第二十一話
「ねぇねぇ……たかしってば。本当に付き合ってないの?」
翌朝になり、明夫は昨夜のもやもやを解消するため、パジャマ姿のままで質問攻めを繰り返していた。
「だから付き合ってないって。昨夜はタブレットの設定がわからなくなったって聞きに来たんだ。昨日ドラマを見た時に、色々いじったからね」
「僕のほうが詳しく教えられるのに?」
「その分ダメ出しも多いのに気付いてない? それに、彼女は教えてほしいんじゃない。直してほしかったの」
「同じことだよ」
「その違いがわからないから、彼女はオレのとこへ聞きに来たってわけ。そんなに気になるならマリ子さんに聞いてみなよ」
たかしはコーヒーをカップに注ぐと、堂々巡りの会話を続けるつもりはないと身支度を始めた。
いくら付き纏っても明夫の疑問は解決しない。
たかしとマリ子が付き合うとなると大問題だ。元々は友人との気楽なルームシェアが、恋人持ちの友人との同棲になってしまう。それも、その恋人もこの家に住むのだ。考えるだけで、気まずさと気遣いで疲れてしまいそうだった。
「君が現実の女に汚されていくなんて……。僕が男の良さを教えておくべきだった。君に彼女は似合わないよ」
「一回口に出す前に、頭の中で言葉にしたほうがいいぞ……。男友達の良さだろう。だいたいなんだ。仮にマリ子さんと付き合っても、それは当初の予定通りだ。オレは付き合うチャンスを増やすために、彼女とのルームシェアを提案したんだからな」
「提案だ? 勝手に決めただろう」
「彼女に提案したの。前にも言っただろうけど、明夫に相談したところで反対されるだけだからね」
たかしはコーヒーを一口すするが、まだ熱かったのでテーブルに置いてスマホが充電されてるか確かめに部屋へ戻った。
二階から降りてきたマリ子は、たかしと朝の挨拶をすると鼻歌を歌いながらリビングへ来た。
「のんきなメロディーだよ。いかにもJ-POPって感じの安っぽい愛の歌詞なんだろうね」
「なによ。朝から喧嘩するほど暇じゃないのよ、こっちは。午後の講義に出すレポートを午前中の間に写さないといけないんだから。文句があるなら、朝ごはんを食べてるうちに済ませて」
「君は僕から男を奪ったんだ」
マリ子は目玉焼きを作ろうと卵を割ったのだが、明夫の口からとんでもない言葉が出たので、中身をシンクに落としてしまった。
「……誰が誰のなにを奪ったって?」
「たかしと付き合ってるんだろう? 部屋に入ってく足音を聞いたんだぞ」
「付き合うもなにも……エッチもしてないのに? 男の部屋に入っただけで付き合うって言うなら、私は十股くらいかけてる。現在進行系でね。なんたって男二人の愛の巣に住んでんだから」
マリ子は言いながらスマホの通知をチェックした。京からいつもの喫茶店で待っているとのメッセージを見て、朝ごはんを自分で作ることは諦めた。
喫茶店で朝ごはんを済ませると決めたマリ子は行動が早かった。汚したキッチンをそのままに足早に家を出ていった。
しばらくして、戻ってきたたかしにシンクを見られると、「これをでかいフライパンだと思ってるなら、次はコンロを先に買ったほうがいい」と鼻で笑われた。
「前言撤回。君達は性悪のお似合いカップルだ」
「そうなるように頑張るよ」
たかしがはコーヒーを飲みながら、トーストを焼き始めた。
明夫も朝から講義があるので、今日の朝はたかし一人でゆっくり出来る時間なのだ。
「大学が一緒だったら、講義が始まるまで文句を言ってやるのに……」
明夫はたかしを睨みつけながら家を出ていった。
朝食を食べ終えたたかしは、一息ついてから「さてと……」と腰を上げた。
これからやることは部屋の掃除だ。本格的なものではなく、リビングとトイレと自室を軽く掃除する程度だ。
別に今日一日休みで暇なわけではない。午後からは講義があり、夜も予定が入っている。だが、午後の講義が始まる前に、友人の悟が遊びに来ることになっているのだ。
前々から家に来ていたいと言われていたので、明夫もマリ子も朝から留守にしている今日が都合の良い日だった。
そろそろ悟が来る時間だと確認したたかしは、ケトルでお湯を沸かし、お菓子を用意して待つことにした。
そしてチャイムが鳴ると、まるで子犬のように忙しない足音を立てて玄関まで迎えに行った。
