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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン1
11/126

第十一話

「これ、私の新しい彼氏。インディーズだけど、そこそこ売れてるバンドのギターなの」

 マリ子が喫茶店で京に紹介したのは、祐介という背が高く細い男だ。

 祐介は「マリ子!?」と声を大きくした。「話聞いてなかった? オレは売れないバンドマン。売れてるんだと勘違いして付き合ったなら今すぐ別れて……オレは君を養う稼ぎなんてないんだ」

「祐介……。聞いてなかったの? 友達に良い格好したいから、あなたは黙っているか、そこそこ人気のバンドマンのフリをしてって言ったよね」

「わかった、黙ってる」

 祐介はお口にチャックだとジェスチャーをすると、ニコニコと笑顔を浮かべて口を閉じた。

「マル子ってバカが好きなの?」

 京は祐介にはひと目もくれずに、眉をしかめてマリ子の男の趣味を呆れた。

「祐介がバカだからって、過去の男までバカ呼ばわりはやめて。オセロじゃないんだから、バカにひっくり返ったりしないわよ」

「筋肉から分解されるって声がするから、別れるって言い出した元カレは?」

「筋肉の言ったことを理解出来るなら頭良いでしょ! 英語が喋れたり、スペイン語が喋れたりするのと一緒」

「それはどうだろう」

 京はバカにしたように眉を上げると、それを誤魔化すようにコーヒーを一口飲んだ。

「わかったわ……スス語を喋れるのと一緒。凄いけど、使い所はない。これでいい?」

 京はニッコリ笑い「いいよ、満足した」と、マリ子が彼氏をバカだと認めたことに納得した。

「祐介もなんか言ったらどう? バカにされてるのよ」

 マリ子に言われ、祐介は困ったように目を見開くと、京に助けを求めて眉毛を上下に動かした。

「彼は黙ってろって言われたから、喋れないんだってさ」

 祐介はその通りだと京に人差し指を突きつけてから、お見事と拍手をした。

「わかったわよ……喋りなさいよ」

「筋肉の話聞かせてよ」

 祐介は大真面目な顔で言った。

「私の元カレよ?」

「知ってる。今話してたもんね。オレも筋肉つけたい。紹介してよ」

「大丈夫よ、あなたはそのままで十分魅力的よ」

「君に筋肉の声は聞こえないんだろう? 無責任なことを言わないでくれ」

「祐介もでしょう」

 マリ子に睨みつけられても、祐介は引くことはなかった。それどころかますます本気になった。

「だからだ。オレだって太りたい。筋肉の声を聞かなきゃ」

「わかったわよ……今通話するわ」マリ子はため息交じりに元カレへ連絡をした。「もしもし、昌也? アンタに男を紹介したいんだけど。わかってる……バカげた話だっていうのはね。でも、しょうがないでしょう。筋肉の声が聞きたいっていうんだから。え? ……私からは絶対いや。言うなら、自分で言って」

 マリ子は話にならないと、スマホを祐介に押し付けた。

 祐介は「もしもし」と通話に出た。「え? そうだ。本当に? 今すぐ行くよ。大丈夫、お金がないから奢れない。いつでも出られる。うそ……本当? そんなに機嫌が悪くなるの? あー……わかった。お腹痛いフリして出ていくよ。わかってる……オレも楽しみしてる。それじゃあ……あとで。そっちが切って。わかった、せーので切ろう。いくよ? いい? せ――」

「もう、わかったわよ」

 マリ子はスマホ奪い取ると、通話を切って鞄にしまった。

「凄いね。驚いたよ……オレはいつも電話を切るタイミングに迷っちゃうのに」

「知ってる。昨日も私と同じことしたでしょ。今の今までイチャついてきてるのかと思ってた……」

「まさか、電話での勧誘にだって同じことしちゃうよ。電話といえば、なんで女の人からの電話って、みんな天使みたいな声してるんだろうね。思わず生命保険に二つも入っちゃった。これで二回死ねる……おもしろいね」

 お腹を抱えて笑い出す祐介を、マリ子はこれでもかというほど睨みつけた。

「祐介……なにか言うことあるんじゃないの?」

「まさか……受取人を君にしろって言うわけじゃないよな」

「お腹が痛いんじゃないの?」

「オレのお腹を殴ったって、生命保険はおりないぞ!」祐介は自分のお腹を手でかばってから、先程の通話の内容を思い出した。「お腹が痛い……大変だ……。君に殴られてもいないに痛いぞ」

