第四話
「ダイエットね……」とユリは険しい顔をした。
場所はイタリアンレストラン。
ディナーデートの席で、たかしは先日の出来事をかいつまんで話していた。
マリ子が痩せたら、【ドキドキ海フェス】にユリも誘っていいと言われているので、先に説明をしておこうというわけだ。
「そう、なんか良い方法知らない?」
「今ギリギリの質問をしてるわよ……。少しでもすれ違ってたら太ってるって遠回しに言われてるみたいだもの」
「そんな! まさか! 君は大丈夫だよ!!」
「私は……ね。なるほど……かなり切羽詰まってるみたいね。その女の子は」
「その質問にはノーコメントで」
「実際問題痩せるって大変よ。女としてダイエットの過酷さはわかってるつもり」
「そうは思えないけど」
たかしはユリの細い体を見て言った。モデル並みとまではいかないが、細くしまった体は日々の摂生がうかがえた。
「過酷を経験してるから、毎日気をつけてるのよ。だからあなたの前でも、堂々と服を脱げるの」
「オレも気をつけないと……。健康な君の隣でブヨブヨだなんて……」
「無理しなくていいのよ。私もたかしも、今をキープしましょう」
「今はその優しさが身に染みるよ……」
たかしは腕で顔を覆い、泣き真似をした。
「そんなに辛いの? あなたがダイエットしてるわけでもないのに?」
「そりゃ辛いよ!」
たかしは大声を出してからしまったという顔をした。
これだとマリ子と住んでるのがバレると思ったからだ。
しかし、ユリは店で大声を出してしまったので、たかしが慌てたと勘違いした。
「わかるわ……愚痴の愚痴って聞いてて辛いのよね。だって、自分とまったく無関係のことに頷いてないといけないのよ。ししおどしにでもなった気分よ」
「そうだよ。今日だって定時に帰れって言われてるんだから」
「たかしって友達に誠実よね」
ユリの言葉は、たかしには恋人には誠実ではないと言っているように聞こえた。
なぜならユリは、この後マリ子のいる家にたかしが帰るとは夢にも思っていないからだ。
どんどん深みにハマっていくたかしだが、まだ正直に話す勇気はなかった。
「とにかく。なんか良いアイディアってない?」
「ないわね。自分の意志の問題だから。ダイエット記事が一生なくならない理由よ」
「だよねー。軽はずみな約束をしたかも……」
「でも、頑張って。あなたのお友達と旅行に行けるチャンスだもの。私も期待してるわ」
ユリは時計を確認して、もうすぐたかしが帰る時間だと伝えると、食事のスピードをあげた。
それからユリと少し世間話をしたたかしは、家に着いてから早々にため息を落とした。
「なんで君はいつも僕の幸せを壊すんだ……」
「僕に言ってるんだったら覚えはないよ」
明夫はマリ子のダイエットゲームに付き合っているので、テレビから目を離さずにたかしの相手をしていた。
「本当なら、今頃どっちかの家でゆっくり話をしてるはずだったのに……」
「呼べばいいじゃない。私なら気にしないわよ」
タンクトップとヨガパンツというラフな姿のマリ子を見て、たかしは再びため息を落とした。
「そういう問題じゃない……」
「そういう問題でしょう。恋人への秘密って、気付かずにどんどん大きくなるのよ。童貞の股間みたいにパンパンにね。だからある日、突然バレるの」
「もしかして脅してる? せっかく約束の定時に帰ってきたのに」
「正直約束を守ったのはドン引き。男なら恋人を取りなさいよ」
「そういうのデートの前に言ってくれない?」
「言ったら面白くないでしょう」
マリ子はタオルで汗を拭くと、もうひと頑張りだと明夫の隣に並んだ。
「相談なら乗るわよ」
二人が運動する背中を黙って見ていた京は、ちょうどいい暇潰しが帰ってきたとたかしに声をかけた。
「コーヒーは我慢するんじゃなかった?」
「だから紅茶。悩みがあるなら話すべきよ」
「悩みの種の一つは君。京さんだよ」
「なるほど……まだ恋人に伝えてないのね。別の女性とルームシェアしてるって」
