第七話
「京! 本当ごめん!」
マリ子は手を合わせて平謝りを繰り返した。
「いいのよ。忘れられたことより、誘われなかったことの方が悲しいから」
「ごめんってば。ちゃんとファミレスにいたのよ。ハム子が来るまでは」
「それも驚き。オタク君の一人に惚れたのがハムだったなんて……。しかも、向こうに脈はなし。興味深いわ」
「興味深いといえば……あの女どうだった? 話したんでしょう? 最悪だった? お願い最悪だって言って……」
「ユリのこと? 良い子だったわよ」
「京をたぶらかしたビッチめ!」
マリ子が大声を上げると、いつもの喫茶店の店員達が何事かと視線を向けた。
「たぶらかされてないわよ。マル子も話してみたら? きっと仲良くなれるわよ」
「元カレの今カノよ? しかもこっちは彼氏なし。なんで急所を丸出しにしないといけないのよ。露出狂の季節はとっくに終わりよ」
「気にし過ぎよ」
「そんなことない。明夫まであの女の味方なのよ。京まで敵に回ったら、世界を滅ぼす悪女になってやる……」
「ちょっと興味あるわ。マル子の悪の女な幹部のコスプレ」
「おっぱいはみ出させるわよ」
「京とマリ子って、いつもこんな会話してるの?」
大きな声で下ネタを言うマリ子に呆れたのは悟だった。
「なによ、もう誘ってやんないわよ」
「誘ってくれなんて言った覚えはないんだけど……」
「たかしにも金髪にも恋人ができて、悟だけでしょ? 彼女がいないのって。感謝しなさいよね、遊んであげてるんだから」
「余計なお世話。別に恋人だけが学生生活じゃないでしょう」
悟は呼ばれた理由が気に入らないと怒っていた。だが、それは恋人云々の話ではない。今日はレディースデイで、女性がグループで来ると安くなるのだ。その人数が三人から。
女性的な顔をしている悟は、頭数合わせに無理やり連れてこられたのだ。
「聞いた、京?」
「聞いたわ。私もそう思う」
「うそ!? なんで? 恋人がいなきゃ人生は超暇じゃん。なにして時間潰してるわけ?」
「恋人がいる楽しさは否定しないわ。でも、今は別のことが楽しいのよ」
「たとえば?」
「そうね……来る日のビッグバンとか?」
京はマリ子の顔を真っ直ぐ見て言った。
この間見たかぎり、たかしとユリの仲は急速に深まりそうだと思っていた。つまり、自宅に呼ぶ日も近いと。その時マリ子はどういった行動を取るのか、京の興味は尽きなかった。
「ビッグバンってあれでしょう? オタクがやってるゲームの技。しょっちゅう叫んでるから覚えちゃったわ……。なんでオタク用語って覚えやすくできてるのかしら」
ころころと話題を変えては騒ぎ立てるマリ子を見て、悟はどうしてたかしはマリ子なんかと付き合ったのだろうと疑問に感じていた。確かに顔とスタイルは良いし、大学での人気も高いのだが、噂も多い分付き合って苦労するのは目に見えている。
現に、ユリという新しい彼女と一緒にいる時の方が楽しそうなのを知っていた。
「聞こえてるわよ……」マリ子は悟を睨みつけた。
「なんも言ってない」
「顔でわかるのよ。あの女といるのが楽しいっての? 媚び媚びの女じゃない。たかしはやれればいいのよ誰でも」
「ちょっと、僕の友達を悪く言わないでよ。どう考えても、マリ子の方に問題があるだろう。自分の都合で振り回すのは、愛情表現じゃないぞ」
「あら、言ってくれるじゃない。女心もわからないくせに」
「わかるよ。こうして、レディースデイに参加しても、誰からも文句を言われないくらいにはね。君こそ男心がわかってない」
「私が何人の男を手玉にとってきた思ってるのよ。男なんて、一にやりたい、二にやりたいでしょ。そして三がさっさと寝たいよ」
「そんな単純じゃない」
「なら勝負しましょう。同性を口説いてベッドまで誘った方が勝ちよ」
「いいよ、望むところだ」
マリ子と悟は同時に立ち上がると、荒野の決闘のように背中を合わせに離れていったが、同時に元の席まで戻ってきた。
「……連絡先を聞くだけじゃダメ?」
「そうね……それが利口ね」
二人は最後に睨み合うと、また離れていった。
