第二話
「それじゃあ、全部私が悪いって言うの?」
「そうは言ってないだろう。君はいつも極端過ぎるんだよ」
「じゃあどう言ってるってのよ」
「だから……入れた洗濯物はすぐに回してくれないと、他の洗濯物も混ぜて回しちゃうってだけだよ」
「たった一時間の話よ? 一時間も放置しちゃダメなの? 部屋の掃除で汗をかくから、まとめて洗濯するのに置いといただけよ」
「オレ達の洗濯物もあるんだよ。日が暮れてから洗濯物を干すと乾きにくいだろう」
たかしとマリ子の喧嘩の原因は実にくだらないものだった。たかしが誰の了承も取らずに洗濯物を回したせいで、汗をかいた下着が洗濯できないとマリ子が怒っているのだ。
どちらの言い分も間違ってはいない。少し思いやりに欠けてしまっただけだ。しかし、何か鬱憤が爆発したかのように、どちらからともなく声が大きくなっていったのだ。
「明夫! アンタはどっちの味方なのよ!」
マリ子が大声で言うと、たかしも負けじと大声を上げた。
「言ってやってくれよ! 得意だろう」
「僕? ……どっちでもいいよ。そんなことより、ゲームしたい……」
二人はソファーを挟んで争っていた。そのソファーには明夫が座ってゲームをしている。二人の会話はステレオスピーカーで分かれているようにやかましく響き、全然ゲームに集中できないのだ。
「ゲームなんてやってる場合じゃないわよ!」
マリ子はゲームの電源を落として話を聞くように詰め寄ったが、たかしは思いついて急に明夫の隣に腰を下ろした。
「確かにゲームは大事だ。オレも混ぜてよ」
「たかし……君がマリ子とのうるさい口喧嘩をやめてくれるのはすごい嬉しいよ。でも、これは一人用のアクションRPGだ。悪いけど邪魔」
「そう言うなよ。そうだ! オレはマップ確認係になるよ。ほら、そこ。アイテムがあるぞ」
笑顔でテレビを指差すたかしを見たマリ子は、卑怯者と目を鋭く細めて睨んだ。
「聞いてなかったの? 明夫は一人用って言ったのよ。どきなさいよ」
「その通りだ……ありがとう」
明夫は急に味方になるマリ子に訝しげな視線を送りながらも、邪魔なたかしをどかしてくれたことにとりあえず感謝した。
しかし、たかしがソファーからどけると、すぐにマリ子が隣に腰を下ろしたのだ。
「それで? 二人用のゲームは? 対戦もの? 協力もの? 何でもいいわよ」
「ちょっと! ずるいよ! 明夫を味方につけるつもりか?」
「よく言えるわね……あなたがやったのと同じことをしてるのよ」
再び睨み合う二人に、明夫はうんざりだと声を荒らげた。
「もうやめてよ! 僕はどっちの味方もしない。ゲームをやらせてくれ。君達の問題よりも、僕はゲームのレアアイテムの方が大事なんだ! これ以上邪魔をするなら!! 部屋に行く! 勝手にしてよ!」
明夫はセーブすると、ゲーム機を持って部屋に行ってしまった。
たかしとマリ子は空気が悪いまま睨み合うと、フンと鼻を鳴らしてそれぞれ部屋へと帰った
そして、なにも解決しないまま次の日。
たかしは明夫に迷惑をかけたお詫びに、明夫が前から欲しがっていたゲームソフトを買って帰ることにした。
すでにDLで買っているかもしれないが、パッケージを並べるのが好きな明夫なら喜ぶはずだと、柄にもなくスキップでもしそうな軽い足取りで帰路についた。
家に着いて「明夫!」と声をかけたのだが、そこのは驚愕の光景が広がっていた
「うそ!? 本当にいいの?」
「いいのよ。あなたのために買ってきたんだから。ほら、起動してみて。私もどんなゲームか見てみたいわ」
「本当に?」
「もちろんよ」
「やりぃ! このゲームはオープニングが凄いんだ。きっと君も釘付けになる」
「ええ、そうね」
マリ子がニコニコと笑顔を浮かべるのを見て、たかしはやられたと顔をしかめた。
「ずるいぞ! 物で釣るなんて」
駆け足で寄ってくるたかしに、マリ子は冷ややか視線を浴びせた。
「どの口が言うのよ。その手に持ってるのなに?」
「これは……物で釣るとかじゃない。……そうだ。お詫びの品だ! 昨夜迷惑をかけたからね」
「私も同じよ。私の方が早く渡したってだけ。早い分だけ誠意の現れだからよ。誰かとは大違いね」
「それって今回のことを言ってる? それともこの間のベッドの上での話? それなら、説明しただろう。あの時は具合が悪かったんだ。でも、君が誘うから……」
「それも私のせいなわけ!?」
