第十五話
10月31日の夜。
ルームシェアハウスは、ハロウィンパーティーで賑わっていた。
リビングにはオレンジと黒の装飾が施され、カボチャのランタンが温かい光を放っている。
マリ子は真っ赤なドレスに牙を付けた吸血鬼のコスチュームで、たかしは定番の魔法使いの格好だった。
それぞれの友人達を集めた結果、総勢10人ほどが集まって、リビングは笑い声と音楽で溢れていた。
みんなで持ち寄ったお菓子を食べながら、コスチュームコンテストをしたり、ハロウィンゲームを楽しんだりしていた。
マリ子の吸血鬼コスチュームは特に好評で、スマホでの写真撮影が止まらなかった。
しかし、午後10時を過ぎた頃から徐々にゲストたちが帰り始めた。
翌日が平日ということもあり、みんな名残惜しそうに挨拶を交わしながら家を後にした。
最後のゲストを見送った後、リビングには使用済みの紙コップや紙皿、お菓子の包み紙、風船の破片などが散らかっていた。
しかし、たかしとマリ子は満足げな表情で片付けを始めた。
「本当にいいパーティーだったね」たかしがゴミ袋を広げながら言った。「みんな楽しんでくれて、準備した甲斐があったよ」
「そうね。ちょっと準備が大変だったけど、みんなの笑顔を見てると疲れも吹き飛ぶわ」
マリ子も笑顔で答えながら、テーブルの上の紙コップを集めた。
二人は協力して片付けを続けていた。
その時、今まで自分の部屋にこもっていた明夫がリビングに現れた。
「片付けになったら逃げたと思ったけど、観念して出てきたか」
たかしがまとめたゴミを押し付けようとしたが、明夫の手には最新式のVRゴーグルが握られていた。
「出るのはこれから」
明夫がウキウキで言うと、マリ子はうんざりと彼を睨みつけた。
「こんなとこで出すつもり? やめて誰も見たくない……」
マリ子は、男がウキウキでVRゴーグルを持ってやることは一つだと断言した。
「VRのチャット空間でハロウィンパーティーをやるってこと。君たちのパーティーも悪くはなかったが、所詮は表面的で知的深度のない娯楽に過ぎない」
「表面的って何よ」マリ子の声が少し険しくなった。「みんな楽しんでくれてたじゃない。それのどこが悪いのよ」
明夫は満足げに微笑を浮かべた。
「今から、本当のハロウィーンパーティーを見せてあげよう。口直しというやつだ」
「口直し?」たかしが眉をひそめて聞き返した。
明夫は得意げにVRゴーグルを装着しながら答えた。
「そう。本物の知的なハロウィンパーティーをね。VRの世界では、中世ヨーロッパの古城で本格的な仮装舞踏会が開催されているんだ。参加者は隠れた知識人ばかり。哲学から文学まで、あらゆる話題で盛り上がる大人の社交場だよ」
「はいはい、すごいわねー。要はオタクの集まりでしょう」マリ子は呆れながら紙皿を重ねた。「で、私たちは片付けを続けるから、そっちで楽しんでて」
明夫はソファに座り込み、VRゴーグルとヘッドセットを装着した。手にはVRコントローラーを握りしめている。
「では、失礼して——おお!素晴らしい!なんて荘厳な城の大広間なんだ!」
明夫の声が急に大きくなった。VRの世界に没入したのだろう。
「みんな、お疲れさま! 今夜も集まってくれてありがとう。どうだい、この騎士の装いは?」
こっちの存在など端からなかったように、演技ぶった口ぶりに変わる様子を、たかしとマリ子は顔を見合わせて苦笑いした。
「放っておこう」たかしがささやき、ガラガラと音を立てて空き缶を乱暴にゴミ袋に放り投げた。
――ガシャン!ガシャン!ガシャン!――
「うわっ!」明夫が突然身を低くした。「な、何だ今の音は!」
VRの向こうから仲間たちの心配する声が聞こえてくる。
『アキオ、大丈夫か? まるで城の門が攻撃されているような……』
『おい、まさか本当に何か起きてるんじゃないだろうな?』
『アキオの家、大丈夫そ?』
