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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン6
128/130

第三話

「だから結局恋愛にも距離が必要なわけ。わかる?」

 マリ子は言い終えると、クリームたっぷりのコーヒーを麦茶のようにがぶ飲みした。

「そうね」

 京は本から目を離さずに答える。

「わかるわ。私も今距離を取っているところよ。今までは副隊長とか、押し入れに居候とか、近い距離にいた。でも、最近の彼は向こうからくるタイプなの」

 アコはマリ子の方を向いているが、目は開いていても、未だ夢の最中だった。


 今は怠惰な午後。

 講義までの長い空き時間や、急な休講により、今はマリ子、京、アコ。そして、たかしの4人がリビングにいた。


 女三人。

 たかしは微妙な空気にいたたまれなくなっていた。


「これってさ……新しい死刑の方法とかじゃないよね。だとしたら、いっそなにをしでかしたか教えて……。全く身に覚えがない」

 たかしは過去の経験から、あれこれいうとマリ子が急に名探偵になるのがわかっているので、具体例を言えずにいた。

 実際になにも覚えがないので、まるで職務質問にあったような動悸に襲われていた。

 悪いことはしていないのだが、思考の自由を奪われたあの息苦しい感じ。

 だが、マリ子が「なぁに? 居心地でも悪いの?」という返事より、何もしていないことがわかったので、たかしはほっと胸を撫で下ろした。

「正直、居心地が悪い。変な意味じゃないよ。京さんのことも知ってるし、アコさんの事も知ってる。でも、なんでオレがここにいるの?」

「情けないわね」

「普通に考えてよ。恋人の友達がいるんだ。男にとっては、両親の次に値踏みされる存在だ」

「あら、心外ね。一つ屋根の下。何度も夜を重ねたっていうのに」

 京が肩をすくめて冗談を言うと、たかしはふっと細く息を吐いた。

「京さんの冗談はわかりにくい……なにを言われるかと」

「そんなんでどうするのよ。これから二人をもてなすのに――私抜きで」

 マリ子の傍らにはバッグがある。いつもの出掛ける用のバッグではなく、仕事用のシンプルバッグだ。

「待った。なにも聞いてない」

「これから二人をもてなすの」

「普段ならそこが一番聞きたいことなんだけど……トラップを二重に仕掛けられた」

「明夫みたいなこと言わないでよ……。理由は簡単。今日は皆で持ち寄っての女子会。でも、金欠なの……。だから、バイトに行って賄いを持って帰ってくるってわけ」

「聞いてない」

「言ってないもの。だって、言ったらお金を貸してくれたり、出したりするでしょう。たかしにはそういう甘え方はしないって決めたの。だから、言ってくるわね。今日の私はキャリアウーマンよ!」

