第三話
「そう落ち込むなよ。オレが知ってる中で一人だけだぞ。殴られずに別れた男は」
大学の学食。芳樹はマリ子と別れて元気がないたかしを励ましていた。
「落ち込みもするよ……必死になってルームシェアに誘って、何人かの彼氏を見送ってやっと恋人になったんだぞ。それがこれだ。情けなさ過ぎて泣くこともできない」
たかしは溶けるようにテーブルにうずくまった。
「お互い話し合って別れたんじゃないのか? 自分だけが悪いわけじゃないんだろう? いや、待て……それより重要なことがあった。たかしと別れたってことは……彼女はフリーか。オレにもチャンスが回ってきた」
「まさか親友と別れた直後に口説き落とすつもりか?」
「いつまで彼氏ヅラしてるんだよ。彼女はフリー。驚くことにオレもフリーだ。これは運命に違いない」
「それならオレだってフリーだ」
「おいおい……正気か? しつこい男は嫌われるぞ」芳樹は呆れ顔をしていたのだが、急に笑顔になって手を振った。「お嬢さん! こっちだ!」
芳樹が大声で呼んだのはマリ子だ。
「なに? あら、元カレじゃない」と悪戯な表情を浮かべてたかしの隣に座った。
「それグサッとくる」
「いいじゃない。私だって元カノよ。それにしても、学食で一緒って初めてね」
「付き合ってる期間が短過ぎて、そんなチャンスはなかったからね」
「さんざん話し合って決めたことでしょう。しつこい男は嫌われるわよ」
「それオレも言ってたんだ」
芳樹はテーブルから身を乗り出すと、マリ子に向かってアホっぽい笑みで言い寄った。
「先に言っておくわ。お断りよ。金髪嫌いなの。昔の恋人のバンドメンバーを思い出すから」
「昔の男を思い出さない髪型ってあるんだ?」
芳樹は心底驚いたと目を丸くした。
「そっちも同じでしょう。昨日見たエロ画像と似た女を探して、声かけるのが趣味なんでしょう?」
「間違ってない……。それを踏まえた上でオレと付き合わない? 後悔は何度も経験してるだろう? 一回くらい増えても大丈夫だって」
「あなたもめげないわね……。でも、お断り」
「そんな……少しは考えてよ。元カレの前だからって遠慮することはない」
「考えるだけ無駄よ。見てわかるもの」
マリ子は芳樹の格好を見てため息をついた。
芳樹はとりあえず流行りブランドに身を包んでいる。それに、金髪を維持するためにも定期的に美容室に通っているのも丸わかりだ。自分にばかりお金を使って、デートはお金のかからない寂しい場所ばかりというのが予想できた。
「ちょっと待った。それってオレがお金を貯めてるから付き合ってたってこと? 待て……身に覚えがあるぞ。オレはいったい何回アイスを買った?」
「それは逆でしょう。あなたがお金を使って私の気を引こうとしてたの。身に覚えがないとは言わせないわよ」
たかしがその通りだと押し黙ると、芳樹はこの空気はたまらないと二人を煽った。
「もっと続けて。元恋人同士の生々しい会話は大好きなんだ。女の子と喋る時のネタになる」
「たかし……もっとマシな友達作らないの?」
マリ子は芳樹を変なやつだと認定して、それ相応の視線をぶつけた。
「今ちょうど考えてたところ……少なくとも傷心の友達をからかわないとかね」
たかしが芳樹に言った言葉は、マリ子を苛立たせた。
「ちょっと……本気でしつこいわよ。自分だけ傷付いてると思ってるんじゃないの?」
「だって現にそうだろう。君は平気じゃないか」
「そう思ってるなら、あなたと別れて正解ね。結局他の男と一緒。私の上辺だけしか見てないのね」
「そうは言ってないだろう!?」
「そう思うなら、自分の言葉をもう一度声に出して言ってみなさいよ。私は帰るわ。……そうだ! 今日はデートだから遅くなる」
マリ子はベーっと舌を出すと、肩を怒らせて学食を出ていった。
「すげぇ女……」芳樹はマリ子が歩いていった方角を見てつぶやいた。
他の生徒もマリ子の後ろ姿を同じように見ていた。
「そうだろう。全部オレのせいだよ」
「彼女が正しい。別れたなら別れたなりの態度を取れよ」
芳樹が急に真面目な顔で言うので、たかしは思わず怯んでしまった。
