第二十話
「ねぇ、石ちょうだい」
マリ子がゲーム画面のキャラクターを忙しなく操作していると、たかしが石のアイテムを目の前に投げた。
「はい」
「あと木も」
「ちょっと待った! さっきからなにしてるんだよ!」
明夫はいい加減にしろとソファーから立ち上がった。
「なにって……」マリ子は明夫を睨んだ。「アンタが無理やり誘ったゲームをしてるのよ」
「サンドボックスゲーム」
「はいはい。サンドボックスゲームね……。それよ。さっきからしてるのわ」
「いいや……違う。君達二人がしてるのはサンドボックスゲームじゃない。男女のゲームだ。いるんだよ。女ってだけで、アイテムをあげちゃう男って……」
明夫は見損なったと、軽蔑の視線をたかしにぶつけた。
「石も木もその辺に腐るほど落ちてるだろう」
「石も木も腐らない。腐るのは――」
「僕ちゃんの心だけよねー」
マリ子が茶化して笑うと、たかしもそれは面白いと笑った。
「腐るのは食料だ。君達はなにもわかっていないようだけど、この世界では腐った食料を食べるとお腹を壊すんだぞ」
「明夫は知らないだろうけど、腐った食べ物は現実世界でもお腹を壊す」
たかしが言ってやったと片手を上げると、マリ子はそれに合わせてハイタッチした。
「はは……いいね。これが俗に言ういじめの始まりってやつだ」
明夫は乾いた笑いを響かせた。真面目に話を聞かない二人に対して苛立っていたからだ。こんなにも楽しいゲームなのに、なぜ二人は楽しもうとしないのか、ゲームを愛する明夫にとっては全くもって謎だった。
「勝手に冷蔵庫に鍵をかけるのはいじめじゃないの? 一緒にゲームをやらない限り鍵は開けないって言うのは? 人の食事代を勝手に節約されて、勝手にゲームを買われたのは? 今日買ってきたアイスが入れられなくて、溶けてなくなったのは? いじめじゃないって言うわけ?」
「最後のは違う。アイスは溶けてなくなったんじゃない。マリ子さんが食べたからなくなったんだ。アイスは溶けても残る」
たかしはのんきな声で言った。
というのも、絶対にゲームをしたい明夫と、絶対に冷蔵庫を開けさせたいマリ子と違い、たかしは前からこのゲームを明夫とやる約束をしていたし、冷やさなければ溶けるようなものも買っていないので、熱くなる必要も冷める必要もないのだ。
そのどっちつかずの態度に、マリ子まで苛立ってきていた。
「どっちの味方なわけ?」
「そうだな……今のところイーブン」
「イーブンですって!? このオタク男と超かわいいセクシーな体の私を比べてイーブン? アンタって味を忘れるタイプ? あんな美味しいもの食べたくせに……引くわ。言っておくけど素材は抜群だからね。不味かったのはアンタの調理の仕方よ」
マリ子が今から包丁を突き刺すような淡々とした口調で言うので、たかしは慌てて訂正した。
「違うって。どっちの言い分もわかるってこと。皆と一緒に新作ゲームをやりたい気持ちも――そんなものをしたくない気持ちも」
「ちょっと!」明夫は声を大きくした。
「だって……オレ達が新作の化粧品を手に入れたからって、マリ子さんと一緒に化粧をするか?」
たかしが言い終えると、マリ子はどうなのと言う代わりに、シャクレ気味になって明夫を煽った。
「し――てもかまわない」
「絶対にしないだろう……。じゃあ……こうだ。マリ子さんが男遊びをしているからって、オレ達が男遊びをするか?」
「……しない」
「だろう?」
たかしは納得させたと自慢げな顔で振り返るが、マリ子の顔は睨んでいた。
「なに? 私の趣味は男漁りってわけ?」
「そうは言ってない。ただ……君がしててオレがしないことって、それがパッと閃いたから」
「それって……自分には恋人がいるけど、君は恋人がいないって言っているように聞こえるけど」
「まさか! それなら、オレには恋人がいるけど、マリ子さんは恋人がいないね。ってちゃんと言うよ。ただ言わないよ。絶対に傷付くってわかるから」
たかしの失言に、マリ子は「はあ?」と声を裏返らせた。「私に恋人がいないですって?」
「いるの?」
「……いないわよ。でも、傷付くってどういうこと?」
「だって……マリ子さんって、自分に恋人がいる時はおおらかだけど、いないと……ね?」
