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2.1チャンネルスピーカーズ  作者: ふん
シーズン1
1/121

第一話

「おい! 大変だ! 明夫! アニメなんか見てる場合じゃないって!」

「たかし……何度も言ってるけど。これをアニメなんて簡単な言葉一つで表現しないでくれ。ミツバチが花に誘われるようなファンシーさがあり、ライオンの群れのように雄々しくもある。相反するものが実に見事に融合されてる現代芸術の最高傑作だよ」

「それって、よくあるハーレムものってことだろ」

「芸術に贋作はつきものなの。で、なに? 僕が買ったソファーで、僕が買ったテレビで、僕が契約してるアニメチャンネルを見るのになんか問題でもあるわけ?」

 明夫は重く垂れ下がった前髪を、ガリガリの細い手でかき上げると不機嫌に睨みつけた。

「いいか? よく聞けよ……。女性が来る。それも美人だ」

 たかしはこれがどんなに凄いことか熱を込めて言ったのだが、明夫はスカした態度で笑った。

「いいか? よく聞けよ……。女はそこにいる。それも美人だ」

 明夫はアニメが見えないと、テレビの前にいるたかしをどかそうとするが、非力なのでどれだけ押しても全く動くことはなかった。

「わかってないな。オレ達の男臭い家に女が住むってことだぞ。こんな素晴らしいことってあるか?」

 たかしは歓喜の声を上げてクッションを高く放り投げた。

 クッションは天井に強く当たり埃を立たせ、子供の地団駄のように踏み鳴らす足音は床を響かせた。

 だが、文句を言いに来るものはいない。なぜなら、ここは古い一戸建てだからだ。

 二人は小学校からの友人であり、現在は大学生。そしてルームシェアをしているのだった。

「ちょっと待った……僕にはなんの相談もなく決めたわけ?」

「だって相談したら反対するだろう?」

「相談しなくても反対する。百歩譲って声優かコスプレイヤーなら僕も我慢するよ。でも、ただの女なんだろう? 悪いけど部屋は余ってないよ」

「部屋は余ってるだろ。狭い部屋がいくつも。無駄にありすぎるくらいだ。だから使いにくいって借りる人がいないから、オレ達でも家賃が払えるんだ」

「僕は使いやすいから借りてるの。おかげで今季のアニメごとにグッズを飾れるよ」

「でも、もう決まったんだ。大家にも許可を貰った。一つ部屋を空けるくらい構わないだろう? チャンスなんだよ。彼女は恋人と別れたばっかり。慰めるふりをしてたらトントン拍子にこんなことに。こんなうまい話があるか?」

「あるから詐欺ってのはなくならないの。とにかく僕は反対。話は終わり。まったく……巻き戻さないと……」明夫が見逃した部分を戻すと音声が消えた。その無音になった時、ちょうどよく鍵がガチャっと開く音が響いたので、驚愕の表情でたかしを見た。「まさか……鍵も渡してあるのか?」

「大家と話はついてるって言ったろ? 悪い話ばかりじゃないって家賃も折半。つまり毎月自由に使えるお金が増えるってこと」

「それって……」明夫はスマホを取り出すと、登録していた欲しい物リストをチェックした。「このフィギュアも買えるし、ラバーキーホルダーもコンプリート出来る……」

 スマホから目を離せなくなっている明夫を見て、たかしは勝利を確信していた。最近お金がないので、コレクションを売るかどうかずっと悩んでいたのを知っていたからだ。

「いい話だろう?」

「いい話じゃない。悪い話じゃないってだけ」

 明夫が渋々納得したという表情を浮かべると、リビングに忙しない足音が響いてきた。

「ごめんね遅れて。荷物はどこに置けばいい?」と現れたのは、ワンカールのボブにハイトーンのインナーカラーの女性。濃いめの化粧のせいで、元々きつい目が更にきつく見える。

 簡単に説明すれば、明夫が嫌いなタイプの派手な女性だった。

「……訂正する。悪い話だった」

 香水の匂いに明夫が鼻をつまむと、たかしは失礼なことをするなとその手を払った。

「気にしないで。マリ子さん。これは前にも話した同居人の明夫」

「知ってる。オタクでしょ。それも重度なアニメオタク」

 マリ子の興味は部屋のインテリアだけで、明夫には目もくれずに部屋を見回していた。

「訂正させてもらえば、軽度はオタクとは言わないの。いいかい? 軽度な依存症って言うかい? 重度だから依存症っていうんだ。だから重度なオタクとは言わない。あと、それ触らないで」

