魔法だとか魔道具で他人を簡単に奴隷にできるとかいうあり得ない設定はもうやめませんか?
皆さんはなろうといえば何を思い浮かべるでしょうか?
諸説あるでしょうが、異世界 チート 奴隷辺りが一般的な認識だと思われます。
私はこの中の奴隷に関する展開で非常に不満に思っていることがあるのです。
その不満とは奴隷が存在すること自体への賛否などではありません、その奴隷を作る方法として出てくる魔法や魔道具が存在することへの不満なのです。
私感なのですが、なろう以外の媒体では奴隷制が存在していたとしても物理的に他人を従わせる便利な魔法や魔道具が存在するケースは非常に稀なように感じます。
一方でなろうの奴隷制には単に制度として奴隷が主人に逆らえないといったものではなく、魔法や魔道具といった存在のせいで物理的に奴隷は主人に逆らえないといった設定の物が異様に多いような気がします。
私はこの設定が大っっっっっっっっ嫌いなのです。
そんな魔法や魔道具が存在したら人間社会なんて成り立ちようがありません。
特になろうでは王や少数の貴族といった存在が権力を持っている世界観の作品が多いですが、その少数の人間が洗脳されたらその時点で社会は完全におしまいですよね。
そもそも他人から魔法や魔道具を使われるだけでお手軽に物理的に逆らえなくなるような社会では、他人と関わるリスクが急激に増大するため人が大きな共同体を作ること自体が難しいでしょう。
共同体の中で殺人者が生まれたのならば共同体全体でその殺人者に立ち向かえば良いですが、魔法や魔道具等という存在で強制的に奴隷にさせられてしまうのならば乗っ取りという形で共同体の利益が全て個人に奪われ、その共同体に属する他の全ての存在は共同体のメリットは享受できず搾取されるだけの存在となるでしょう。
また理屈を抜きにして物語の面白さという点で考えてもあまりにも大きなデメリットが存在すると思います。
単純な話ですが、他人を奴隷にする魔法や魔道具等といったものが存在するにならばあらゆる問題はそれで解決してしまうでしょう。
また物語に登場する人物たちに対する思い入れという物は限りなく薄くなります。
何故なら彼らの人格、性格などお手軽に魔法や魔道具を使って奴隷にしてしまえば何の意味もなくなるのですから。
なろうのような娯楽小説はキャラクター性を売りにしているので地味ながら最も大きい問題なのではないでしょうか。
長くなってしまったため改めて書いておきますが、私は別に奴隷が出てくること自体が悪い等と言っているのではありません。
魔法や魔道具等といった物で他人をお手軽に奴隷にできてしまうという異常な設定を特になにも考えず取り入れてしまうことに物申しているのです。
私はテンプレというものにそこまで否定的ではありません。
ある程度の道筋があって手軽に書けるというのは筆者読者双方にとって良いことですし、キャラクターなど細かい部分でアイデンティティを出せば十分だと思います。
しかし不要なものも何も考えず取り入れていては、物語の世界そのものが薄っぺらく現実感のないものになってしまうと思います。
なろうも既に十分大きくなりました、設定をテンプレとして取り込み大きくなっていく段階はもう終わり不要な部分を排出していく段階に入ったのではないのでしょうか。