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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン3
64/125

第十四話

「痛たた! 痛い!!」

 突如、叫びにも似た大声が響いた。

 時間も早いということもあり、また明夫かとマリ子はパジャマ姿でリビングへ降りてきたのだが、そこには誰もいなかった。

 耳を澄ませると、それはたかしの部屋から聞こえてきた。

「ちょっと……大丈夫? こむら返りにでもなった?」

「違う……お腹が……。死ぬかも……」

「はぁ?」

 マリ子は慌てて部屋のドアを開けて、たかしの体調を確認すると、他の二人を呼びに行ったのだった。



「食当たりの可能性は?」

 京はスマホでたかしが当てはまる症状を調べていた。

 たかしは色々と大きな病名を口にしていたが、三人の冷静な判断でそこまでではないことがわかったからだ。

 病院が開くまでまだ一時間以上あるので、たかしの気を紛らわす意味もある。

「僕らも同じものを食べたぞ」

「背中痛に、吐き気。満腹感。……急性膵炎という可能性もあるかも」

 たかしがあまりに痛がるので、京はもう少し大きな病気の可能性を探っていた。

「ちょっと待って。たかし……アンタ、朝トイレへ行った?」

「お腹が痛くてそれどころじゃないよ」

「やっぱり……ならまずクソを捻り出してくることね」

 マリ子はたかしに肩を貸して立ち上がらせると、トイレの前まで運び、先に部屋へと戻った。

「トイレだって? まさかただの便秘?」

 明夫は朝から講義なのに眠いと不満を言った。

「それは知らないわよ。たかしの表情次第ね」

 マリ子が肩をすくめると、水が流れる音が響いた。

「ちょっと……良くなったかも」

 よろけながら部屋に戻ってくるたかしを見て、明夫は心配に顔をしかめた。

「本当に? 顔色がまだ悪いぞ」

「本当だよ。さっきは喋るのも辛かったけど。今は平気」

「なるほどね……。京」

「救急車でも呼ぶ?」

「いいえ、今日は大学休むから代返お願い」

「いいけど……なにするつもり?」

「なにって――ストレッチに決まってるでしょう」



 それから何事もなかったかのように、京と明夫は朝食を取って大学へと向かった。

 マリ子はというと、ヨガパンツに履き替え、ヨガマットを引き、やる気まんまんだった。

「申し訳ないんだけど……運動出来るような体調じゃないんだけど」

「運動じゃないストレッチよ。ほら、寝転がって右膝を抱える」

 マリ子はたかしにポーズを取らせると、たかしの右足に体重を乗せて押し込んだ。

 初めは痛がっていたたかしだったが、次第にその声は小さくなっていった。

 代わりにお腹がぐるぐると大きな音を立てた。

 その音は、まるで体内の悪魔が苦しんでいる声のようにたかしは聞こえていた。

「やっぱり……重度のガス溜まりよ」

「オレが? 健康なのが取り柄なのに……」

「私は医者じゃないけど、原因はストレスよ。早く恋人に言ったら? はい、次左足」

 マリ子は左足にも全く同じようにして、たかしの下腹部を圧迫させた。

「言うよ。そのつもりはあるんだけど……。逆に聞くけど、マリ子さんだったら今言われて怒るだろう?」

「ぶっ飛ばすに決まってるでしょう。で、連絡先を削除。友達からの伝言ゲームは「死ね」のふた文字で返すだけよ。これだけ短いなら、バカでも伝言ゲームは間違わずに伝わるでしょうし」

「それだよ……。ますますタイミングが難しくなった……」

「それは過去に付き合ったクズ男の場合よ。たかし、アンタは私が付き合った中で一番普通の彼氏よ。もっと自信を持ったら?」

「普通だから悩んでるんだ。クズ男だったら悩まないし、雑誌に載るようなイケメンだったら――やっぱり悩まない」

「こっちは自信つけてでかい態度取ってるのに?」

 マリ子は口元をニヤけさせると、たかしの顔から徐々に視線を下腹部へ下ろしていった。

「それは押し付けてくるし……色々見えてるし……」

 マリ子は体重をかける時に全体を使うので、胸の形が変わるほどの圧力をスネに感じていた。それに加えて、タンクトップというラフな格好に着替えたので、色々と際どいところまで見えてしまうのだ。

