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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン5
111/126

第十一話

 初秋の風が窓の隙間からふわりと忍び込んできて、リビングにいる誰の首筋にも、わずかなひんやり感を残していく。

 街の通りには小さなカボチャの装飾がちらほら現れ始め、コンビニのBGMに混じって、どこかで聴いたことのあるゴースト風のシンセサイザーの音が流れはじめる頃合い。

 ハロウィンが、今年も足音を立てて近づいてきていた。


 そんな空気の中、ルームシェアハウスのリビングでは、それぞれの時間が流れていた。


 ソファに深く沈み込んでいる明夫は、スマホを片手に完全に自分の世界に入っていた。

「また来たな、新ハロウィンガチャ……今回の限定キャラ、やっぱりすごい……あの第7話のカボチャランタンの小道具、細か過ぎるよ、これ……。原画にもないディテールを盛ってきてる。言語を咀嚼するタイプの絵師だと見たね。原作への愛しか感じないよ……。きっとこの絵師は月の裏側まで正確に描けるよ。それほどの想像力を持ってる」

 一人ぶつぶつと呟きながら、指は迷いなく『10連』のボタンに向かっていた。


 そのすぐ隣、マリ子はソファの端に座りながら、スマホでファッションアプリをスクロールしていた。

 彼女の目は、ある一点に釘付けになっていた。

「たかし、見てこれ。めっちゃかわいくない?」

 マリ子の呼びかけに応えるように、たかしが彼女の隣に座った。

 彼は静かにマリ子の肩に手を置いた。

 するとマリ子は、ためらいもなく、するりとたかしの肩にもたれかかった。

 彼の肩に頭を預けるようにして、ふたりは一つのスマホ画面を覗き込んだ。

 画面には、鮮やかなブルーのミニスカのポリス衣装。胸元が大胆に開いていて、サイドにはレースがあしらわれている。セットのキャップと手錠の小物がまた、妙に完成度を高めていた。

「これとか、どう思う?」

 マリ子はわくわくした声でたかしに訪ねた。

「えっと……大胆だね。なんか、すごい主張が強いっていうか……。裏のメッセージだったりしない? これから身に覚えのない罪で、罰せられる可能性とか」

 たかしが困り顔で正直な感想を口にすると、マリ子はにっこりと笑った。

「こういうのがいいのよ。ミニスカのポリス衣装って、平成って感じで超えっちじゃん? 今の令和ってさ、なんか“余白に色気”とか“あざとくないのが逆にあざとい”みたいな流れあるけど、私は断然平成派。ガン盛りがテンション上がるっていうか。でも、昭和もえっち。ブルマってまじで穿いてたの知ってた? オタク文化が作り上げた架空の歴史じゃないんだよ。驚きよね。今体育でブルマ穿いてみ? 女の私でもガン見するね」

「なるほど……」

 たかしの返しの言葉は驚くほど短かったが、マリ子は全く気にせず続けた。

「しかもこれ、網タイツ合わせて、グロス多めで唇テカらせて、髪は巻き巻きにしてでっかいリボン。ヒールは12センチ以上でキメて、最後に『逮捕しちゃうぞ』って決めるのがセットなの!」

「……セット?」

「そう、衣装って“キャラ”だから。服だけじゃダメなの、中身ごと演じてこそ真のハロウィンコスなのよ。敬礼しながら視線だけで落とす感じ? わかる?」

 たかしは苦笑しながらも、マリ子の熱量に目を細めた。

「マリ子さんってさ、そういうの考えてる時がいちばん楽しそうだよね」

「だってさ、非日常で盛れるのってハロウィンだけじゃん? 普段これ着たらただの不審者だし。だったら全力でやるっしょ!」

 マリ子の声には、確かな喜びと決意が込められていた。

 外では風が少しだけ強くなり、窓辺のカーテンがふわりと揺れた。

 それは、まるで明夫の突然の大声に揺らされたようだった。


「そうだ! ハロウィンをしよう!!」


 明夫の突如の宣言に、リビングの空気がぴしりと振動した。

 マリ子は一瞬ぽかんと明夫の顔を見つめたが、すぐに目を輝かせる。

「え、なにそれ、めっちゃいいじゃん! 初めての意見一致じゃない? 目玉焼きで何をかけるかでも喧嘩する私達でも、ハロウィンをやりたいのは一緒ってことでしょう」

 予想外のノリの良さに、明夫の勢いも増した。

「やっぱり!? やっぱり来てるよね、この流れ! 世の中がハロウィンを必要としてる! 今回のイベ背景とか見た!? 魔女のほうきが空中に浮いて、カボチャの光が点滅する演出だ! それもゲーミングカラーで! こんなのパーティしなきゃ嘘じゃん!」

