第三話
ジャッカルへ緊急連絡。作戦イーグルを実行せよ。これは訓練ではない。目覚めろジャッカル。指令を実行するのよ。
明夫がメッセージの通知音を聞いてスマホをいじるのと同時に、たかしも届いた通知音でスマホを確認した。
「明夫……。彼女からこんなメッセージが届いたんだけど」
たかしは急に届いた自己紹介のメッセージに恐怖していた。
なぜなら、アコには連絡先を教えていないからだ。
「自己紹介しろって言っておいたからね。僕が教えた」
「じゃあ、次からオレにも教えておいてくれよ。アコさんがマリ子さんが幼馴染で、高校の時に恋心が芽生えたけど、それは勘違いだと思って黙ってた。それで大学生になり離れ離れになったところ、芽生えた恋心は本物だと気付いて、開いた愛という花を回収にしにきたミツバチだって」
たかしは要約する前の長い文章を明夫に見せた。
「彼女は夢女子で、今はナマモノに足を踏み入れてるってこと」
「これでも明夫とは幼馴染だ。君の親よりも君を理解してるし、長い年月を一緒に過ごしてきて、オタク文化に疎くはないと自負してる。……不服ながらね。そのオレが理解できない話をされても困る」
「男のオタク文化はHIPHOPと似てるけど、女のオタク文化はギャングなの。わかる? 知ったら引き返せない。彼女たちがどれだけの暗黙のルールの元で生きてるか。彼女らのやり方はSNSで薬物を売るギャングと一緒。隠語だからこそ真のアンダーグランド。彼女らの世界線では、どんなにニッチなジャンルやカップリングでも土の底で呼吸をしてる。わかるね?」
「ギャングが生き埋めにした」
「生かすも殺すも彼女ら次第ってこと」
「つまりだ。明夫はオレの個人情報をギャングに売ったってことでいい?」
「僕の個人情報を売ったのはそっち。たかしが先」
「いいだろう。それで恋人が出来たんだから。オレは彼女をギャングに奪われそうになってる」
「訂正することが三つある。まず、恋人じゃない。次に、奪われそうだと思ってるのはたかしに自信がないから。最後に、彼女は本物のギャングじゃない」
「そんなのわかってる……。というかさぁ、なに? 結局どうなったわけ?」
「どうもなにも。僕は二次元が好きで、今も声優の演技に感情を揺さぶられてる。変わったことと言えば、ようやくひとつのリメイク作品を受け入れられたことくらいだね。古典の模倣から、現代アートへと昇華される瞬間を味わったってこと」
「もっと現実を味わったらどう? 耳にたこだろうけどさ」
「現実の味って苦汁を飲まされたり、辛酸を嘗めたりだろ。ときには煮え湯も飲むんだ。甘い汁を吸うのは極一部だけ。僕は自分が甘い汁を吸う立場になれると思うほどバカじゃない。それに甘い汁には、限定の描き下ろしイラストはついてこない」
「人生は日々描き下ろしのイラストだ。自分で描いて、自分だけが見てる。素晴らしい映画だよ」
「なにそれ。最近のJ-POPの歌詞?」
「明夫と真剣に話し合いをするのが土台無理な話だったよ……」
「偉そうにしてるけどさ。まだ許してないからね。これが原因で異世界転生出来なかったら、絶対にたかしを許さないからね」
「オレは止めたよ。マリ子さんの暴走を止められる人間はいない。異世界から転生してきても無理」
「余裕ぶってるけど、たかしはまた女性と恋人を取り合うつもりでいるのかい? 恋愛シミュレーターでもあんまりない展開だよ。あったとしても一回だ」
「好きでそうなってるわけじゃない。でも実際連絡は取ってるんだろう?」
「取ってるよ」
「それをお祝いしてもいいだろう。親友なんだ。親友がようやく人間への第一歩を踏み出した。これは喜ぶべきことだ」
「僕らがしてるのは定期連絡だ。たかしとマリ子みたいにエッチなメッセージを送り合ってない」
「……見たのか?」
「声に出してた」