「この状況だ……。誤解を招かずに説明出来る男なんていない」
「手伝ってあげましょうか?」
「未来からの道具でも持ってるなら」
「過去からの道具で十分よ。便箋と封筒があれば十分。言葉に出来ないことは、文字にするのよ。電子文字じゃだめ、手書きだから伝わる誠意があるの」
京のそれっぽい言葉に、たかしは思わず頷いてしまった。
「それってアナログで攻めろってこと? 持って回って煩わしくない?」
「別にしろとは言っていないわ。世間一般的に有効だってだけよ」
「有効って言っても……恋人に手紙か……。なんて書けばいいかさっぱりだよ」
「だから意味があるのよ。メッセージなら簡単に送れる言葉でも、自分の手で書くとなると悩むものよ」
「本当……出だしから思いつかない。拝啓だと畏まりすぎだし、Dearなんて柄じゃないし……。いきなり本文だとしても、本題を最初にもってくるのもどうだろう……」
本気で悩むたかしに、京はまだ他にも手はあると提案した。
「花束に混ぜて送るのも手よ。拙い手紙を誤魔化すには、綺麗だったり可愛いもので誤魔化せば良いのよ」
「花束はどうだろう。なんの植物にアレルギーがあるか聞いてないから」
「それなら風船にすれば良いのよ。部屋中を埋め尽くせば迫力よ」
「それいい! パーティーみたいで誤魔化せるかも」
たかしは早速用意だとスマホを起動したのだが、検索をかける前に京のため息に制された。
「ダメに決まってるじゃない……。バカの極みよ。そんなこと本気でやったら、絶対にフラれるわ。伝えるときはシンプルが一番よ」
「……もしかしてからかってる?」
「テストしてただけよ。救いようのないバカではないようね。可愛いおバカちゃんと言ったところかしら」
「オレは本気で悩んでるんだけど……」
「本気で悩む前に本気でやることがあったんじゃない?」
京はすっかり冷えた紅茶を一気に飲み干した。
「そうだよ……正直に言えばいいんだろう。百パーセント悪いのはオレ。でも、怒られたくも呆れられたくもないから、どうにか足掻く方法がないか相談したい」
「最初からそう言えばいいのよ」
京は微笑むと、紅茶のおかわりを淹れるためにお茶を沸かし直した。
「オレをいじめて楽しい?」
「ええ……とても。それで、どうしたいのかしら? どの程度までなら彼女に嫌われてもいいの?」
「出来れば……ゼロで」
「たかし君……。ユリが他の男と暮らしてると言ってもなんの文句もないの?」
「あるに決まってる……。でも、しょうがないだろう。社会人ならともかく、オレは学生だぞ。彼女一人のために引っ越すにはカッコつけすぎだと思うけど」
「そうね……。なら一発殴られる覚悟で素直に話すべきよ。遅ければ遅いほど殴られる回数は増えるわよ」
「ちなみになんだけど……。殴られ始めはいつから考えればいい?」
「思ったより根性ないのね」
京がつまらないと落としたため息は、マリ子の耳まで届いていた。
「そうよ。根性があったら、ルームシェアを始めたその日に私に手を出してもおかしくないんだから。手を出すどころか、言い寄りもしてこなかったのよ」
マリ子は運動ゲームを続けながら、たかしのダメなところを羅列していった。
「一緒に住もうって提案するのは、男の最大の言い寄りだと思うんだけど」
たかしはどれだけ勇気を出して提案したことかと言うが、言われたマリ子は小馬鹿にして鼻で笑っていた。
「指輪の一つでも用意してたら話は別ね」
「いきなりルームシェアに誘って指輪をプレゼントしたら、オレはストーカー扱いだよ……」
「私が言いたいのは、頼るなら京じゃなくて私ってことよ」
マリ子は汗だらけの顔をタオルで拭くと、服の汗染みをそのままにたかしの隣へ腰掛けた。
「これ以上からかわれるのはごめんなんだけど」
「真面目な話よ。私がどうやって切り抜けてきたかって言ったら興味あるでしょう?」
「確かに……」
たかしの呟きに京は無言で頷いた。