「付き合ってる時あれだけ揉んでおいて、今更こんなんで照れるわけ? 男って意味わかんない」

「色々したから、色々鮮明に思い出すんだよ」

「期待してるわけね。なんていうか……男ってそういうところ憐れよね……。そこにほだされる女も女だけど」

 マリ子はたかしに背を向けて、胸の上に馬乗りになると、いきなりたかしのズボンを下げ始めた。

「ちょっと! そういうつもりじゃ!!」

 いきなり下腹部を触られて慌てるたかしに、マリ子は冷静に返した。

「こっちもそういうつもりじゃないわよ。ただの腸揉みマッサージよ。外部から刺激して、腸のぜん動運動を促すのよ」

「びっくりしたよ……」

「びっくりしたのはこっちよ。苦しんでてもそっちの反応するのね。意外」

「オレだって男だよ」

「じゃあ、私と付き合ってる時は女だったのね」

 マリ子は笑いながら、たかしのお腹あたりをゆっくり押してやった。

「指先じゃなくて、指の腹で優しく刺激してやるのよ。強い刺激は逆効果。触れるってことが大事なのよ。まったく……世の男に教えてやりたいわ。知ってる? ほとんどの男は腸の位置も知らない」

「そんなこと……ないと……思うけど……」

 たかしはうっぷと苦しそうにいゲップした。体に溜まっていた空気が押し出されるような感覚がずっと続いているのだった。

「たとえ話よ。コピー機の用紙トレイの位置とか、そういう話。あと、ゲップは出しちゃいなさい。それも含めてのマッサージなんだから」

 マリ子が言った途端。たかしが大きなゲップを響かせたので、どちらからともなく笑い出した。

「笑ってるけど。これ例えの話の意味がわかって笑ってるわけじゃないからね」

「セックスのことを理解してないから、見当ハズレのところを触るって意味よ。そこをいじっても女はなにも感じない」

「耳が痛い話だよ……」

「でも、実際問題。女の方が健康のことを考える時間が長いってだけよ。アンタら男がドッジボールして膝小僧を擦りむいてる間に、とっくにこっちには大人になってるってこと」

「オレも大人になってるよ。一名だけ子供のままの奴もいるけど」

「一緒にしたら子供がかわいそうよ」

 たかしは「だね」と笑顔だったのだが、急に真顔になって「……ちょっと離れてもらっていいかな」と言った。

「どうしたの? 私のお尻を見なければ済む問題なら聞かないわよ。元カレに尻を見られるより、元カレの腸を治す方が重要なんだから」

「違う……。そういうわけじゃ……いや、でも……」

「どうしたのよ。明夫を悪者にして、話がちょうどよくまとまったところでしょう。普通は次の話題の提起だと思うけど? 下半身の事情なら後回しにして。どのみち背中が痛くてそれどころじゃないでしょう」

