第二十四話
きっかけとはいくつかの偶然が重なって起こるものである。
たまたま女三人が集まったから。
たまたま明夫がゲーム機を出しっぱなしにしていたから。
たまたまディスクが入れっぱなしだったから。
たまたまRPGだったから。
たまたま三人が触ったことのあるゲーム機だったから。
三人のうちの誰かがコントローラーを持つのに、そう時間はかからなかった。
「なんでダメージが入らないのよ!」
マリ子は手のひらの汗をそのままに、コントローラーを必要以上に強く握りしめていた。
「前の町でアイテムを買わないからじゃない?」
京はソファーに腰掛け、膝に雑誌を開いたままコーヒーを飲んでいるが、視線はしっかりゲーム画面が映し出されているテレビへ向いていた。
「レベルだってばぁ。鍛えれば強くなるのは当然でしょう」公子の言葉は、その体の小ささから説得力がなかった。京の視線の意味に気付くと「……一般論の話よ」と睨んだ。
「剣と魔法の正解よ。そういう鍛え方じゃないと思うわ。だから経験値っていうのがあるのよ」
公子は「はん」と声を出して鼻で笑った。「細すぎる。私が通ってるジムの人を適当に連れてきたほうが全然強そうだよ」
「知らなかったわ。ハム子のジムは魔法が使える人がたくさんいるのね」
「それって嫌味? よく考えなよ、ミヤちん。世の中に何百万といるんだよ。買っただけでその気になってやらない人って。鍛えないと強くならないの」
「ちょっと! 喧嘩しないでよ!」とマリ子が叫んだ。「私の『りゅーち』が死んじゃうじゃん! どうするのよ!」
りゅーちというのは『龍一』という俳優の愛称で、いまマリ子がハマっている芸能人の一人だ。
ゲームの主人公の雰囲気が似ているので、なんとなく名付けると、すっかり愛着が湧いてしまい、彼を操作して世界を救おうと躍起になっていた。
「名前が悪い」と公子ははっきり言った。「龍一って、あの鶏ガラみたいな俳優でしょう? なんで今って骨と皮ばっかりなのが流行ってるの? あんなの木工クラフトじゃん。筋肉があるから男の体ってエロいんだよ」
「同感ね」
マリ子は何度も深く頷いて、公子の言葉に賛同した。
「私はファンじゃないけど、痩せてる方が似合う服はたくさんあるわよ。筋肉が悪いとは言わないわよ。でも、筋肉のせいで好きなファッションが出来ないのも確かでしょう?」
「それも同感」
マリ子はまた深く頷いた。過去、恋人と別れるたびに、何度京が男だったらと思っていたからだ。
「マリちんはどっちの味方なのさ」
公子に睨まれるが、マリ子は締まりのないにやけた笑顔を浮かべた。
「私は龍一の味方。私もこんなところで龍一とデートしたいわ」
現在ゲームは海のダンジョンを攻略中であり、ドット絵ながらも味のあるファンタジー風景に、マリ子はすっかり魅了されていた。
白い砂浜。エメラルドグリーンの海。遠くに浮かぶ入道雲のその上。遥か高くそびえ立つ空に浮かぶ大地と、そこに映える大きな世界樹。
これが現実にあったら、間違いなく世界的なデートスポットになっていることだろう。
「マリちん……ダンジョン名見た? フナムシ海岸って書いてあるよ……」
公子はマップに表示されている、あまり耳心地が良くない名前に顔をしかめた。名前から推測するに、恐らく巨大フナムシがボスだからだ。
「知ってるわよ……。だから、ダンジョンの入り口で海を眺めてるんでしょうが……」
「マリ子は虫は苦手じゃないでしょう?」
小さい頃は男の子に交ざって走り回っていたと聞いている京は、マリ子が尻込みしているのが不思議だった。
「虫はね。でも、こういうのって虫じゃないのよ……」
「どゆこと?」公子は全く意味がわからないと首を傾げた。
「知らないの? オタクゲームよ。触手が人間を襲うのよ。それもエッチに」
「なんで私が知ってると思ったか、超謎なんだけど……。マリちん最近オタク指数高過ぎない? 大丈夫? 抱きまくらを買ったりしてない?」
「ハム……何言ってるのよ。買ってるに決まってるじゃない。アンタだって買ったでしょう」
「そういえば一緒に買ったよね。っていうか皆持ってるよ。……なんでオタクって抱きまくらって揶揄されるの?」
「知らないわよ。なんで私に聞くのよ」
「だって一番オタクじゃん。この部屋になんの疑問も浮かばないわけ?」
