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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン6
129/131

第四話

 秋が深まり、時折音を立てて吹き抜ける北風に体温を奪われる。

 そんな風が強い日の午後。


 午前の講義を終え、久しぶりに一人の時間を楽しもうと、たかしは軽い足取りで帰宅したのだが、リビングにいるのはアコ一人だった。

「最近、よく見かけるけど……まさか住むつもりじゃないよね?」

「本当にまさかよ。私はお気に入りのグッズに囲まれてないと眠れないの」

「それ聞いて安心したよ……。なんで家にいるかを教えてくれると、もっと安心できるんだけど……」

「簡単よ。利害関係が一致したからよ」

 そう言ってアコが見せたのは、チケットアプリだ。

 明夫の声優のライブチケットの争奪戦の協力だ。

 こうすることで、自分の時も手伝ってもらうという、オタクの共同戦線だった。

 そして、こういう時の明夫は集中するために部屋に一人で籠もる。

 今までたかしも何度も付き合わされていたので、今がどんな状況かをすぐに理解した。

「それはお疲れ様」

「いえ、こういう時の気持ちは痛いほどわかるもの」

 アコはそう言うとため息を付いた。

「なにかあった?」とたかしが聞くが、なにもないと言われる。

 なにかが引っ掛かったたかしは、部屋にカバンを置くと、部屋で読む予定だったマンガの週刊誌を持ってリビングに降りた。

 ソファに座り、マンガを開くと、アコのため息は更に大きくなった。

「……なにがあったの? オレでよければ聞くよ」

「あら、たかし君。いえ、たーくんと呼ばせてもらうわ。あなたは人の心の機微に気付ける人なのね」

「あのため息が心の機微なら、世の中の人は皆難聴だよ」

「いやね。難聴系主人公は、今流行っていないわ」

「だろうね。だから皆病んでる。そして、オレは今から病みそう……」

 なんて人が良い性格なんだと自分のことを呪いつつも、聞いてしまったものを無かったことに出来ないので、アコのため息の理由を聞いた。

 理由は簡単。マンガが原因だった。

「このマンガ?」とたかしは驚いた。

 それは一度完結した人気作品であり、最近シーズン2と題して連載が始まったのだ。

 たかしの記憶では、アコが好きな漫画のはずだった。

「そうよ。【パステル】は私が大好きなマンガよ。今思えば、束縛する男の魅力に気づいたのもパステル。一緒に闇に落ちていく堕落の気持ちよさを覚えたのもパステル。幸せな生活は幸せに繋がらないと教えてくれたのも……」

