第十一話
現在ルームシェアハウスは、過去最高の人数が集まっていた。
「それじゃあ……確認するわよ。まず私とみゃーことハムね。それにたかしと明夫。あとそのオマケ達」
マリ子は順番に指差し確認していたのが面倒くさくなり、残りの四人は適当に数えた。
「おいおい……こっちは自腹で行くんだぞ。対等であるべきだ」
芳樹はソファーに深く腰掛けてふんぞり返った。
「なら、来なくていいのよ。元々はダイエットの手助けをさせるために、【ドキドキ海フェス】っていう餌を付けただけだから。オタクイベントよ。芳樹……アンタは本当のオマケ。その金髪にLEDライトでもつけてイルミネーションになるなら……。必要機材で持ち運んであげる」
「オレにだけ言うなよ。悟だっているだろう」
芳樹は悟も部外者だと言ったのだが、悟はオタク三人に囲まれてガードされていた。
「姫は連れてくに決まってるだろう」赤沼が声を少し大きくして言うと悟は当然だと頷いた。「水着まで買ったんだ」
「……ちょっと待った」悟がビキニじゃないかと確認した。「その水着って男物だよね」
「なんだっていいよ。姫はずっとパーカーを着てるんだから」
「ラッシュガードって言うのよ。だいたい……男の水着より女の水着でしょう。どうよ」
マリ子は挑発するような妖艶な笑みを浮かべると、まだ値札がついたままの水着を目の前へ持っていった。
今はドキドキ海フェスというオタクイベントに行く前の集まりだ。集合時間や持ち物。宿泊予定のホテルのことなど、最終確認をしている最中だった。
たかしの恋人であるユリは、当日まで皆と顔を合わせることがない。たかしがルームシェアを内緒にしているせいだ。
「おいしそうだ……」
芳樹はしみじみとつぶやいた。
「今のうちによく見なさい」とマリ子は胸を芳樹の顔に近付けた。二度とないわよ――私にここまで近付けるのは」
「大学生のガキンチョを誘惑してどうするのさ」公子はマリ子の軽はずみな行動に呆れると「朝食は絶対バイキングね」
「どっちがガキンチョだよ……」芳樹は中学生にしか見えない公子に奇異の視線を向けていた。「だいたいビュッフェだろう」
「わかるー!」とマリ子は食い気味で反応した。「バイキングって言うやつ絶対おばさんだよね」
「なによ。私だけ年上だからって、皆でいじるつもり?」
「レギンスをスパッツって呼んでる女がいたらどう思う?」
「うわぁ……超おばさんじゃん」
「ちょっと待った!」と話題に入ってきたのは明夫だ。「スパッツはスパッツだろう?」
「スパッツはレギンスよ。正式には違うけど、共通認識はそうでしょう」
「じゃあなんで『二次元 レギンス』の検索結果は少なくて『二次元 スパッツ』の検索結果の方が画像が多いんだ?」
「それはあんたがオタクで、変な画像ばかり検索してるからでしょう」
「ちょっと!」反論しようとした明夫だが、なんの言葉も思い浮かばなかった。「――誰か反論できない?」
明夫は男達を見回して助けを求めたが、誰もが無言になり、明夫側につくことはなかった。
お情けで、たかしが「無理だ」と言葉に出した。
「男が六人もいるんだぞ。誰も反論できないわけ?」
「何人いたって一緒だ」芳樹はやれやれと立ち上がった。「真の男はオレ一人だけ。仕方ねぇな……。男はエロければいいんだ。全てはそれだ。あとは誤魔化すたまに装飾語をつける。そうだろう?」
「そこの反論は誰も求めてない」
賛同も否定もしにくいので、たかしは答えを誤魔化した。
「言葉の変化は面白いものよ。リバーシがオセロだったりね」
京は他にも音や意味そのものが変化したものなど話題にあげ、皆がそれに食いついていた。
しかし、芳樹だけは別のことを考えていた。
一人こっそり会話の輪から離れると、勝手にたかしの部屋に入り男限定でメッセージを送ったのだった。
そのメッセージは簡潔なもので、時間差で部屋に集まれというものだった。
まず最初に来たのはたかしだ。
「人の場所を変な集会所にするのはやめてもらえる……」
「小さいことは気にするな。そして、たかし。オマエは作戦参謀だ」
「そういうのやめてくれ……」
「なんだよ。男ならこういうノリ好きだろう」
「うちでは厳禁なの」
芳樹は「知るか」と一蹴すると、次にやってきた赤沼を「ようこそ! ソルジャーよ!!」と迎え入れた。
「これって……もしかして【B・バトルソルジャー】ごっこ!? BBSを現実でやれるなんて感激だよ。いや、感激であります!」
赤沼はBBS方式の敬礼をした。
それはエモート機能の動きを真似たもので、不気味なほどそっくりな動きだった。
そして、次いで部屋に入ってきた青木、明夫も全く同じポーズをしたのだ。
「だから言っただろう。うちで軽はずみな行為はNGだって。長引くぞ」
たかしが自分は知らないと責任逃れをしていると、最後に悟が入ってきた。
「なにさ。女性陣は皆怪しがってたよ。バカの考えることはわからないって」
文句を言いながら入ってきた悟に、芳樹は「本当にオマエは親友だよ」と感激した。
「ちょっと待った。抱きつくと余計ややこしいことになるよ」
悟は勝手にBBSごっこを始めたオタク三人を顎でしゃくった。
オタク三人はテンションが上がりきっており、枕カバーをはちまき代わりにしたり、ベッドの隙間に隠れたり。勝手に部隊名を作り『どうぞ』『どうぞ』と目の前の距離で通信を試みていた。
