第二話
一人のオタクが死んだ。
世界にとっては数十億の中のたった1が減っただけ。
それが数万だったとして、そこから1が減っても変わらずだ。
だが、それが変わる世界もある。
明夫は一人のオタクの訃報を聞きつけると、すぐさまオタク仲間に連絡をし、翌日早朝から集まる約束を取り付けた。
朝の8時。
急な激しい物音が鳴ったことにより、マリ子は部屋着でボサボサの頭のままリビングへと乗り込んだ。
「ちょっと! なんなのよ! 地獄への引っ越しじゃない限り許さないわよ」
仁王立ちで凄むマリ子の、赤沼と青木は怯んだ。
彼女が怒っているからではない。女性の部屋着を普段見ることないが2人は、なにか微妙なエロスを感じ取り口ごもってしまったのだ。
明夫は「情けない……」と頭を振った。
「だって、あんなの下着姿と一緒だよ……」
赤沼は見ていられないと、マリ子から視線を床へとずらした。
「しっかりしろ! あんなよれたシャツのどこに興奮してるんだ! 二次元じゃあるまいし!」
「よれた襟首からブラジャーの下着の下が見えてる」
「だからどうした! 垂れないためだけにしてるブラのどこに興奮してるんだ! 二次元じゃあるまいし!」
明夫は赤沼の胸ぐらをつかむと必死になって揺さぶったが、筋力もなければ体幹もないので、二人一緒になって揺れていた。
「青木……説明しなさい」埒が明かないので、マリ子は今のところ一番マトモそうな彼に聞いた。「でも……妹云々言ったら、ぶっ飛ばすわよ」
「僕のアイデンティティなのに……。これは葬式みたいなものだよ」
青木はため息まじりに言った。
「葬式? わざわざプロジェクターを引っ張り出して、巨大スクリーンに映すわけ? ははーん……わかったわ。これでアニメのパンチラを大画面で見るつもりでしょう」
マリ子がからかうと、明夫と青木は露骨に不機嫌な表情になった。
青木は「聞いた今の? ものすごい侮辱だよ」明夫に耳打ちすると、「本当にそうだ。これ以上の侮辱ってないよ」と返ってきた。
眼の前でヒソヒソとなにか言われるのは癪に障ると、マリ子は自分の非を認めて謝罪した。
「わかったわ。わかったわよ……。私が悪かった。これでいい?」
「謝罪は受け入れる」と青木が頷いたので、マリ子はホッとしたのだが、その横では明夫がまだ続けていた。
「本当に失礼な女だよ、君は。おもしれー女だなんて勘違いしてもらっちゃ困る。いいかい? このリビングの液晶テレビは4K対応だぞ。それなのに、わざわざスクリーンでパンツを見ると思うわけ? 僕らは常に最高の環境で、アニメのパンツを見ることができるんだ」
「もっと現実も見たら? 怒る気も失せたわ……」
マリ子は絡んだのが間違いだったと、三人に背中を見せた。
寝直そうと一歩踏み出した瞬間、思いも寄らない「死んだんだ」という言葉が聞こえたので振り返った。
「え? なに? 誰が? まさかアニメキャラじゃないでしょうね」
「オタク仲間の死だよ。僕らが茶化すと思うかい? いくらマリ子さんでも、それは聞き捨てならないね」
赤沼が心外だとおかっぱ頭を揺らして頭を振る横で、青木が「コレクターが死んだんだよ」と簡潔に説明した。
「それで?」
マリ子が返したのも簡潔だった。
別にバカにしているわけでもないが、彼らとコレクターの死がどう繋がっているのかわからないのだ。
喪服を着ているわけでもないので、葬式に出るような知り合いではないのは確かだ。
マリ子の訝しい視線の意味を理解した明夫は、嫌味な塾講師のように顔を嫌味に歪ませた。
「なにも知らないわけ?」
「いえ、これは知ってるわ。明夫の次の台詞はそうね……『グエッ』ね」
「未来予知の魔女っ子ごっこなら、僕ら男だけやる。だいたいなんだそのセンスのない擬音は――グェッ!」
マリ子にお腹を小突かれた明夫は、締め上げられた鶏のような声を上げた。
「未来予知じゃなくて、女の勘よ」
「それは暴力によって約束された未来じゃ……」
赤沼の視線の先は、お腹を押さえてうずくまる明夫だった。
しかし心配を他所に、彼はすくっと立ち上がった。
「そうだ! 女の勘とオタクの知識。どっちが凄いか勝負しようじゃないか」
明夫が指したのは、プロジェクターからの映像を投影するためのホワイトスクリーンだった。