たかしは代替の言葉が出てこないので、困ったから助けてくれと明夫に視線を送った。
「自己中で面倒くさい」
「明夫! そこまではっきり言うことないだろう!」
たかしは声を大きく注意したのだが、次の瞬間。マリ子はそれよりも大きな声を響かせた。
「なんですって!! 私のことをそう思ってたわけ?」
マリ子に睨まれたたかしは、目を見開いて訂正した。
「思ってないよ。君はリーダーシップがあって、自分の考えをしっかり持ってるってこと」
「そんな言い換えで騙されるわけないでしょう。……わかった。……わかったわ! 付き合ってやるわよ!! いくらでもね! このサンドイッチゲームとやらに!!」
マリ子は耳元で怒鳴り散らすように言ったのだが、明夫が気を揉むようなことはなかった。
「サンドイッチじゃなくて、サンドボックス。サンドボックスゲームだよ。あんだけアイス食べたのに、まだお腹が空いてるわけ?」
明夫は大容量のパイントサイズのアイスの空き容器を見て、信じられないと眉間にシワを寄せた。
「アイスしか食べてないからお腹が空いてるのよ! なぜかわかる? どっかのバカが冷蔵庫に鍵をかけたから!」
「マリ子さん……言いにくいんだけど」と、たかしがおずおずした様子で口を挟んだ。
「なによ」
「今食後なんだけど……。忘れた? なんでアイスを買ってきたのか。食後のアイスがないからだよ。買い物へ行っている間に、冷蔵庫に鍵をかけられたんだ」
「食後にお腹が空いたらダメって法律でもあるわけ?」
「ないけど……大丈夫なの?」
「お金? 大丈夫じゃないに決まってるでしょう。ストレスで散財してるのに、明日のことなんて考えると思う?」
たかしは「あ……ああ……」と生返事で返した。
狙っていたゲームオタクに振られてから、マリ子は連日のように食べていたので、体重は大丈夫かという心配だったのだが、それをはっきり言葉にしたほうが怒られそうなので、そのまま押し黙った。
「だいたいアンタ達はもっと食べなさいよ。特に明夫……。大丈夫なの? アンタって肉ついてるわけ?」
「僕は大丈夫。日々チーズバーガーとコーラでカロリーを取ってるからね。ダイエットコーラじゃないよ。普通のコーラだ。どれだけカロリーがあるか知ってる? 某漫画の中の格闘家が試合前に飲むくらいだ」
「何言ってるのよ……。アンタらオタク三人が集まっても、私のおっぱいほどの脂肪もないんじゃないの? アンタらってお尻までぺったんこなんだもん。そんなに細くなってどうするわけ? 真っ平らになっても、漫画の世界には入れないのよ」
「当たり前のことを言うな。そんなこと、僕は中学の時には気付いてたね」
「あら……驚き。今の今まで知らないと思ってたわ」
「茶化すな、レトロギャルめ。オタクが何故痩せてるか。それはここを使うからだ。そう、頭脳だ」
「何言ってるのよ」
適当なことを言う明夫に、マリ子は呆れたため息を落とした。
「僕らは常に推しのことを考えている。それも生涯をかけての推しと、今クールの推し。だけど実際には、前クールの余韻も残しつつ、次クールの期待も感じないといけない。僕らオタクの頭の中というのは常にフルスロットル。わかるかい? 推しに癒やされつつも、常に戦いに身を置いてるんだ」
「わからないから、勝手に説明しないで……聞きたくないんだから」
「本当に? 本当に聞きたくない? 僕らオタクと痩せた体の関係を」
「そんなものがあるっていうの!?」
「あるさ。今日から、それも今からできる。それはゲームに没頭するということさ。いいかい? ゲームは現在スポーツにまで昇華された。小学生の憧れの職業であり、世界からも注目される。現に、オタクとゲームをやっている間。君も痩せてただろう?」
明夫に鋭いところを指摘されたマリ子は、はっとした表情になり、高鳴る胸を押さえた。
「そういえば!?」
「マリ子さん……違うよ。あの頃は暴飲暴食をしてなかったから、暴飲暴食を重ねた今とは違う」
「黙るんだ」
明夫が強い口調で言うと、マリ子も「黙って」と続いた。
「ちょっと……本気で言ってる?」
「明夫の前じゃ、たかし……。アンタもデブよ。ここじゃあ、デブの言葉は何も光らないわよ」