 マリ子は力こぶを作るように、バッグを雄々しく肩へかけると、勇ましく家を出ていった。



 マリ子がドアを閉める音をきっかけに、家中が無音に包まれた。

 残っているのはクールな京と、淡々としたアコ。

 社交性のあるたかしだとしても、会話に困ることだけは間違いなかった。


「これなら甘えられたほうが良かった……」


 思わず本音をこぼすたかしだったが、ツッコミも嫌味も帰ってこない。

 ただ「そうね」と、どっちが言ったかわからない言葉が宙に漂っただけだった。


 会話の糸口が掴めぬまま、コーヒーのおかわりを聞いたり、空調はどうかと聞いたり、忙しなく身の回りの世話をしようとするたかしに、思わず京は本を閉じた。

「本当に損する性格をしてるわね、たかし君は。私達がここにいる理由は、ここはあなたがたの家で、私達は他人。マリ子の部屋に他人がずっといるのも悪いでしょう」

「てっきり、オレを困らせるためかと……」

 たかしは京の気遣いだとわかり、肩の荷が下りた。

 明夫がオタク仲間たちとの独自のルールがあるように、彼女らにもなにかしらのルールがあるのかと思ったからだ。

 しかし、ホッとしたのも束の間。アコが目を光らせた。

「私には、オモチャを置いていくから、自由に遊んで。って、まーちゃんが言ってるように聞こえたわ」

「本当に聞こえたなら、耳鼻科に行くべきだ」

「考えすぎだし、気を使いすぎよ」京はコーヒーに口をつけて、一息ついてから続けた。「別に無言だって構わないわ」

「そういう性分なんだ……。そうだ! この前のアロマ凄い良かったよ。オレンジとミントですごい爽やかだった」

 たかしが必死で共通の話題を見つけたとテンションを上げたので、京はまるで弟が姉や兄に気を使っているようだと、口元に笑みを浮かべた。

「オレンジとユーカリよ」

「気分転換になるなら同じこと」

「そうね。それがアロマの本質だわ」

「そうだ。アコさんって好きな香りとかあるの?」

 たかしは我ながら良い話題を思いついていた。

 女性なら大抵好きな香りはあるし、ハラスメントにもならない。

 尚且つ、退屈でもなければ、盛り上がりすぎて余計なことを口走る必要もない。


 しかし、アコもまた。たかしの予想を覆す、明夫のような性格をしているのを忘れていた。


「オレンジとユーカリ。【弾道ラケット】の【播磨勇】の香りね」

「あら、そのマンガなら私も読んでるわ。ポイントで読むのにちょうどいいのよ」

 京がスマホでマンガのタイトルを見せると、アコは少女のようにぱぁっと笑顔を光らせた。

「さすがまーちゃんの友達ね。みゃーちゃんは」

「京なんだけど……。そのあだ名。マリ子から聞いたでしょう。合わないから苦手なのよ」

「わかったわ。心の中では京と呼ぶわね。それでみゃーちゃん。播磨勇は試合前に精神統一するのよ。その時の香りがオレンジとユーカリなの。そして、全国大会で嗅いでいたのはこの香りよ」


 アコは財布の中から500円玉くらいの大きさの四角い紙を取り出した。


「へぇ、面白いわね。お香でしょう? こういうのもあるのね」

「インセンスシートよ。財布や小物入れに入れておいて、匂いが薄くなったら燃やして使うの。ウッディーでアンバーな香りで、大人の男を感じるでしょう?」

「そうね。随分甘いアンバーの香りね」

「これはバニラも混ざってるの。彼の心の甘さを表現してるの」

「弾道ラケットの播磨勇でしょう? 彼って熱血漢じゃなかった?」

「なるほど……あなたの中での彼はそうなのね」

「まぁ……そうね。公式プロフィールにも書いてあるから」

「へぇ……公式プロフィールを熟読して、噛み締め、飲み込むタイプね」


 仲間を見つけたと勘違いしたアコが顔を近づけて言うが、京は全く怯まなかった。

 むしろこの状況を面白いと思って、わざと誤解を解かなかった。


「なるほど……。アコは、一を聞いて十を語るのね」

「それがオタクよ」


 今はなんの時間が流れているのか、たかしが心底不思議に思っていると、ドタドタ忙しない足音が聞こえてきた。


「ちょっと! ずるいよ!!」

 アニメプリントのトレーナーを着た明夫は、たかしへと一直線に向かった。

「そう思うなら、今すぐ変わってくれ……。というか、部屋にいたなら出てこいよ」

「僕が現実の女に挟まれて、たかしみたいに有頂天になると思う?」

「有頂天にはなってないだろう」

「ハーレムものの主人公は皆そう言う」

「オレには恋人がいて、彼女らは恋人の親友だぞ。なにも思うわけがないだろう」

「じゃあ、僕だって同じ。声優でもコスプレイヤーでもないんだぞ。だとしたら僕を冒涜してるね。でも、それよりさらに冒涜してることがある」

「冒涜もなにも……昔から現実に向き合えないアニメオタクだと思ってるけど?」

 たかしの嫌味な言葉に、明夫は満更でもない照れ笑いを浮かべた。

「それは最高の褒め言葉だよ。ありがとう、たかし。僕ら、まだまだ親友でやっていけるよ」

「わかった……話せ。なにが不満なんだよ」

「なんで僕のときは否定されて、彼女らは肯定されるわけ? こんなの差別だよ」

「そうだ。これは差別だ。オレは差別主義者。これで普通から特徴が出来た。ありがとう、明夫」

「なにがありがとうだ」

「なんでオレのときは上手くいかないんだ……」

 たかしは諦めの境地で天井を仰いだ。

「これは由々しき問題だぞ。男女差別はポリコレ棒に殴られる。そうなったら、キャラクター原案に問題が出てくる! 昨今キャラクターメイキングが増えたのも、美形に文句を言うバカのせいだ。だから、叩かれるのも自己責任でどうぞで、キャラクターメイキングが増えた。その結果どうだ? 皆理想の自分を作り上げている。僕は取り戻すぞ! 古き良きオタクの時代を!!」

