第二話
「おかしくねぇ?」
芳樹は顔中の皺を中心に集めたように、眉間に力を入れた表情をした。
「その顔以外のことなら、なにもおかしくない。ここはいつもの学食で、芳樹は体に悪そうなものばかり食べてる」
たかしは芳樹の目の前に並んでいるカツ丼と親子丼のセットに、呆れの視線を送った。
「こっちはスポーツマンだぞ。体を動かすとお腹が減るんだ」
「スポーツマンなら、栄養管理くらいしたら? とりあえず食っとけは時代遅れ過ぎるよ。その癖……今のうちに直さないと、中年太りへ一直線だぞ」
「オレの将来より、自分の将来を心配しろよ。最近ずいぶんとオレに強気だけどな。……バラすぞ」
芳樹の視線は、たかしの心を深く突き刺した。
現在たかしの恋人はユリだ。元恋人のマリ子と同棲をしていることは伝えていないし、京がルームシェアに増えたことも伝えていなかった。
「タイミングを伺ってるんだよ。芳樹だって急に言われたら困るだろう」
「オレはな。でも、いくつもタイミングは合っただろう。今回はおちゃらけじゃないぞ。たかし……オマエは親友だ」
「なんだよ……」
「でも、ユリも大事な幼馴染だ。この意味わかるだろう? 結末はオマエら次第だけどよ。泣かせて終わりみたいのは勘弁してくれよ」
いつものおちゃらけた雰囲気が一切ない芳樹の言葉は、まるで鉛のようにの中で揺れて思考を揺さぶった。
「わかってるよ……」
「いいや、わかってない」
「オレも親友じゃなかったの? あんまりいじめるなよ……」
「オレの疑問に答えてないだろう。なんで、オマエの周りには女が集まるんだ? まさかフェロモン香水か? どこで買った。言え!! 言えよ!!!」
芳樹はたかしの首元を掴むと、ドラマで見る乱暴な刑事のように揺さぶった。
「そんなわけないだろう。落ち着けよ」
「落ち着けるか! もうすぐ夏なんだぞ? オレは一人か? あん? どうなんだよ。言ってみろよ」
「……ただの八つ当たりか。この間サークルの女の子と良い感じになったって言ってなかった?」
「良い感じなったと付き合うの意味は、残念ながら同義語じゃない」
「そこまで縁がないなら、芳樹自身のせいだと思うけど。なんかやらかしてるんじゃない?」
「なんもやらかしてない。いつもなんて言われるか知ってるか?」
「見た目通りの性格でつまらないんだろう」
「そう! それだ! どの女も、最後にはそればっかりだ。それが好きで、オレと付き合ったんじゃないのか?」
「金髪やめれば?」
「オレのアイデンティティだぞ!」
「大学デビューだろう」
「そこは皆同じだろう。どんなに高校で人気者でも、大学でぼっちなんてよくあるな話。スタートラインは全員一緒。そこを指摘して詰めるのはよくないことだと思うぜ」
「わかったよ。聞いてみればいいんだろう……」
たかしは女性陣の誰かに聞いてみようと思ったのだが、芳樹は素早くそれを止めた。
「なにを考えてんだよ」
「芳樹のことを考えたんだよ。紹介しろってことだろう」
「あのなぁ……マリ子も京も同じ大学なんだぞ。狩場が一緒ってことだ。……たまにダミーも混ぜてくる」
「じゃあ世界の裏側にでも探しに行くか?」
たかしは冗談で言ったつもりだったのだが、芳樹はよく自分の心がわかったなとテンションを上げた。
「そう時代はワールドワイド! こんなところにこだわる必要はないんだ」
「英語も喋れないだろう」
「東北弁だって外国語みたいなもんだろう」
「なんの話してるわけ?」
もう予想も不可能だと、たかしはお手上げをした。
「ここにいながら世界。いや、日本だな。日本中繋がれる。夢の道具だ。一足先に秘密の道具を完成させた。恐るべし現代だ」
「次答えを言わなかったら、もう聞かないぞ」
「わかったよデートマッチングアプリだ」
「あー……聞かなければよかった」
「なんだよ、今時珍しくないだろう」
「違う。オレを巻き込むなってこと。どうせ一緒に登録しろって言うんだろう。ユリさんを泣かせるなって言ったばかりじゃないか」
