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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン3
56/125

第六話

 日曜日。明夫はオタク仲間と共に出かけ、マリ子は公子に呼び出されて、渡したダイエットメニューをこなしてるかの確認をされていた。

 つまり、現在家にいるのはたかしと京の二人。

 ほとんど接点がないので、たかしは少し居心地悪そうにしていたのだが、京はまったく気にする素振りがなく、カバーのついた新本を広げて読書に勤しんでいた。

 あまりに無言が続くもので、たかしは会話のとっかかりになればと「……コーヒーでも飲む?」と聞いた。

 しかし反応は淡白なものだった。

「いいえ、お構いなく。今は私の家でもあるのよ。自分のことは自分でするわ」

「……そっ」

 たかしは掴んでいたインスタントコーヒーの缶を置き直すと、手持ち無沙汰に両手を一度大きく振った。

「本当に気にしなくて良いのよ。リビングにいるのは日差しが入って読書に最適だから。別にあなたを監視しようだなんて思ってないわ」

「それが気になってた」

 たかしはほっと胸を撫で下ろした。

 京はたかしとユリの関係に興味を持っており、あれこれと詮索してくる。その詮索は普通とは違い、不思議な質問ばかりしてくるので、その話はしたくなかったのだ。

「でも、したいならするわ」京は本に栞を挟むと、たかしの目を真っ直ぐ見た。「恋人を騙して、他の女と二人でいる気分はどう?」

 あまりに率直な言い方に、たかしは思わず胸を押さえた。

「心臓が……痛い……」

「ちょっとからかっただけよ」

「そっちはおもちゃのナイフのつもりでも、こっちは鋭利な包丁で刺された気分だよ」

「中華包丁だから大丈夫よ。刺さることはないわ。なんなら切り落として上げましょうか?」

「遠慮願う」

 たかしが慌てて股間を押さえると、京はクスッと小さく笑った。

「関係のことよ。嘘をつく関係がずっと続くとは思えないわ。逃げるのも、本気を示すのも早い方がいいわよ」

「オレは本気だよ。彼女のことは本気で考えてる。大学生なりに将来のことも考えてる」

「それは……重いわね……。マリ子が逃げたわけがわかったわ」

 最後の言葉はため息混じりに言ったので、たかしには聞こえていなかった。

「重いって……普通は考えるものだろう?」

「普通は口には出さないものよ。たかし君が、もし恋人に子供が欲しいと言われたらどうする?」

「……どうしよう。謝らないと」

 たかしは慌ててスマホ取りに部屋へ戻ったが、リビングに戻るのと同時に冷静に戻った。

「ちょっと待った……オレは彼女に妄想内容を話してない」

「あら、冷静なのね。マリ子だったら、もう私にメッセージを送ってる頃よ」

 何事もなかったかのように読書へ戻った京を、たかしは異星人でも見るような瞳で見ていた。

「本当に……京さんって変わってるよね」

「よく言われるわ。でも、私からすれば変わってるのは周囲よ。私ではないわ」

「そうだろうか……」

 普通の人間ならば、こんなにやかましいルームシェアに参加するのは拒むはずだと、たかしの視線はそう言ってた。

 京は視線の意味に気付くと、コーヒーを淹れるために本を閉じた。

 そして、背中越しにたかしとの会話を続けた。

「私が変わってるなら、最初に明夫君とルームシェアを決めたたかし君は、もっと変人ってことになるわね」

「オレがミスター普通って大学で呼ばれてるの知らないの?」

「知ってるわ。名付け親はあなたの親友の金髪君だもの」

 たかしは心の中で「芳樹め……」と強く恨んだが、顔には出さずに会話を続けた。「明夫とルームシェアをしたのは幼なじみだから。でも、それだけだよ、影響は受けてない」

「それはどうかしらね」

 京は横目でコーヒーのドリップ具合を確認すると、しっかりしずくが垂れ落ちたのかを確認してから、コーヒーかすの入ったままのフィルターを小皿に乗せて、優しくキッチンカウンターの端に押しやった。