一人残された京は恍惚の表情浮かべて、熱っぽい吐息を吐いた。
「もう……本当……マリ子といると退屈しないわ」
京はどんな結果になるのかとワクワクしながら座って待つことにした。
その頃、たかしは明夫からことの詳細を聞いていた。
「それで青木が京さんとデートしてたのか。おかしいと思ったよ」
「おかしいのは僕の周り。愛だの恋だの、みんなしてどうかしてるよ」
「明夫だって、そのうち誰かを愛するようになるよ。いや……その確率にかけるなら、宝くじを買ったほうがいいかも」
たかしは半裸の女性キャラクターのフギュアの胸元を、真剣な顔で掃除する明夫を見て、現実的な話じゃなかったと肩をすくめた。
「宝くじを買うお金があるなら、一番くじを引くよ」
「明夫……好きなアニメにも、恋愛ものってあるだろう? たまには真剣に愛と向き合ってみたらどうだ?」
たかしは恋愛シミュレーションゲームだって好きなくせにと付け足した。
「じゃあ言わせてもらうけど、愛は素晴らしいんだろう? なんでマリ子と別れたのさ。それも短期間でだ」
「それは……」
たかしは言い淀んだ。理想と違ったと答えは出ているのだが、それを言えば明夫の思う壺だからだ。
しかし、たかしが黙ることも明夫の勝利だった。
「ずっとアニメキャラを推してる僕の方が本物の愛だ。理想と違う? 笑わせるなよ。理想は愛じゃない。妄想の押し付けだ」
「正論を言うなよ……。アニメキャラと比べられる僕の身にもなって」
「たかしとアニメキャラを比べるだって? そんなことするわけないだろう。アニメキャラの圧勝だ。比べる意味がない。今のは僕の愛と君の愛を比べたんだ。理想と違えば、またすぐ別れるっていうのか? オタクだってワンクールは付き合うんだぞ」
「別れないよ。アニメと違って、僕らは意思の疎通ができるからね。それに学んだんだ。自分の意見を言うことも大事だってね。だから、彼女との関係は良好。そのうち家にだって呼ぶつもりだ」
「まさか……また合鍵を渡したりしないだろうね」
「しないよ、あれは悪かったって……。オレがどうかしてた」
「本当だよ、君のせいでいつからかこの家は溜まり場だよ。せっかくオタクのオアシスだったのに……」
「オレは最近デートだから夕食はいないけど、結構仲良くやってるみたいじゃん。マリ子さんとその友達とも」
「夕食はいないけどじゃないよ。夕食の当番だって、たかしが決めたんだろう。それを勝手に放棄するだなんて、僕達の仲にもヒビが入ってるんだからな」
「大袈裟だ。彼女だって大学に行ってるし、友達もいるし、当然家族もいるんだ。たまたま最近重なっただけで、ちゃんと当番は守ってるだろう」
「大袈裟じゃない。君がいないせいで、僕はマリ子とゲームをやってるんだぞ」
「仲良くなってなによりだよ。初めて会った時からは想像できないね。でも、青木の誤解は解けたんだろう? 問題は解決。赤沼を誘えばいいじゃん。オレも合わせるよ。みんなでゲームをやろう。久々のゲームの日だ」
「それって、ジャンクフードに体を蝕まれながら、長編RPGを交代で寝ながら一気にクリアするゲームの日?」
「前はそうだったな……。しかも二日続けてだ……。自分の体から信じられないような臭いがしてた……。まぁ、そう言うわけでどう? 今度の土日」
「それって最高だよ! 【ドラゴンオーシャン】でもいい?」
「ドラゴンオーシャンてあれだろう? プレイ時間が長すぎて、RTA走者が病院で運ばれたってやつ。まぁいいけど」
「やりぃ! 今から寝溜めしておかないと。ドラゴンオーシャンの攻撃エフェクトはどれも最高。何回見ても、絶対に見逃せないもんね。安心して、土日でクリア出来なくても僕は文句を言わないから。だって、続きをやりにまた集まれるもんね! まずは赤沼に連絡してやろう! 喜ぶぞ!」
明夫から連絡が届いた赤沼だが、その表情は暗かった。
「なにがドラゴンオーシャンだよ……。裏切り者め……絶対僕の方がモテるのに」
赤沼はサラサラのおかっぱの前髪を整えながら不条理を嘆いていた。自分はオタクの中ではまともなのに、どうも女性とは縁遠い。そう思えば思うど、心が荒んでいった。
