第十六話
赤沼の部屋にはいつものオタク三人が集まり、真剣な顔でお互いを見合っていた。
「これより緊急会議を始める」
明夫が重々しく言うと、赤沼は「それで議題は?」と聞いた。
「たかしへの報復だ。彼はなんと、バクラバーガーコラボのアクリルスタンド。それもシークレットをゴミ箱に入れたんだ!」
「それは酷い……。何人のオタクが、そのシークレットを手に入れるためにお腹を壊したと思っているんだ……。バクラバーガーは糖質と脂質の塊だ。一つ食べるだけで、内臓へのダメージは半端ないんだぞ!」
赤沼は声を荒らげると、机へ目をやった。そこにはいくつもアクリルスタンドが並べられており、シークレットを手に入れるためにダブったものも雑に並べられていた。
「本当だよ……」と青木も怒っていた。「シークレットが少なすぎて炎上騒ぎなんだぞ。みんなダブって、フリマアプリでも値崩れを起こしてるって言うのに……」
「それがこんな姿に……」
明夫はゴミ箱から救出したアクリルスタンドを、三人が囲う真ん中へ置いた。
「これがシークレット……。神々しいよ……。ほんのり香る胡麻油の匂いも気にならないくらいだ……」
青木はうつ伏せになって視線を下げると、うっとりとした表情で床に置かれたアクリルスタンドを眺めた。
「それはマリ子のせいだ。弁当の容器を洗わずにゴミ箱に入れたから……」
「拭いてから持ってこいよ……。僕の部屋が中華料理臭くなるだろう」
「これでも拭いたんだ。でも、このシークレットは特別仕様だろう? アルコールで拭いていいのかわからないんだよ。シークレットがゼノビア様じゃないだけよかったよ。彼女の香りはハーブに包まれたラベンダーって決まってるからね。それで判決は?」
青木が迷わず「死刑」と言うと、赤沼も「僕も死刑でいいと思う」と言った。
「満場一致。たかしはオタクとして死にました。もう一人前のオタクになることはないでしょう」
明夫が手を合わせると、二人も手を合わせた。
「良い素材だったのにね」
赤沼はため息をつくと、床のアクリルスタンドを拾い上げ、自分のもののように机に並べた。
「待った……何をしてるんだ?」
明夫が赤沼の腕を掴んで止めた。
「なにって、たかしがオタクとして死んだってことは、これはいらないってことだろう。しっかり僕が彼女を養うよ」
「彼女は僕のだぞ」
「それはおかしいよ。たかしのものであって、明夫が当てたわけじゃないだろう」
「でも、僕の家に捨ててあったんだ」
「たかしの家だろう」
「イコール僕の家。君達には見せにきただけ。一度も実物を目にしないままだとかわいそうだからね」
「捨ててあったなら、チャンスは平等だろう」
「赤沼……諦めろよ。誰のものかはもう決まってるんだから」
青木はみっともないとたしなめた。
「いいのか? 炎上によって、コラボキャンペーンは中止。もう二度と手に入らないんだぞ?」
「僕は手に入れた」
青木は満面の笑みで、自分のスマホ画面を見せた。
それはたかしとのメッセージにやりとりで、たかしから『欲しかったら、勝手に持っていっていいよ』とメッセージが残されていた。
「いつの間に交渉を……ずるいよ、そんなの! だいたいこのシークレットは青木の推しじゃないだろう」
「そうだけど、コンプリートするのがオタクだろう?」
「それは……言い返せない……」
赤沼は自分の部屋に飾れているフィギュアの山を見て口をつぐんだ。大きいフィギュアはともかく、雑誌の景品や食玩やガチャガチャなどの小さなものは、どれもコンプリートされて飾っているからだ。
「赤沼! 騙されるな! たかしは死んだから、そのメッセージは無効のはずだ。たかしの死刑には青木も納得済みなはず」
「そうだよ! ズルだよ。チャンスは平等だ」
「違うこれは僕のものだって!」
青木は机から、再び床にアクリルスタンドを置いた。
三人がアクリルスタンドは誰のものかと取っ組み合っていると、赤沼の妹が「もう! うるさい!」と勝手に部屋に入ってきた。
三人の背中にそれぞれ一発ずつ蹴りを入れると、仁王立ちになって三人が懇願するのを待った。
しかし、誰からも声はかからなかっった。
「ねえ、うるさいって言ったんだけど」
「だから静かにしてるだろう」
