第八話
朝の六時半。
普段ならば静けさに包まれる家も、今日は違った。
弾けるリズムの最新J-POPが大音量で流れているからだ。
目玉焼きをこそげ取るヘラをマイク代わりにして、二回目のサビでノリノリにお尻を振っていると、怪訝な表情の明夫と目が合った。
マリ子は気にすることなくリズムを取ると、上機嫌のまま「一緒に踊る?」と聞いた。
「僕の目算では、パラレルワールドで生活してる僕は百人くらいいるはずだけど、誰一人として君と踊る愚か者は存在してない」
「その百人に一人くらい、口答えをしない明夫はいないわけ?」
「五人は存在してる。でも、その誰もが踊らないんだ」
「せっかくの良い気分が台無しなんだけど」
「今日って新作ゲームの発表会?」
「いいえ」
「声優が事務所に管理されない個人チャンネルを作った?」
「いいえ」
「じゃあ、朝から良い気分になる意味がわからない。もしも変な薬をやってるなら早めに白状して、今からワイドショー用の台詞を考えておかなきゃ。彼女は絶対にやってると思ってたって」
朝から明夫の嫌味に付き合ってる暇はないと、マリ子は自分が上機嫌の理由を早々に打ち明けた。
「計画を立ててるのよ。紅葉が見えるホテルで二泊三日。ちょっと高いけど……。まあ、色々切り詰めれば余裕っしょって感じ」
「それは良かった。僕も新しいフィギュアを買う予定なんだ。君の呪術的儀式を見るまでは、最高の朝だった」
「あれは歌って踊ってたの」
「歌と踊りは儀式の基本だよ。知らないの?」
「アンタが腰をくねらせて、甲高い声で歌って踊っても何も言ってないでしょう」
「最近は何も言ってこないけど、その代わりに手が出てくる」
明夫が睨みつけ、マリ子に睨みつけ返され怯んだところで、たかしが起きてきた。
「朝から仲いいじゃん。そんなに顔を近づけ合って。相手が明夫じゃなかったら、絶対に妬いてる」
「たかし! ちょうどよかったわ。見て、これ」
マリ子はスマホでホテルの予約ページを見せた。
「へえ、いいとこじゃん」
たかしの肯定的な意見に「でしょう」と笑顔を作ったマリ子だったが、すぐに表情を曇らせることとなった。
「誰と行くの? 京さんと公子さん?」
「何言ってるのデートに決まってるでしょう」
「デート? それは困った……」
マリ子との泊まりのデートの提案ならば、いつもはすぐに飛びつくのだが、今回は違った。
「どうしたの?」
「先に予定あった? なら、そっちに合わせるわよ」
「あの……その……」
言いにくそうにするたかしだったが、代わりに明夫が満面の笑みで答えた。
「たかしは僕と一緒にフィギュアを買うんだ」
「はあ?」と声がひっくり返ったマリ子を見て、たかしはそれが否定の合図だと理解した。
「わかるよ。フィギュア代を旅費に回せって言うんだろう。でも、アクションフィギュアなんだ」
たかしがなぜ明夫みたいなことを言っているのかというと、子供の頃の戦隊モノのヒーローが、完全細部再現で稼働式になったからだ。
スタチュー式のフィギュアとは違い、好きなポーズを取って飾ることができ、更には変身時に使うメダルをはめ込むベルトのバックルまで揃っている。
子供向けではなく、"あの年代の子供向け”ということもあり、たかしの熱も上がっていたのだった。
これが最近ハマったアニメやゲームなら、自制心が働きマリ子の旅行へと舵を切ることが出来たのだが、思い出と憧れが詰まったものとなると話は別だった。
「どうせ明夫が同じのを買うでしょう」
「僕はロボットを買うんだ。三世代のロボットだよ初期から始まり、中だるみのテコ入れのお助けパーツがついたロボットも入り、もう終了間際のクリスマスを利用して、もうひと花火上げるための最終形態のロボットも入る。僕はたかしの倍以上の値段を使うんだ。まぁ……買うけどさ。僕のは保存用。たかしのは飾って、ふとした時にあの日の思い出を語り尽くす用なの」
「ちょっとたかし本気で言ってる?」
マリ子は自分とのデートより、子供のおもちゃを取るたかしが信じられなかった。
いつもならば、ここでマリ子が強く出て、たかしが流されて終わりなのだが、今回は違った。
「君は負けたんだ。諦めて」と、一昔前の量産型アニメ主人公のように、明夫はやれやれとかぶりを振った。