「ちょっと待って。じゃあなに? オレは大音量でエッチなメッセージを読み上げる変態だってこと? なんでその時に指摘しなかった」
「声優になるために練習してるんだと思ったんだよ。アダルトゲームに出てる声優も家で練習してるってエピソードがある。それなら親友として止めるのはどうかと思ったんだ」
「親友ならすぐ止めて。もしも外で口に出してたらどうするんだ」
「同じことを言いたいね。マリ子に流されるんじゃなく、すぐ止めて」
「悪かったよ……明夫の気持ちを考えてなかった」
「口ばっかり」
「態度で示してほしいなら。抱きしめてキスでもしようか?」
「うーん……それは。ちょっと待って」
明夫は腕を組むと、本気で悩みだした。口からは「うーんうーん」と間抜けな擬音を出しているが、顔は真剣そのもの。
まるでたかしにキスされたいかのようだった。
「待ったはこっちのセリフだ。なにを企んでる」
「なにも。でも、たかしが男に興味があるなら、僕は喜んで受け入れるよ。それなら話が早いしね」
適当にはぐらかされてると感じたたかしは、肩を落としてためいきをついた。
「マリ子さんについていけばよかったよ……」
その頃マリ子は、京といっしょにいつもの喫茶店にいた。
「どうして呼んでくれなかったの?」
京は表情を変えないまま、マリ子の顔を真っ直ぐ見つめていた。
「京に迷惑をかけたくなかったの。信じられる? 自宅が異世界転生のリスポーン地点になった気分よ」
「どうして呼んでくれなかったの?」
「京に迷惑をかけたくなかったの。彼女、べったり触ってくるの。それも気持ちの良い触り方。自分がイケてると思ってるSNS勘違い男でもあんなに堂々と口説いてこない」
「どうして呼んでくれなかったの?」
「京……聞いてる?」
「聞いてるわ。どんなコメディー映画よりも面白そうなシーンを見逃したってことよ。……どうして呼んでくれなかったの?」
「その時は気を使ってたけど、今思えば本能がそうしたのかも。京を呼ぶとややこしくなるって」
やたらと乗り気な様子を見て、マリ子は京を呼ばなくて正解だったと確信した。
京の性格上、マリ子の周囲を取り巻くドタバタを悪い意味で見て見ぬふりは出来ない。
誰が暴れて、誰が迷惑を被って、結果的にどんな事態になっているのか興味は尽きないからだ。
「是非呼んで。なんなら今からでもいいわ」
「二日連続でアコに合うなんて、カロリー使いすぎて死んじゃう。山頂でフルマラソンしろって言ってるようなもんよ」
「ダイエットになっていいじゃない」
「心のカロリーの話よ。心のカロリーが減っても、体重は減らない。むしろやけ食いで増えるだけ。ほっぺはぷくぷくで、お腹はぶくぶく。そんな私が見たい?」
「見たい」
「京ぉ……真面目に相談してるんだけど」
「心外だわ。私も真面目に答えてるのよ。だから本題に戻りましょう」
「なら、話を戻すわよ。私がこれ以上可愛くなるにはどうするかよ」
マリ子は冗談を言っているわけではない。いつもと同じく突拍子もない事を本気で言っているのだ。
だが、それには理由があった。
「短絡的だと思うけど」
「だって彼女は、私の男らしさに惚れたのよ。女らしさで中和しないと」
「それ以上女らしくなってどうするつもり? 立派な胸に、立派な――。立派なお尻」
「なんで胸とお尻の間で一回詰まるのかしら」
「深い意味はないわ。ただ……アイスを食べてるなって思って」
「アイスは食べるものよ。体に塗るものとでも思った?」
「生クリームを体に塗ったことあるじゃない」
「アイスと生クリームは違うもの。まず文字数がぜんぜん違う」
「それで気が紛れるなら」
「紛れて欲しいのわ、体重計の数字。どうにかにして身長と体重を足して、都合よく引いた数を体重に出来ないかしら」
「出来たら人間とは認めないわ。マル子の趣味に付き合ってもらうのは?」