公子はソファーから立ち上がると、部屋中を見るように両手を広げた。
少し深く腰掛けて座高を低くすれば下着がのぞける位置にフィギュアがあったり、もう時代遅れと呼ばれるような古いアニメのポスター。用途の分からないカードがアクリル板スタンドに挟まっていたり、人を呼ぶには正直どうなんだと苦言を呈するようなインテリア配置だ。
「甘いわね……もっと凄いわよ」
マリ子はコントローラーを置くと、二人についてくるように言って二階へ上がった。
向かう先は自室ではない。その隣の部屋だ。
そこは明夫のオタク部屋であり、季節アニメごとにグッズを飾っている。
以前は春夏秋冬と一年のアニメを網羅出来たが、一部屋マリ子に貸しているせいで、それが出来なくなってしまった。マリ子と喧嘩が多いのもそれが原因だった。
「本当凄い……不気味……」
まるで博物館のように飾られるアニメグッズに、公子は眉を寄せてにらむように部屋を見渡していた。
「他にも二つあるわよ」
「まじで? この家って四次元空間?」
「他は狭い部屋よ。無駄に部屋だけあるのよ、この家は」
「本当無駄だね……なにこれ」
公子はフィギュアを手に取って見ていたが、あることに気付くと慌てて元の場所へ戻した。
「どうしたの? フィギュアが助けを求めてきた?」マリ子がからかって笑うが、公子は真面目な顔のままだった。「ちょっと、本当にどうしたのよ」
「指紋がついた……」
「は?」
「だから指紋がついたの! 私の指紋が! 人形に! ほら!」
公子が指し示した部分には、光の加減ではっきり指の脂がついていた。
「そりゃつくでしょうよ」
「ここ太ももだよ? 触ったら指紋がつくのがわかるくらい毎回キレイに掃除してるわけ? こんな部分を!?」
マリ子は明夫が夜な夜なフィギュアを磨いてる様子を思い浮かべた。その光景はあまりにも気持ち悪すぎて、すぐに別のことを考えて頭に浮かんでイメージを消そうとした。
「りゅーちと海デート……。りゅーちと海デート。私はビキニ。彼もビキニ。……ねね。あそこの大きさってどうだと思う? ソーセージかナスで悩んでるだけど。ナスだと向きはどっちがいいと思う?」
「断然ナス。向きは左」
「なんの会話をしてるのよ……」
京は下ネタで盛り上がる二人に呆れていた。下ネタが話題だということではなく、結局批判してる人と同じようなことを話しているからだ。
「ビキニパンツのもっこり具合の話。アレって大きさじゃなくて、形が大事だって知ってた?」
公子が言うと、マリ子は大きく頷いた。
「まじでそうよ。ジーンズと一緒。ダサい男は股下で合わせるの。ジーンズはお尻で穿くって知らないのよね」
「マリちんはそろそろジーンズ穿けなくなりそうだけどね」
公子はマリ子の体をじろじろ見ながら言った。明らかに先月よりもあちこち膨らんでいた。
「アイスしか食べてないもん……。なんで溶けるのカロリーあるわけ? 納得いかなくない?」
「高糖質だし、脂質が多いからだよ。冷たいと甘みを感じにくいから、アイスってかなり砂糖つかうんだよね。中性脂肪を飲んでるようなもんだよ」
普段から運動をしている公子なので、その情報は正しいのだが、マリ子は別に正しい情報を教えてほしいわけではないので、そんなこと聞いてないと睨みつけた。
「自分の背はどうなのよ。なにやってももう伸びないわよ」
「そんなことないもん! よく食べてよく運動してよく寝れば成長するって、医学書に書いてあったもん!」
「小学生の保健の教科書にもね」
「マリちんは保健の教科書を読み過ぎたから、男を見る目がないんじゃないの?」
「ちょっと聞き捨てならないわよ。誰が男を見る目がないって」
マリ子は腰に手を当てて怒った素振りを見せるが、京と公子はマリ子を見たまま動かなかった。
「まともな恋人っていた?」
公子が聞くと、京は首を振った。
「筋肉と話す男と、超アホなバンドマン。その前の三股かけてた男よりはマシってくらいね」
「ちょっと……誰か忘れてない?」
マリ子は心外だと言ったが、京と公子の認識が変わることはなかった。
「オタクとは付き合ってないって言ってなかった?」
「たかしよ。忘れたの。ミスター普通。彼がまともじゃないっていうなら、この世は狂った奴ばっかりよ」
「普通すぎて忘れてたわ」