 明夫はマリ子が持ち上げたフィギュアを奪い返すと、ソファのサイドテーブルにそっと置き直した。

「サイドテーブルには、リモコンとかスマホを置くものよ。他にもお菓子とかビールとか」

 明夫は「いいかい? 彼女は――」とフィギュアを指した。「彼女の居場所はここだ。なぜなら浅く腰掛ければパンツが見えるからだ。モニターの見過ぎで疲れた僕の目を優しく癒やしてくれる」

「現実を見なければ、目薬も必要ないのね」マリ子は肩をすくめると「それで私の部屋は?」と聞いた。

「二階の日当たりの良い部屋を用意してるよ。ところで荷物はそれだけ?」

 たかしはマリ子のバックを一つを持つと、部屋まで案内しようとした。

「今はね」

「今は? なんなら僕が元カレの部屋に取りに行ってあげようか? ついでに新しい彼氏だって言えば、一泡吹かせられる」

「やめておいたほうがいいわ。今行ったら、あなたが犯人に疑われるから」

「待った……。まさか警察に厄介になるようなことはしてないよね……」

「してないわよ。そんなヘマしない」

「待った待った待った待った!」

 さすがに警察が来るのはごめんだとたかしは慌てたが、マリ子は柔和な笑みで返した。

「冗談よ。早く案内して」

「よかった……冗談か。君冗談が上手だね」

「そうでしょう」

「……本当に冗談だよね」

「別に急いでるわけじゃないけど、もしかして部屋に入るのに面接がいるの?」

「ごめんごめん。こっちこっち。ちょっと階段が急になってるから気を付けて。慣れるまで大変だと思うから。なんなら呼んでくれば、いつでも君専用のタクシーになる」

「大丈夫よ。これでも足には自信があるんだから」

「だろうね」マリ子のタイトスカートから肉付き良く伸びた脚を見て、たかしは鼻の下を伸ばした。「それじゃあ、僕は下にいるよ。他の部屋には入らないで。明夫のコレクション部屋だから、もし勝手にいじったりしたら……。僕は警察の厄介になりたくない」

「それも冗談でしょう」

「冗談じゃない」

 たかし真面目な顔で言うと階段を降りていった。

 残されたマリ子は急に寒気を感じ、身震いを一つすると案内された部屋に入っていった。



 たかしが一階に戻ると、明夫は消臭剤を部屋中にスプレーしていた。

「明夫、なにしてるんだ……。ここはトイレじゃないぞ」

「香水のニオイを消してるんだよ。こんな現実の女のニオイがする中で、アニメなんか見られるか?」

「これから毎日一緒に生活するんだぞ。せっかく浮いた家賃を全部消臭剤に使うつもりか?」

「それよりいい考えがある。業務用のトイレの芳香剤を入浴剤代わりに使うんだ。それで彼女に入ってるもらう」

「彼女に一日中公衆便所のニオイをさせるつもりか? なに考えてるんだ」

「香水よりトイレのニオイのほうがずっと落ち着く。だってそうだろう? 彼女よりもトイレとの付き合いのほうが長いんだ」

「ほら、今ハマってるアニメの女の子がいるだろう。あのキャラクターが同じ香水を使ってると思えばいい」

 たかしは一時停止されたままのテレビ画面を指した。画面には、黒いロングの女子高生がお淑やかに座っている場面が映し出されている。

「もしかして彼女のことを言ってるのか? 彼女はこの世で最も清楚な女子高生だぞ。男がどうやって立ちションをするのかも知らないんだ。そんな彼女が香水なんかつけると思うのかい?」

「……まず言うことは、アニメキャラはこの世の人間じゃない。最後の質問にはこう返す。男が出来れば女は変わる」

「変わらないからアニメなの」

 明夫はたかしを睨みつけたのだが、階段を下りる足音が聞こえると視線をそっちにやった。

「なんの話をしてたの?」

 大した荷物もないのですぐに荷解きを終えたマリ子は、やることもないので一階へ下りてきたのだった。

「大した話じゃない」と話題を打ち切るたかしだったが、明夫は違った。最初の話題に戻ったのだ。

「君が公衆便所だって」

「ちょっ!」

 何を言ってるんだと天井を仰いだたかしだが、マリ子は納得だと頷いていた。

「たしかにここはトイレのニオイがするものね。部屋の芳香剤とトイレの芳香剤を間違えてるんじゃないの?」

「君が制汗剤と香水を間違えたって言うなら。僕もそう認めよう」

 明夫の嫌味な言い回しに、今度は意味を理解してマリ子が頷いた。

「あーなるほど……画面からはニオイがしないものね。女のニオイに慣れてないんでしょ」

「どうしてそう思う?」

 明夫が腕を組んで余裕の態度を取るが、マリ子に「重度なオタクだから」と嫌味な顔で舌を出して反論されると、どうしていいのかわからず手を空中でわちゃわちゃさせた。

 マリ子が冷蔵庫に飲み物を取りに行ってるすきに、明夫は小声で「彼女のどこを好きになったわけ? 今僕は一つも彼女の良いところを見つけてないんだけど」とたかしに聞いた。

