第二十五話
甲高い音が夜中に鳴り響く。それは警報のように聞こえたので、たかしはベッドから飛び起きると、まずはマリ子の安否の確認しようと慌てて部屋から出たのだが、それより早くマリ子が廊下に出ていた。
「ちょっと! なんなのよこの音。うるさくて眠れやしないわよ!」
「オレに聞かれても……。火事とかではなさそうだけど……」
たかしはスマホで火事情報問い合わせてみるが、周辺で家事の情報はない。救急車の類でもなさそうだった。
一度家の外に出て確認してから中へと戻ると、その音は家の中から聞こえていることに気付いた。
音の元へ一歩。また一歩と近付いていくと、そこは明夫の部屋だった。
「また……コイツ」
明夫の部屋へ突入しようとするマリ子だが、たかしに腕を掴まれ止められた。
「ちょっと待った……変なことしてたらどうするつもり?」
「変なことって……たかしだってしてるじゃない。それとも昨日のこと言ってる? 確かにあれは変……アレはコスプレじゃなくて変装よ」
「違うよ、変な黒魔術とかにハマってたらどうしようってこと。あと言わせてもらえば、あのカツラは立派なコスプレ」
たかしは言いながらも耳をそばだてた。
部屋の中から聞こえる音は奇声というのが正しかった。発情期のネコか、ヒステリーで声にならない声をあげているか。そんなような声が延々と響いている。
たかしとマリ子は視線で会話すると、意を決して明夫の部屋へと踏み込んだ。
そこではイヤホンをつけて、ノリノリでアニメソングを歌う明夫の姿があった。
「なに? 邪魔しないでよ」
明夫は二人が入ってきても恥ずかしがるようなことはなく、堂々と甲高い歌声を響かせた。
「こっちのセリフよ! 寝るの邪魔しないでよ」
「声優の【むむ】は、天使の歌声なんだぞ。むしろよく眠れるだろう」
明夫がイヤホンのジャックを抜くと、確かに優しく綺麗な歌声が流れたのだが、どう聞いてもさっきほどまで明夫が歌っていた曲には聞こえなかった。
「天使の肛門に悪魔のツノをつっこんだような声をしてたわよ……」
「しょうがないだろう。女性声優の曲はみんな高いんだ。誰だって歌えばこうなる」
「なんでキーを下げないのよ……」
マリ子はもううるさいとかよりも、明夫の独特な発声で歌われる不快なメロディーが気になってしょうがなくなっていた。
「歌は原曲キーで歌うものだ。そうだろう?」
「楽しく歌うものよ」
「なら、間違ってない。僕は最高に楽しい」
そう言うと、明夫は自慢げに頼りなく細い裏声を響かせた。
「カラオケに行きなさいよ。こんな夜中に出していい声じゃないでしょう」
マリ子はたかしからも言ってと、肘で脇腹を小突いた。
「そうだよ、明夫。ルームシェアにはルールがあるだろう? 夜中に騒ぐのはルール違反だ」
「それは君達のほうだろう。聞こえてないと思ってるなら、この際はっきり言っておくけどね。たかし……君はいつも行き過ぎ、たまには帰ってこいよ」
その言葉に思わずたかしとマリ子は吹き出した。しかし、感情は違う。たかしは恥ずかしさから、マリ子は面白さから吹き出したのだ。
「そういえば……昨日も先に行ったきり帰ってきてないけど? どこ行ってたの?」とマリ子はからかった。
「とにかく、これ以上歌うならカラオケにでも行ってよ。今時、ヒトカラなんて珍しくないだろう」
「カラオケに行くために練習してるんだよ。僕一人歌えなかったら迷惑が掛かるだろう。ノリが一番大事なのに」
「明夫……」
呆れたたかしだったが、マリ子は違った「わかる!」と明夫の手を取ったのだった。
「合唱で熱唱するのは普通よね。私も流行りの歌のサビを覚えるのに苦労してるわ。いっぱいありすぎるんだもん」
「そうだろう。それはヒットソングチャートだけじゃなくて、声優界でも同じことだ。日々新曲が上がり、かと思えば古いアニソンが急に流行り出す。だからこうして練習が必要なわけ」
「カラオケって赤沼と青木だろう? 今更練習しなくちゃいけないメンバーか?」