「そうかも知れないけど。聞いただろう? もう次の恋人を作ってデートだぞ? 信じられないね」
「そうだな……って頷いてやりたいけど、相手はあのマリ子だぞ? それをわかって付き合ってたはずだろう。今更文句を言うことか?」
「納得はしてても理解はできない。そういうもんだろう?」
「なら、理解出来るようになればいい」芳樹は力強くたかしの肩を掴むとスマホを操作しながら「今日の予定は全部キャンセルしろよ」と言った。
「なんでだよ」
「愛の傷は愛で癒やせってことだ。任せろ、オレの為でもあるんだから。オレ一人だと警戒されるし、悟と一緒だとオレは無視されるし、ちょうどいい友人を探してたってわけだ。これでも、他にマシな友達を作るつもりか?」
「そうだな。その方がよさそうだ」と言ったたかしだが、結局芳樹に押し切られて、今日の夜に女性と会うこととなってしまった。
「それじゃあ、乾杯!!」
芳樹がお酒の入ったコップを高く掲げると、二人の女性の声がノリよく追随した。
それからしばらくは何事もなく、男女交えて楽しい会話が続いていたのだが、たかしの隣に座っている女性が急に黙ってしまった。
たかしは気を遣って「どうしたの?」聞くと、女性は「それよ」と不貞腐れた。
「ごめん……意味がわからない……」
「気を使い過ぎ。愛想よくするのに精一杯で、何も話を聞いてないでしょう」
「そんなことないよ。ちゃんと聞いてるよ」
「じゃあ私の名前は?」
女性に言われてたかしは困った。言われた通り、話をほとんど聞いていなかったからだ。
とても女性と仲良く話す気分ではないが、自分の都合で振り回してきてくれた女性に嫌な思いをさせるわけにもいかずと、適当に相槌を打っていたのがバレてしまったのだ。
「ヨシ……エ?」
「一か八かで攻めるなら、せめてもう少し可愛い名前で呼んでくれない? アイちゃんとか、メイちゃんとか」
「ごめん……オレが悪い。非はこっちにある」
「あー……もしかして打たれ弱い人だった?」
「ごめん、そうじゃないけど。ああ……謝ってばっかりだね……ごめん」
「あっ、また謝った」女性は笑い「ユリよ」と、改めて自己紹介をした。
「たかしだよ」
「知ってる。私は話を聞いてたから」
「君って結構厳しいんだね……」
「そう……彼氏にフラれたばかりだから、男には当たりが強いわよ。今日は覚悟してね」
ユリは目つきを鋭くすると、笑うことなくたかしをじっと睨んだ。
「オレも別れたばかりなんだ。今当たりを強くされると死んじゃうよ……」
「うわぁ……露骨ね。使い古され過ぎて殿堂入りしてるセリフじゃない」
「嘘だったらよかったんだけどね……。オレがいつまでウジウジしてるから、こうやって引っ張ってこられたってわけ」
たかしはもう一人の女の子と異様な盛り上がりを見せる芳樹に呆れていた。
「あのお猿さんね……信じるわ。そういう奴だし」
「そういえば君達ってどういう知り合いなの?」
生返事の間に決まった飲み会なので、たかしは誰と芳樹が繋がりを持っているのか知らなかった。
「そうねぇ……簡単に言えば幼なじみよ」
「それって難しく言うとどうなるの?」
「腐れ縁ね……。私も引っ張り出されたのよ、フラれていつまでもイジイジしてるなって」
「まぁ、友達思いなことは間違いないからね」
「本当にそう思ってる? あなたって騙されやすいのね……。私達はダシにされてるのよ。あいつなんて言って連絡してきたと思う? やれそうな女を連れてきてくれって。こっちはやれそうな男を紹介するから。よ」
「それで、あの子を連れてきたってわけ? 君達が幼馴染なのも納得だよ……」
「別に友達じゃないわよ。男を切らしたら死んじゃう女。いるでしょう? そういうタイプって」
「悪いけどノーコメント」
たかしが口をつぐむと、ユリはニヤニヤと近付いてきた。
まるで頬にキスでもしそうなくらいの距離なので、たかしは「なに?」と思わず聞いた。
「元カノのタイプがわかったのよ。愛嬌があって気さくだけど恋多き女。当たりでしょう」
「……ノーコメント」
「それはもう答えよ。そっか……難しい相手に恋したのね」ユリはたかしの頭を撫でると「おーよしよし」と慰めた。