 するとたかしは何を注意するわけでもなく、自然にすっと小皿を中央に寄せたのだ。

 理由は簡単。キッチンカウンターの端には、明夫の食玩のコレクションが飾られており、コーヒーやスパイスといった香りがつくのを極端に嫌うのだ。

「これは違うんだ……。だってほら、ここが一番強い照明が当たるだろう? チープな食玩はそれくらいが映えるらしい」

「たかし君が言う普通の人っていうのは、食材よりも食玩の優先順位が高いということ?」

「わかった認めるよ……。オレは普通じゃない。……聞いた? まさか自分で自分のことを普通じゃないって言う日が来るとは……」

「昨日の夜に明夫君が言ってたわ」

「あれはアニメのセリフ……。まぁ、確かに明夫に影響はされているかもしれない。でも、食玩だからこそキッチンに置かれてるとも考えられる。他の高いフィギュアはちゃんと棚に飾られていたり、手入れされてるからね。普通だよ」

 京は「そう……」と短く答えると、スマホを取り出して操作を始めた。

 それから三十分ほど会話もなく、変に近況感のある無言の時間が続いたのだが、静寂を破るかのように乱暴なチャイムの音が鳴った。

 ベルスイッチの押す強さで音の大きさが変わることはない。だが、余韻が消えるどころか、一番強くなる部分の連打の音が響いたのだ。

 こんなことをするのは芳樹しかいない。

 普段はうるさいと注意してからドアを開けるたかしだが、今回ばかりは助け舟が来たと快く家の中へ迎え入れた。

「待ってたよ! 芳樹!」

 今にも抱きしめんばかりのテンションのたかしの隣を素通りした芳樹は、そのまま真っすぐリビングへ向かい、その足でキッチンへと踏み入れた。

「オレは京に呼び出されたんだ。肉を買ってこいってな」

 芳樹はスーパーの有料袋を乱暴にキッチンカウンターへ置いた。

「肉?」

 たかしはなんのことかと京を見るが、先程まで座っていた椅子に京の姿はなかった。

 スーパーの袋を開けて、肉のパックを取り出して並べていた。

「そうよ。頼んだの。他にも色々とね」

「色々って……カルビとかバラとか鶏ももとか?」

 スーパーの一番大きな袋に入っていたのは、全てが肉だ。牛豚鶏に、ロースからハラミ。ホルモンまで、まるで焼肉パーティーでもするかのようなラインナップだった。

「それよりも大事なのは、彼が荷物を置いた場所よ」

 京が指摘したのは、芳樹が気にせずに食玩を蹴散らして袋をキッチンカウンターに置いたことだ。

「ちょっと! 明夫に怒られるよ……。キャラ消しの角がちょっと擦れただけでも大騒ぎなんだから……」

 たかしは食玩を並べ直していると、鍵をかけ忘れた玄関からインターホンを鳴らす音もなく、ドアが開かれる音が聞こえた。

 ドタドタという左右の間隔の狭い足音は、迷うことなくリビングへと向かってきた。

「社会人を舐めるなぁ。責任とか役職とか色々……呼ばれてすぐ来るなんて不可能なんだから」

 野菜を持って現れたのは公子だ。マリ子はジムに置き去りにして、自分は京のメッセージ通り八百屋で野菜を買って来たのだ。

「……どういうことなわけ?」

「みやちんが言ったんだよ。焼肉するから、材料を持って集合って」

 公子は少し背伸びをすると、キッチンカウンターに投げるようにして袋を置いた。

 たかしが並べ直した食玩たちは、砲撃の被害にあったかのようにバラバラに吹っ飛んだ。

「ちょっとちょっと! これがなにかわかってる?」

 たかしが慌てて食玩を拾い集める姿を、公子は冷たい瞳で見ていた。

「ゴミ」

「これは特撮の戦隊消しゴムだ。ソーセージを買わないと当たらないんだぞ。それもタイムマシンに乗ってね」

 飾られていたのは、それぞれのイメージカラー単色の消しゴムフィギュアだ。

 これは明夫が子供の頃に集めていたものであり、大人になってから中古ショップで買い揃えたものではない。思い出という付加価値が加わり、世界に二つとないものだった。

「やっぱり……ゴミ?」公子はまったく理解できないと首を傾げたものの、しっかり食玩用のスペースを開けさせ、野菜を袋から出して並べ始めた。「てか、凄いね。マリちんは順調に痩せていってるよ。その分凶暴になってるけど。……もう飢える獣って感じ。汗だくでシャツぴったりなのに、男が一人も寄ってこないんだから」