オタクをやめる時が来たのかと、真剣に悩んでいると「ねぇ、お兄さん?」と女性から声をかけられ。
思わず裏がった返事で返すと、女性に笑われてしまったので、またいつもの流れかと赤沼は自分にため息をついた。
「ごめん。傷付けちゃった? そんなつもりじゃなかったんだ。今罰ゲームで、男の連絡先を聞いてこいって言われて困ってるんだ。よかったら教えてもらえない?」
「困ります……」
からかわれていると思った赤沼は断った。ここで食いつけば、余計惨めになると思ったからだ。
「本当ごめん……怪しいよね。でも、誰でも声をかけたわけじゃないんだ。それ、ドラゴンオーシャンでしょう? 好きなゲームだから、どうせなら話が合う人と思って……やっぱり迷惑だった?」
女性は赤沼のスマホ画面に送られている、ドラゴンオーシャンのパッケージの写真を指した
「ドラゴンオーシャン知ってるの?」
「そう言ったでしょう。友達に教えられて、RTAまで見ちゃった。別の意味びっくりだよ」
「もしかして倒れるところまで見たの?」
「人が泡吹いてるの初めて見た」
女性は笑うと、向かいの席に座ってもいいかと聞いてきたので、赤沼は食い気味で「どうぞどうぞ」と言った。
「あのゲーム。エフェクト凝ってるよね」
「そうなんだよね。技エフェクトが長いから、RTA向きじゃないんだ。でも、走者が後を絶たないのは、ゲーム性だよね」
「低レベルに職業限定。どんな縛りでもクリアまでの道があるって凄いね」
「そうなんだよね。知ってる? 新しいバグが発見されて、タイムが大幅に縮まったんだ」
「そうなの? どんなバグ?」
「眠れる森の戦士って呼ばれてるバグ技だよ。ある条件でバーサク状態に眠り状態が上書きされると、攻撃力がカンスト超えするんだ。すごいよ、見たことのない桁の数字で画面に埋め尽くされるんだ。あっ……ごめん僕ばかり喋って」
赤沼は我にかえって恥ずかしくなった。こんな話をテンション高く、それも早口で喋ってしまったので、キモいと思われてもしょうがないと、今までの経験から感じていた。
これだけ喋りやすい女性は初めて出会ったと言うこともあり、赤沼は明らかに普段のテンションとは違っていた。
「好きなことにテンションが上がるのは普通のことだよ」
「そうかな? 実は……今度の土日にみんなでドラゴンオーシャンをプレイすんだ」
「もしかしてRTAをするの?」
「違う違う! 僕はそんな危ないことしないよ。僕らはいつだって安全運転だ。ほら、ドラゴンオーシャンてさ、プレイ時間自体長いだろう? だから仮眠をしながら交代でプレイするんだ」
「男の遊びって感じだね」
「わかる?」
「わかるよ」
女性ににっこりと微笑まれた赤沼は、もうこれは運命の出会いだと感じた。これを逃したら一生彼女なんか出来ないと、思いを伝えようと決心した。
しかし、女性の口から「僕も男だからね」と衝撃の発言を聞くと決心はあっという間に崩れ去った。
「はっ!? 男!?」
「男だよ。だから、最初に、男に連絡先を聞いてこいって言われて困ってるって言っただろう? まさか女だと思った?」
そう赤沼に声をかけたのは、悟だったのだ。
「だって……その顔」
「あぁ……よく言われるんだ。それで、同じゲームが好きってよしみで……連絡先教えてくれない? くだらない勝負っていうのはわかってるんだけど、負けるのも嫌なんだよね」
「……どうぞ」
赤沼はSNSのIDを紙に書いて悟に渡すと、明夫にすぐに『ドラゴンオーシャンを楽しみにしてる』と返信した。
その頃マリ子は、京にベタベタとくっついていた。
「勝負はどうしたの?」
「なんかもうどうでもいいや。みゃーこを口説いてると思えばね。ベッドもオッケーよ。この間デートもできなかったし、どうせならもう一回男装しない?」
「しない」と京はため息を落とした。
「えー……」マリ子は不服そうな表情を浮かべたが、自分好みの男を見つけると「あっ待った。やっぱり勝負してくる」と席を離れていった。
その背中を見て、京は今日も自分の予想外の動きをするなと微笑んでいた。