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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン1
3/121

第三話

 夕方。バイトから帰って来たたかしは、リビングに誰もいないのにテレビがつきっぱなしなのに気付くと、自分の部屋に戻る前に消そうと立ち寄った。

 しかし、短編のギャグアニメだと言うこともあり、思わず見てしまい。気付けばソファーに座っていた。

「どいてよ、僕の時間だ。カップラーメン作るのに、ちょっと席を外してただけ」

「あぁ、ごめんごめん。でも、珍しいな。一時停止もしないで席を外すだなんて」

「これは落選作品。言わせて貰えば、アニメと呼ぶにはもう一歩ってところだね。声優の声だけ聞ければいい。いくら僕でも、すべての作品を視覚聴覚嗅覚を使って感じるのは不可能だからね。時にはそんな作品もある」

「なんだよ嗅覚って」

「僕くらいになると、視覚と聴覚を刺激されると匂いも感じられるのようになる。味覚までもう一歩だ」

 得意気に語る明夫だが、たかしは聞かなければ良かったと数十秒前の自分を殴ってやりたい気持ちになっていた。だが、あることに気付くと途端にそんなことはどうでもよくなった。

「ちょっと待った……なにこの匂い?」

「おいおい……ちょっと早すぎるんじゃないの? まずは視覚と聴覚を極めてから。それから嗅覚だ。わかる? 見えてもいない下着や筋肉を想像できるようになり、キャラクターの心の声が聞こえるようになる。それからだ。キャラクターの匂いを感じられるようになるのはね」

「違うって、この匂いだよ。ストロベリーとかピーチとかが混ざった匂い。でも、ハーブが混ざってきてフローラルな感じ? どっかで嗅いだことあるような……」

「待って! その匂いなら覚えがある。最後に香るのがラベンダーなら【オーロラの姫騎士】の【姉姫ゼノビア】。オレンジだったなら【青春カウントダウン】の【朝霧怜子】だ。どっちもおっとりキャラで、主人公の相談に乗る重要な位置にいるキャラクターだよ。僕のオススメは断然ゼノビア姉様。声優のみーたんの癒し空間ボイスは、耳じゃなくて脳に直接語りかけてくるんだ」

 まだ言うかと睨んだたかしだったが、明夫はタブレットでキャラクターの画像を見せてまで、どれだけ素敵で魅力的なキャラクターかを説明した。

 だが、熱を込めて説明すればするほど、たかしの顔が険しくなっていくので、明夫も変だと気が付いた。

「どうしたのさ。キャラクターの匂いがわかるようになりたいんじゃないのか? 僕みたいになりたいんだろう?」

「一言も言ってない、そんなことは。今この場にある匂いのことだよ。っていうか……明夫からしてないか?」

 たかしが明夫の髪の匂いを嗅ぐのと同時に、正解が怒りを踏み鳴らす足音と共に階段を降りてきた。

「どっち? 私のシャンプーを使ったバカは!」

 マリ子は使われたシャンプーの容器を持って二人の元にやってくると、怒りに寄せた眉で二人を睨みつけた。

「こっちのバカ。君のシャンプーの匂いか。それで嗅いだことあるんだね」

 たかしは流れでマリ子の髪に鼻を近付けたのだが、裏拳をお見舞いされて痛みに怯んだ。

「オタクがオイルシャンプー使う意味なんてないでしょう。って言うか、私のを使うな」

「使ったらダメだなんて言われてない。冷蔵庫の一段目は僕の、二段目はたかし。三段目は君。ドアポケット部分は共有というルールはあるが、風呂場のルールは一つだけ。覗かないこと。シャンプーを使うなとは言われてない」