明夫は慌てて釈明した。「い、いや、大丈夫だよ!こちらの音響設備の調子が……おそらく風の音かも知れない……」
ノイズキャンセリングイヤホンをしている明夫は、現実世界の騒音がマイクを拾ってSEとして響いていた。
そして、それは明夫のネットの友達も一緒だった。
仲間たちは心配しつつも、VRの世界観に合わせて反応し始めた。
『なるほど、城の立地が悪いのか?』
『アキオ、君の城は断崖絶壁にでも建ってるのかい?』
『これは確かに攻城兵器の音だな。みんな、一応騎士として応戦の準備を!』
『アキオ、君は普段から武芸の心得があるから大丈夫だろう?』
「え、あ、もちろんだよ!」明夫が慌てて答えた。「いつものゲームで鍛えてるからね……」
その時、マリ子は明夫の慌てぶりとVRの向こうから聞こえる騒ぎ声に気づいた。
彼女はたかしと目を合わせ、いたずらっぽい笑みを浮かべた。そして、わざと掃除機のスイッチを強にして入れた。
――ゴォォォォォーーーー!――
「ドラゴンだ!ドラゴンが現れた!」明夫が絶叫した。
VRの世界では、明夫の声に仲間たちがパニックになっていた。
『アキオ! ドラゴンだって!?』
『おい、大丈夫か!? こっちにも聞こえたぞ!』
『この咆哮の方向からすると、アキオの城の地下から現れたようだぞ!』
『みんな、アキオを守るんだ!』
『誰か魔法使いはいないのか?!』
『アキオ、君のオンラインゲームの経験を活かすんだ!』
「え、ええと……」と明夫が狼狈している間に、たかしは事態の面白さに気づいた。
彼はわざと金属製のボウルをシンクに落とした。
――ガッシャーン!――
「城が崩れる!」明夫が椅子から転げ落ちそうになった。「みんな、危険だ!」
『アキオ、落ち着け!』
『おい、これは本当にヤバいんじゃないか?』
『アキオの家、地震でも起きてるのか?』
『みんな、とりあえずアキオの安全を確認しよう!』
『アキオ、まずは現実で安全な場所に避難しろ!』
心配された明夫がイヤホンをとVRゴーグルを外すと、ちょうどマリ子がゴミ袋に空気をためるように広げているところだった。
マリ子はこの状況を楽しんでおり、口元に笑みを浮かべてゴミ袋を振った。
――バサバサバサバサ!――
「いったいなにを……」と、たかしとマリ子の介入に明夫が頭を抱えた。
しかしイヤホンから『コウモリの大群だー!』という叫び声が聞こえると、明夫は慌ててVRの世界へ戻った。
『アキオ、それ本物じゃないよな?』
『まさか君の家、本当に古い屋敷なのか?』
『ハロウィンにふさわしい演出だけど、リアルすぎるぞ!』
明夫は必死にこの状況をコントロールしようとした。
万が一でも、マリ子の存在がバレると自分はこの世界で立場をなくすとわかっていたからだ。
このVRゲームの世界では、孤独こそが強さの証なのだ。
「そ……そうそう! これは僕が用意した特別な演出なんだ! ハロウィンのパンプキンウォーズだ」
『おお、さすがアキオ!』
『僕らはいつもここで、なにか起こるかもしれないと談笑の場になっているけど、本当にイベントが発生したのは初めてだ』
『アキオの創意工夫には毎回驚かされるよ!』
たかしと完全に共謀状態に入ったマリ子は、次なる音の演出を考えた。
彼女はキッチンへ向かい、ミキサーを手に取った。「これでどうかしら」と小声でつぶやくと、たかしはうなずいて親指を立てた。
――ガガガガガ!――
「地獄の業火だ!」明夫が叫んだ。「これは煉獄の扉が開かれた音です!!」
VRの仲間たちは完全に明夫の演出だと信じ込んでしまった。
全員がゲーム画面で、中世のコスチュームに合わせた武器を構えて大盛りあがりをしている。
マリ子は「まだまだこれからよ」と言わんばかりの表情で、電子レンジでポップコーンを温め始めた。明夫のパニックぶりを見て、彼女の悪戯心は最高潮に達していた。
――ポンポンポンポンポン!――
「これは……銃撃戦?!」
