第六話
休日の昼間。マリ子は明夫と共にファミレスに来ていた。
二人で仲良く食事をしに来たわけではない。青木と京の様子を伺いに来たのだ。
「なんで僕がこんなことをするハメに……」
明夫はパスタセットの付け合わせのサラダを食べながらため息を落とした。
「そっちが頼んだんでしょう。それよりも、こんな美人とデート出来てるんだから、もっと嬉しそうな顔をしなさいよ」
「最悪だよ……。こんなところを知り合いに見られたら、僕がぐれちゃったって思われる。タバコをふかして、タトゥーを入れて、夜な夜な遊び回ってると思われるんだ」
マリ子はアニメキャラクターのシャツを着ている明夫を見て、「それは絶対ありえない」と鼻で笑った。「子供だって、もっとマシなシャツを着るわよ」
「そんなことない。これは漫画家が書き下ろした限定品なんだぞ。一着二万はするんだ」
「値段を聞くと良いものに思えてくる自分がちょっと嫌……。てか、なに? 私と一緒にいるから気合を入れたわけ?」
「当然だよ。君の攻撃に耐えられうように、しっかりオタク武装してるんだ。着信音も魔女っ子アニメの主題歌だ。通話が待ちきれないよ」
「アンタに友達がいなくて助かった……。それより、生意気なJCは来た?」
「君……さっきから話題変わりすぎ。オタクに嫌われるよ」
「それは光栄だわ」
「褒めてない」
「知ってる。嫌味で返したのよ。それで、どの子よ」
マリ子がボックス席から身を乗り出して入り口を確認すると、短いスカートの裾から太ももが覗いたので、見たくないと明夫も身を乗り出して入り口を見た。
「まだいない。何で女性って男を待たせるわけ?」
「先に来た時は怒ってるって知らしめるためよ。いいから探しなさいよ」
「僕はオタクでよかった」明夫はほっと息をつくと、ふと視線をずらした。すると、そこにはデート中のたかしとユリの姿があった。「うわ……最悪だ……」
「アンタねぇ……もっと前向きになりなさいよ」
「その通りだ。前だけ見てて」
マリ子に気付かれると面倒臭いことになると判断した明夫は、マリ子に店の出入り口だけを見るように言った。
しかし、突然そんなことを言われ不審に思わないはずがない。
マリ子が視線をずらそうとしたその時、「青木ちん見っけ」という、若干舌垂らすな声が入り口から響いた。
その声の方を向いたマリ子は「ハム子!?」と声を上げた。
「あり? マリちんじゃん」
「オタクに惚れた女ってアンタなわけ?」
「なによ。マリちんだって、オタクとデートしてるじゃん。……それも相当痛いタイプのオタクと」
ハム子はアニメシャツを着てい明夫を、引きつった瞳で見ていた。
「アンタが変な格好するから誤解されたでしょうが」
「僕はなにも誤解されてないよ。オタクだ。それも痛いタイプだと自負してるし、誇りにも思ってる」
「そっちじゃないわよ……。てか、マジで? ハム子がお相手なわけ? JCってハムのこと」
「そうだよ、この女が僕らの中を引き裂こうとしてる悪女だ」
「それならそう言いなさいよ……ハム子は私達より三つ年上よ。社会人だし、何の問題ない」
マリ子はつまらない結果だと急に飽きてしまった。
「これが僕より年上だって? ……アニメキャラにでもなったつもりかい? 見た目がロリな大人はアニメにしか存在しちゃいけないの。それに……その喋り方オタクを食い物にしようとしてるだろう」
「普通に喋ってるでしょう。マリちんの彼氏態度悪くない?」
「彼氏じゃないけど、態度が悪いのは同意するわ。てか、マジであのロリコンオタクと付き合うわけ?」
マリ子が正気かどうか尋ねると、公子は青木と京がいる席ではなく、明夫の隣に腰掛けた。
「青木ちんはロリコンじゃないよ。ロリコンだったら即通報してるもん。なにが凄いって下心一切ないんだよ。凄くない?」
「そんな男いないわよ……」
「いや、妹じゃないならありえる」と明夫は真顔で言った。「青木は百合だったり、叔母だったり、様々な属性萌えを持っているけど、そこには全部妹という枕詞がついてこそだ」
「マリちん……なに言ってるか全く理解出来ないんだけど」
「妹萌えだから、妹じゃないハムにはときめかないってことよ。あーやだ……なんでオタクの言葉を理解出来てるんだか……」
