第十二話
ボスのカードショップの一角。プレイスペースでは、折りたたみの長机に肘を乗せて考え事をする明夫がいた。店内は静かで、カードのシャッフル音が急かす鼓動のようによく響いた。
店内に入店を知らせる鈴の音がなると、明夫はもったいぶった口調で「来たか……」と呟いた。
「たかしにも内緒の緊急の呼び出しって何?」と悟がため息を付いた。「クビになったバイト先に呼び出されて居心地悪いんだけど……」
やってきたのは悟だった。見た目も声も中性的で、どこか掴みどころのない雰囲気を纏っている。黒い服に身を包み、表情は常に冷静で、まるで全てを見透かしているような瞳をしていた。
「気にするな。クビにしたボスのほうが居心地が悪い」
明夫が指摘した通り、悟の姿が見えるとボスはバックヤードへと身を隠した。
「そのようだね。それでなに?」
悟が呼ばれた理由は、明夫の交友関係で、唯一女心がわかる人間だからだ。マリ子に対抗する手段は彼しかいなかった。
「陽キャの催し物を理解できるのは君しかいない」
「眼の前にもっと適性な人がいると思うんだけど」
悟が目をやったのは、カードショップには不釣り合いのようで、実は適合性が取れているコスプレイヤーのようなメイクをしているアコだ。
二人は初対面であり、マリ子の陽キャパーティーに対抗するために明夫に呼ばれた。
しかし、アコはマリ子に惚れており、まともな意見が出そうにもないので、急遽、悟に白羽の矢が立ったのだ。
いつの時代も、この言葉が作られた瞬間であっても、勝手に白羽の矢を立たされた方は迷惑この上ない。
だが、悟が腰掛けたのは、明夫が女性といる物珍しさからだった。そして、すぐに後悔することとなる。
「あら、とても女装が似合いそう。正体を隠して女子校に潜入するミッションに興味はないかしら?」
アコの声には、冗談とも本気ともつかない艶っぽさが混じっていた。そして、彼女の視線が悟の顔をじっくりとなぞるように動く。首筋、頬のライン、伏し目がちなまつげ……。まるでモデルを観察する画家のように、じっと見つめていた。
チラチラと盗み見るのではなく、堂々と真正面から。まるでガン見という言葉の定義を実演するように。
「あったら、行き先は女子校じゃなくて警察署。新手の詐欺の話だったら僕は帰らせてもらうよ」
「いいえ、あなたはここにいるべきよ」アコは明夫に向き直ると「日々こうして、妄想力を鍛えているのね」と感心していた。
「美容師に『今日はどんな感じにしますか?』って聞かれたから、『もう少し男らしく』って言ったら、ヒゲを描かれた苦悩を知らないから、そういうことが言えるんだ」
悟はその反応にはうんざりだといった表情をした。
「完璧な。彼は優秀よ。絶対に手放しちゃダメ」
「当然だ。僕の布陣は完璧。彼の他にも、どのアニメの世界線でも主人公の親友になれる男がいる。彼は金髪でお調子者」
「それは素敵ね。親友にもライバルにもなれる。時には熱血に、時には重大なミスを犯す。物語のバランサーになりえる存在ね」
「その理解力。君を女にしておくのは勿体ないよ」
「私はあなたになんの興味もないから、男でいようが女でいようが問題ないわ。問題は――なぜ彼が女装していないかよ」
アコの視線は再び悟へと向いた。
「僕がTPOをわきまえてるから。用がないなら帰るよ、僕は」
「諸君!」明夫の声が部屋中に響く。「今日集まってもらったのは他でもない。我々陰キャ文化の最後の砦を守るためだ!これは単なるハロウィン勝負ではない。文化の戦争なのだ! 陰の叡智が陽の刹那を超える日が、ついに来たのだ!」
ここで悟に帰られては負けが確定することになるので、明夫なりに必死に彼を繋ぎ止めたつもりだった。
アコは明夫の熱弁を聞きながら、心の中でマリ子がするコスプレ衣装の妄想を膨らませていた。
一方、悟は冷めた目でこの光景を見つめ、長い戦いの始まりを予感していた。
「まず、我々が理解すべきは、ハロウィンの本質だ!」明夫が熱弁を振るう。「ハロウィンというのは、二次元キャラが新コスチュームに身を包む日だったはずだ」