赤沼の言葉に被せるように、妹は「違う!」と体を捻った。
「ちょっと……少し前までチヤホヤしてた癖になんなの?」
以前カップル配信者の騒動に巻き込まれていた妹は、この変わり身の速さはなんだとオタク三人を不審に思っていた。
「君は用済み」
明夫が笑顔で言うと、青木も笑顔で「僕には必要」と言った。
妹が暴れる前に、赤沼は慌てて「代わりが見つかったんだよ。妹を巻き込まないで、お兄ちゃんはほっとしてるよ」とフォローした。
「ちょっと……オタクに代わりの女の子が出来るわけないでしょう。人生舐めすぎよ」
バカなことを呆れる妹の眼前にスマホを持って行き、明夫はコスプレした悟の写真を見せた。
「かわい!? えっ!? うそ……。まさか……脅したの?」
青木が混乱してるチャンスは逃すまいと「お兄ちゃん達をなんだと思ってるんだ」と言うが、赤沼の妹には完全に無視されていた。
「この人もオタクなの? こんな可愛い女の人がオタクなら……芸能人にもオタクが多いって本当なのね」
写真を凝視する妹に、赤沼は恐る恐る声をかけた。
「妹よ……。お兄ちゃんは一言も女性だとは言っていない」
「やっぱり……そうよね。それにしても、最近の3Dってここまで凄いのね。本物の人間みたい」
「本物人間は正解。宇宙人でも、異世界転生をした子でもなく、普通の人間だ。……でも、中身は男」
「うそ……男なの?」妹はもう一度悟の写真を見ると、頬を赤く染めた。「可愛い……。ねね、彼女いる?」
「待てよ。たかしが好きなんじゃなかったのか?」
赤沼は以前そう言っていただろうと指摘すると、妹はバカにして鼻で笑った。
「いつの話してるのよ。あんなのお遊びで熱を上げてみただけ。でも、今回は本気かも……。うわ……凄い……肌キレー。これって加工――してるわけないか……オタクにそんな技術ないもんね。だとしたら、これが素? やばくない? 私が男だったら、もっと露出の高いコスプレさせるけど」
妹は上機嫌に悟が素敵だと話していたが、ふい言葉を止めた。
「どうした? 妹」
「まさか……リアルの女を諦めたから、リアルの男に鞍替えしたの?」
「二次元ならそれもあり。男は誰でも男の娘になりたい願望がある。眉毛を整え出したらそう言うこと。でも、誰も現実を見たがらない」
明夫はお気に入りの絵描きだと、スマホに保存した画像を妹に見せた。
すると、「信じらんない……」と口を開けたまま妹は固まってしまった。
「妹に変なものを見せるなよ……困ってるだろう」
「別に変じゃない。服は着てる。ただの可愛い女の娘にしか見えないだろう」
「女の子についてないものがついてる……なんでそんなでかいの?」
「知らないの? 男の娘のもっこりパンツと、ボディビルダーのもっこりには意味がある。違いはサポーターを履くか履かないかだ」
「それがなんの答えになるって言うのよ」
「つまりこの大きさは本物ってこと」
妹は「絵よ……」と小さな声で反論してから、もう一度悟の写真を見た。「……連絡先を教えて」
「絶対ダメだ! 今の会話を聞いて、お兄ちゃんが許すとでも思っているのか? 目的が透けて見えてる……」
「じゃあ、わかった。彼よりも、自分の方が大きいって自信がある人は挙手して。そしたら、彼は諦めるわ」
青木は率先して手を上げようとしたのだが、明夫のスマホに映る男の娘の画像が目に入ると、上げ切る前に手を下ろした。
「凄いな君の妹は……たった一言で男三人の尊厳を踏みにじったぞ……。でも、それもまた萌える」
青木は反骨心を持ってこその妹だと拍手を送った。
「とにかく、紹介してよね。彼女いるの?」
妹の質問に、オタク三人は目配せをしあうと同時に首を傾げた。
「ちょっと……男が四人も集まって、彼女いるかどうかの話もしてないわけ?」
「それって必要なこと?」
明夫がわかっていない顔で聞いてくるので、妹は真剣な顔で頷いた。
「当然でしょう」
「そうは思わないけどな……赤沼。彼女いる?」
「いないよ。青木は?」
「いない。明夫は?」
「いない。……これのどこが重要な会話さ。RPGの町人だって、もっと有意義なことを話すよ」
「それはあなた達が冒険に出ないからでしょう……。わかったわよ。お兄ちゃんにだけ聞く。スマホの所有権を私に渡すか、彼の連絡先を教えるか、どっちか選ばせてあげるわ」