 明夫のテンションが上がった理由は、10連ガチャでお目当てのキャラが手に入ったからだ。

「でしょ? でしょでしょ? 私もね、つい今よ、たかしとハロウィン衣装見てたの。超かわいいやつ! もう買う気マンマン!」

「わかるわかる! 僕もコスチューム案があるよ! 【終末幻想†スケアリー・ナイトメア】のハロウィン編に出てくる、骸骨伯爵! 5話のあの名シーン、再現できるようにケープは裏地まで作り込むつもり! ガリガリの僕でも骸骨ぴったりだ」

「キャラコスね、なるほどなるほど……あー、そゆ系?」

 その瞬間、マリ子の声のトーンがほんの少しだけ変わったのに、たかしだけが気づいた。

 笑顔はそのままだが、目がすっと冷静になっている。

「私が考えてたのは、もっとこう……なんていうの? SNS映えするやつなのよね? みんなでカラフルなやつ着て、ピザとかチキンとか片手に盛り上がる系。ひとことで言うと、陽キャ。てか、アゲなやつ」

「えっ……?」

 今度は明夫の表情が、わずかに困惑に滲んだ。

 たかしはその表情の変化にも気付いた。これは一悶着あるぞと、密かにひとり覚悟を決めていた。

「映え……? アゲ……?  僕が理解できた言語はピザとチキンだけだ」

「めっちゃかわいい照明とか飾って、BGMはK-POPか洋楽流して、あとフォトブース作って〜っていうやつよ。ピザとチキンだけで英語理解したみたいな言い方やめて」

 明夫は一瞬絶句した。想像していたのは、全員が推しキャラに扮して、壁には公式グッズのポスター、BGMはアニメのサントラで統一。

 コーラとポテチが唯一の食事で、深夜まで「推し語り」が続く、そんなオタクの理想郷だった。

「言わせてもらうけど、コスプレはオタクが発展させた文化だ。オタクに従うべき」

「言わせてもらうけど、コスプレじゃなくて仮装。世論に従うべきよ。ねぇ……世論の使い方ってあってる?」

 マリ子は心配になってたかしの顔を見た。

「使い方は合ってる。でも、世論はハロウィンの熱気に否定的だ。……言わせてもらうけど、今回は先回りさせてもらうよ。二人が納得するまで話し合うんだ。つまりディベートをし合う。大学生っぽくてちょうどいいだろう。それならオレにも被害はない」

「レスバなら僕が有利」

「言い負かすなら私が有利よ」

「ディベートだってば……。オレもハロウィンは賛成だよ。せっかく皆呼べる場所があるんだ。パーティはしようよ」

 たかしが数時間後改めて話し合う場を設けると提案すると、マリ子は立ち上がるたかしの腕を抱いてソファーに引き止めた。

「作戦会議をするわよ。私とたかしで、明夫を言い負かすの」

「ディベートだって」

「そっちがその気なら、僕も仲間を呼ぶよ。君達をレスバで負かすためにね」

「ディベートだって言ってるのに……」

 たかしのつぶやきも虚しく、明夫は鼻息を荒くして自室へと戻っていった。

 彼がいなくなった途端、マリ子はため息まじりに言った。

「ねえ、たかし。あたしのアゲアゲパーティ、オタク連中にどうやったら納得してもらえると思う?」

 たかしは肩をすくめて「アゲがいいなら、串揚げでもする?」と、結局巻き込まれた不満を遠回しに口にしたが、はっきり言わないのでマリ子に通じることはなかった。

「串揚げパーティでもなんでもいいわよ。問題は服装よ。ドレスコードがアニメ衣装なんて最悪よ。見てる世界が違う」

「その完璧な対義語は明夫が誰かに言ってるだろね……。オタクの対義語ってギャルなの? というかさ……そもそもオレもパーティは詳しくないよ。こういうのに詳しいのは――」