昨夜の熱気のまま再び口喧嘩が始まりそうになると、明夫は慌ててたかしから贈り物を受け取った
「僕は嬉しいよ。知ってるだろう。プレイ用と観賞用。二つあっても全然困らない」
「聞いた? 観賞用だって? 私の方はプレイ用。どう言うことかわかる?」
「わかり過ぎるほどにね」
たかしが意味ありげな顔で頷くと、マリ子はそれにカチンときた。
「どういう意味よ」
「君が一番よくわかってるだろう?」
「ちょっとやめてよ! またなの?」
明夫がやめてと困惑すると、マリ子はたかしを睨んだまま明夫の部屋を指した。
「いいから部屋に戻ってなさい」
「うそ!? ゲームは?」
「今はそんな場合じゃないのがわかるでしょう」
「ちょっとだけ。お願いお願いお願ーい」
「ダメだ。明夫。部屋に戻ってろ」
たかしも明夫の部屋を指すと、明夫は肩をお落としてため息をついた。
「こんな家最悪だよ!」
悪態をつく明夫に、たかしとマリ子は「明夫!」と同時に怒った。
「僕は悪くないのに……」
明夫は最後に一度地団駄を踏むと、膨れっ面で部屋へといった。
「なんでいつも君はそうなんだ!」
「上手くいかないからって、私に当たらないでよ」
「少しは人の気持ちを考えて行動したらって言ってるんだ」
「そんなのお互い様でしょう?」
「オレが人の気持ちを考えてないって言うのか?」
「考えすぎなのよ! 私達は付き合ってるの。カップル。恋人同士よ。わかる? 友達じゃないの。あなたの本音はどこにあるわけ? いつまで顔色を窺われなくちゃいけないの? 私はもっと対等に付き合いたいの!」
マリ子が涙目で心情を吐露すると、たかしはそんなこと考えたこともなかったと驚いた。自分が先に好きなり、その流れのまま付き合うことになったので、バランスがマリ子に偏ったままになっていたのだ。
「ごめん。オレが悪いみたいだ……。知らないうちに心に溜め込んでいたみたい。だから、洗濯物なんてくだらないことでいつまでも怒ってたみたい」
「私の方こそごめんなさい。全部自分のペースで振り回しちゃったわ」
「いいんだよ。君のペースに巻き込まれるのは好きだ。毎日が楽しくなる。でも、もっと話し合うべきだったね」
「そう。今からでも遅くないわ。でも、その前にやることがあるでしょう?」
「そうだった」と、たかしはシャツの裾に手をかけた。
「違うわよ。明夫に謝るの。私達のわがままで振り回しちゃったから。ベッドに行くのは、明夫に謝って、話し合って、それからベッドよ」
「そうだね。君の意見が正しい。でも、オレの意見が正しいこともある」
「そうね。お互い間違いを正しあっていきましょう」
マリ子はたかしの手を握ると、一緒に明夫の部屋へと向かった。
しかし、ドアをノックしても反応がない。
騒音から逃げるためにヘッドフォンをつけているのか、たかしはそっとドアを開けて確認した。
「あぁ……見て」
たかしは明夫が寝ているのを確認すると、ドアを大きく開いて中の様子をマリ子に見せた。
「抱っこして寝てるわ……まだまだ子供ね」
マリ子はほう……と息を吐くとたかしの腕に抱きついた
「抱いてるのはゼノビア様の抱き枕だけどね。……それもセクシー仕様だ」
「あれがセクシー? 普段の鎧の姿の方がよっぽどセクシーだと思うけど」
「オタクの世界は深いんだよ。だからみんな抜け出せない。起こすのも悪い。謝るのは明日にしよう」
たかしはそっとドアを閉めると、マリ子と一緒に今後の話をしにリビングへと戻った。
「うそだろう……それじゃあ、ゲームソフトを二つ手に入れたって言うのか? ただ座ってゲームしてただけで?」
赤沼は目を見開いて、明夫が持参した全く同じゲームソフトを二つ見ていた。
「そうだよ。いいだろう。あの二人は知らなかったんだろうけど、転売禁止目的で購入制限があるんだ。おかげで初回生産分を棚に飾れるってわけ」
自慢する明夫に、青木が「売ってくれ!!」と飛びついた。
「ダメに決まってるだろう。僕が買ってもらったんだ。君達も買って貰えばいいだろう」
「君のせいで、そのゲームが出来ない子供がいるんだぞ。周りはみんな持ってるのに、一人だけ仲間外れだ。そんなの可哀想だろう」
「青木……それって自分のことだろう」
「僕は大人だ。証拠は僕の胸毛。小五から生え揃ってる」
「あきらめろよ、青木」と赤沼はパッケージを取り上げると明夫に返した。そして「これは明夫がパパとママに買ってもらったんだ」からかいの表情で言った。