「オマエら! もっMr.普通を見習えよ」
芳樹は一人大人しく座っているたかしを褒めたのだが、たかしは関わらないように大人しくしてただけだった。
「オレを見習うなら解散」
そう言って部屋を出ていったたかしだが、後に続いたのは悟だけだった。
「結局残ったのはオマエらか……」
「隊長! 指示を!!」
三人は同時に敬礼をするのだが、エモートの動きを実在の人間が揃えてやると実に不気味だった。
「仕方ねぇ……頼りにねぇ親友よりも、頼りになるオタクだ。いいか? オマエら。女性陣が気にしてることを探ってこい」
「なんのためにですか?」
「さっきの話を聞いてなかったのか? 言葉は変わるって言ってただろう。オレらで新しい言葉を作るんだ。例えば、デブはもっちゃとか。チビはソルケトバーグとか」
「デブはもっちゃ?」
「チビはソルケトバーグ?」
聞き慣れない言葉に、オタク三人はざわざわし始めた。
「そこはなんだっていいんだよ。つまり女には通用せずに、オレ達四人だけが通じるワードだってことだ」
「それってファミリーってこと?」
「ちげえよ。マフィアじゃねぇんだから……」
「でも、マンガじゃこういうのはファミリーって言うんだ。固い絆の四人グループだ」
「それでいいからよ。とにかく言ってこい」
芳樹はうんざりした表情のまま明夫を送り出した。
「あら、一番手はアンタなのね」
たかしに告げ口されていたので、女性陣には部屋で何を話しているか筒抜けだった。
しかし、それに明夫が気付くはずもなく、女性三人をそれぞれ見て頭を悩ませていた。
一方マリ子は、流れがわかっているので余裕の態度だった。
しかし、それも明夫が一言発する前までの話だ。
「マリ子。太った?」
「なんですって!」
「ちょっと! まだだよ!」
マリ子が掴みかかってきたので、明夫は慌てて弁明をしたが遅かった。
「遅い。パワーボムとラストライドどっちがいい?」
「どっちもわかんないよ」
「どっちも同じよ! 名前が違うだけ!」
明夫はソファーに叩きつけられると、そのままの格好で他オタク二人に部屋へと引き摺られた。
「普通女に太ってるか? って聞くか? しかもマリ子に。こうなることくらいわかるだろう」
赤沼に腰をトントンと叩いてもらいながら明夫が立ち上がった。
「この遊び楽しくない……。持ち上げられたかと思ったら、ちんちんを食べられるかと思った……。なんだよ、あの技。魔女の技じゃん。もう絶対行かないから」
明夫はジェットコースターより怖いと語っていると、いつの間にか芳樹の姿が消えていた。
数秒後静かにドアが開いたかと思うと、顔を紅葉型に腫らした芳樹が戻ってきた。
「いいか。デブは禁止だ。しっかり踏み込んでから張り手をする女って初めてだ……。言っとくけどこれはアニメのセリフじゃねぇぞ」
青木が笑顔で挙手していたので、芳樹は最初に釘を刺した。
「せっかく場面当てクイズしようと思ったのに……」
「これは男の股間に関わることだぞ」
「沽券でしょう。でも僕らオタクだよ。どうしろってのさ」
「いいからもう一回行ってこい」と、芳樹は明夫と青木を追い出した。
二人の姿を見ると、マリ子はにやけた顔で「あら、来たわね芳樹」と言った。
「だって行ってこいって言うんだもん。マリ子ってデブ以外の弱点ないの?」
「これはお腹じゃなくておっぱい。部屋着まで気を遣ってらんないわよ。巨乳がシャツを着たらこうなるの。覚えておきなさい。テストに出るわよ。オタクの卒業テストね。それでそっちの芳樹もなんか文句あるわけ」
「僕は何も言ったつもりは……」マリ子に凄まれた青木は思わず後ずさった。
「ていうか、さっきから芳樹、芳樹って。僕らの名前を忘れたわけ?」
「忘れてないわよ。芳樹」
明夫と青木は思わず目を合わせてどう言うことかと確認しあったが、答えはわからず芳樹を呼ぶことにした。
「なんだよ……頼りにならねぇ奴らだな……」
「あら本物の芳樹ね」
マリ子が言うと、京も「芳樹ね」と言い、公子も「はーい、芳樹と手を振った」
「やっぱり男とは違う。女ってのは男の本当の価値がわかる唯一の生き物だ」
名前を呼ばれてすっかり気を良くした芳樹だったが、あまりに名前を呼ぶのでオタク三人は不思議に思っていた。
「それがわかるなら君達は芳樹じゃないよ」
たかしと悟はキッチンカウンターに椅子を持って行き、遠くから騙される芳樹を眺めていた。
「どういうこと?」
赤沼は全く意味がわからないと首を傾げた。
「わからないってことはまだ芳樹だね」
悟もすっかり面白がっていた。
「意味がわかったら芳樹じゃなくて、意味がわかったら芳樹ってこと? そんなバカ話ある?」
赤沼が再び首を傾げると、たかしと悟は「惜しい!」と揃って指を向けた。
「芳樹がワードなの? それともバカ――あー……。あー!」と赤沼は急に納得した。そして理解していない明夫と青木に向かって「君達は芳樹だ」と笑った。
「そんなの適当だよ」
「いいや、明夫はまだ芳樹のまま」
赤沼はたかしの隣に立ち、芳樹側ではないと主張した。
「もしかして芳樹ってバカって意味?」
明夫が気付くと、青木もすぐに声を大きくした。
「気付かずにチヤホヤされてると思ってる大バカものってことか!」
その後。どんだけ近いヒントを出しても全く気付かない芳樹は、しばらく【芳樹】という意味を含んだあだ名で呼ばれることとなった。