「元々はケルトの祭りだったはずだよ。死者の魂が現世に戻る神聖な夜。そもそも根本から違うよ」
悟はマリ子が主体のパーティも疲れそうだが、明夫の思い浮かべるパーティにされても困ると口を挟んだ。
「なるほど……」とアコは理解顔で頷いた。「彼は古き良き00年代のハロウィンをしようと言ってるのね。賛成よ。私も一度はあの風に吹かれてみたいもの」
「君達のオタク史じゃなくて、地球上の古い歴史の話なんだけど……」
「そうね。オタクの歴史は地球の歴史と同じくらい深いのよ。その指摘はご尤も。だから、二つを混ぜるのよ」
「それがいいね。00年代と現代のコスプレ衣装を混ぜよう。00年代が良い人は――現代風が良い人は――ってことで」
悟はあえて無視して話を進めたのだが、それこそオタク二人にとって本領発揮する話題だった。
「そのほうがまーちゃんの色んなコスプレが見られるものね」
アコはうっとりとした表情で目を閉じた。
マリ子のプロポーションなら大抵のコスプレ衣装は似合うので、彼女の脳内では、スマホのアルバムをスワイプするように、様々な衣装を着たマリ子がポーズを取っていた。
「ちょっと待った! マリ子を喜ばせるための提案じゃないぞ」
明夫は怒ったが、アコは気にせず目を閉じたまま答えた。
「まーちゃんに認め”られる”ための提案でしょう? 間違いないわ」
「マリ子に認め”させる”提案だ。魔女を主役にしてどうするつもりだ」
「私がシンデレラになるのよ。安心して、私達はかぼちゃの馬車の中で楽しむから、あなた達は舞踏会へどうぞ。なんならドレスもあげちゃうわ。私より似合いそうだし」
「マリ子を褒めるためのパーティじゃないんだぞ。なぁ?」
明夫は主導権を握られたら困ると、悟に視線をやった。
「僕を女装させるためのパーティでもないんだけど。つまりコスプレはしたい、させたいけど、マリ子が一番目立つのは嫌だってことね」
悟が考えたのは、あらかじめコスプレ衣装を用意しておいて、くじ引きでどの衣装を着るのか決めるということだ。
これならマリ子が良い格好出来るかは時の運になるし、自分で着る可能性を考えたら、無茶な衣装を用意することもない。
「それって何が楽しいの? 流行り芸人とか、ありきたりな職業コスプレだろう」
明夫の正論に、
「だからマリ子が着ても、映えにはならないだろう?」
「君は天才だ。本当に呼んでよかった。それに比べて君は本当に役立たずだ」
明夫はアコを睨みつけた。現実の女は等しく頭が悪いという暴言まで付け足して。
「光栄だわ。これでまーちゃんとおそろいの部分が出来たもの」
「バカとデカデカ書かれたタトゥーシールを見つけたら、迷うことなく君に買ってプレゼントするよ」
いつしか、楽しいパーティの計画ではなく、マリ子を陥れるための計画へと変わっていた。
その数時間後。明夫達は、パーティの計画を教えるためにルームシェアハウスへと帰った。
そこで、まずマリ子主導のプランを聞くことになったのだが、話の最中から明夫は口をぽかーんと開けていた。
三人がかりで考えたサンバカーニバルというプランは、客観的に見ても残念の極みだった。
「……それだけ?」明夫が目を丸くして尋ねた。「三人いて、その程度のプランしか出てこないわけ? よりにもよってサンバカーニバルって……」
数秒の沈黙の後、たかしは頭をかきながら、ぽつりとつぶやいた。
「『マイナス × マイナス = プラス』だと思ったんだけど……。実際は、『マイナス + マイナス = もっとマイナス』だった……」
その場にいた全員がなんとなく深くうなずいた。
ふたりを除いて。
「……は? マイナスってどういうこと?」
マリ子が眉をひそめて睨む。
「違う。プラスってことだ。そうだよな?」
芳樹も首をかしげた。
当の二人、芳樹とマリ子はまだ自分たちがマイナス扱いされているとは夢にも思っていない。
そこへ、ひときわ低い声で笑いながらアコが割って入った。
「フッ……いい? 掛け算の答えは、私たちが決めるのよ」
いきなりの謎発言に、たかしは目をパチパチさせて聞き返した。
「……え?」