 明夫の熱弁に、アコは真剣な表情で「由々しき問題ね」と反応した。

「"オタクと臭い問題"は、新たな局面を迎えているわ。それが"オタクと香り問題"。そういうことでしょう?」

「その通りだ。2.5次元のコスプレイヤーの意見も。味方が乏しい今の状況だと、頼もしく見えるよ」

 明夫がため息を挟むのを、たかしは既に離れて見ていた。

「京さん……これってオレがおかしいの?」

「いいえ、でも面白いから黙って見ていましょう。コーヒーのおかわりはどう?」


 京は変人を観察するモードに落ち着いており、すっかりたかしと家主が逆転していた。


「昨今はオタクから搾り取る時代よ。想像ではなく、現実とリンクするの。つまり、柔軟剤や香水。架空の香りではなく、現実の商品をニオわせる時代よ」

「驚いた……。2.5次元でも、オタクの本質は理解しているらしい」

「それどころか、私は香りを記憶の引き出しに入れてるわ。だから、香るだけで記憶が蘇るのよ。シーズンごとに上書きされるわけじゃないのよ」


「あら」と京が嬉しそうに声を高くした。

 それに気付いたたかしは「なんで?」と聞く。

「マリ子といても絶対に見られないバトルだからよ。オタクの男女のマウントの取り合い。見ものだと思わない?」

「……確かに。おかわりをどうぞ。ポップコーンも開けちゃおっか」


 キャラメルの塩気がわずかにリビングに漂うと、明夫とアコの言い合いは更にヒートアップした。


「言わせてもらうけど。僕ら男のオタクは信じられないくらい、お金を使ってるんだ」

「それは女も同じよ。ただ、女が買ったグッズはなかなか流れないわ。ヒロインのフィギュアがやたらと中古で回るの何故かしらね」


 たかしと京は同時に顔を見合わせた。

「おお……今のはいいジャブだ」

「そうね。でも、反論を聞いてみましょう」


「いいかい? 中古で回してるのは、男オタクとは言わない。山賊だ。ブラックライトを持参しないと買えない中古なんて、オタク趣味とは言えないね」


 京は首を傾げたまま、視線だけをたかしにやった。

「これはカウンターなの? 意味がわからないわ……」

「意味はわかるけど、説明はできない……。言えることは反撃になってないってこと。クロスカウンターが来るぞ」


「いい? 女オタク文化は、ユーザーと一緒に成長してるの。だから、化粧品から服飾品。生理用品に至るまで、私達が子供の頃見ていたアニメのキャラがサポートしているのよ。常に新品の文化を築いているってこと」


 たかしが指をぱちんと鳴らした。

「決まった! クロスカウンターだ!」


「さっきから、うるさいんだけど。君たちはオタクをつまみ出す警備員か!」


 明夫が叫ぶと、たかしは驚いた。

 明夫が怒ったからではない、いつの間にか観客一人。小さい箱の中から『そうよ! やっちゃいなさい!』と盛り上がっていたからだ。


「マリ子さん!?」

 たかしは京のスマホに映る、テレビ電話を受けているマリ子にびっくりした。

『かけてきたのは京からよ。面白いものがあるって』

「それはいい。でも、そこで煽ると……」

『スマホなんだから、向こうはどうにも出来ないわよ。さあ! アコ! ヤっちゃいなさい。現実を見てないオタクをぶっ倒すのよ!』

 マリ子は客が来なくて暇なのをいいことに、明夫を煽りに煽った。

「たかし! 君の魔女はなんて言った!」

「現実を見てないのは良いことなんだろう」

「現実を見ていないギャルに言われるのと、現実を見ている親友に言われるのは全く違う。だから、僕は現実の女と付き合うのを反対したんだ。何度も何度もね」

「それは関係ないだろう」

「関係ある。君は今、現実の女によく思われたいと思い、親友を売ろうとしたんだぞ」

「そんなことしてないだろう」

「してる。これは徹夜でアニメを見ないとダメだ。まったく……たかしは定期的に、こうやって僕が教えてあげないと、道を踏み外すんだ……。今のうちに寝ておいてよ。じゃないと、エナジードリンクの地獄を見ることになる」


 明夫は睨みつけるようにして言うと、たかしの反論を何一つ聞かずに部屋へ戻って準備を始めた。


『だから結局恋愛にも距離が必要なわけ。わかる?』


 マリ子はごめんと手を合わせると、テレビ電話を切った。






 たかしは盛り下がるアニメ鑑賞会に身を置きながら、深夜の女子会の笑い声を聞いていた

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