「常識的に考えたらわかるもんでしょ」

「常識的に考えたんだよ。僕のシャンプーは切れてた。だから君のを使った。僕だってトニックシャンプーが良かったんだ。言っとくけど使ったのは嫌々だぞ」

「いくらすると思ってるのよ」

「僕が使ってるのは二百円の特売品」

「私が使ってるのは二千八百円のシャンプーよ」

 マリ子は違いがわかったかと睨みつけたのだが、明夫は別のことに驚いていた。まさかシャンプーごときに、そんなにお金を使う人間がいるなんて思いもしなかったからだ。

「まさか君の髪がそんなに傷んでると思わなかった……。でも、多分騙されてるよ。だって、僕と同じトニックシャンプーを使ってる友達の方がサラサラツヤツヤだ」

「わかった……殺す」

 マリ子がシャンプーの容器を振りかぶった瞬間。明夫は大慌てで家を飛び出して行った。

「ちょっとちょっと!」

 たかしは慌てて腕を掴んで止めると、マリ子はため息をつきながら手を下ろした。

「そんな必死に止めなくても、本気じゃないわよ。せいぜいシャンプーで目潰しするくらい。本当に殺すわけないでしょう」

「でも、君の手を握るチャンスだったから。利用しないと」

「そうね。でも、出来る男なら、抱きしめるチャンスだって言ったと思うけど?」

 マリ子が空になったシャンプーを買ってくると家を出ていくと、たかしは抱きしめて止めれば良かったと「くそ! しくじった!」と叫んだ。



 明夫が逃げた先はオタク友達の家だった。

「シャンプー使っただけで、殺されるってありだと思う?」

「なしだと思う。普通は蹴られる。妹にね。何度も……何度も……」

 おかっぱ頭の赤沼は電気に照らされて出来た天使の輪を煌びやかに揺らしながら、過去妹に受けた仕打ちを悲壮感たっぷり込めて語ったのだが、もう一人の友人である青木は、その話をうっとりとした顔で聞いていた。

「なんて羨ましいんだ……」

「おい、いくら妹キャラに萌えるって言ってもな。僕の妹だぞ」

「でも、僕にとっては女だ」

「違う。友達の妹だ」

「同じだよな?」

 青木は自分の意見が合っていると言ってほしくて明夫を見た。

「そうだな。ある意味では同じだ。赤沼が家でお兄ちゃんと呼ばれるように、青木が君の妹と付き合ってもお兄ちゃんと呼ばれるだろう」

「帰れよ、青木。うちには二度とくるな」

「本気になるなよ。オタクの妄想だろう。君の妹の妄想で出禁なら、君のお母さんの想像も加えたらどうなる」

「……本気で言ってるのか? もう五十を超えてるんだぞ。君のエクスカリバーは、そんな雑魚キャラを倒すためのものか? 言うなればスライムだぞ?」

 青木は「スライムね……スライム……」と呟くと本気で考え始めた。そして笑顔で「気持ちさそうだ」と答えた。

「わかったよ。君のエクスカリバーはスライムの粘液で錆び付いて使い物にならないってことがね。大体なんだ! この匂いは!」赤沼は我慢がならないと吠えると「女の子がいるみたいだぁ〜」ととろけそうな声で言った。

「僕だよ。走って汗をかいたせいで、魔女の呪いが浮き出てきたんだ……」

 明夫は自分の匂いが心底嫌だった。好きなアニメキャラの匂いのイメージで固まればなんの問題もなかったが、よりにもよってこのシャンプーの匂いの持ち主は天敵マリ子だ。汗で流れ漂ってくるシャンプーの香りは、彼女の暴力的な性格を思い出させて最悪な気分だった。

 しかし、それは明夫に限ってのこと。オタク友達の二人にとっては、普段嗅ぎなれない甘美な女性の香りだった。

「これはゼノビア様の香りだよ」と赤沼が目を閉じると、青木は「違うって、これは……青春カウントダウンの玲子ちゃんだ」とうっとりとした表情を浮かべた。

「もっと言ってくれ」と明夫も目を閉じた。「僕の中から魔女を追い出して、穢れなきアニメキャラクターで浄化してくれ……」

「ちょっと待った! 良いことを考えた!!」赤沼は手を叩くと、自分自身を褒めるように腰あたりで拳を強く握った。「僕らもシャンプーを買うんだ」

「ありえない。二千八百円だぞ。そんな余分なお金があるなら、アニメ見放題の新しいサブスクに登録するね。昔のアニメをあちこちに散らばすんだもん……本当僕らオタクから搾取する方法ってのを熟知してるよ。それで話題になったらリメイクだ、映画だ、フィギュアだ、新声優だって、こんな幸せな人生ないね。一生好きなものに搾取されるんだ。俄然生きる気力が湧いてきた」

「僕も反対。トレカの新パックを買った方が有意義。最近じゃ、再生数稼ぎの配信者のせいでコレクターと競技人口が増えて、たたでさえ限定パックが手に入りにくいんだ。お金は貯めておかないと」

 明夫も青木も乗り気じゃないのを感じると、赤沼はこれ見よがしにため息をついて二人を煽った。

「おいおい、本気で言ってるのか? 女性に人気のシャンプーを買うことのメリットにまだ気付いてないのか? 直接脳じゃなく、実際に嗅覚器官で感じることができる。つまり脳の領域に空きができるわけだ」

 まるで熱血教師のような身振り手振りで話す赤沼に、まず青木が食いついた。

「……続けて」

「つまり僕らには新たな領域に踏み出せる可能性があるってこと。視覚、聴覚ときて嗅覚とくる。次はわかるだろう? 幸せのありかは手で探すものだ」

 赤沼が伝道師のように語りかけると、明夫は神の啓示を受けたかのようにハッとした顔でその場に膝をついた。

「触覚だ……」

「まさしくそれだ! 僕らは二千八百円で、彼女の髪を撫でられるんだぞ」

 赤沼は自分のおかっぱ頭をこねくり回しながら言った。ほのかに香る男のニオイ。これがシャンプーの匂いに変われば、アニメキャラクターの髪を撫でているのと同じだと言うことだ。想像力一つで世界は大きく変わると。