「私の趣味? これ以上惚れさせてどうするのよ。一緒にやるって言い出すに決まってる」
マリ子は銃を打つ仕草をすると、恥ずかしげもなく堂々と「ばーん」と口に出した。
「そっちじゃなくて、昔からの趣味よ」
「ビッチっぽさと清純さを交互に出して男を惑わせる?」
「買い物よ。ファッションにメイク。目的もなくブラブラするのが好きでしょう」
「言わせてもらえば目的はある。お金がないだけ。仕方ないでしょう。4シーズンだけじゃないのよ、流行りは。京みたいに年中ジーパンってわけにはいかないこっちは」
「あら。ジーパンは良いものよ。楽だし、太ったら履けなくなるから太る心配がない」
「それは京だけ。普通の女は体重に一喜一憂しながらジーパンを買い替えるものよ」
「なら、なおさら付き合わせるべきじゃない?」
「今は夏最終のデザートフェアよ。……私だけが太る未来が見えるわ」
「偶然ね。私も同じ未来が見えたわ」
「そうだ! 京が恋人ってことにするとか」
「たかし君がいるでしょう」
「男の恋人はたかしで、女の恋人は京。ちょうどいいじゃん!」
マリ子はもう問題が解決した気になって、笑顔でアイスをかきこんだ。
頭に激痛が走り、キーンとなったこめかみを押さえていると、かすれる視界で京が眉間にシワを寄せてるのが見えた。
マリ子が「なに?」と聞くと、まずため息が返ってきた。
「前に恋人のふりをしたらややこしいことになった」
「それは私の恋人のふりじゃないからよ。京が言ってるのって、ハムが青木に惚れたって騒いでた時のでしょう?」
「そうよ。マリ子が約束を破って消えた日。ユリと出会った日でもある」
「悪かったわよ。でも、あの日一番最悪だったのは私。あの頃はユリが元恋人の新しい恋人だったんだから、荒れるってもんよ。台風だったら、中心気圧は950ヘクトパスカルはかたいわね」
「なら、たかし君の出番ね。責任を取ってもらいましょう」
「男に責任を取れなんて言ったら、七割は逃げる。それに、たかしは頼りならないわよ。ことなかれ主義なんだから、どっちにも良い顔するに決まってる。で、ベッドで謝るのよ。……ずるいと思わない。そんなの許しちゃう」
「私は愚痴を聞いてるのかしら? それとも惚気を聞かされてるのかしら?」
「お願いを聞いてほしいの」
「無理よ」
「仕方ない……別の作戦を考えるわ」
「それがいいわ。それか、私を含めて三人で話すとか」
「それって京がアコに会ってみたいだけじゃないの?」
「当然でしょう。そうと決まれば話は早いわ」
「いいけど……どうなっても知らないわよ」
マリ子はため息混じりにスマホを弄り、アコに今度友達と一緒に会おうとメッセージを送ったのだった。
マリ子と京の話が合意した頃。たかしと明夫はまだ言い争っていた。
「だから――」とたかしが語気を強めるが、明夫は「待った」と強引に話を中断して、アコへメッセージを送った。
ジュピターへ緊急連絡。作戦イーグルは失敗。繰り返す。作戦イーグルは失敗。敵に気づかれた恐れがある。
「まさか声優のネットラジオのスケジュールチェックじゃないだろうな。大事な話の最中だぞ」
「僕も大事な話をしてた。だいたいたかしが怒るのはお門違いだよ。君のせいでこっちはさんざんだ。ゲームに負けた報告をするほど悲しい報告があるか? あった……声優の訃報だ……。思い出も一緒に消えるような気がして、胸が苦しくなるよ」
「否定しにくい事例を出してきて……卑怯者め。だいたいゲームならルールを教えろよ」
「ちょっと待った――」
明夫がそう言ったのは誤魔化すためではない。アコから返信がたったからだ。
ジャッカルへ緊急連絡。作戦イーグルは成功。引き続き監視を頼む。
「――僕も知らないゲームに突入してる……」
明夫はなにがあったのか聞こうとしたのだが、アコからの返信はそれっきり途絶えてしまった。