たかしは明日は朝から大学の講義があるから勘弁してくれと言うが、明夫とマリ子はすっかり意気投合し、最近のヒットソングについて語り出した。と言うのも、最近はアニソンも上位ランキングに乗ることが増えて、意外にも話が合うのだ。
たかしはもう家では寝られないと、大学の支度をすると家を出ていった。
「驚いたよ、急に来るから」とたかしを迎え入れたのは悟だった。
「助かるよ。あの分じゃいつ寝られるかわかったもんじゃないからさ」
たかしは悟の部屋に荷物を置くと、ため息をついて腰を下ろした。
「でも、今度から前もって連絡してよね」
「ごめん。緊急だったから。親御さんに迷惑だったかな?」
「そうじゃないよ。お姉ちゃん達が、僕に彼氏が出来たと勘違いする……」
悟がドアを睨みつけたので、たかしもドアへと視線を向けたのだが、急にバタンとドアが閉められた。
「何回も来たことあるだあろう?」
「そうだね。それがとうとう夜中に押しかけてきたってテンション上がってるよ」
「それは悪かったよ。誤解を解いてこようか」
「解けば解くほど、真実の紐は絡まる。まぁ、ゆっくりしてよ。寝るなら、電気を消すよ。僕はまだ寝ないけど、スマホなら暗い中でも大丈夫だしね」
「そう思ったんだけど。歩いてきたせいか、眠気が飛んじゃったよ」
「よくあることだ。講義中あんなに眠かったのに、終わった途端に元気になったりね。そうだ……寝ないなら、聞きたいことあったんだけど、少しいいかい?」
「いいよ、今更改まる仲でもないだろう」
「いつまで三人でルームシェアするつもりでいるの? たかしとマリ子さんが付き合うことになったのは、喜ばしいことだと思うけど……もう一人のルームメイトのことは考えてる?」
言われてたかしはハッとした。明夫が現実の女性に興味がないと思って気にも留めていなかったが、明夫にとっては我慢の連続が続いているのは確かだからだ。
今までのようにただのルームメイトならまだしも、今は恋仲。今日指摘されたように、聞きたくない音や見たくない行為が明夫のストレスになってる可能性は高い。
たかしは悟の言う通り、近いうちにどうにかしなければと思った。
それから大学の話や、共通の友人である芳樹のことなど話しているうちに、いつの間にか二人は寝てしまった。
そして翌日。たかしが大学の講義に出ている間。マリ子は京を連れて、明夫は他のオタク友達二人を連れて、五人でカラオケに来ていた。
オタク特有のノリの良い合いの手に負けないよう、マリ子は声を張り上げて歌い切ると、隣に座る京に声をかけた。
「ごめん……やっぱり楽しくなかった? なんか勢いで決めちゃったからさ」
先ほどからずっと京が無言で座っているので、マリ子は誘って失敗したかなと考えていた。
しかし、京は「いいえ、最高」と笑みを浮かべた。「こんなにテンションが上がってるオタクを間近で観察出来るチャンスなんて、滅多にないもの。見て、あんなに裏声を多用して歌う人見たことないわ」
「あぁ……そう? まぁ、みゃーこがいいならいっか」
マリ子は一般人でもわかるアンソンのイントロが流れると、青木からマイクを奪い取って熱唱を始めた。
京の楽しみは歌うでもなく、お酒飲むわけでもなかった。
「私の夢は宇宙人をゲージで飼うことなの」
急に真顔でそんなことを言われたので、明夫は思わず「は?」と聞き返した。
「私の夢よ。聞いたでしょ?」
「いいや。……君が宇宙人と交信してるなら別だけどね」
明夫は関わらないほうがいいと、京から少し距離をとって座り直しのだが、それ以上に京は距離を縮めてきた。
「それで、明夫君。あなたの夢は?」
「二次元の世界へ飛び込むこと。……今すぐにでもね」
明夫はまた距離を取ろうとしたが、狭いカラオケルームの中でもう逃げ場はなくなってしまっていた。
「なるほど……その夢を邪魔するものがあったらどうするの? 壊す? 回り道する? それとも飛び越える?」
「二次元に入れるんだろう? チャンスがあれば君を生贄にしてでも入り込むよ。……今すぐにでもね」
「犠牲は厭わないとタイプね。とても野心家ね」
「……どういたしまして? もういい?」
「ダメよ。次の質問。私と橋と兎という単語を使って、短いお話を作ってみて」