「エッチありの恋人の旅行より、子どものフィギュアを取るわけ?」
「このフィギュアをだってエッジだよ。子供向けじゃなくて、大人向けだから不自然に丸みを帯びてないんだ。ロボットなんて、特にエッジが効いてこそだろう?」
「知らない」とマリ子は冷たく言い放つと、突然シャツを脱ぎ始めた。
「さあ、この下着。旅行の時には、どんな変身を遂げるでしょうか。フィギュアとは全く逆の感触よ」
マリ子は少し肩を内側に巻き込んで谷間を深くすると、たかしの頬へ息を吹きかけるようにして言った。
「たかし惑わされるな。これは悪の組織【魔女:ゴルゴンゾーラ】と一緒だ。セクシーな衣装で油断させて、手下を巨大化させるぞ。その時必要なのは、彼女との思い出かい? 違うだろう。僕が買う予定の合体ロボットだ。マリ子と合体してもロボットにはなれない」
「ちょっと……。人の恋人をもので釣ろうって言うわけ?」
「そっちこそ。僕の親友をたるんだ体で釣ろうとするな。女はいつもそうだ。そうやってたかしは童貞も奪われたんだ。友人として、もう何も奪わせないぞ」
「こっちはアンタには出来ない、良いことが出来るのよ」
「それって魔女ゴルゴンゾーラの、ワイングラスを指で弾いておっぱいに近づけると、おっぱいが振動して街に大地震を起こすっていう必殺技のこと?」
明夫はまさかという一筋の光を奥に秘めた瞳でマリ子を見た。
「違う……」
「なぁーんだ。じゃあ諦めて。僕らはおっぱいに揺らされた都市を守るのに精一杯なんだ。僕らのフィギュアが届くまで、街は常に壊滅状態なんだぞ。そんな街からヒーローを奪える?」
「ヒーローは紅葉を見に行きたいって。それで、恥じらいに染まった私の体と紅葉のどっちがキレイか味見をして決めるの」
「マリ子に恥じらいなんてないだろう」
「だから紅葉で無理やり染めるのよ。あんまりうるさいと、鮮血で赤く染めるわよ」
「君が旅行に行く予定の場所は、イチョウが多いんだ。だから赤じゃなくて黄色が目立つ」
「ちょっとちょっと二人とも……胃腸に来るのはこっちだよ。なんで争ってるのさ。大学行く前にするような話題でもないだろう」
「そうね、まずは大学に行く。それが学生本文。こんなんで遅刻して単位落としたら、さすがに目も当てられないわ」
マリ子が乗っかったことにより、たかしはようやくこの話も終わると思って「そうだよ」と便乗した。
「僕は午前中休みだけど」と口答えをする明夫だったが、食事代を支払っているのに朝ご飯抜きになるのも癪だと思い席についた。
朝食時はそれっきり揉めることはなかった。
だが、朝食後。
たかしが洗い物をしていると、背後から二つの気配が同時に迫ってきたのを感じた。
振り返る前から、二人に戦の気配が漂っているのがわかった。
「たかし、午後暇でしょ? 試着付きで紅葉デートプラン詰めようと思って」
マリ子がたかしの左腕に胸を押し付けて抱きつくと、逆の腕には真似した明夫が抱きついていた。
「たかし、秋葉原で合体パーツの展示やってるんだ。現物を見て購入判断するべきだと思わない?」
左右から挟まれたたかしは、スポンジを落とした。
「いや、その……」
「仮に二人とも脱いだとして、どっちが高性能かって話よ。パーツを落としたロボットか、ブラを脱いだ彼女か」
「僕のロボットはメタル製で関節が100箇所以上動くんだ。パーツを外せば、それだけ可動域が上がる。人間が脱いでも出来るポーズは限られてる」
「セックス中に男が興奮するポーズは限られてるから、なんの問題もないわ」
「ロボットは動かしてる最中に感動があるんだ! あんなに気持ちいいことは他にない」
「女は動かしてない方が気持ちいこともあるの」
マリ子はもう話していられないと、大学に行くためにたかしから離れた。
「ちょっとマリ子さん」
「私は引かない。明夫に負けるのは絶対嫌」
「そうじゃなくて、動かしてないほうが気持ちいいってどういうこと? 全く知らない世界の話をされてる……。今までオレ達がしてたものってなに?」
「おバカ……。ほら大学行くわよ。将来フィギュアのロボットのパイロットになるんじゃなかったら、卒業は大事」
「本当そうだ。明夫に惑わされるところだった。オレはどうでもいいから、大学へ行くよ」