 マリ子がそうなったのは過酷なダイエットだけではなく、今日頑張れば焼肉を食べられるとわかったからだ。

「大丈夫なの? 失敗したら、また一から付き合わされるわよ」

「大丈夫だよ。だって、夏だよ? マリちんが一番気合入る季節じゃん」

 公子は話しながら工具が入ってる箱を引きずって持ってくると、それを踏み台にして、慣れた手付きで野菜を切り始めた。

 二人がこの後の焼肉の準備を始めたので、たかしと芳樹もボーッとしているわけにはいかず、皆が集まるリビングの掃除を始めた。

「最初はよ。なんだかけったいな関係だと思ってたけどよ。なかなか楽しいな」

 芳樹は鼻歌を鳴らしながら、ローテーブルを出して拭き始めた。

「それは、今彼女がいないからだろう。新しい恋人が出来たら、絶対に疎遠になる。今までもそうだっただろう」

 芳樹が人のことを言えるかよと笑うと、また玄関のチャイムが鳴った。

 やってきたのはオタク二人と悟の三人だ。

「なんでお酒って買う時ってこんなに緊張するわけ? 僕ら二十歳なのに」

 赤沼は二リットルのペットボトルを二つ持っただけで、はぁはぁ息を切らしながらリビングに入ってきた。

「精神年齢が成人してないからだろう」

 芳樹は赤沼のアニメキャラが全面に押し出されたTシャツを見て、なんてものを着ているんだと表情を不快に歪めた。

「これは大人用のTシャツだよ。大人用ってことは、僕が着るのになんの問題もない」

「本当にそう思ってるのか? そのシャツの女の子……パンツが見えてるんだぞ」

「パンツは見せるものだよ。原作読んでないの?」

 赤沼がスマホを開いて、お試し用の無料漫画を読ませると、そのちょっとエッチな内容と絵柄から、すっかり芳樹はハマってしまった。

「たかし……オレは考えを改めるよ。奴らはオタクの前に男だ……」

「一度女性陣の反応を見てから、断言したほうが良いと思うよ」

「絶対に見ない……。こういう時に女がする視線は、まじでトラウマになるからな。夢に出てくるぞ。せめて水着くらい着て出てこいって。な?」

「オレに同意を求めるなよ……。それより、明夫は一緒じゃなかったのか?」

 今日はオタク三人で遊ぶと聞いていたのだが、一緒にいるのは明夫ではなく悟だった。

「明夫はビデオカメラを買いに行ったよ。画質が物足りないってさ」

 悟が肩をすくめると、たかしははぁとため息をついた。

「なにを呑気な……高画質でネットに残されるんだぞ。女装の映像が」

「残されて嫌になるほど、程度の低い女装はしてないよ。それに、カメラのことはよくわからないんだ」

 悟は困って青木を見た。

「画質は十分なはずなんだ。円盤に残すわけじゃないから、そこまで高画質じゃなくていいのに。それなのに買いに行ったきり。僕らもそれっきり会ってないよ」

 たかしはそれはおかしいと思っていた。明夫の買い物は基本的にネットだ。特に大きな金額のものを買う時は割引とポイントがつくので、絶対にネットで買うはず。

 それをなぜわざわざ家電量販店に向かったのか謎だ。そして、それを深く考える前に、マリ子が帰宅した。

 マリ子は帰宅するなり、脱衣所から体重計を持ち出してリビングの真ん中に置いた。

「寄れ寄れ、愚民ども。これが真のパーフェクトボディよ」マリ子は目標体重に届いたと自信の笑みを浮かべ、ポーズを取って体重計に乗った。そして「どう? これが女の完全体よ」と、ゆっくり間を取ってから自分の体重計の数字を見た。