 マリ子はお尻を見られていようが、お尻の感触が気になっていようが、関係ないとマッサージを続けている。

「その……下半身事情はその通りなんだけど……。かかる医者が違う」

「はぁ?」

 たかしが何を言ってるいるのか意味がわからず、さすがにマリ子もマッサージの手を止めて、胸の上から降りた。

 しかし、自由になったにもかかわらず、たかしが動くことはなかった。

「どうしたのよ。肩を貸しましょうか?」

「動けないんだ……」

「重かった? 大丈夫? ごめんね……。実はあれか一キロだけ増えちゃったの……。でも、大丈夫。水着のサイズは完璧。でも……そういうことじゃないのよね」

 マリ子は変に体重をかけて、苦しめてしまったのかと思い、たかしに駆け寄った。

 その表情があまりに不安なものだったので、たかしは羞恥心を捨てて正直に言うことにした。

「その……オナラが出そうなんだ……」

「ああ?」

 マリ子はヤンキーがガンをつける時のような、くぐもった低い声を出した。

「だから……腸が刺激されてガスが下の方に降りてきたみたいで……」

「いいのよそれで。なんのためのマッサージだと思ってたのよ」

「わかってるけど。こんなすぐ効果があると思ってなかったから……」

「こっちは無理なダイエットにもれなくついてくる便秘と戦ってるのよ。ちゃんと効果があるマッサージをするに決まってるでしょう。まったくもう」

 マリ子はなぜか笑みを浮かべると、再びたかしの胸に乗って腸のマッサージを再開した。

「ちょっと! 聞いてた?」

「聞いてるわよ。お腹ゴロゴロなってる。効果絶大ね」

「どいてよ!」

「私の体重が増えたのを白状させた罰よ。このまま出しなさい」

「そんな無茶な……」

「背中が痛むほどガスが溜まってるのよ? いちいち中断してたら面倒よ。だいたいもっと恥ずかしいこと二人でしてるでしょう。諦めなさい」

「絶対楽しんでるろう……」

「ちょっとだけね。男がどこが気持ちいいか聞いてくる気持ちが少しだけ理解できたわ。後は音楽かけて暗くすればいいと思ってるんでしょう?」

 マリ子はイタズラに笑うと、カーテンを閉めると、明夫がアニソンライブを聴くときのスピーカーにスマホを接続して音楽を流した。



 明夫の大学の講義が終わり、オタク三人はこれからどうしようかと話していた。

「ボスの店に行く? 今日は中学生大会が開かれる日だよ。こんなところに通ってたら、僕達みたいになるって絶望を見せに顔出す?」

 赤沼の機嫌が良い理由は短期バイトのバイト代が思ったより良かったからだ。

「僕は親友を助けに行く」

「僕も行くよ。なんてゲーム?」

 青木はスマホで検索するから題名をと急かした。

「違う。たかしが腹痛なの」

「たかしが? うわぁ……いいなぁ……」

 青木が心底羨ましがると、明夫は「だろう?」と笑顔で言った。

「これでラジオにメールが送れるんだ!」

 明夫が嬉しそうに言っているのは、医療を題材にしたアニメの話で、そのアニメのラジオで募集してるコーナーの一つに、病気になったときの体験談というコーナーがあるのだ。

 それにたかしの病気を自分のものにして応募しようとしているのだ。

「アニメ関係には僕らは嘘をつけないからね。異論はない。君が代表だ」

 赤沼はようやくこの日が来たかと、明夫を讃えた。

「ちゃんとラジオネームはいつものグループ名で送るから!」

 明夫はアニソンを口ずさみながら、それはもう上機嫌で帰路へついた。



「さぁ! マリ子! どんな医療行為をしてたか話してもらうよ! なんなら大学生らしく無駄にレポートまとめてくれてもいい!」

 明夫が玄関を開けても返事はない。おかしいと思って耳を澄ませると、リビングから音楽が漏れているのに気付いた。

 まだ時間も早いのに、電球の光が漏れているのもおかしい。

 明夫が様子を探りながら近付くと、声が聞こえてきた。

「ダメよ。ほら、出し切っちゃいなさい」

「もう出ないよ……」

「んなわけないでしょう。じゃないと、また初めからよ。また痛い思いしたいの?」

 明夫はまさかと思って部屋へと飛び込んだ。

「ちょっと! 医療行為ってセックスのこと? また付き合い始めたの!? 二人はバカなの?」

 たかしに馬乗りなっているマリ子を見て、明夫は驚愕したが二人は明夫を見るだけで、それ以外の反応はなかった。

「返事くらいしたらどうなんだよ」と畳み掛けると、たかしのオナラの音がラッパのように響き渡った。

「なるほど……わかった。僕はオタクで良かった……。臭い仲ってそういう意味なの?」

「よりを戻してなんかないわよ。ガスが溜まってるから、マッサージ出してやってんの。痛い時に一人で出来ないでしょう」

 マリ子に説明されて状況は理解した明夫だったが、それなそれで言いたいことがあった。

「ガス溜まりってオナラ? オナラが出ましたってメールに書けっていうの! 君たちがそんな人だとは思わなかったよ。もう!」

 明夫は計画が台無しだと地団駄と踏むと、不貞腐れて部屋へと戻っていった。

「まさかあんなに心配してくれてるとは……。何を言ってるかはいつも通り意味不明だけど」

「そんなことより。アイツ……私達がより戻したと勘違いしたのよね」

「まぁ、こんな格好だしね」

「それなのに部屋へ乗り込んできたってわけ? どういう神経してるわけ?」

「それって説明しなきゃわからない?」

「学会で発表してほしいくらいよ。てか、もうこんな時間? 驚き……セックスの時より肌を合わせてたんじゃない」

「そうかもね。あー……こんなこと言うのはおかしいのかも知れないけど……。その……セックスより君のことがわかった気がしたよ」

「……私もよ。少なくとも、歴代彼氏で一番オナラの音を聞いたわ。動けるようになったら散歩もいいわよ。えっと……それじゃあ」

「あぁ……それじゃあ」

 たかしが手を振り、マリ子も手を振り返したのだが、立ちることはなかった。

「そうよね。私が行かないとさよならにならないわよね」

「そうだね。そうだよ。それじゃあ」

「お大事に。……同じ家にいるのにこんなセリフ。……変な感じ」

 マリ子は心に何かモヤを感じながら二階の自室へ戻っていった。






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