「それよ。うるさかったのは。聞きたかったこともそれ。次また質問の答えを寄り道させるような発言したなら、アンタ達の大事なフィギュアをガスバーナーで溶接するわよ」
マリ子はついたてに張られたホワイトスクリーンを乱暴に叩きながら言った。
「だから言ったろう? オタク仲間が死んだって」
明夫がやれやれとバカにしたのを見ると、赤沼はフィギュアになにかあったら困ると慌てて割って入った。
「つまりデッドストックが流出したってこと。そのオークションが今日あるんだ。僕達はそれを観戦しに集まったってことだよ」
「デッドストック? 意味がわからないわよ。余計難関になったわ……」
「僕達が言うデッドストックっていうのは、いわゆる“未使用品”ってこと。保管されていた希少品が市場に出回り、これまで非公開だったアイテムが中古市場やオークションに流れてくるってこと。そもそも本来の意味のデッドストックの存在自体が、名のあるコレクターしか手に入れられないからね。当然大学生の僕達に手に入れるお金はない。目的は文化の継承と、市場の活性化をリアルタイムで味わうことだ。今回のオークションはネットでも開催される。現地、ネット、電話を駆使してのオークションだ。彼がどれだけ偉大なオタクだったかわかるよ……」
「凄いわね」
「だろう?」
赤沼は鼻息荒く、得意げな笑みを浮かべた。
「赤沼がそんなに喋ってるところ初めて見たわ……。なんか新鮮」
マリ子はからかったわけではないのだが、オタクが早口になったと自己嫌悪に陥った赤沼はしどろもどろになり、最終的には黙ってしまった。
「情けない男だ……。現実にうつつを抜かすからそうなる」
明夫がため息を付きながら、ノートパソコンをプロジェクターに繋げた。
「結局。ウィンドウショッピングするってこと? オタクの?」
「まぁ、そんなとこだね」青木は肩をすくめた。「でも、見る価値はあるよ。ほら、これ。過去の映像だ。オタクにとっての最高のドキュメンタリー映画」
青木はテストだと言って、赤沼に過去の動画を再生するように頼んだ。
「またわけのわからないことを……」
マリ子は呆れていたのだが、画面に28万で落札という文字を見ると、視線はプロジェクターに釘付けとなった。
次々と見たことのない過去のオモチャが、見たことのない値段をつけられていく。
「なにこれ……」とマリ子は口をあんぐりさせて見ていた。
「なにってオークションだよ。珍しくないだろう、絵画を落札するわけじゃあるまいし。まぁ、でも気持ちはわかる。僕もソフビは興味無かったからね。この時もリアルタイムで見てないんだ」
明夫が早回しをすると、マリ子は表情も声色も全く変えずに、同じ言葉を口にした。
「なにこれ……」
「なにってソフビだよ。そう言っただろう。最近人気が再燃してるんだ」
「100万の値がついてるのよ……。なんでそんな冷静なわけ?」
マリ子が口をパクパクさせているが、オタク三人はお互いの顔を見合わせて首傾げていた。
「こんなに状態のいいデッドストック出てこないよ。たぶん駄菓子屋の倉庫にでもあったのを買って保存しておいたんだよ。外箱まできれいなものは中々存在しないんだよ。だって、僕らの父親世代のオモチャだからね」
青木の冷静な説明も、興奮状態のマリ子には聞こえていなかった。
「たかがオモチャよ!? なんで金より高騰してるわけ?」
「それがオタクの文化。それでも売らないから、転売ヤーではなく、コレクターって呼ばれてるんだ。マリ子……君はもっと勉強したほうがいいよ」
明夫の嫌味な言い方に、いつもならカチンとくるマリ子だが、今は違った。すっかりスクリーンに釘付けになっていた。
「ちょっと黙って! これ見てるんだから!!」
マリ子の迫力に、思わずオタク三人は怯んだ。
しかし、同時になぜマリ子が釘付けになっているのかにも興味が出ていた。
明夫はスクリーンを見て「なーんだ【シクジリマンシール】じゃん」と、肩透かしを食らっていた。
特に珍しくもない、コレクターとしては有名なものだからだ。
「なーんだの値段じゃないでしょうが。福沢諭吉でもなく、渋沢栄一でもない顔が書かれてる紙が一万するわけ?」