そうして各々は、それぞれの始業時間に合わせて大学へ向かった。
マリ子は大学の講義を終えると、たかしの誘惑の準備にと、下着と気分を盛り上げるためのお酒を買って帰宅した。しかし、部屋はそんな雰囲気になることが到底不可能なほどに模様替えされていた。
LEDテープが天井付近の壁に貼られ、部屋を一周している。
そのすべてが青色に統一されており、真っ青の部屋の中にいる明夫が「おかえり、ようこそコックピットへ」とマリ子を迎え入れた。
「なにこれ」
「なにってコックピットだよ。青は精神を統一させる色だ。青色のライトに照らされ、僕らは精神でロボットと繋がるんだ」
「さては……たかしのことをたぶらかそうかそうとしてるわね……」
「それはお互い様。マリ子がたかしを誘惑するためのエロエロ下着が紙袋に入ってるのはわかってる」
明夫が睨みつけると、たかしを取り合う朝の続きが始まった。
「アンタこそ紅葉見に行くって言ってるのに、わざわざ青色に染めるだなんて手が込んでるじゃない。なんとしてでも紅葉は見に行くわよ。私の人に見せる用の写真アルバムの弾を用意しておかないといけないんだから」
「代わりに承認欲求でも詰め込んで撃てば? 無駄にいっぱいあるんだから」
「ブラに詰め込むのはおっぱいよ。だいたい、なによこれ。LEDテープ買うために年会費まで払って会員登録したの?」
マリ子はテーブルに投げ捨てられたい。街の家電量販店の会員カードを見つけた。
「急ぎだったんだ仕方ないだろう。ネット通販じゃ間に合わない。でも、無駄じゃなかった」
「無駄よ。っていうか、なにこれ」
LEDテープの外袋と、レシートなどがごちゃごちゃに置かれている場所から、一枚の紙を取り出した。
「なにって抽選の結果だよ。キッチンを含むリビング全体をLEDテープで包囲したんだ。それなりのお金はかかる。そのせいでレジで三回も抽選を引かされたよ」
「ちょっと! 当たってるじゃないこれ!」
「だからどうしたのさ」
「アンタね……この文字が見えないの? ペア宿泊権が当選したって」
「だからどうしたのさ」
「私がどこに行きたいか知ってる?」
「地獄?」
「それは今からアンタを落とす場所よ! じゃなくて、宿泊先が紅葉がきれいに見える宿なの!」
「へえーそれはよかった。でも、宿には興味ないよ」
「察しが悪いわね……。いい?」
二人が話し合うちょっと前。たかしは上機嫌で悟と話していた。
「本当に楽しそうだね」
朝の話をおおまかに聞いた悟は、笑顔の絶えないたかしに、大学にいる間ずっと付き合っていた。
「たまにはこういうご褒美がないと。今はマリ子さんも明夫もオレを取り合ってる。きっと今頃明夫はオレの好物を夕食に作って、マリ子さんはセクシーな作戦を立ててるに違いない」
「たかしが幸せそうならいいけどさ、どう決着をつけるつもりなの? 愛が友情か」
「もう少し良い思いをしてから考えるよ。今はどう転んでもプラスになる未来しか見えない」
「大学後期が始まったからって、テンション上がりすぎ。そう上手いこといかないと思うよ」
「それはどうかな」
その会話で別れ、ウキウキで家に帰ってきたたかしが聞かされたのは。
「当たった宿泊券で明夫と一泊して来るわね」と、思ってもいなかったマリ子からの言葉だった。
マリ子は紅葉の写真を撮って、友達に「充実した生活」をアピールできれば満足だったし、明夫は旅行代が浮いたぶん、たかしが戦隊モノのアクションフィギュアを買えるならそれで問題ない、という結論に達したのだった。
「ちょっと! オレの気持ちは? オレの意思は」
「どうでもいいって言ってたでしょう。だから、二人で話し合って決めたの。たかしもまだまだ青いわね」
マリ子は真っ青のライトに染まる部屋で、たかしに軽くハグすると、早速映えスポットの検索をするために自室へと向かった。
たかしに睨まれた明夫は「僕は止めた」と誤魔化したのだが、たかしが明夫のスマホを奪ってLEDの色を赤へと変えた。
「真っ赤な嘘だろ……」
明夫は「まあね」と肩をすくめた。「でも、旅行の計画はまだ青写真」
明夫はスマホを奪い返すと、再びLEDライトの色を青く変えた。