「妹……オマエに大学生は早い」
「お兄ちゃんより早くないわよ。お兄ちゃんが大学にいるのと、私が大学にいるの。どっちが大学生っぽいと思う?」
「それはお兄ちゃんだろう」
「それは違う。お兄ちゃんは大学生の前にオタクって思われる。私は大学生だと思われる。さぁ早くしてよ」
妹が一歩踏み出すと、オタク三人は一斉に手を前に出して「あーーーー!」と叫んだ。
「なによ。なに? これ」試しにもう一度踏み出すふりをすると、三人が全く同じ反応をするので、妹はこれだと確信した。「これを返して欲しかったら、私が彼とうまくいくように根回しすることね」
妹はアクリルスタンドを拾い上げると、部屋まで持っていってしまった。
「どうするんだよ……。もう二度と手に入らないんだぞ」
明夫はこんなことになるために持ってきたんじゃないと怒った。
「落ち着けよ。きっとフリマアプリにあるよ」
「おい、バカ。値段を見たのか? もう既にもの凄い値段になってんだぞ」
青木はいつもより当たりが強かった。理由は赤沼の妹が悟と付き合うのも、シークレットのアクリルスタンドがなくなるのも嫌だからだ。
「僕にどうしろって言うんだよ……」
「妹を説得してくるんだ」青木は睨みつけた。「でも、妹さんが僕の彼女なら大歓迎。アクリルスタンドは君たち二人で分け合ったって構わない」
「無理に決まってるだろう。とりあえず悟にメッセージを送ってみるよ……」
「もし興味がないって言ったら?」
明夫の不安に、赤沼は「興味を持たせるしかないだろう」と答えた。「妹の貞操より、アクリルスタンドの方が大事。全部書き下ろしなんだぞ」
「君の妹の貞操はとっくにないと思うけど」
明夫の鋭い指摘に、青木は恍惚の表情を浮かべた。
「僕はそれでも大歓迎」
「二人とも。そんな呑気なこと言っていていいのか? 悟は年下に興味ないって。理由は淫行で捕まるから」
明夫は「悟もまだまだだね」と肩をすくめた。「そのために二次元があるんだ」
「僕の妹は現実にいるんだぞ……」
「オタクって普段なに考えてるの?」
赤沼から送られたメッセージを見ていた悟は、意味がわからないと首を傾げていた。
「それをオレに聞くわけ?」
たかしは答えられないと、学食のラーメンをすすった。
「だって、オタクと住んでるだろう?」
「意味がわからないから住んでられるの。オタクってことは、三人のうちの誰かからメッセージが来たのか?」
「そう赤沼から」
「今になっても慣れないよ……あのオタク三人と悟が仲良くしてるのが」
「そう? ただゲームしてるだけだよ」
「コスプレして?」
「そうだよ。コスプレしてる間は、なにを注文をしても無料だしね」
「それで、なんて――」
たかしがなんと聞かれたのか聞こうとした時だ。急に現れた京は「もしかして……目覚めの話かしら」と、勝手にたかしの対面の席に座った。
「まぁ、目覚めといえば目覚めかな? 恋の芽生え?」
「興味深い……。手くらいは握られたかしら?」
「……なんの話?」
「明夫君の話でしょう?」
「違うよ、赤沼だよ」
「そっちなのね……それも興味深いわ。オタクの仲間の一人が目覚めたら、周囲はどういう話をするのかしら。LGBTを説くのか、二次元に迎合して自分も乗っかるのか……」
「赤沼の妹が、悟の写真を見て気に入ったって話だよ」
「そうなのね……」
京は明らかにガッカリした態度でため息をついた。
「なんの話をしてたわけ?」
「明夫君が男に目覚めないかって話」
「なんでまたそんな話を……。あっ! でも、最近こんな話があったよ」
たかしは勝手に送られてきたエロゲをプレイした明夫が、知らない間に感化されて台詞を真似していたことを話した。
京の「効果はあったみたいね……」という呟きは、小さすぎて誰の耳にも届くことはなかった。
「今日はマリ子さんと一緒じゃないんだね」
「えぇ、いつも一緒でもないわ。彼女も忙しいのよ。全力型だから。たかし君はいつも誰かと一緒にいるわね」
「ありがたいことに、友達は僕を好いてくれるみたいだからね。――一人を除いて……」
たかしは『君がアクリルスタンドをゴミ箱に捨てるからこんなことになったんだ。絶対に許さない!』という、明夫からの恨みのメッセージを見ながら言った。