第十三話
「手袋はしたか?」
青木は医者のように手先を上げて手袋をはめると、明夫と赤沼の顔を交互に見た。
「当然だ。これは超限定盤のオールキャストのサイン盤。つまり、声優を含めスタッフ全員がこのBlu-rayに触ったということだ……。僕らの遺伝子が入り込める隙はない」
明夫は宅配の箱から出す前の段階で、すでに興奮で貧血気味になりフラフラしていた。
「本当だよ、このケースには優秀な遺伝子がたっぷり詰まっている。あとは健康な卵子さえ手に入れば、世界が崩壊した後でも、僕らはアニメを生み出せるぞ。だからこそ……どうしていいか悩む……」
言いながら青木は、ここで開けるべきか悩んでいた。開けてしまったら、全て台無しになりそうな気がしたからだ。
「悩むなよ。そもそも僕が買ったんだぞ。そして、ここは僕の部屋だ。開けるに決まってるだろう。当然外の箱だけね。ラッピングは絶対開けない」
赤沼はどけと青木を手で押すと、カッターを使い慎重にガムテープに切り込みを入れた。まるで爆弾処理でもするかのように慎重な手付きだ。
「焦るなよ。上だと思っていたものが下のこともある。貼り付けてあったら、ナイフで傷付けることになるぞ。少しでも傷つけたらドカンだ」
明夫が赤沼の肩を強く掴むと、青木も反対側の肩を掴んだ。
「そうだぞ。右を先に切るか……左を先に切るか……慎重に選べよ。真っ直ぐ切るだけなら素人にも出来る。赤か青かと一緒だ。右か左。君の人生が大きく変わるぞ」
「わかったから……揺らすなよ。手元が狂うだろう」
「雰囲気を盛り上げようとしたんだろう。まさか普通に開けるつもりか? 史上最高のコレクターグッズだぞ、これは」
明夫はそんな勿体無いことをするのかと言うと、赤沼はため息をついた。
「僕は揺らすなって言ったの。爆弾処理班ごっこはもっと続けて」
明夫はスマホを取り出すと「了解」とつぶやいた。「赤沼君。引き続き頼んだぞ。君に地球の命運がかかっているんだ」
赤沼もスマホを取り出すと、口をモゴモゴさせて勿体ぶった間を取ってから「……了解」と、感情たっぷりにつぶやいた。
二人が作った雰囲気は、青木の「そう、頑張るのよ。私を置いて一人で消えるなんて……承知しないから……」というセリフで台無しになってしまった。
二人に睨まれると、青木は「なに? 僕の見たアニメではこうだったんだ。文句ある? ヒロインは大事だろう?」と睨み返した。
「もういいや……開けちゃおう」
赤沼が手早く箱を開けると、二人は見逃すまいと、頬がつきそうなほどくっついて中身を見た。
しかし、そこにあったのはBlu-rayではなく、ゲームソフトだった。
「なんだこれ……【ダイエッター・スポーツクラブ】? 君……自衛隊にでも入るつもりか?」
明夫は期待外れだったと、不貞腐れたようにあぐらをかいた。
「ちょっと待てよ……これ妹のだ」
赤沼が箱に貼ってあった宛名を確認すると、自分の名前ではなく妹の名前になっていた。
「妹さんのね……この箱のサイズじゃ間違えるよ」
青木は箱をひっくり返すと、ガサガサ振り始めた。
「なにしてるんだ」
「一緒に下着とか頼んでないかと思って」
「ゲームだぞ。どこに下着とゲームを一緒に売ってる店があると思うんだよ。とにかく、妹の部屋に置いてくるよ」
立ち上がる赤沼を、青木が「ちょっと待てよ」と止めた。
「忘れたか? 青木は妹の部屋の半径一メートル以内に近付いてはいけない」
「違うよ。ゲームはゲームだろう? 僕達の本分だ。やってみてもいいんじゃないか? ゲーム機は君のもので、この部屋にある」
「でもスポーツだぞ? 僕らは隣町に歩いて行くのもマラソンって呼んでるのに。できると思うのか?」
「忘れたのか? こう見えても、僕は甲子園のヒーローだぞ」
「それもゲームの話だろう」
「これもゲームだ。それに、腹筋は女性を引き寄せる魅惑の果実って知らないの? どんな線の細い男キャラクターでも腹筋は割れてる。つまり古今東西女性を惹きつけるのは、この腹筋ってことだ」
青木がシャツを捲って腹を見せると、見事に浮き出たあばらに、頼りなく皮が張り付いていた。
「たしかに……僕らも少しは鍛えないと。女性より痩せてる男は、女性の敵になるかもしれない……」
赤沼と青木はゲームをセットしながら、明夫にもやるかどうか聞いた。
「やらないよ。僕を誰だと思ってるんだ? 隣町まで歩くのをマラソンと呼び出しのは僕だぞ」