「――も、パステルなんだろう。オレが聞いてるのは、なんでそんな暗いトーンなわけ? まるで葬儀だよ」

 たかしの言葉を聞いたアコは一筋の涙を頬に落とした。

「違うわ。これはお通夜よ」

「……日程についてはどうでもいいよ。また、死んだんだろう? スピンオフや続編でよくあることだ。明夫も毎月乗り越えてる。心配いらない」

「結婚したのよ。私の推しが」

「じゃあ、お通夜じゃなくて披露宴だね」

 これが対明夫の場合は、これで終わりだった。

 明夫は文句を言うが、すぐに興味は次のアニメの推しキャラに向かう。

 問題は対アコに対する手段。それはたかしにとってほぼゼロということ。


 そう。彼女は夢女子だった。


 アコはたかしの襟元を掴むと、濃いマスカラにしわができるほど睨みつけた。

「次軽々しく言ったら……明日の朝刊に載るわよ、私が」

「そんな脅し文句は初めて聞いたよ……。推しキャラが結婚したってことは、出番が増えるってことだろう? いいことだと思うけどね」

「たーくん……。わたしは夢女子なのよ。アキラとの間にはすでに子供がいたの」

「それは驚きだよ。アキラ生きてたんだ……。まだ読んでないのに」

 たかしはネタバレされては、今はもう読む気が失せたと雑誌を閉じた。

「驚くのはアキラに子供がいたってことよ。ひどいと思わない?」

「思うけど、作者に離婚届を出すのはやめたほうがいい。返ってくるのは弁護士からの手紙の可能性が高いから」

「私が言ってるのは、最近公式が夢女子を殺しに来ているってことよ」

「あー……」とたかしは唸った。

 意味は理解したのだが、掛ける言葉が見つからない。


 つまり、アコは公式設定で夫婦と子供が作られたせいで、付け入る隙をなくされてしまったということだ。

 最近は続編やスピンオフがブームなので、次の世代ということが多くなった。

 主人公には子供がいなくても、ストーリーを彩るサブキャラたちの変化は凄まじい。結婚は当たり前、その子供が主要人物になることもある。


「妄想の扉の鍵穴が錆びついてしまったのよ……」

「それは明夫にするべき相談だと思うけど」

「新作アニメが出る度に、性的対象を変える人は信用できないわ」

「反論できない」

「その点、たーくん。あなたはまーちゃんという松風を乗りこなす。前田……そう、前田君よ」

「ありがとう……。天下御免の傾奇者を、ただの普通の男にしてくれて。とにかく、アキラに子供がいたっていうのが納得いってないんだろう」

「そう。物語に必須ならともかく、懐かしのキャラの顔見せのシーンで結婚させる意味があると思う? しかも相手も同じ章で登場したサブキャラよ。女の顔が母親の顔になってたわ……。彼女が現実に生きる女性じゃないことが救いね」

「向こうもそう思ってるだろうね」たかしはため息を一つ挟むと「推しは一人じゃないんだろう。前を向けばいい」と、当たり障りのない言葉で慰めた。

「そうね……そうするわ」

「よかった。解決だ」

「それじゃあ、これからはまたライバルね」

 アコはニッコリと微笑んだ。

 可愛らしいはずのその笑顔は、たかしにとっては虎が微笑んだように見えた。

 つまり、アコは宣戦布告をしているのだ。

「マリ子さんへの熱は冷めたんじゃないの?」

「ええ、そうよ。でも、彼は子供まで作ってたから。元サヤに収まるのはおかしいことじゃないでしょう」

「元サヤもなにも、元からオレというサヤに収まってるんだけど……」

 たかしは苦言を呈すが、アコは満面の笑みを浮かべて喉を鳴らして笑っていた。

「それじゃあ逆よ。あなたは剣で、まーちゃんが鞘でしょう。本当、たーくんって面白いのね」

「これは手強い……。推しキャラの娘になるとかじゃダメなの? そうすれば一生一緒にいられるじゃん。そういう考えはどう?」

「親と娘よ。意味わかってるの? セックスはなしよ」

「それって今となにか違うの?」

 現実と妄想ならどのみち性行為は不可能だと告げると、アコは「ふむ」と顎に手を当て、いかにもなアニメの考え方のポーズで頷いた。

「たーくん……。あなたはもしかしたら天才なのかもしれないわ」

「やめてよ……」

「謙遜しなくていいのよ。親から子。つまり無償の愛ね。それもこっちはどう愛しても、向こうは一方的に矢印を向けてくれる……。つまりどんな妄想にも付き合えるオールマイティカードを利用するってことね」

「謙遜じゃないんだけど……。オレの言葉にそんなに長い注釈はないよ。言葉そのままの意味。やめて」

「それも一理あるわ。親子を言葉そのままに捉えると、朝起こしてくれる、叱ってくれる、褒めてくれるなど親子イベントが思いつく。でも、これってある意味一番いい時期の恋人の距離感。そう思わない? そう思えば、頭なでなでは愛情のシャワーと呼んでも過言じゃない。そう言いたいわけね。たーくんは」

「過言だよ……。尾ひれ背びれがつくどころか、肉付けし過ぎてゴーレムになってる」

「たーくん……今はモンスター娘の話じゃないのよ。あなたがどんな性癖を持っていてもいいけど、今だけはあなたの叡智の言葉に浸らせて」

「これが声優だったら、オレのギャラは少なくて生活できない。ちょっと落ち着いてよ」

「落ち着いてるわ。私は今日からアキラの娘よ」

「錯乱してるじゃないか……」

「私が年頃になると、ふとアキラは思うのよ。あのこの面影に似てるって……」

「よかったハッピーエンドだ。アコさんは幸せになり、これでお話はおしまい」

 たかしは良い方に話が転がって良かったと、ほっと胸を撫で下ろした。着地点はどうあれアコが納得したならそれで終わり。彼はそう思っていた。

 しかし、アコは首を横に振った。

「なにを言ってるの? ここからが物語の始まりよ。そう前世の生まれ変わりだって、アキラが気付くのよ」

「なんでそうドロドロな展開にするのさ……」

 たかしのもっともな質問に、アコはもっともな顔で答えた。

「だって死なないと次の夢を見られないでしょう。あまりに幸せすぎると、死ぬのも大変なのよ。それで、そのままだらだら妄想を続けちゃうのは現実の男女の恋愛も一緒ね。だから不幸をニオワセておくの。基本よ」