「勘違いじゃなければ、僕って何かテストされてる?」
京は「まさか」とにっこり作り笑いを浮かべると、察しは良い方とメモをした。
「次はこれよ。あなたは神様。地球には何の生命体もいません。まず最初に何を創る?」
「簡単だよパソコンだ。僕の人生全てがそれに詰まっていると言っても過言じゃない」
「そんな……凄い……。期待以上の答えよ。世界中の精神科医の良い研究対象ね」
「僕は真面目に答えたんだけど?」
「だから凄いのよ。次はこの質問よ、友人の鼻毛の対処はどうするか。抜くか、指摘するか、無視の三択ね」
「無視だよ。僕の人生に何の関わりもない。逆に僕の鼻毛のことで世界は変わらない」
「試してみましょう」
京は言うのと同時に明夫の鼻の穴に指を突っ込んで、出てもいない無理矢理鼻毛を引っこ抜いた。
突然の痛みに明夫は叫ぶと、それが隣にいる青木の持つマイクが拾って、大音量で部屋に響いた。
全員が何だと振り向くと、京は「彼の鼻毛を抜いたの」と正直に言った。
京の突飛な行動はいつものことだとマリ子は気に留めず歌に戻ったが、他の二人はそうはいかなかった。
「何のために?」と青木が驚いた。
「世界を変えたかったから」
「じゃあ、納得だ。僕も突飛な行動はよくやる。朝起きたら妹が出来ていないか、色んなことを試してる。今のところ一番効果があったのは、親の食事に――」
「聞きたくない。三次元のことは」
明夫が睨みつけると、青木は肩をすくめてからカラオケに戻った。
「彼も良い研究対象ね」京はそう呟いてから、赤沼の目を見た。「あなたはどう?」
「……どうって? 鼻毛の話? 世界を変えたいって話?」
「友達の彼女と黙って遊んでることに罪悪感は湧かない? ラッキーと思ってる?」
「そ、それは……」
赤沼はまだマリ子に好意を持っている。それが愛に発展するかは確かじゃないが、今現在どうしようもなく楽しいのは事実だった。
「彼は現実を諦めきれてない可哀想なオタクだぞ。ここにいるのが、誰だって女の子ならテンションが上がってるよ」
明夫に言われそんな事ないと反論しようとした赤沼だが、考えてみれば間違っていないと納得した。
ここにマリ子がいなくて、京一人だったとしても、変にテンションが上がっていただろう。
赤沼は「そうだ」と納得した。「危なく、自分は普通の男だと勘違いするところだったよ。僕は女性に免疫が少ない男だ。友達の彼女かどうかは関係なかった」
そう言ってカラオケに戻る赤沼の背中を見て、京は意味ありげに頷いた。
「彼も面白いわ。操りやすそう」
「さっきからなんなの?」
明夫はいい加減付き合いきれないと、訝しく眉を顰めた。
「それじゃあ、ずばり聞くわ。恋人との同棲に混じるルームシェアはどんな気持ち?」
「どんな気持ちって?」
「色々変化があるでしょう? 不穏な物音が聞こえるとか、夜中に叫び声が聞こえるとか?」
「あぁ、そんなのしょっちゅうだ。僕はエロゲーのエッチシーンをオートで流しながら、その間にご飯を食べるような男だよ。全く気にならないよ――でも……彼らは哀れだなと思う」
「でも、これからずっと続くのよ。三次元が侵食してくる空間にあなたは耐えられるかしら?」
「言っただろう? 哀れだと思うって。あの二人は続かない」
「どういうこと? 私にはとても相性が良いように思えるけど」
「それはどうかな。彼らは付き合うまでのイベント数が圧倒的に少ない。つまり、これは純愛ゲーじゃなくて抜きゲーってことになになる。抜きゲーは一人に定まらない。僕はエッチゲームのプロだぞ。これがどんな恋愛かはすぐにわかる」
明夫の言葉は不思議と重く響いた。確かに、たかしとマリ子の間には大きなこれといったものがない。何となく付き合ったものは、何となく別れることも多いのだ。
京は近い将来マリ子の愚痴を聞くことになろうだろうと思ったが、それより気になる事があった。
「その抜きゲーというジャンルについて、是非詳しく話してもらえるかしら?」
Season1完結です
Season2は書き終えたら投稿します