「悪いけど、マリちんがなにを言っても。私を止められないよ。欲求不満が爆発しそうなんだから。早くセック――」
公子がセックスと叫びそうになると、マリ子が慌てて口を手で塞いだ。
「ハム子……気をつけてよ。アンタがそういうこと叫ぶと、警備員とか警察が駆けつけるんだから」
「アイツら本当にムカつくよね。こっちは免許まで出してるっていうのに、未成年だって疑って来るんだよ。ありえないでしょう。しかもナンパ目的の奴もいるの。それも、こっちが未成年だと思って声かけてるんだよ。ドン引きでしょう? マリちん? 聞いてる?」
「聞いてるわよ。男がいかに最悪かでしょう……」
「そうそう、他にもさぁ――」
「別れて数日のうちに新しい彼女を作って、甘すぎて食べられないって言ってたハニートーストを満面の笑みで食べたりする男とかね」
「マリちん? なんの話してるの?」
マリ子は公子の口を塞ぐのに立ち上がった時に、偶然デートをするたかしの姿を見つけてしまったのだ。
公子はマリ子の視線を追い、そこにいるのが元カレだと理解した。
「超普通の男じゃん。マリちんってば、男の趣味変えたの?」
「今変えないことに決めた。見てよ、あの女……わざとハニートーストを大きく切って、食べさせる時、わざと唇の端にハチミツをつけたわよ」
「マリちんもよくやる手だね」
「ほら、ハンカチ出して拭いてるわ……あれ、絶対香水を少し染み込ませてるわよ……あーやって、匂いを覚えさせるの。あの匂いがしたら自分を思い出すようにって」
「マリちんがやってたね」
「ハム……うっさい」
マリ子が睨みつけると、公子はまるで本物のハムスターのように縮こまった。
「マリちんこわーい……そんなに酷い振られ方したの?」
「僕が知るか」
「何で怒ってるの?」
「至福のアニメタイムを邪魔されてここにいるから」
「なんのアニメ見てるの?」
「【かずこちゃんは数え上手】」
「知らない」
「そうだろうね。君みたいななんちゃってロリ星人には理解出来ない芸術作品だ」
「へー、本当に現実の女の子に興味ないの?」
「さっきからなんなんだ」
質問ばかり公子に、明夫はイライラしていた。
「だって、マリちん無視するんだもん。ねね? 運動に興味ある?」
「あるように見えるなら、君は病気だ」
「君じゃなくて公子。き・み・こ。皆ハムって呼ぶけどね。それで、君こそなにちん?」
「名乗る必要ある?」
「だってマリちんの友達でしょう? 友達の友達は友達だよ。あっ! もしかして、ルームメイトのおちん?」
「……違う」
「絶対そうだよ! マリちんが言ってたもん。やばい次元のオタク男とルームシェアすることになったって。今のところ……やばい次元とオタクと男の三つが揃ってるもんね。やっぱりおちんだよ」
「僕は明夫だ。そんな男性機みたいな名前じゃない」
「ほら、あきおでおちんじゃん」
「普通あきちんだろう」
「そう呼ばれたいの?」
「どっちも呼ばれたくない……ちょっと、マリ子……どうにかしてよ」
明夫は公子がしつこいと助けを求めた。
マリ子は頷くと「そうね……非常ベルを鳴らす?」と真顔で言った。
「何のためにさ」
「デートをぶち壊すため以外にある?」
「わーお……マリちんが男を引きずってるの初めて見た。動画撮ろう」
公子は珍しいものを見たとスマホを取り出した。
「やめて……引きずってなんかない。ただ気に食わないだけ」
「まさかずっと見張ってるつもり? そんな時間の無駄だよ……。そだ! カラオケ行こう! 割引クーポンあるんだー。ルーム料金半額じゃないよ。合計料金から半額。昼間からお酒飲み放題。つーか来い。社会人の大事な休日を無駄に使わせるな」
公子は有無を言わさずにマリ子と明夫を立たせると、さっさと会計を済ませてファミレスを出て行ってしまった。
それから三十分後。
京は「いくら何でも遅すぎる……」と眉間に皺を寄せた。
「僕はSNSにちゃんとメッセージを送ったからね。妹でもないのにだよ。僕の人生の汚点だよ……」
「男装してる私より汚点なんてある?」
京の格好はシャツにジーパン。それにキャップを被るというシンプルなものだ。