京はそういえばそうだったと、手を打って思い出した。
「私よく知らない」
「そうでしょうね。新しい恋人と楽しんでるみたいだから。信じられる? 私と別れてすぐ付き合ったのよ」
「信じられるよ。一時間後に別の男と腕組んで歩いてるマリちんを見たことがあるから」
「あれは京よ。別れるために付き添ってもらったの」
「うそ!? みやチン男装オッケーだったけ?」
まさか京が男の格好をするだなんてと公子は驚いた。
「……してない」
京はため息交じりにつぶいやいた。
「どういうこと?」
「そのままの格好で男と間違われたのよ、京は。しつこい男には、イケメンの新彼がよく効くのよね」
「いつもはそこまで気にしないのだけれど。……あの時はさすがに屈辱だったわ」
ただいつものズボンルックでマリ子の隣に立っていただけなのに、相手は男として魅力が敵わないと悟り、マリ子を諦めて去っていったのだ。
「髪伸ばせばいいのに。みやチン絶対ロングに合うよ」
「あっ、それわかる。ついでにパーマかけてさ、三人でインナーカラーおそろいにしない?」
「それさんせー」
「しないわよ。首に髪がかかるの嫌いなの」
京は部屋を出ましょうと、明夫のオタク部屋から出るとリビングに三人で戻った。
「京って子供の頃からショートなの?」
「ええ、そうよ」
「もったいない……。私なんか髪型も髪色も違うわよ」
「だって、マリちんの子供の頃ってまるっきり男の子じゃん」
写真を見たことがある公子は、野球のバットを肩に担いでいるマリ子の写真を思い出して笑った。
「小学校四年くらいまでの話よ。五年で気付いたの。私にはおっぱいがあるって」
「それって私達に喧嘩売ってる?」
胸が大きいか大きくないかでいえば、確実に後者に入る公子は、京を巻き込んでマリ子を非難した。
「私は公子よりあるわよ」
「はーーーん! 裏切り発言。大して変わんないじゃん。私達って! 背中の脂肪をおっぱいだって言い張る人種じゃん!」
「私はしてないわよ。シャツの柄が伸びるの嫌いなの」
「あぁ……マリちんの猫シャツが豚シャツになった問題ね」
「ちょっと失礼よ。どう見ても猫だったでしょう」
「なにが失礼かー。そのおっぱいのほうがよっぽど失礼だ。こっちは好きで山を開拓して平地にしたんじゃないんだぞ!」
「なら、経験値を貯めておっぱいを育てればいいでしょう」
「そうだ! 鍛えるべきだよ。おっぱいを鍛えて大きくする。ゲームと一緒だよ。おっぱいレベルを上げよう」
「胸も大きさよりも下着のこだわりが大事よ。大きければいい、小さければいいっていうのは男の意見よ。つまりアイテムが大事。町に戻ってアイテムを買うべきよ」
リビングではゲームがつけっぱなしになっていたので、画面を見た途端に話が振り出しに戻ってしまった。
「私はおっぱいもあるし、可愛い下着もセクシー下着も、布なしで紐だけで下着と呼んでいいのかわからないのまで持ってるもん。足りないものはなし」
京は「頭が足りてないでしょう」と言いたいのを必死に飲み込んだ。
横を見れば公子も同じ表情を浮かべていた。
マリ子がだけが気付かずに、別のことを考えていた。
「ようやくわかったわ……」と足りない頭を働かせた。「なにが足りないのか」
「レベルでしょう?」
「いいえ、アイテムよ」
公子と京の意見に、マリ子はどちらも違うと首を振った。
「お酒に決まってるでしょう。女が三人揃って、ちょっとエッチな話よ。飲んで然るべし」
「普段はもっとエグい話してるじゃん」
「わかったわよ……正直に言うわ。飲まないと、こんなゲームやってらんない……。ただクリックするだけじゃない。銃を持って戦場を駆け回った私には物足りないわ」
「マリちんもすっかり大人だね……。よしよし、お姉さんがビールをご馳走してあげよう」
公子は偉そうなことを言いながら、勝手に冷蔵庫を開けてビールを持ってきた。
それからすっかり酔いつぶれてしまったのでマリ子は、夕方帰るという京に起こされた。
「ごめん……すっかり寝てたわ。暇だったでしょう?」
「いいえ、おかげで良い時間を過ごせたわ」
「そう? それならいいけど」
「ええ、間取りも完璧だったわ」
マリ子は京が何を言っているのかわからなかったが、寝起きの頭で深く考えることは出来ず、玄関まで京を見送ったのだった。