「無理にとは言わないよ。運動の辛さも、運動をしてるところを見られる辛さも、僕らは知ってるからね」
赤沼がゲームを起動すると、青木が「おっ?」と食いついた。
「凄いな……これって本当にオタク向けじゃないの? キャラクター可愛すぎるだろう。いいのか? こんな際どい格好をして」
「オタク向けじゃないからね。女児向けの魔法少女アニメの変身シーンで、一瞬裸になるのと一緒。誰もそこで一時停止は押さない」
「押すだろう。オスなんだから」
「押さないから許されてるの」
「幼いから?」
「もううるさい! とにかくキャラクターを作るぞ。アバターは言わば僕らの分身だ。時間をかけないとね。ゲーム画面で、何度も見るハメになるんだから」
「それはどうだろう」と言ったのは明夫だ。
興味がなかったはずの明夫は、いつの間にかコントローラを持って、自分のアバターを作り始めていた。
「やらないんじゃなかったのか?」
「それは運動の話だ。キャラメイキングより楽しいことって他にある?」
「でも、女だぞ。それもおっぱいが大きいのに太ももは細い。君好みのキャラクターだ」
「性別で男が選べないんだ。あったとしても選ばないけどね。ちょっと待って」
明夫が急にガクッと肩を下ろしたので、青木は「どうしたんだ?」と聞いた。
「服も選べるんだけどさ……課金要素だよ……こんなのひどいよ。買っちゃうじゃん。どうしよう……この靴もいいし、こっちの靴もいいよ」
「明夫……しっかりしろよ」青木は情けないぞとはっぱをかけた。「ボトムスとトップスのどっちの色と合わせるかの方が大事だろう。まずはそっちの色を見てからだ」
「そうだった。僕が愚かだったよ。……ごめん」
「待て待て」と赤沼が割って入った。「このゲームは運動をするゲームだぞ。わかってるのか?」
「わかってるけどさ。キャラコーデも大事なんだよ」
「僕が言ってるのは、画面の中でキャラクターも動くってことだよ。わかる?」
赤沼の甘言に、思わず明夫は立ち上がり拍手を響かせていた。
「忘れてた……やっぱり赤沼は頭がいいよ。僕じゃ考えつきもしなかった。さすが妹がいるだけある」
「そう褒めるなよ。褒めるのはこれからだ。妹がこれを買ったってことは、このゲームするのための服を下調べしてあるってことだ。それがあれば完全だよ。僕の部屋のテレビに完全なるスポーツ少女を召喚できる」
「テレビこそ現代の魔法陣だね。エッチな悪魔が出てくる日も、そう遠くないぞ同胞よ」
三人は肩を組み円陣を作り、最高のキャラクターを作ろうと団結した。
「ねぇ、ママ。本当に私宛の荷物届いてなかった?」
赤沼の妹は帰ってくるなり、制服姿のままでリビングをうろうろしていた。今日届くはずの荷物がなかなか届かないからだ。
「届いたのはお兄ちゃんの荷物だけよ」
「アイツまたなんか頼んだの? 部屋の床抜けるよ……マジで」
「お兄ちゃんのことは放っておきなさいよ。自分のお金で好きなものを買ってるんだから。荷物が届いたら受け取っておいてあげるから、着替えてきちゃいなさい。制服が汚れるわよ」
「はーい……」
赤沼の妹は自室に戻る途中、兄の部屋の前を通ったのだが、またうるさくしてるとしか思わなかった。
しかし、部屋に違和感を覚え見回したところ、ファッション雑誌がなくなっていることに気付いた。母親が若者向けの情報誌を読むはずがないし、もし読んだとしても塊ごとは持っていかないはずだ。
赤沼の妹は怒りの足音を鳴らしながら兄の部屋へと向かった。
その音をいち早く察知したのは赤沼だ。
「しっ……怪獣の足音が聞こえる。しかもこっちに向かってくるぞ。全員退避だ!」
赤沼が立ち上がるのと同時に、部屋のドアが開けられた。
「お兄ちゃん!!」
怒鳴り込んできた妹に、赤沼は「そ……そうだよお兄ちゃんだよ」両手を広げて抱きしめようとした。
妹はスルーして脇を通り抜けると、テレビに映ったゲーム画面を見て驚愕した。
「なんで……スクール水着着てるの?」
「いい質問だ」と明夫が振り返った。「僕らも色々考えた。知恵を合わせ、お金を使い。正解のない神経衰弱に陥ったわけだ。そこに、もう一人の天才が現れた。ちなみに一人目の天才は君の兄だ。誇っていいぞ。なんと言っても、この雑誌とヨガパンツを持ってきたのは君の兄だからだ」
明夫が汚いものでも持つようにヨガパンツの端を摘んで振ると、妹はすぐさま奪い取った。