「そうでしょうね。どうする? トイレ行く? それともトレーニングジムとか?」

「そうだ……トレーニングジムで、トイレトレーニングしてくるよ!」

 祐介は名案を思いついたという顔で言うので、マリ子はもういいとため息をついた。

「いいから、早く行ってきなさいよ」

「ごめんね。先帰ってていいから」

「いいえ。ずっと待ってるわ、ここで」

 マリ子は作り笑いで微笑むと、しっしと祐介を追い払った。

 頼りない後ろ姿を見て、今度は京がため息をついた。

「本当に……マリ子が惚れるのもわかるわ」

「からかわないで。本気なのよ。それに、彼って文系なの。詞も書いてるのよ」

「本当に? 漫才の台本じゃなくて?」

「本当だって。見て、新曲も彼の作詞よ。ラブソングなの。きっと私のことを歌ってるのよ。ほら、タイトルはSugarだって」

 マリ子はCDからジャケットを取り外すと、中に書かれた歌詞を広げた。

「なになに……『甘い言葉で作られた朝食好物。愛に飢えた僕は痩せた草食動物。君はシュガー。甘い恋人。またはヌガー。僕を太らせて』。これ本当にマリ子のこと歌ってる?」

「最初はそう思った。今違うことがわかった……。でも、韻は踏んでるから頭はいい」

「朝食好物と草食動物よ?」

「シュガーとヌガーも踏んでるもんね」

 マリ子はそれで十分だと鼻息荒くそっぽを向いた。

「そんなに焦って彼氏を作らなくてもいいと思うんだけどね。痛い目見るよ。今日でわかったと思うけど」

「じゃあ、みゃーこが彼氏になってよ。正直、みゃーこが男装してくれたら他の友達に自慢できる」

「私はなにを言われるか……ただでさえ色々言われてるのに」

「知ってる。レズビアンバーに夜な夜な通ってるとかでしょ。私がいるのに、それはないって否定しておいたよ」

「むしろ噂の発生源の気がするよ……」

「レズビアンになっても、私のこと狙わないってこと? それ超ショック……。私ってそんなに魅力ない?」

「マル子は可愛いよ」

「やった。祐介と別れて、みゃーこと付き合う。今からデートしよ」

 マリ子は伝票を持って立ち上がると、京は慌てながら立ち上がった。

「ちょっと、ずっと待ってるって約束してたでしょう」

「別れるからいいの。バカでも気付くでしょ。戻ってきて彼女の姿がないってことは、どういうことかって」

「彼はわからないほどバカだと思うけど……。でも、それがわからないなら別れて正解。雑貨見に行こ。可愛いネコのマグカップが入荷したって」

 京はマリ子がそれでいいならと、喫茶店を出ていった。



 その頃、たかしは芳樹に誘われてスポーツジムにいた。

「見ろよ」

 芳樹が肘で脇腹をつついてくるが、たかしは手で払いのけた。

「見るな……」

「見ろって」

「見るなって言ってるだろう」

「でも、見ないと損だぞ。筋肉を分け与えようとしてるんだぞ。それも大マジに。オレらもやってみるか?」

「やめろって。別にいいだろう。鍛え方は人それぞれ。掛け合う声だって様々だ」

「そうだな。悪い。補助するよ。でも……待った……抱き合ってるぞ。筋肉の融合だって叫び合ってる」

「聞こえてるよ。オレだって同じ空間にいるんだ。聞かないようにしてるんだから、意識させるなよ……」

「無理だ……補助は誰かに頼んで、もう目が釘付け……。このあいだ悟と見に行った話題の映画より見どころ満載」

 芳樹はトレーニング器具のポールをつかむと、マリ子の元カレ二人。昌也と祐介の会話に耳をそば立てた。

「凄い……こんなトレーニング方法は初めてだ。筋肉もウイルスみたいに人にうつるんだなんて……」

 祐介が感動していると、昌也はにっこり笑った。

「嘘だ」

「嘘? 嘘ってどう言うこと?」

「ジョークで言ってたのに、君がなんでも信じるから引っ込みがつかなくなった。食って鍛えなければ、筋肉などつかない」

「でも、体がほてってきてるし、心臓も運動したみたいに高鳴ってる」

「それは羞恥心だ。私も感じている。この視線……わかるだろう? 動物園のゴリラになったみたいで、とても興奮する。子供頃の夢が叶ったようだ」

 昌也は大胸筋を叩くと、馬がいななくように唇をぶるぶる振るわせて音を鳴らした。

「ひどいよ……筋肉の声が、オレをからかえって言ったのか?」

「今日一日じゃ無理だって話だ」

「この体を見ろよ。何日も続けられると思うか? ギターを持って立ってるだけで、親にも心配されるような細い体だぞ。なぜか、メイクすればステージ映えはいいけどね」

「同じく初心者の仲間を作ればいいのさ。ジムは心も鍛える場所だ。ほら、見ろ。あのフォーム初心者だぞ。声をかけに行こう」

 昌也は祐介の肩を組むと、たかしと芳樹の方を向いた。

 芳樹は「嘘だろ……」と、呟くと「オレじゃありませんように、オレじゃありませんように……」と神に願った。「オレじゃ……やぁ、どうもこんにちは」