「時間通りだね」
たかしが笑顔で迎え入れると、悟の眉間にしわが寄った。
「一瞬おばあちゃんちに来たのかと思ったよ……。普通小走りに友達を迎え入れる?」
悟はお邪魔しますと家に入ると、古臭い一軒家の内装を見て、やっぱり田舎にある祖父母の家のようだと変に納得していた。
「そうなんだけどさ……気持ちが焦っちゃって。なんか明夫に見つからないようにと思っちゃうんだよね」
たかしは女性顔の悟を見て、やはり明夫がいない時で良かったと改めて思っていた。
「同居人は同性愛者なわけ? べつに異性愛者でも同性愛者でも、僕は気にならないけど」
「彼は異次元愛者だ。だから危険なんだ」
「別に女顔の男だからって、異次元の存在じゃないよ」
「それはどうだろう」
たかしは肩をすくめながら、ソファーに座るように促した。
ソファーテーブルの上には、お湯の沸いたケトルとコップが二つとお菓子。それに、二人分の充電器が既にセットしてある。
悟はそれをなんとも言えない目で見ていた。
「ごめん……おばあちゃんちだなんて言って悪かったよ。こんなことをするのは、付き合いたての彼女くらいだ。それも中学生くらいのね」
「あとでアレコレ用意するのは面倒くさいだろう」
「確かに。さぁ、この間の続きをやろう」
悟がポータブルゲーム機を鞄から出すと、たかしは芝居がかった大げさな表情で首を横に振ってダメ出しした。
「誰と一緒にルームシェアをしてると思ってるんだ? オタクだぞ。バイト代を全部趣味に費やして、月末は水を飲んで過ごすような男だ。ここでは四人まで大きな画面でゲームが出来る」
たかしはソファーの影に隠していたポータブルモニターを二つテーブルに置いた。
自分だけ大きなテレビでゲームをするのも気が引けるので、たかしも同じくモニターでゲームをすることにしていた。
オタク三人と一緒にゲームをやる時は、前回の勝者が一番大きなテレビ画面でプレイすることを許されるのだが、しっかり棲み分けをしているたかしが、そのことを悟るにわざわざ説明することはなかった。
しばらく他愛のない話をしながらゲームをしていた二人だが、悟がトイレに行って戻ってくると話題が変わった。
「なんか女の子と一緒に住んでるって感じするね」
「それはそうだよ、住んでるんだから」
「僕が言ってるのは、トイレの蓋がしまってるってこと。僕も家も同じ。姉が多いのと、男の立場が弱い証拠だ」
「最初に便座を上げっぱなしにしたら殺すって言われてるからね。蓋までしめる癖をつければ、忘れることはない」
「大変そうだね。あの子と毎日付き合うのは」
「そうでもない。毎日が楽しいよ」
たかしはこの間こんなことがあったと、ここ数日マリ子と過ごした日々のことを話した。
一緒に買物へ行ったりお茶をしたりや、彼女がなんのドラマにハマっているのか、誰が出ているバラエティ番組で笑うのかなど、それもう楽しそうな表情だった。
隆が笑顔になればなるほど、悟の顔も変化した。それは祝福と言うよりも、驚きの表情だった。
「付き合うって、そっちの意味の付き合う? それならもっと早く言ってよ」
「そっちの意味って?」
「男女の関係になったんだろう?」
たかしはまたそれかという表情をしながら「付き合ってないよ」と訂正をした。
「そうなの? それは残念だったね」
「本当だよ。せっかく彼氏と分かれてチャンスだって言うのにさ。昨日も夜中まで一緒にドラマを見てたのに、なんの進展もなしだよ」
「夜中に男女が二人で過ごしてたんだろう? それって付き合ってるんじゃないの?」
悟の質問攻めに、たかしは「いや……まさか」と首を振った。
しかし、一度意識すると思い当たることが山ほどあった。
心の距離はもちろんのこと、体の距離も近付きつつある。一緒に歩くときも、友達よりも一歩踏み込んだ位置でマリ子は歩く。なので、ちょっとしたことで体が触れ合う。
それに加えて、二人きりで出かけることが多くなっていた。明夫がいるとゆっくりできないからだ。つまり彼女と二人きりで、邪魔をされずにゆっくり過ごしたいと思っているということ。
「思い当たったみたいだね」
絶句するたかしを見て、悟はようやく自覚したみたいだねと笑った。