そして、兄を睨むと「アンタはいつでも殺せるから後回し」と、目を鋭くしたまま明夫を睨み直した。
「もう一人の天才というのは、天才兄の友人青木だ。妹ならスク水だと実に浅はかな言葉から始まった考えだが、試しに着せてみると――どうだ。靴下もアウターも悩む必要がない。凡人なのは僕だけ……力になれなかったのが、実に悔やまれるよ」
「言いたいことはそれだけ?」
妹は三人のオタクを見下ろして睨みつけた。
「お兄ちゃんって呼んでほしい」
手を上げて小さくつぶやいた青木だが、その手のひらにフィギュアを投げられたせいで、痛みにのたうち回った。
「妹よ……そのフィギュアはお兄ちゃんの大事なフィギュアなんだぞ……」
「じゃあ、言っておいてよ。どれを投げられたくないか」
「そこの棚に乗ってるは全部やめてほしい……」
赤沼は言ってから後悔した。妹の手が迷うことなく棚に向かって伸びたからだ。
それを頭にぶつけられた明夫は、これはまずいと這って部屋を抜け出した。すぐに青木が続き、「それを投げるな!」と悲鳴を上げながら赤沼も続いた。
三人は廊下に出ると、チグハグな足取りで走って逃げ出した。
そうして逃げ込んだ先は明夫の家だった。
「君の家にいるのは妹じゃないよ。まるで子犬だ。キャンキャン吠えるし、ダメって言ったものを散らかすんだから」
明夫は走り疲れたと、ソファにぐたぁと倒れ込んだ。
「ゲームで運動するんじゃなかったの? ……これじゃあ本当にマラソンだよ」
青木は床に座り込むと、もう一歩も動けないと俯いた。
「そう言うなよ。僕の妹なんだから」
「じゃあ、君のせいだよ」
明夫は酷い目にあったと赤沼を睨みつけた。
「そう言うなよ。帰ったら、僕の部屋がどうなってることやら……。この前は可動式のフィギュアの頭が全部付け替えられた」
「君の妹は病院にいった方がいいよ。そんなことするなんてサイコパスだ」
「僕も言ったさ。でも、アクションフィギュアでエッチなポーズを取らせる方がサイコパスだってさ。僕は雑誌のポーズを真似しただけなのに」
「なんの雑誌? 妹の??」
青木が最後の力を振り絞って反応するが、赤沼に首を横に振られると、力を使い果たしたと床に転がった。
「アニメの雑誌だよ。そうだ、知ってた。アニメでも何度も使われてるあの有名なポーズがあるだろう? あれって、人間の関節じゃ絶対無理なポーズなんだって。試しにアクションフィギュアでやってみたけど無理だった」
「フィギュアだからじゃなくて?」
「関係ないよ。肩の可動域がおかしいんだもん」
「でも、アニメの作画ってそういうのあるよな。現実的じゃないけど、迫力ある構図っての? あれはもう神の視点で描かれた芸術作品だよな」
二人がアニメ談義で盛り上がっていると、マリ子が帰ってきた。
三人を見かけるなり「アンタ達さ、アニメの話ばかりじゃなくて、たまには運動でもしたら」と、ダラダラする姿に呆れた。
「ちびマリ子から逃げたしてきたのに……本体が帰ってきちゃったよ。こんなに早く帰ってくるなんて、君の友達いないの?」
「その友達と遊ぶから帰ってきたのよ。オタクは知らないけど、ドレスコードってもんがあるの。今日は彼氏のライブ。友達と見に行くのよ」
「ライブだって? ドレスコードがあるのはコンサートだろう? それもクラシックだ。インディーズバンドにそんなものはない」
明夫はそれくらい自分でも知ってると言ったのだが、マリ子は甘いと言わんばかりに首を横に振った。
「あるのよ。適度に露出、化粧は濃いめ。後はトゲトゲの指輪」
「トゲトゲの指輪ぁ? 君の恋人って、時代遅れのパンクバンドなの?」
「違うわよ。指輪は彼氏に色目を使うバンギャ用。それじゃあ、ライブというなのスポーツをしてくるわ。バイバーイ」
マリ子は着替えとメイク道具を持つと、友達との待ち合わせ場所へと向かった。
「ライブもスポーツなの? じゃあ、僕らもそれにしようよ。次の声優ライブはいつ」
赤沼はその方がオタク的には健康だと、明夫と検索を始めた。
その頃。赤沼の妹はまだ兄の部屋にいた。
「ムカつく……」とゲーム画面を睨みつけながら葛藤していた。
「どうやっても、これ以上可愛いキャラ作れない……。でも、オタクのアイドルが私のアバターなんて最悪!! でも可愛い……。――でも。いや、でも……でも――でも! あーもう!」
妹は最後に雄叫びをあげると、キャラクターを保存してゲームの電源を切った。