「オレが黙ってればユリが泣くことはない。そして、オレは自分の利益のためなら、他人の青春一ページなんてどうでもいい」
「絶対やだ」
「そこをなんとか!! 登録するだけでいいから!! 一人だと不安なんだよ!!」
「無茶を言うなよ」
「たかし!! オマエは理想の恋人と出会えない辛さを知らないんだ! オレはずっと孤独なんだぞ」
「あのねぇ……いや、待てよ」
たかしはあることを思いつくと、すぐさま実行するためメッセージを送った。
「呼んだ?」と待ち合わせ場所に現れたのは、明夫のオタク友達の青木だった。
「呼んでない」
芳樹は恋愛のアドバイスなんて送れそうにもないオタクに用はないと、手のひらを差し出して追い返そうとした。
「呼んだの。芳樹と一緒にデートアプリに登録して貰うためにね」
「おい! 本気か? デートアプリだぞ。現実の女のメッセージなんて……死んじゃわないか?」
「大丈夫だよ。明夫じゃないんだから。……どっちがましかと言われたら微妙だけどね」
「ちょっと……呼んだのはたかしだろう」と青木は不服な表情を浮かべた。「妹を探すアプリがあるって」
「そうは言ってない。理想の女性と出会えるかもしれないって言ったんだ」
「僕の理想に妹以外があると思う?」
「それを見つけようってこと。一石二鳥だろう」
たかしはさも良い考えだと言わんばかりに、二人の肩を抱いた。
だが、実際は青木に芳樹を押し付けただけだ。
ここは奢ると伝票を持って、レジへ向かうと一度も振り返らずに店を出ていった。
青木はスマホアプリで自分の時間を過ごし始めたので、芳樹は居心地が悪くてどうしていいかわからなかった。
しばらく、視線を彷徨わせて、なにもないと悟った後。
芳樹は「うっ……うん」と咳払いを挟むと「は、初めまして」と挨拶をした。
「明夫の家で何度か会ってるはずだけど」
「そうだけど、他になんて言えばいいんだよ。いいだろうが、初めましてでも。たいして話したことはないんだからよ」
「人に合わせるのは慣れてるからいいよ。初めまして。これで自分のテリトリーで安心するかい?」
「一言多い……」
「そういう性格なんだ。人にも色々あるだろう。妹に興奮するとか、妹で興奮するとか、妹でしか興奮しないとか。それと一緒」
「訂正する。二言も三言も多い」
「ちなみに、その二言って――」
絡んでくる青木に、芳樹は「うるせえ」と話題を打ち切った。
「君がモテないのもわかるね」
「オタクになにがわかるんだよ。オレはオタクじゃねぇぞ」
「その理論だと、同じモテないもの同士わかってるってことだね」
「頼むから、ちょっと黙ってろ……」
「了解しました船長」
青木はアニメの真似をしてポーズを取ると、再びスマホに目をやった。
その時間はたったの三分。
だが、その三分はまるで三十分のように芳樹は感じていた。
「わかった……わかったよ。こうなりゃ、やけくそだ。孤独死よりマシだ。一緒にデートアプリに登録するぞ」
「了解しました船長」
「それ……やめてくれ」
それからも無言の時間は続いたのだが、やることが決まってると気にならなくなった。
心に余裕ができると、芳樹の青木に当たりもだいぶ弱くなっていた。
「どうだ、プロフィールは書けたか? 間違っても、書くなよ。妹萌えですだ。なんて」
「好きな女性のタイプだぞ。他になんて書けばいい」
「せめて妹タイプにしとけ……」
それを書くのもどうかと思った芳樹だが、青木が引きそうにもないので譲歩した。
「身長は一五〇くらいかな、ちょっと方言があって。朝は絶対起こして欲しいでも、起こしに行くのもいいと思う。時代によって変わるんだよね。出来る妹か出来ない妹かっていうのは」
「妹タイプってそう言うことじゃねぇよ。……勘弁してくれ」芳樹は頭を抱えるが、その時に青木のプロフィールが見えてしまった。「おいおい、なんだそれ」
「僕の身長だよ」