悟がこの家に来た理由は単純に遊ぶためでもあるが、別の友人からたかしがマリ子と一緒にいるところを見かけたというメッセージが数件入っていたからだ。
たかしは「どうしよう……」と困惑した。
「どうしようって。たかしの言うチャンスじゃないの? 今は彼氏もいないんだろう?」
「そうなんだけど。心の準備が……だってもう付き合ってるも同然なのに、なんて言えばいいんだ? 今更好きだから付き合おうなんて言ったら……鼻で笑われるかも」
「僕の一番上のお姉ちゃんは笑ってた。セックスした後になに言ってるのって。今でもバカにしてるよ、旦那は後悔してる。どこでもその話をされるからね」
「セックスする前にどうにかしないと……」
「そんな気負うなよ。セックス中にプロポーズするよりましだよ。それで一ヶ月は口を利かなかったってさ。本当に良かったよ……もし破局なんてことになってたら、僕の部屋はなかったんだから」
「その話。オレを和まそうと思ってるなら効果なしだ……」
「そういうわけじゃないんだけど。まぁ、続報を待ってるよ」
悟は意地悪に笑うと、たかしは少し不貞腐れたような態度で大学に行く時間だと告げた。
大学の学食では、マリ子が京のレポートを写していた。
最初は喫茶店でする予定だったが、マリ子が金欠のなので学食に移動したのだ。
「それで? その彼とはどうなの?」
「どうもなってないわよ。優しいけど、同居人よ」
「本当に?」
「本当だってば。どうしたのよ、みゃーこ。まるで女の子みたいよ。恋愛に興味が出てきたなら、たまには私の彼氏を貶すんじゃなくて褒めてよね」
「マリ子が金欠になるほどデートしてる相手なら気になるってものよ」
「金欠なのは、前の彼のせいよ。……ライブのチケ代請求したら返ってくると思う?」
「前彼ってバンドマンの? タブ譜以外の数字が読めたら、もしかしたら返ってくるかもね。それで、付き合うつもりなの?」
「なにも考えてないわよ。ルームシェアしてるのに、気まずくなるじゃん。デートはどこに行くで喧嘩したり、食べるもので喧嘩したり、リモコンの取り合いで殺し合いをしたりね」
「喧嘩中ってこと?」
「違うわよ。行き先も食べるのも私に合わせてくるし、リモコンの取り合いもしないもの。そうだ! ちょっと聞いて、凄いのよ。昨夜四時間一緒にドラマを見てたんだけど。喧嘩どころか、会話も少ないの。でも、全然居心地悪くないの」
マリ子はドラマの内容よりも、たかしがどの場面に反応したとか何回目があったとか、そんな話ばかりをしていた。
「本当に付き合ってないの?」
「あらやだ……付き合ってるみたいね」
「マリ子も好きなんでしょう? 口ぶりでわかるわよ。ようやく紹介して貰えるのね」
マリ子は「そうね、好きよ」とあっさり自分の気持ちに正直になったのだが「でも付き合わない。少なくとも数日はね」と心底楽しそうに笑みを浮かべた。
「お互いに好き合ってるのに焦らす必要がある?」
「だって、そのほうが付き合ってから有利になるじゃん。恋愛っていうのは外交と一緒なの。私が一国だとしたら、相手も一国。最初に我慢すると、付き合ってる間一生それが続くのよ。無理難題をふっかけられたら最悪……もうたまんないでしょう? 外交は強気で行かないくちゃね。テレビでもそう言ってた」
「それってバラエティー番組? 報道番組?」
「朝のニュースだから……」マリ子はしばらく言葉止めて考えると「どっち?」と聞いた。
「それって私に聞くこと?」
「だって、朝にやってる芸能ニュースってどう見てもバラエティーじゃん」
「それは言えてる。でも、強気の外交は間違い。今すぐ下手に出て、連合に加えてもらうべき」
「それって、早く紹介してほしいからでしょう。別に隠さないってば、みゃーこに隠す理由がないもん」
「でも気になるの。明夫って言ったけ? 彼と同じくらい良い研究対象になるはずよ」
京がここまで食い下がる理由は、普通の男が派手な女と付き合うとどうなるかという個人的な興味だった。
「気になるなら探せばいいでしょ。同じ大学なんだから、嫌でもそのうち会うわよ」
マリ子が笑いながら言うので、自分が別れた時のことを考えてないのは丸わかりだった。
それもまた面白い研究材料だと、京も笑ったのだった。