「違うんだ。オレが悪い。オレが自分で難しくしたんだよ。――すごい。自分が悪いって認めたよ。第一歩を踏み出せた……
。君のおかげだ!」
「あなたって単純なのね……会ったばかりの女の言うことで元気になるわけ? 適当言ってるかもしれないわよ。さっきも言ったでしょう。今日の私は男に当たりが強いわよ」
「勘違いでも。オレは前向きになれたんだ。今のオレを見て。さっきとは別人だろう?」
「そうね。名前を覚えてなかった男とは思えないわ」
「それは本当に悪かったよ。許してくれない?」
たかしは責められ過ぎて喉が渇いたとコップに口をつけた。
「いいわ。損したのはそっちだから。むしゃくしゃした私が、おっぱい丸出して自己紹介したのも覚えてないんでしょう」
衝撃の言葉にたかしが水を噴き出してむせていると、ユリは「冗談よ」と笑った。
「その冗談はやめた方がいいよ……想像しちゃうもん」
「想像するだけでいいの?」
「もしかして……誘ってる?」
「いいえ、からかってるの。乗っかってきたら、一気に突き放すつもりだった」
「確かに当たりが強い……。でも、君も元気が出たみたいで良かったよ」
「なぁに? 今度はそっちが口説いてるの?」
「違うよ。笑顔が可愛くなった。それって本気で楽しいからだろう? オレが元気になったみたいに、君も元気になったなら良かったなって」
たかしに言われてユリは自分が笑顔になっていることに気付いた。その場しのぎの愛想笑いではない。楽しくてたまらない時の笑みだった。まさか、自分がそんな笑顔を浮かべているとは知らず、自分に驚いた。そして、一つの結論に辿り着いた。
「ユリよ」
「さっき聞いたよ。これからはちゃんと自己紹介を聞く男だからね。君に言われた欠点もすぐ直す。どう? 見直した?」
たかしが冗談めいて言うと、ユリは肩をくっつけるように座り直した。
「君じゃなくて、ユリよ。今はフリーなんでしょう。どう? 改めて後日。二人きりでデートしてみない?」
「いいね。一歩じゃなくて十歩くらい進んだよ」
「私は本気よ。スマホ出して」ユリはまごつくたかしからスマホを奪い取ると、素早く自分の連絡先を入力して返した。「気が向いたら連絡して」
「ちょっと……突然のことに頭がついていかない……」
たかしはユリの名前で登録されている画面を見ながら、思わず固まってしまった。
「わかってるわ。だから、気が向いたらでいいの。難しいことを考えないで、友達からでもいいのよ。あそこまでバカな男なら、私だって引くわ」
ユリはデレデレでツーショットの写真を撮る芳樹に呆れていた。
そして、どちらからともなく同時に肩をすくめると、すぐにまた男女四人で話し始めたのだった。
夜十時過ぎ「ただいま!」と上機嫌にたかしは帰宅した。
明夫は「なにそれ……」と意味もなく笑っているたかしを訝しく見ていた。
「なにって笑顔だよ。オレが笑顔を浮かべるのはそんなにおかしいことか?」
「おかしいよ。君は意味もなく笑顔になることはないはずだ。どんだけ付き合いが長いと思ってるんだよ」
「長い付き合い。でも、明夫が知らないことは山ほどある」
たかしは脱いだ上着を適当な場所に投げ置くと、倒れ込むようにソファーに寝転んだ。
片手にはスマホ。なにも映っていない真っ黒画面を見てニヤニヤしているので、明夫は何事だと首を傾げていた。
そこへマリ子が水を飲みに降りてきたのだ。
「なに突っ立ってるのよ」
「たかしがおかしいんだ」
「おかしいって……アンタほどじゃないでしょう。パソコンの画面を見てニヤついてなければ正気よ」
「それってスマホの画面も入ってる?」
「当然」
「じゃあやっぱりおかしいんだ」
明夫が指を向けた方向を見たマリ子は、電源の入っていないスマホを見てニヤニヤするたかしに、明夫と同じように首を傾げた。
「私と別れておかしくなっちゃったのかしら……」
「むしろ君と付き合ってる頃の方がおかしかったよ。でも、今はそれ以上におかしいかも……」
訝しげな視線を送ってくる明夫とマリ子の視線に気付くことなく、たかしはずっとスマホ見続けて、気が付けば眠りについて朝になっていた。