「待てよ、そんな身長じゃダメだ。女が食いついてこないだろう。身長と足のサイズと股間のサイズはサバを読め。男の常識だろう」
「知らなかったよ。凄い……新しい世界だ。君は僕を男にしてくれた」
青木は感動して立ち上がったのだが、芳樹はいいから座れと頭を叩いた。
「勘違いされるようなことを大声で言うな……」
「感謝の言葉だぞ」
「わかったわかった。それより、オレのプロフィールに問題はないか?」
芳樹がスマホの画面を見せると、青木は難色を示した。
「なにこのスポーツが得意って」
「なにって、体を鍛えてるアピールだ」
「スポーツマンがモテるのは小学生までって知らないの? 後の人生は運動神経よりも、見せかけの筋肉だ。ネットがそう言ってる」
「なんでもネット信じるなよな。実際にスポーツ選手はモテてるだろう」
「そうだね。スポーツ選手はね」
青木の含みのある言い方に、芳樹は思わず「なんだよ。どうすりゃいいんだよ」と嘆いた。
「簡単だよ。君のアピールするところは金髪だ」
「その金髪が原因でフラれるから、オレのことを知らない人と繋がろうとしてるんだろう」
「わかってない。君はわかってないよ。どれだけ、その金髪のアイデンティティが大事か」
「なんだと!? オレのアイデンティティに気付いていたのか」
「当然。金髪って言うのはわかりやすくも、味に深みが出る隠し味だ。いいかい? 大抵のアニメには金髪少女が登場する。これがわかりやすいところ。だけど、性格や髪型が違うとまったく味が違う。これが隠し味。つまり金髪妹キャラは素晴らしいってことさ」
久しく優しい言葉をかけられていなかった芳樹は、「オマエはいい奴だな……」と最後の言葉を聞かなかったことにして感動していたが、過去に言われたあることを思い出した。「待てよ……男の場合の金髪キャラの場合は? オレをサブキャラ扱いするつもりだろう……」
「さぁ、登録をしよう」
青木は勢い任せに登録ボタンを押したので、芳樹も追求せずに、慌てて登録ボタンを押した。
「ちょっと待って……なんだその名前は」
芳樹は青木のプロフィールの異変に気付いたが、指摘するには遅く、もう登録ボタンを押してしまっていた。
「僕だってバカじゃない。これだけ嘘で塗り固めたプロフィールに、本名なんか使うか?」
「オレは使ってるんだよ……」
「凄いね。このプロフィールだと……君の金髪はイタリア人とハーフなせいなのに、なぜかドイツ語が堪能。サッカーが得意で、大医学在籍中に企業を立ち上げてる。誰のプロフィールを書いたわけ?」
「オマエがいちいち口を挟んでくるからだろう……。あーもう早く訂正しないと」
芳樹はバカなことをしたとプロフィールを書き直そうとしたのだが、一つ。また一つと、次々がメッセージが送られてきた。
当然ほとんどが冷やかしのものだったが、いくつか本気のメッセージを見つけると、賀喜は訂正するのをやめた。
「ドイツ語を習いにいかないと……」
「もっと大きな問題があると思うけど。企業を立ち上げるってのは?」
青木は無理だと言うが、芳樹はできると青木の手を握った。
「ここで企業を作るぞ」
「なんのさ」
「オレの恋愛を成功させる。ラブプロジェクトだ」
「恋愛と性行ね。君にはピッタリそう」
「いいから、話を合わせろ。別に本当に作るわけじゃない。一人だと格好つかないだろう。オレが社長。オマエが副社長だ。スーツの一つでも買っとけ。オマエにも女を紹介してやるからな!」
芳樹は店の中でも気にせずに大声で吠えた。
青木は恥ずかしがることもなく「期待してるよ」と芳樹を煽った。
「いいか? 二人の友情は不滅だぞ」
芳樹が改めて握手を求めると、青木は軽い調子でその手を握った。
「僕も最近飽きてきてたんだ。姫って言ったって、妹じゃないしね」
「姫ってオレの親友の……まぁいい! とにかくオレ達はオレ達で人生を勝ち取るぞ!」
芳樹と青木の不思議な友情がここに生まれたのだった。