「……オレは中肉中背。医者に言われたことある? 『君図鑑の中から出てきた覚えある?』って。オレはミスター平均なの。あぁ……もう勝手にして」
たかしはもうどっちの味方もしないと決めると、自分用のゲーム機とモニターの電源を落としてリビングを出ていった。
「邪魔者は去ったわよ。それで? どうすれば痩せるわけ?」
「掘るんだよ」
「アンタのケツの穴を?」
「土に決まってるだろう! 本当に下品な女だよ」
明夫はゲーム画面を指して怒鳴った。
「冗談でしょう。掘ったわよ、こんなんで痩せるわけ?」
「何時間もだよ。何時間も掘ってレア鉱石を集めるんだ。そうすると、どんどん痩せていく」
「眉唾ね……」
そう半信半疑のマリ子だったが、三時間もすると眠気から自分でも言っていることがよくわからなくなっていった。
「こんだけ重労働なら、そりゃ……痩せるわ。私は炭鉱夫かっての……」
「まだまだこれからだよ。ほら、エナジードリンク飲んでカフェインと糖分取って」
プルタブを開けられたエナジードリンク缶を渡されたマリ子は、お礼を言うとゴクゴクと三分の一ほど一気に飲んだ。
「勘違いしてたわ……アンタって優しいのね」
「そうでもない。ほら、そこの鉱石取り忘れてる。武器の強化に必要だから、忘れずに取って」
「あー…………い……」
その返事がマリ子の最後の記憶だった。
気付けば朝。たかしに肩を揺すられ起こされていた。
「朝だよ。今日は講義がある日だろう」
「……休む。頭痛がする…今日は…。絶対風邪だもん……」
「頭痛はゲームのし過ぎ。講義は休んだら、単位が取れないって言ってなかった?」
「ああ! そうだった。頭痛は単位が取れないのよね。講義はゲームが休みだから」
「まだ寝ぼけてるね」
「寝ぼけてる暇もないわ」
マリ子は慌てて立ち上がるが、座って眠ってしまったせいで、足が変にしびれてしまい立ち上がることが出来なかった。
何を言っているのかわからないマリ子をシャキッとさせるために、たかしは電気ケトルを手に取った。
「コーヒーでも淹れてくるよ」
「……おしっこ漏らせっての?」
「これからお湯をわかすんだぞ。淹れ終わるまでには立てるだろう」
たかしの言う通り、マリ子の足のしびれは数秒で取れはじめ、トイレには余裕で間に合うことが出来た。
しびれが残った足を引きずるようにして戻ってきたマリ子に、たかしはコーヒーの入ったカップを渡した。
「カードショップのボスに会ったことあるだろう。オタクが全員痩せてると思った? 明夫にいいようにやられちゃって」
「だって痩せてると思ったんだもん……」
「何時までやってたの?」
「わかんない……」マリ子はふと違和感を覚えて自分の指を見た。「……指に豆ができる時間までね。……あのクソオタクは?」
「クソオタクだぞ? 徹夜でレア鉱石を集めさせて、装備を強化したんだ。それも今日はゲーム発売日の翌日だぞ。なにしてると思う?」
「オタクって……何人までなら殺しても法に触れないの。三人までなら大丈夫?」
「残念だけど。一人でもダメだし、半殺しでも法には触れる」
「でも不思議……そんなアイツも今なら許せる」
マリ子はコーヒーにガムシロップを大量に入れながら言った。
「それってさ。血糖値が上がって、考えるのが面倒くさくなっただけじゃないの?」
「よくわかんないけど、怒っているよりいいんじゃない?」
「でも――」とたかしは言葉を止めた。ここで体重のことを触れるのは賢明かどうか。つまり、マリ子にもわかる言葉で伝えるべきかどうかだ。
少し考えてから、たかしは改めて言葉にした。
「――でも、ほどほどにしないと講義に遅れるよ」
「あぁ……本当ね。二日酔いでもないのに頭痛とか最悪。カフェインだけ流し込んでいくわ」
マリ子は乾杯とカップを掲げると、ガムシロップたっぷりのコーヒーを一気に胃へと流し込んだ。
「あーあ……」
「あーーーっ! もっ! 効く!! って感じするわ!!」
「それはそうだろうね」
たかしは急いでシャワーを浴びに行くマリ子に手を振るが、視線はガムシロップの入っていた袋を見た。
そこに書かれていた一個三十キロカロリーという数字は、近い将来マリ子が上げる叫び声の数値に加算されることとなった。