「つまりこういうことよ」アコは不敵に微笑み、指を組んで言った。
「『◯◯×◯◯』──その後に答えはないの。あるのは、妄想と無限の可能性だけ。つまり空白こそが正解」
「アコって……数学専攻だったっけ?」
内容を理解できていないマリ子が首をひねった。
アコはさも当然という顔で微笑んだ。
「専攻は愛よ」軽やかに言って、前髪をかき上げる。
しかし、誰もツッコまないので、自分で続けた。
「たまに自分の都合で足したり引いたりすることもあるわ。でもね……どれも心は割り切れないものなのよ」
沈黙の中、芳樹が目を細めてつぶやいた。
「……分数の話か? そうだろう」
「分数ってあれでしょう、ピザの数を求めるやつ。わかったわよ……。パーティにはピザは絶対頼む! これでいいでしょう?」
マリ子はそんなに文句があるなら、チキンはやめてピザだととんちんかんな返答をした。
「本当……マリ子ちゃんてカワイイ」
アコはうっとりとした表情で、理解できずとも無理やり話を進めるマリ子を見つめた。
「足りないのは君たちの考え方だし、引いてるのはそんな程度の案しか持ってこなかった事実にだよ」
明夫が口を挟むと、マリ子は睨みつけて言った。
「じゃあ、アンタのプランはどうなのよ」
「よくぞ聞いてくれたね。夢と夢と夢だけのコスパーティだ」
「悪夢じゃないといいけど……」
訝しく眉を寄せてシワを作るマリ子だったが、明夫達の計画を聞くと、さらにそのシワを深くした。
「――以上が僕らのパーティ案だ」
「最悪……」
マリ子の低い声色からは、心底嫌だという気持ちが溢れていた。
「なんて言った?」
「クソ最悪でつまんないって言ったのよ」
「……言葉が増えてる」
「アンタねぇ……私一人を陥れるために、全員のテンションを下げてどうするのよ。私がする格好は、アンタ達がする格好でもあるの。それで楽しいわけ?」
「盲点だった……。君に安物のコスプレをさせて、それをSNSにあげて恥をかかせるつもりが、アニコスをないがしろにしてしまったよ……」
「そもそもの盲点は、楽しんでもダサいコスプレ衣装はSNSにあげない」
勝ち誇るマリ子の横では、たかしが冷静に話をまとめようとしていた。
「でも、その代案がサンバカーニバルの衣装なのも……。明夫がサンバカーニバルの衣装を着てるのを見たい?」
「盲点だった……。セクシーだけ考えて、後は面倒くさくなったのが仇となったわ……」
その時、アコが突然立ち上がった。
「決まったわ!」
全員の視線がアコに集まる中、彼女は不敵に微笑んだ。
「男性は女装、女性は男装。これよ!」
「は?」明夫とマリ子が同時に声を上げた。
「考えてみて。ハロウィンの本質は『いつもと違う自分になること』でしょう? だったら、性別を越えたコスプレこそが究極の変身よ」
「ちょっと待てよ……」
明夫が慌てて手を振るが、アコの暴走は止まらなかった。
「マリ子ちゃんの男装……」うっとりとため息をついた。「素敵すぎて鼻血が出そう」
「アンタの隣の男も女の格好するのよ」
マリ子は明夫を見ろと言った。似たようなのが後二人いるとも。
しかし、アコは独自の理解力を示していた。
「オタクと女装は離れた文化じゃないわ。皆誰しも女の子になろうと、水色のストライプパンツの価格をネット通販で調べるの」
「僕をそこらのオタクと一緒にしないでくれ。僕は薄緑のストライプパンツだった。しかも、正規品だ。ヒロインの下着を忠実に再現し、実際のヒップのサイズと形に合わせて作られた至極の一品だよ」
全員の視線が明夫に釘付けになった。
芳樹は口をぽかんと開け、たかしは眉毛を引きつらせ、マリ子は呆れたような溜息をついた。
「……もう何も言うまい」たかしが諦めの境地で呟いた。「じゃあ、男は女性の格好。女性陣は男の格好ってことだ。ここにいない人達へはメッセージを送っておくよ」
「たかし!? 本気かい?」
明夫は信じられないと目を見開いた。
「本気だ。ストライプの下着を穿く理由ができてよかっただろう?」
たかしは楽しみにしてると付け加えると、もう言い逃れが出来ないように全員へ共通メッセージを送った。