明夫は困惑した。このゲームに銃の概念はないからだ。
仲間たちも同じように混乱している。
『アキオ、急に設定が変わったぞ?』
『おい、これは一体何の音だ?』
「どうやら異次元への魔法陣が現実世界へ干渉している模様! 緊急次元移動装置を発動させる。ご武運!」
明夫は敬礼のエモーションをすると、慌ててログアウトした。
VRゴーグルを外した明夫は、汗だくになってたかしとマリ子を睨みつけた。
「君たちのせいで僕の威厳が台無しだ!」
マリ子は笑いながら答えた。
「威厳って何よ、あんたVRの中で騎士のコスプレしてただけでしょう?」
「コスプレじゃない! あれは高次元の知的交流だ!」明夫が反論した。
たかしは苦笑いしながら口を挟んだ。
「まあまあ、どっちにしてもパーティーは終わったし、もう寝ようか。明日は——」
その時だった。
リビングの隅に置かれたLEDのカボチャランタンが、突然オレンジ色の光を放ち始めた。
三人は一瞬動きを止めた。
「え?」マリ子が振り返る。「あれ、スイッチ切ったはずなのに……」
カボチャランタンは先ほどまでのパーティーの照明とは違う、不思議な温かみのある光を放っていた。まるで生きているかのように、ゆらゆらと明滅している。
「電池の接触の問題かな?」たかしが近づこうとした瞬間、ランタンの中から微かに声が聞こえてきた。
『……アキオ、聞こえるか?』
三人は凍りついた。
その声は、先ほど明夫がVRで話していた仲間の声だった。
『アキオ、君は突然消えてしまったが、大丈夫か?』
カボチャランタンの光がさらに強くなり、まるで声に反応するように脈動している。
「ま、まさか……」明夫の目が輝いた。
「ま、まさか……」マリ子とたかしは青ざめた顔で抱き合った。
「きゃあああああ!」
「うわああああ!」
二人は悲鳴を上げながら、お互いにしがみついた。
恋人らしい抱擁ではない。まとめ売りされる山菜のようにぎゅっとなっている。
しかし明夫は正反対の反応を示した。
「これは素晴らしい! ついに二次元の世界への扉が開かれたんだ!」
彼は狂喜乱舞しながらカボチャランタンに向かって手を伸ばした。
「みんな、僕だ! 明夫だ! 今そっちに行くから待っていてくれ!」
『おお、アキオ! 本当に聞こえているのか?』
明夫は興奮のあまり足もとがふらつき、ソファの角に足を引っかけた。
「うわああああ!」
彼は派手に転んで、勢いよくカボチャランタンに激突した。
――ガシャン!――
ランタンは床に叩きつけられ、プラスチックの破片が飛び散った。
オレンジ色の光は一瞬で消え、静寂がリビングに戻った。
仲間たちの声も、もう聞こえない。
「あ……あああああ……」
明夫は床に座り込んだまま、壊れたランタンの破片を見つめていた。
「僕の……僕の異次元への扉が……」
たかしとマリ子は抱き合ったまま、ほっとした表情を浮かべた。
「よかった……」マリ子がつぶやいた。
「まったく、もう二度とこんな怖い体験はごめんだ」たかしも安堵の息をついた。
二人は明夫を見下ろした。その目はどこか睨んでいるようだった。
「明夫、よくやったわね」マリ子が皮肉っぽく言った。
「そうそう、君のおかげでオカルト現象も解決したよ」たかしも付け加えた。
明夫は肩を落として、壊れたランタンの破片を拾い上げた。
「もう二度と……こんな機会は来ないかもしれないのに……」
彼は深いため息をつきながら、部屋の隅で膝を抱え込んだ。
涙を浮かべる明夫の方に、たかしが手を置いた。
「ハロウィンなら、またやるからさ。なんならオタクパーティにしてもいい」
明夫は小さく首を振った。
「来年こそは……もっと高性能なVRゴーグルを買うんだ……」
リビングには再び静寂が訪れ、ハロウィンの夜は静かに更けていった。
テーブルの上には、まだ片付けられていないお菓子の包み紙と、壊れたカボチャランタンの破片が、この奇妙な夜の出来事を物語っていた。