「それって……普段の格好と大して変わらないと思うけど。僕らの遊びを邪魔してる時もそんな格好だ」
「邪魔はしてないわ。遊びを眺めてるだけよ」
京はもうやっていられないとキャップを取ると、胸を潰すブラを緩めた。
「じゃあ、なんで僕らのカードゲームに口出すのさ。遊びたいならお断り、親に頼んで兄か姉を養子に貰ってから出直して」
「遊びたいのは確かね。レアカードを三人の真ん中に落としたら、誰が真っ先に拾うのか興味があるの」
「それ楽しいの?」
「ええ、とってもね」京はにっこり笑うと、スイーツを注文するために店員の呼び出しボタンを押した。「あなたも何か頼んだら? すっぽかされた者同士奢るわよ」
京はてっきりマリ子がついてきてると思っていたのだが、軽く周囲を見渡しても見つからないので諦めていた。この後遊びに行くと言っていたのも忘れていそうだと肩をすくめた。
そんな二人のテーブルに近付いて来たのは、店員ではなくたかしとユリだった。
「うそ? もしかしてデート?」
たかしが声をかけると、ユリは腕を組んで誰と聞いて来たので友達だと答えた。
「妹じゃないんだぞ。どこがデートに見える?」
青木は心外だと眉間にシワを作った。
「二人で何時間もいた証拠がそこに」
たかしは乾いたコーヒが底にこびりついたカップの底を指した。
「ねね、たかし」ユリは良いことを思いついたと、余計にたかしにくっついた。「今からダブルデートしない? あなたのお友達のことをもっとよく知りたいし、私のことも知って欲しいわ」
「どうだろう……」
たかしは青木は嫌がるだろうと視線を送った。案の定嫌な顔をしていたので、理由をつけて離れようとしたのだが、京は残りのコーヒーを一気に飲み干すと、タンっと音を立ててカップをテーブルに置いた。
「賛成よ。ダブルデートしましょう」
なんでという顔をしたのは男二人。ユリは京の快い返事に気を良くした。
「やっぱり女同士って波長が合うわね」
「私もそう言おうと思っていた。さぁ、注文をどうぞ」
京はちょうどよく来た店員に、席を一緒にすると言うとコーヒーのおかわりとスイーツを注文し、三人にも何か頼むようすすめた。
たかしは「どういうことだ」と目で青木に尋ねたが、青木は「わからない」と目で返した。
そんな二人はお構いなしに、ユリはあれこれと話を進めた。
「それで二人は恋人同士なの?」
「そうね。そういうことにしておく」
「なに? もしかして今の告白? 急かせちゃった?」
「良い方に取ってもらって構わないわ。それで、そちらは? いつから付き合って、今日はどういうデートをしようとしていたのかしら?」
「普通のデートよ。目的はそうねぇ……二人でいる時間を増やすためかしらね」
「そこのところを詳しく。時間を増やすのはお互いを知りたいため? それとも、時間を共有をしたいため?」
「時間の共有かしらね。まだ知り合って間もないから、時間はいくらあっても足りないでしょう?」
「八十点の回答かしらね。他には? 彼の過去の恋人が気になったり、貯金が気になったりは? 寝る時の姿勢とか気になったりしない?」
「なんだかカウンセリウングを受けてるみたいね……」
「あら、そう思う根拠は?」
京は待ってましたと言わんばかりの表情で聞き返した。
「そうね……メモを取ってるところとか?」
「これは癖よ。なんでも記録に残しちゃうの。今日の出会いも素敵なものになりそう」
「そう言われると悪い気はしないわね。実は一つだけ彼に不満があるの」
ユリはたかしに聞かれたくない話だと手でメガホンを作った。
すると京「あら面白そうね」と耳を近づけた。
盛り上がる二人を尻目に、たかしは「これってなんの時間?」と青木に聞いた。
「たかし……彼女は危険だぞ。オタクを使って何か大きなことをしようと企んでいるんだ……」
大真面目で馬鹿げことを言う青木に、たかしはますます混乱した。
「なにこれ? ドッキリ? オレだけなの? 事態を把握できてないのって」
「安心しろ僕もだ。僕達は助け合う必要がある。力を合わせよう!」
「意味不明だよ……」
たかしは居心地の悪さを感じたが、ユリが京と話し込んでいるので帰ることもできずに、陰謀論を唱える青木と、時折変な質問してくる京に翻弄されていた。