「そうだった……それで、どっちについて行くか決めたのか?」
青木もからかい顔で明夫を見た。
「どっちって?」
「急に子供にものを買い与えるだなんて、離婚する夫婦くらいだ。子供のご機嫌とりだ。僕もその時の最新ゲーム機を買ってもらったよ。……もっとねだっとけばよかった。あの頃に電子マネーがあれば入金させたのに……」
「ちょっと待った! 僕が子供だって?」
「みたいだってこと。僕たちはからかってるんだよ」
赤沼は言わなきゃわからないかと肩をすくめた。
「違うよ。僕は二人にとって子供なんだ。これがどう言うことかわかる?」
「望まれた子供じゃないってこと以外に?」
「僕はわがまま言い放題ってこと。二人を困らせて喧嘩させれば、ゲーミングパソコンだって新調出来るかもしれない」
青木は「明夫……」とため息をついた。「それって僕の分も頼める?」
「青木! 違うだろう!」と赤沼は注意するが、明夫と青木はすっかり調子に乗ってしまった。
「当然だ。二人で見積もりを見よう」
「どうせなら、全部最新パーツを詰んで見てみようよ。そこから、妥協点を考えるんだ」
「青木……妥協点なんかないよ。見てよ、これ。どれをバージョンダウンさせるって言うんだ」
明夫は専門サイトでカスタムパソコンの見積もりを青木に見せた。
「こんないい女性に触れたら、もう他の女性に触れないよ……。是非今のパソコンの妹分に迎え入れたい……」
「青木!」と赤沼は声を荒らげた。
「いいだろう。女性もパソコンもオタクにとっては一緒なんだから。お金で買うものだ。良い女はお金がかかるものなの」
「僕も欲しい……」
「それでこそオタクだ」
明夫と青木は両手を広げて赤沼を迎え入れると、一緒に最新最高スペックのパソコンを見ながらため息意を落とした。
その日の夜。明夫は早速行動に移すことにした。
喧嘩の原因となった洗濯機を回して、たかしがやったとマリ子に告げたのだ。
しかし、反応は「あら、そうなの」というものだった。
「え? 気にしないの?」
「今日は汗もかいてないし、部屋着くらいしか入れてないから。むしろ大助かりよ」
「あっそ……」
作戦失敗。明夫は次にたかしをキッチンへ呼びつけた。
「見てよこれ。フライパンの油を拭かないから、排水溝がこんなに汚くなってる。誰のせいだと思う?」
「オレ達三人のせいだろう。今日の朝は明夫がベーコンを焼いて、そのままシンクに置いただろう。今日は自分が掃除当番の日だからって」
「……そうとも限らないんじゃないかな?」
「昼は学食で、夜はマリ子さんが料理当番だぞ」
「ほら、見ろ! やっぱりだ。料理して汚したんだ」
「彼女が当番の時はいつも買ってきてるだろう。今さら何を言ってるんだ?」
たかしはついさっき食べたばかりだろうと呆れた。
「そうだった……」
ことごとく作戦が失敗した明夫は、部屋に戻って次の手を考えていた。
しばらくすると、ノックの音と共に「明夫、話がある」とたかしが呼びにきた。
これはチャンスだと明夫は部屋から飛び出た。
「それ! どっちのせいかだかわかる? 僕はわかるよ!」笑顔でリビングについた明夫だが、落ち着いた顔の二人を見ると「なに?」と思わず聞いてしまった。
「二人で話し合ったんだよ」
「そう、この間のことがあってからね。距離を置くことにしたの。私達二人」
「はあ?」
「だから、別れるってこと。でも、前向きな別れだよ。喧嘩別れじゃない」
「そう、友達からしっかりやり直すことにしたの。安心して、この家から出ていかないから」
「はあ?」
「聞いてなかったのか?」
「聞いてたよ! 意味がわからない! 君達だけ時間の流れが違うの? 付き合ったばかりだろう? そんなのおかしいよ」
「明夫がそんなに応援してくれてるとは知らなかったよ。でも、もう決めたことだ」
「そうよ。つまり、楽しい三人ルームシェア生活に戻ったってわけ」
「振り回されるのは、いつだって子供だ!」
明夫は地団駄を踏むと部屋へ走っていった。
「なんだったんだ?」
たかしが首を傾げると、マリ子も首を傾げた。
「さあ」
「それじゃあ……友達に戻ったってわけだけど。どうする? 一緒にテレビでも見る?」
「そうね。ルームシェアしてるんだし、一緒にテレビを見るくらい普通よね」
「じゃあ見る?」
「見ましょうか?」
そうして、ソファーに並んで腰掛けた二人だったが、微妙な空気が流れているせいで、番組の内容が全く頭に入ってこなかった。