 たかしが連絡すると、その男はすぐにルームシェアハウスへとやってきた。


「やっぱり頼るべき親友ってのはオレだよな。任しとけ! パーティマスターの芳樹様によ。この夏はオマエらが遊んでくれなかったら、パーティにパーティを重ねる夏休みだったんだ。どれだけパーティをしたかって言うとな。パーティを主催したのに、なぜか参加不可だったパーティもあるくらいだ。……完璧騙された。そうだよ、女だけのパーティだって言ってるのに、男のオレが誘われるわけないんだ……。でもなぜか参加費は払ってるんだ。おかしいと思わねぇか?」

「呼んだのってコレ?」

 マリ子は芳樹を指差すと、不満げにたかしを睨んだ。

「そう」

「言い負かすって意味知ってる? バカを連れてくるって意味じゃないんだけど」

「まぁ、聞けよ。オレの意見を。それからバカかどうかを決めてくれ。パーティといえば。酒と裸だ!」

 芳樹は得意げに宣言した。まるで人生の真理を悟ったかのような顔で。

「本当にバカね……。仮装するって言ってるのに脱いでどうするのよ」

 マリ子は鼻で笑いながら、芳樹の頭の中の裸祭り案を一蹴した。

「マリ子さん……裸のほうにも突っ込んで」

 たかしは根本から違うと指摘するが、なぜかマリ子ではなく芳樹がにやりと笑った。

「裸で突っ込むって、そりゃ違うパーティだ」そう言って笑い飛ばしたが、すぐに表情を真剣に変えた。「もし――そんなパーティだったら、オレは一生オマエを親友と呼び続ける」

 その突然の真顔と意味深な言葉に、部屋の空気が一瞬だけ凍りつく。

 たかしは戸惑いながらも、小さく息を吐き出し呟いた。

「今すぐ他人に戻りたい……」気まずさを振り払い、話題を戻した。「そうじゃなくて、明夫の友達も来るんだぞ。何度も会ったことあるだろ? 彼らに陽キャの雰囲気を当ててみろ。どうなると思う?」

 マリ子は腕を組みながら、想像にふけると、思い浮かんだ自分の言葉にニヤニヤした。

「陽の光に当たった吸血鬼みたいに焼かれて灰になるとか?」

「そう厳しいこと言わずにさぁ……。今だけオタクに優しいギャルになれない?」

 たかしの無茶なお願いに、マリ子はムッとした。

「たかし……。向こうはギャルに厳しいオタクよ。私が優しくなる必要がない」

「確かに。でも、ふたりともさ……。もうちょっと考え方を寄せられない? オタクの方にさ」


「裸がダメならセクシー衣装だ」

「せめて歌とダンスはなくちゃ」


「それは両方突き放してる……というより、突き飛ばしてる」

「アイツらも陽キャの波に乗るより、溺れる方を選ぶだろう。心配するな、きっとファンタジー人魚を追いかけて幸せだ。だからセクシーにしよう。奴らを失った悲しみは、女の裸だけが癒やされる」

「芳樹がそういう意見ばかり出すから、オレ達は悟も含めて変な目で見られる。“三馬鹿になる”つもりはないぞ」

「それよ!」

 マリ子がさも妙案があると言った勢いで口を挟んだ

「ちょっと待った、マリ子さん。……予想がつかないから却下」

「なに? 予想がつかないなら聞きなさいよ」

「安全圏は予想がつく中にこそあるんだけど……」

「何言ってるの。たかしが言ったのよ。“サンバカーニバル”って。セクシーも歌もダンスも含んでる。最高の案じゃない」

「オレはサンバカーニバルじゃなくて、三馬鹿になるって言ったんけど……」

「オレもなんの文句もない。さすが親友だな」

 芳樹が拍手を響かせると、たかしは慌てた。

「待った待った! 落ち着こう。ふたりとも、考えるのが面倒くさくなって、変なテンションになってるって!」

「だって、考えるのって苦手なんだもん。よく考えたら、身内だけでしょう? そこまで気合い入れなくていっかってなったの。だからディスカウントショップでサンバの衣装買って、明夫の前で踊って見せればいいでしょう。ディベートするより、見せるのが早い」

 マリ子は決まりだと、芳樹とハイタッチをすると早速サンバの衣装を買いに街へと繰り出した。

「待って! せめてオレの案ってことだけにはしないで! お願い!」

 たかしは責任を押し付けられそうな気がして、慌てて二人を追いかけた。

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