「その基本を知らなかったことに誇りを持つよ……。とにかく娘になって満足したなら、やるべきことは変わったじゃない?」

 たかしの思惑通り、今度こそアコは納得すると「そうね。新しいプロフィールを考えなくちゃ!」とテンション高く帰っていった。



 濃い化粧独特のパウダリーな香りが残るソファにたかしは、どかっと乱暴に腰掛けた。

 慣れている明夫の暴走でさえ疲れるのに、まだ知り合ったばかりのアコの暴走を相手にしたせいだ。

 まるでマラソンしながら、問題集を解いているかのような疲労感に襲われていた。

 大きなあくびをひとつ。たかしが手で隠すことなくした時。

 明夫が子供のような足音を立てて部屋から出てきた。

「こっちはダメだった! そっちは?」

「こっちもダメ。もう疲労困憊」

「たかしには聞いてないよ! アコ! アコ? アコはどこ!?」

「明夫が現実の女性を必死に探してるところ初めて見たかも。母親のことだってそんなに探さないだろう。何度迷子になった明夫をヒーローショーから連れ戻したことか……」

「そんな子供の頃の話しないで。それよりアコは?」

「中学の時までヒーローショーに行ってただろう……。アコさんは帰ったよ」

「なんで!」

「娘になるから」

「適当なこと言って誤魔化す気か!」

「それだったら、どんなに楽か……。いいか? 理由は聞くな。どんな嘘を混ぜたって信じてもらえる自信がないから」

「僕のチケットは!!」

 明夫が話を無視して叫んだことで、たかしはアコがルームシェアハウスにいた理由を思い出した。

「あー……アコさんは娘になったから、子供はチケットを取れない。……納得した?」

「するとでも思った? 今は転生して最強の子供時代を過ごす妄想よりも、僕の声優ライブチケットが取れなかったことが重要」

「ジャンルが変わってるよ……もうオレの頭はついてけない」

 たかしはソファに横になり、読もうとしていたマンガを開いたが、明夫の文句は止まることがなかった。

 仕方ないので、先程までのアコとのやりとりを最初から伝えようとしたのだが、明夫は話の序盤で声を荒げた。



「アキラ生きてたの!?」

「明夫は夢女子じゃないだろう……いいかげんにしてくれ……」

「いいかげんにしてくれはこっちのセリフだよ! 僕は純粋にストーリーを楽しんでるんだ。オタクにネタバレって、小学生にサンタの正体を教えるより残酷な行為だぞ!」

「明夫は喜んだだろう!」

「一般的な話をしたの。そりゃ僕にとっては嬉しいさ。サンタはおじいさんじゃなくて、エッチな格好したアニメキャラでもいい。つまり性別変更と若返りというジャンルを僕に授けてくれたからね。エナジードリンクより確実に、僕に翼を授けてくれた出来事だ」

「なるほど……わかった。明夫とアコさんの共通点。こっちの一言に対して、十の言葉で返してくる」

「オタクの基本だろう。キャラクターのセリフ一つで、関係性から時系列まで妄想するんだぞ。味がしなくなるまでガムを噛み続けるのがオタクじゃない。味がしなくなったら、砂糖を口に含んででも噛み続ける。それがオタクってものさ」

 明夫の演説めいた言葉に、たかしはまず長い長ーいため息で返した。

「お似合いの二人だと思うんだけど……。なんでくっつかないわけ? 明夫とアコさん」

 矢印の方向は違えど、これほど同じ思考で同じ行動パターンなど、それこそ親子でしかありえないほど相性がいいと思っていた。

 少なくともアコに今日感じた疲労感は、まるで明夫の暴走を相手にしてるようだった。

 二人が恋人同士になれば、相殺して自分の苦労も減るのにと考えたが、明夫のほうがしっかりと現実的に考えていた。

「簡単だろう。両方現実世界にいるから」

「君たちがアニメの世界にいてくれればと思う時があるよ……」

「ありがとう、たかし。そんなこと言ってくれるのは君だけだよ」

「そう返してくるのも明夫だけだよ……」

 たかしは開いたマンガを読むのではなく、顔に乗せるとそのまま寝てしまった。

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