「それは初期の【スーパー神頼みくん】だからだよ。そこまで珍しくもないんだけどね。最近バーチャル配信者とか、アニメがよくコラボしてるだろう?」
「知らないわよ」
「そのせいで、コレクターの熱が再燃してるんだよ。こういうのは一枚でも買ったらお終い。どんどん沼にハマっていくせいで、結果的に価値が上がっていってるんだ」
理解できないという顔のマリ子に、青木が付け足した。
「このオークションと同じ現象だよ。今買わないと値段が上がっていくんだ。もちろんオークションと違って下がることもあるけど、数千円で買えていたものが、今度買う時に3万になっていたなんて珍しくない話だよ」
「この15万の値がついたシクジリマンシールを持っているのも珍しくない話?」
「それは……なんだって!」
叫んだのはオタク三人ほぼ同時だった。
すかさず、明夫がスマホで検索した。
「いいかい? この当時15万だ。いまシクジリマンシールの値段は高騰が続いている。しかもこのシールはずっと復刻がなくて、最近復刻版が出たばかり。それで初期のシールが高騰してるんだ。このシールの価値は現在……――21万だ……」
「うっそ……お菓子目当てで買ったおまけが、21万なの? 80円くらいで買ったお菓子よ? 何百倍? やっば……すごすぎて計算できない」
マリ子は急にニヤけ顔になった。
急に21万が手に入る算段がついたからではない。これを餌にオタクたちを働かせようと考えたのだ。
「そういえば……今日の掃除当番って私だったわよね」
マリ子は家にシールの存在を確認取ると言いながら、さり気なく掃除を変わるように仕向けた。
「赤沼ぁ!!」
明夫に名前を叫ばれた赤沼は「了解」と、すぐさま理解して掃除に取り掛かった。
「ヴァンベルベンのアイス食べたい気分」
「青木!」
明夫が1000円札をテーブルに叩きつけると、青木は「ついでにシクジリマンチョコ買ってこよっと」と、コンビニへ行った。
「欲しかったのよね。魔法のランプ」と、マリ子は満足げに笑った。
「僕がほいほい言う事を聞くとでも思ってる?」
「ジーニー……願いはあとひとつ残されているのよ」
「君はプリンセスにはなれないね……。魔法のランプの最後の願いは魔人に残しておくものだよ。僕の知ってるアニメでは全部がそうだ」
「あんまり口うるさいと、ブラの手洗いさせるわよ」
「君は悪魔だ……。わかったよ、僕掃除を手伝ってくる。汚れ物なら家の汚れのほうがましだ」
明夫がブツブツと文句を言う後ろ姿を見つめながら、マリ子は「なんか腑に落ちないのよね……」と小首を傾げた。
それから数十分。掃除の音が静かに響き、青木がコンビニから帰ってきた時。ちょうど、マリ子のスマホにメッセージの着信音がなった。
母親からであり、内容はシクジリマンのシールの画像が添付されている。
「ほら、これでしょう。ほら、せっかくだからスクリーンに映してあげるわ。スマホにも繋げられるでしょう」
マリ子が水戸黄門の印籠のようにスマホを掲げると、スクリーンに映し出さなくても、オタク三人は「うぉー!!!」と歓声を上げた。
しかし、次の瞬間――沈黙。
赤沼が画面を指差して「……凄い。美品だ」 と呟いた。
青木は「こんな状態で、きれいなのってあり得る?」と驚いた。
最後に明夫が涙目でマリ子を睨んだ。
「な、なによ……」
「よりにもよって……なんで――タンスに貼ってあるんだ!!」
明夫の悲痛な声が響く。
「だって、シールは貼るものじゃない。別にこのタンスを壊したっていいのよ。21万もアレば、新しいタンスを買ってお釣りが来るでしょう?」
コレクター市場のことなどなにもわかっていないマリ子は、まだシールが売れると思っていたが、オタク三人はこれ以上はため息しか出てこなかった。
だれから言い出したわけでもなく、赤沼と青木は帰宅すると、明夫も部屋へと戻っていった。
残されたのは掃除途中の部屋だ。
中途半端になっているので、投げ出すわけにもいかず、結局途中から自分で掃除をすることになってしまった。
文句を言いながらも掃除を終わらせたマリ子は、疲れたと青木が置いていったシクジリマンチョコを開けた。
皮肉にも同封されていたのは、タンスに貼られていたシールの復刻版だった。