「いっぱいあって語りきれない。でもあえて簡単に言うなら顔かな……あと脚」

「君は女を見る目をもっと養ったほうがいいと思うね」

「おいおい……さすがにアニメオタクの童貞には、女がどうとか言われたくない」

「僕が毎クール何人の女の子を見てきてると思ってるんだ。君が一人の女の子と付き合ってる間に、僕は何人も嫁にしてるんだぞ。文字を見てみろ。どう考えても僕のほうが恋愛巧者だ」

「明夫は文字よりも空気を読めよ、そしてアニメよりも現実を見ろ……。彼女がここに住むことは決まったんだ。つまりルールも変わる。芳香剤のお風呂はなし」

「いいこと言ったわ。最初にルールを決めましょ」

 マリ子が近寄ってくると、明夫は不機嫌に眉を寄せて、お茶の入ったペットボトルを取り上げた。

「ルールその一。人の飲み物は勝手に飲まない」

「ルールその二。名前の書いてないものは共有物」

 マリ子は勝ち誇った顔で、ペットボトルを取り返した。

「ルールその三。現実の女の子は、アニメの女の子に劣るのを認めること」

「ルースその四。おしっこは座ってるすること」

「ちょっと待った待った待った!」たかしはこれでは話が平行線だと二人の間に割って入った。「二人共そんなにムキになるなよ。ルールなんだから妥協しあわないと」

「そんな甘いことを言うから、戦後いつまでも揉めるんだ。僕らは今、異なる国が二つ。間にある小さな島一つの所有権について話し合ってるんだ。この問題は向こう百年は解決しないのは、時代が物語っている」

「なら、でかい顔したもの勝ちだってわかるでしょう」マリ子はペットボトルの蓋を開けてお茶を一気飲みすると、空になったペットボトルを明夫に投げ渡した。「ほら、返してあげる」

「君の頭の中と同じで空っぽだ。実に良い音が鳴る」

 明夫はペットボトルで自分の手のひらを叩いて、コンコン音を鳴らした。

「まぁまぁ二人共。確かに性格の違いによる衝突はあると予測していたよ。だから、こんなものを用意しておいたんだ」

 たかしは明夫からペットボトルを取り上げると、代わりに青い磁石を明夫に、黒の磁石をマリ子に渡した。

 明夫とマリ子は「なにこれ」と同時にたかしを見た。

「食事当番とか掃除当番とかを決めるための磁石」たかしは冷蔵庫に事前に作っておいた当番表を貼ると、自分用の赤い磁石を今日の掃除当番のところに置いた。「今日の掃除当番はオレ。だから、ペットボトルは捨てちゃう。ほら、争いごとが一つなくなっただろう?」

「なくなったのは僕のお茶だぞ。それに、今どき手作業なわけ? スマホがあるのに?」

「いいだろう。このほうがルームシェアって感じがしてくる」

「私はいいわよ」

 マリ子は自分の磁石を、空いたスケジュールのところに置いた。

「ほら、見ろ。彼女は柔軟だぞ。集団生活ってのはこうじゃなくっちゃ」

「それで、掃除当番さんはあのゴミをどう処理してくれるの? リサイクルはできなさそうね」

 マリ子は明夫を指差して言った。

「僕は萌えるほう。ちなみに君には萌えない。粗大ごみだ。ゴミに出すためには重さをはからないと」

「当てられる? おっぱいの重さも感じたことないんでしょう? そんなやつに女の体重が当てられるかしらね」

「わかるに決まってる。四十五キロは超えてるね」

 明夫は言ってやったと満足気な顔をしていたが、マリ子は言っている意味がわからないと困惑した。褒めてるようにしか聞こえないからだ。

 助けを求める視線に気付いたたかしは「明夫はアニメキャラの体重しか知らないから」と肩をすくめた。

「世の中みんなオタクになれば、ダイエットの悩みは解決ね」

「そう、悩みは解決していかないとね。ダイエットでも、友情でも同じ」

 たかしが執拗に握手を求めるので、仕方なく明夫とマリ子は握手をした。

 そうして一旦揉め事は終わり、明夫はアニメの続きを見始めたのだが、マリ子がアニメの登場キャラクターに向かって「あざとい女ね……絶対裏で男を天秤にかけてるわよ」と口を挟むと、再び言い合いが始まった。

 たかしはこれからのルームシェアで、何度同じ光景を見ることになるのだろうとため息を落とした。






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