「答えは簡単。まず自分は無敵だと思い込むこと、そして絶対に悪くないって態度に出すの」
「その手ってさ、マリ子さんが美人でスタイルがいいから通用する手って気付いてる?」
「あら……褒めても何も出ないわよ。脂肪が出ればいいのに……」
マリ子は自分の太ももをさするとため息を落とした。
「ちょっと! 今日のノルマはまだ達成してないよ」
すっかり運動終了モードに入ったマリ子を、明夫が連れ戻しに来た。
「私のダイエットなんだから、私がやりたいようにやるのよ」
「そうはいかない。ちゃんと計画書も作ったんだ。これ通りにやってもらうよ」
そう言って明夫が掲げたのは、公子が作ったマリ子専用の運動計画表だ。
この通りマリ子が運動すれば、夏前に水着を新調できるほど痩せられるはずだった。
明夫がそれを頑なに守らせようとするのは、マリ子が目標体重に届いた頃。
明夫のゲーム内ポイントも予定数まで貯まり、夏季限定のアバターの着替え衣装買えるというわけだ。
京はマリ子のダイエットの監視役を買って出ているので、明夫がマリ子に計画書を守らせようとするのになんの文句もなかった。
なので、マリ子が助け求める目で見てきても、助け船を出すことはなかった。
「やらないとハム子に怒られるわよ。私もカフェイン切れのイライラがマリ子に向かうかも」
「まじ? 京がイライラしてるところ見てみたいんだけど……。こうしたらイライラする?」
マリ子は背中に抱きつくように京の後ろへ回ると、頬をぷにぷに摘んで動かした。
「弟はもっとえげつないことするわよ。こんなのでイライラしてられない」
「じゃあこれは?」
京はつねっていた指を一本だけ頬に残すと、首筋を通り鎖骨まで線をかいた。
「全然大丈夫よ。私首は強いの」
「なら、これはどうだ!」
マリ子は京にじゃれて抱きつくと、脇腹をくすぐった。
「ちょっと……オレの相談はどうなったの?」
すっかりいちゃつくようにじゃれ合う女性二人に、たかしはまずこっちを解決してと懇願した。
「簡単よ。私と京が付き合ってるってことにすればいいのよ」
「それは無理ない?」
「どうして? こんなにカッコいいのに。私も可愛いからお似合いでしょう」
マリ子は京の膝の上に座ると、ポップアイドルのようにぶりっ子ポーズを取った。
「結局嘘を重ねるってことだろう? 今でも重ねて良心が痛んでるのに……」
「塗りが足りないのよ。化粧がイマイチな時どうするか知ってる? とりあえず全部塗るの。化粧は下地を作ったら、そこから全部が真実よ。眉毛もふたえも唇の色も、どんな化粧品を使おうが自分の顔。それを嘘って言う男はいないでしょう」
「もうフルメイクを施したマスク作れば?」
明夫は早く運動を再開しろとマリ子の腕を引っ張るが、明夫の力では一歩もマリ子を動かすことはできなかった。
「いたわ……一人……。空気の読めないオタクが」
「読んだよ。読んだから言ってるんだ。今のマリ子に必要なのは、友人との会話でも嘘を問い詰めることでもないだろう。食用肉にもならない贅肉を落とすためだ。それとも焼肉屋のディスプレイみたいに、君の太ももも飾ってみる?」
「うるさいわね。やりゃいいんでしょ。まったく……」
「そうだ! いいぞ! 君がビキニを着られることには、このアバターも限定ビキニを着てる頃だろう。ファイトだマリ子!」
「うっさい!」
マリ子は明夫をひと睨みすると、ゲーム画面が移っているテレビの前へ移動した。
「ちょっと。オレの相談は?」
「これが答えということよ」
マリ子の運動がそろそろ終わるので、京は暇潰しも終わりだと座ったまま体を伸ばした。
「答えがないが答えってこと!?」
「いいえ、人生は甘くないが答えよ」
京はたかしを真っ直ぐ見てから、頑張り過ぎるマリ子の背中に視線をやった。
明日から筋肉痛で動けなくなることがわかっているからだ。
たかしはその視線の意味に気付くと、自分のことは自分で解決しなければと強く思ったのだった。