「良いトレーニング日和だな」

 昌也は芳樹と握手すると、たかしと握手をし、手を握ったままたかしを立たせた。

「凄い……まったく力を入れてないのに、浮いたみたいだ」

 たかしが驚くと、昌也は気を良くして正しいフォームはこうだと教え始めた。

「あの……オレ達は友達。あなた方は他人。言いたいことわかります?」

 芳樹は関わり合いたくないと、遠回しにあっちへ行ってほしいと言ったのだが、昌也にはまったく伝わっていなかった。

「私達も友情を含めよう。君はもっと下半身を鍛えた方が良い。スクワットマシンをやらないか? レクチャーしてやるぞ」

「遠慮しとく。友達と来てるから」

 芳樹はもう出ようと、たかしの背中を叩いて歩き出したのだが、昌也の一言ですぐさま振り返った。

「股間に効くぞ」

「さらば、友よ。おれは一回り大きくなって帰って来るぞ!」

「その意気だ!」

 昌也が拳を掲げると、芳樹も拳を掲げた。

 そんな二人に呆れながらも、たかしは「大丈夫ですか?」と祐介に声をかけた。

「もうダメ……筋肉も彼女と一緒。オレには合わないんだ。どっちもキツイ」

「そんなことないですよ。筋肉がつけば、きっと恋人も満足してくれますよ」

「彼女は性格がキツイんだ……」

「なら……鍛えても無駄ですね」

「そうだろう。しかも、あれが元カレ」

 祐介が遠くでスクワットマシンをする昌也を指すと、たかしは顎が外れるくらい口を大きくあけて驚いた。

 どんな女性がこんな二人と付き合ってんだろうと思うと、不思議でしょうがなかったからだ。

「驚かせてしまったようだけど、オレの元彼じゃないよ」

「わかってます。だから余計にびっくりしてます。あまりにお二人がお似合いで……いえ、なにを言ってるんでしょうオレは……」

「とにかく、恋人の紹介で元カレに会いにきたんだけど。なに一つ教えてもらってない。ただ抱きつかれただけ。彼が羨ましいよ……」

 祐介はスクワットマシンの使い方を習う芳樹に、羨望の眼差しを送った。

「酷い彼女さんですね。元カレに会ってこいだなんて」

「そう思うだろう! それに――」

「それに、なんですか?」

「彼女が会いにいけっていたのか? オレが会いに行くって言ったのか?」

「オレに聞かれても……。ただ、普通はどちらもあまりないことだと思いますけど。何かトラブルがなければの話ですが」

「トラブルね……」

 祐介が真剣に考え出したので、たかしは心配になった。

「もしかして、運動のしすぎでは?」

「君はバカだね。なにも教えて貰わなかったって言っただろう。運動なんかしてないよ」

「なるほど――」たかしは『あなたもバカなんですね』という言葉を必死に飲み込むと、愛想笑いを浮かべた。

 こんな変な二人と付き合ってる女性は、よっぽど変わり者だ。たかしはその女性が来る前に、さっさと離れてしまおうと芳樹を呼んだ。

「もういいだろう? 悟との待ち合わせ時間になるぞ」

「よくない」

「また別の日に来よう」

「それも無理」

「どうして?」

「股関節が破れる音って聞いたことある? 玉袋が破けた音かと思った……」

 芳樹はガニ股で助けを乞うようにゆっくり歩いてきた。

「その音はシャツが引っかかって破けた音だ。股関節が痛いのは、興奮して無茶な動きをするからだ。筋トレを舐めるな!」昌也は眉間にシワを作って睨むが、すぐににっこりと笑顔を浮かべた。「だが、ナイスチャレンジ精神だ。治ったら、また来い」

 白い歯を見せる昌也に、芳樹は「治ったらきます」と愛想笑いを浮かべると、たかしにだけ聞こえる小声で「アンタの頭がな!」と言うとジムを後にした。



 その夜、マリ子に祐介からメッセージが届いた。

「嘘……最悪……」

「どうしたの? 新作のアイス不味かったの?」

 たかしはスプーンを咥えたままのマリ子に声をかけた。

「違うわよ。彼氏からのメッセ。振るつもりで、喫茶店からトンズラ来いたってのに、なんてメッセージが来たと思う?」

「今ちょっと幸せになる言葉を聞いたから、なにも考えられない」

「支払い済ませておいてくれてありがとうだって。自分が捨てられたことに気付いてないのよ……。まるで犬みたい。バカで可愛いんだから」

「……なんか考えて言えばよかった。犬は狂犬病にかかるとか」

「どっちかというと、痩せ細った大型犬ね。なんかいるでしょ。そういう犬種」

 たかしの嫌味などマリ子は気付かずに、ラブソングを流しながら幸せの表情を浮かべて返信を始めた。

 たかしは鍛えてマリ子を恋人から奪い取ろうという考えはやめだと、今日消費した分のカロリーはアイスで増やすことにした。






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