「僕らの向かう場所は決まったな」明夫は真剣な表情になると立ち上がったが、部屋を出る前に振り返った。「一つ重要な問題に気付いた。僕らのタウンマップには、おしゃれなシャンプーを売っている店は書かれていない」

「明夫……僕を誰だと思ってるんだ。この中で唯一の選ばれし者だ」

「妹がいるってだけだろう」

 呆れる明夫の肩を、目を見開いた青木が掴んで揺さぶった。

「それ以外なにがいるって言うんだ!」



「それで、ここが……魔法のシャンプーを売っている店か……薬局じゃないの?」

 明夫が案内された薬局は、自分達が普段使っている店とあまり変わらないと印象だと思っていた。

「妹いわく、僕らが専門店に行くと倒れるから、この辺でちまちまレベルアップしてろってさ」

 赤沼は肩をすくめようとしたが、青木に掴まれたせいでその動作は出来なかった。

「僕らの心配してくれてるの? 最高の妹だよ。そう思うだろう? 義兄さん」

「次のその呼び方したら、妹がすね毛を剃ってる姿を送るぞ。父さんの髭並だ。いいのか?」

「でも、確かに僕らにはピッタリだ。僕らが専門店に行くと、誰が店員に話しかける? 本当に倒れちゃう。君の妹はオタクの兄を持つに相応しい心遣いをしてる。認めよう」

 青木と違い、明夫は純粋に妹を褒めたのだが、赤沼は複雑な気持ちだった。

 妹が倒れると言ったのはオタク三人組のことではなく、オタク三人組の相手をさせられる店員のことだからだ。

 だが、余計なことは言わず「そうだろう」と笑顔で返したのだった。

「さて、準備だ――」明夫はイヤホンをしてボイスドラマを流すと、スマホの待ち受け画面に映るお気に入りのキャラクターを見つめた。「エイビス様を召喚するぞ。メス――」

 シャンプーの陳列棚の前で右手を差し出す明夫に、赤沼は香りのサンプルが入ったケースを渡した。

「どうだ? ジャスミンの香りって書いてあるぞ」

「ダメだ……こんなの入浴剤だ。彼女のイメージじゃない。エイビス様は泉の女神だぞ。お湯からは出てこないんだ。見ろ、想像するだけで嫌な汗が出てきた。汗」

 明夫の額に吹き出た汗を拭きながら、青木はあることに気が付いた。

「ちょっと待った。それリンスって書いてあるぞ。シャンプーじゃない」

「同じものだろう? 僕が使ってるのにはリンスインシャンプーって書かれてるもん」

「赤沼の妹はそんなの使ってないだろう。シャンプーを使った後にリンス。もしくはトリートメント。気分が乗ってたら、さらにヘアオイル」

 青木の言葉に明夫は混乱した。千円以上するシャンプーを買うこと自体が混乱の元なのに、普段使わない単語が出てくるとますます頭がこんがらがってくるからだ。

「爆弾を作るんじゃないんだぞ。髪に匂いをつけるのに、そんなに材料を使うのか!?」

「そんなことより……なんで知ってるんだ! 僕の妹の湯浴み事情を!!」

「君の家に泊まった時だよ。別に覗いたわけじゃない。お風呂場にあったんだ。そう……天使の召喚道具が」

「ちょっと、僕のエイビス様どうなったの」

「今それどころじゃない。僕の妹のピンチだ!」

 薬局で言い合いを始める友人二人を置いて、明夫はさっさ家へと帰った。

 そして、マリ子を見つけるなり「負けたよ」と敗北宣言をしたのだった。

「なんのことかわからないけど、私に何か一つでも勝ってたと思ってたことに驚き」

「シャンプーのことだよ。あれは確かに君の香りだ。僕にはもうお手上げ。君こそにふさわしい」

「あら……ありがとう?」

 急に褒められたマリ子は、アイスのヘラを咥えたまま困惑の表情でお礼を言った。

「あのシャンプーからはもう暴力の匂いしかしない。彼女達を殴って僕の頭の中から追い出したんだからな。立派だよ。君からは暴力の香りがする」

 ため息をつく明夫の顔面には、食べかけのアイスの容器がものすごいスピードで飛んできた。

「今度からバニラの香りも暴力ね。覚えておきなさい」

「くそっ……バニラの香りは弓子ちゃんの匂いだったのに! もう!」

 明夫は子供のように地団駄を一回踏むと、不機嫌な足音を鳴らして自分の部屋に歩いて行った。

 勝ち誇った顔でアイスをおかわりするマリ子の後ろでは、たかしが心の中で「くそ!」と叫んでいた。

 また、止めるふりをして抱きつくチャンスを逃したからだ。






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