 そして、全員が無言の理由を理解した。

 体重は全く減っていなかったのだ。

「うそ!? うそうそうそうそうそ! 絶対に嘘。ありえない。本当に目標体重に届いてたんだって!!」

「マリちん……焼肉食べたいから、有酸素運動を飛ばしてきたでしょう」

「してないわよ! それに、一日飛ばしたところで変わるわけないでしょう」

「じゃあ、元からデブだ」

「ハム……」

 マリ子が本気で睨むと、公子は涙目でたじろいだ。

「悪かったよぉ……。そんな怒るなよ……年上だぞぉ」

 しかし、落ち込むのはマリ子だ。ダイエットを始めてから、最初は停滞していたが、今ではサボることもなく順調に目標を定めてやってきた。

 ジムの体重計に乗った時は、天にも昇る心地だったのが、すっかり地獄に落とされた気分だ。

 そんな中意気揚々と帰ってきたのは明夫だった。

「どう? まだ始まってない?」

「始まってないよ……」

 たかしは空気を読めと、脇腹をひじでつついてから、落ち込むマリ子を顎でしゃくって指した。

 これで理解したと思ったたかしだったが、明夫の反応は違っていた。

「始まってるじゃん!」明夫はビデオカメラの入った箱を乱暴に開けると、充電もしないままマリ子に向かってカメラを回した。「今どんな気持ち?」

「最悪よ!」と大声を出したマリ子だったが、カメラを向けられているのに気付くと、自身のある角度に身をひねり、急にしおらしくぶりっ子で言い訳始めた。

 その一つ一つに明夫が過剰に反応するものだから、たかしはおかしいと思っていた。

 試しに体重計に乗ってみたところ。自分の体重が三キロ増えていることに気付いた。

「明夫……さてはやったな」

「そうやったんだ! 体重計に細工をした。マリ子は無駄な努力をしたってわけ! ざまーみろ!!」

 明夫は僕の勝ち誇った笑みでカメラを回し続けたかが、そこにマリ子の姿が映ることはなかった。

 今まさに明夫に飛びかかったところだった。

「もう!! アンタってば――最高! 目標体重より三キロも痩せたわよ。ざまーみろ!!」

 あまりの嬉しさにマリ子が明夫の頬にキスすると、明夫は気持ち悪くなったと寝込んでしまった。

 しかし、そんなことはお構いなしに体重が減った分だけ、無駄に食べられると暴飲暴食を始めた。

 


 翌日むくみと合わせて体重が増えていたマリ子だったが、余裕の態度だった。

 朝から鏡の前でポーズを取っていると、暗い顔の明夫が歯を磨きにやってきた。

「あら負け犬兼、私の妖精さんじゃない」

「朝から嫌味にはかまっていられないよ……」

「誉めてるのよ。アンタが三キロも体重計に細工したおかげで、私は最高にハッピーなんだから?」

「三キロ? 僕は一キロしかイジってないよ。だってそうだろう。三キロも変えたら、バカでも気付くだろう」

「たかしは三キロ増えてたわよ!」

「最近悩んでるから、二キロ増えたんだろう。一キロは僕のせい。それじゃあ――僕の頬にキスした報いを受けるといい」

 明夫が呪いの言葉を残した洗面所では、マリ子の悲鳴が響き渡った。






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