡した。

「気が効くな。……何を企んでる」

「言っただろう。人生を変えに来たって。例えばこういうの」明夫は京が置いていったDVDを拾い上げた。「こういうのは最低だよ」

「それは京さんが置いていったんだ。男だから見ることは否定しないけどね」

「時に出るその優柔不断さが、今の状況を招いてるんじゃないのか?」

「……反論の余地はございません。――って言いたいところだけど。その箱はなんだ?」

「何って十年前のサプリメントだよ」

「ゲームだろう」

「でも、どんな薬を飲むより心が元気になる。知ってる? もうこの美少女ゲームの声優はほとんど引退しちゃったんだ。サプリメントであり、重要文化財でもある。こんなことって他でありえる?」

「ありえないよ。あったら異常だからね。頼むから帰ってくれよ」

「わかったよ」と頷いた明夫だが、足はドアではなくデスクのパソコンに向かっていた。

「もしかして日本語もわからなくなった?」

「わかるよ。ばっちりだ。英語もわかる。今はインストール中って出てる」

 インストール画面のアニメーションに合わせて不気味に踊る明夫は、ポケットから無線マウスを取り出した。

「さあ! これで寝ながらゲーム生活だ。気をつけろよ。熱中すると首を痛めるぞ」

「いいから帰れよ!」

 たかしが大声を出すと、明夫は「わかったよ」と肩をすくめて部屋を出ていった。

 パソコンの電源はついたままだが、たかしに立ち上がる気力は残っていなかった。

「最新ゲーム機がある部屋で、なにが悲しくて昔の美少女ゲームをしなければならなんだか。へー舞台は学園か。うわ……まだガラケーだ。懐かし――」



 翌朝。背中やお腹ではなく、首を支えて部屋から出てきたたかしを見た明夫は「やりい!!」と声を上げたのだった。

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