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過去の欠片

「……仁?」


 教室入り口で立ち止まっていると、澪がこちらを不思議そうにして見た。透き通る瞳と視線が交わる。


「ああ、傘が無くて時間を潰そうと思ってな。澪は勉強していたのか?」


「うん、最近はいつも教室で勉強してる」


「そうか、相変わらず頑張ってんだな」


 委員会の集まりもなく、放課後はさっさと帰っていたので知らなかった。変わらない澪の頑張りように、また尊敬の念を抱く。

 

 そういうところは変わらないんだな。と僅かに湧き上がった懐かしさに包まれていると、澪は躊躇いがちに、ぽつりと言葉をこぼした。


「……仁は傘がないの?朝から雨、降ってたのに?」

 

「ん?ああ、ちょうど困ってる人がいて、その人に傘貸したからな」


「そう、仁は変わらないね」


 優しく、それでいて温かい声。ぱっちりとした二重の目が柔らかく僅かに細められる。

 その視線に微妙に居心地が悪くなり、視線を少しだけ横にずらす。


「別に。困った人は見捨てておけないだけだ」


 そう。これは親切心からきてる行動じゃない。もちろん、親切心が一切ないわけではない。だが一番の理由は、


——償いだ。


 俺が背負った罪の。これがある限りどんな人でも捨て置けない。例え、それが悪いことをした奴だとしても。


 苦々しい過去の記憶を思い出し、奥歯をぎりっと噛み締めていると、澪は「……そっか」と淡白に頷いた。


「それで、傘がないならどうやって帰るつもりなの?」


「とりあえず、下校時間までは勉強して、それでも止まなかったら、最悪走って帰るかな」


「それなら……」


「ん?」


 澪が何かを言いかける。先を促す意味で首を傾げると、澪はゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……私の傘に入って帰る?」


「は?」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。まさか、澪から相合傘の提案をされるなんて。固まる俺に澪は言葉を続ける。


「濡れて帰るよりはマシでしょ」


「あ、ああ……」


 事態を理解できないまま、首を縦に振る。一緒に帰る?相合傘をして?俺と澪が?


 戸惑い。混乱。

 頭の中の整理がつかない。澪の真意を確かめる意味で、澪の顔を見続けると、ついっ、と目を逸らした。


「……この前と同じで外は暗いし、一人で帰るのは危ないから、誘っただけ」


「……そっか。ありがとな」


「別に」


 澪から誘ってくることなんてこれまで一度もなかった。それが今になって。違和感。戸惑い。色々な感情が胸の内に溜まる。

 だが、俺が濡れて帰らないようにするために誘ったのは本当だろう。そのことだけは素直に嬉しかったし、ありがたかった。


「帰る用意するから少し待ってて」


「いや、下校時間になってからでいいぞ?」


「ちょうど区切りのいいところだから大丈夫」


 それだけ言って、物音を立てながら勉強道具を仕舞っていく。筆箱、教科書、ノート。そしてプリント。それぞれ丁寧にまとめてリュックへと入れていった。


「ん、終わった」


「じゃあ、行くか」


 1週間ぶりの澪と一緒の下校。不思議と気まずさは薄れていた。


 靴を履いて外へ出ると、既に外は暗くなっていた。止まない雨が降り続ける。空は厚い雲に覆われて闇に溶け込むほど暗い。さらにじめじめと湿った空気が肌に張り付き、それが少しだけ不快で顔を顰める。


「……はい」


「ああ」


 澪が傘を差し、自分のスペースを空けて待つので、そのスペースへと入る。澪のフローラルな香り。爽やかな甘い匂いが鼻腔をくすぐった。


 2度目の相合傘。きっと付き合っていたらとても幸せだったに違いない。だが、今の俺たちには、それはただの一行為にしかならなかった。


 ポツ。ポツ。ポツ。


 雨が傘を打つ音が二人の間にずっと響く。暗闇の中、街灯の道標だけを頼りに、帰路を歩き続ける。道路に跳ねる小さな水飛沫があちこちで見えた。


「そういえば、最近舞とちょくちょく話してるよな。何話してるんだ?」


「舞さん?基本的には挨拶。それに時々勉強の質問……かな」


「ふーん、そうなのか」


 まあ、想像していた通りだな。と思っていると、澪はさらに付け足した。


「あとは……」


「まだあるのか?」


「仁と中学が一緒だから、仁の中学時代はどんな感じだった?面白い失敗はない?っては聞かれた」


「あいつ……」


 舞がにやにやしながら、澪に尋ねてるところが容易に目に浮かんだ。

 絶対からかう気満々だったに違いない。明日、会ったら修に舞の失敗について聞いてやろう。そう心に決める。


「何か教えたのか?」


「ううん、教えてないよ。……昔のことなんて、教えられない」


「……確かに、そうだな」


 影を落として憂う澪の横顔を見ながら、自分も無意識に僅かに声が低くなる。


 過去のどんなシーンを切り取ったってそこには澪がいる。

 それは澪と俺が特別な関係だったことを意味するわけで、そんなのを他人においそれと教えられるものではない。元カノなんてバレるのは面倒だし。


 既に過去になった、その事実が2人の間に漂う。それは重く、触れられない何かで、それ以上、話を続けるべきか一瞬迷う。

 

 普段だったらここで黙って沈黙を享受していただろう。だが俺は、澪のことを確かめるために話そうと決めたのだ。

 その一歩として、一つ、尋ねることを決意して、今一度口を開いた。


「……前にもさ、こうやって傘を一緒にさしながら帰ったよな」


 朝の記憶。澪の気持ちが分からない過去。どの過去に触れるか迷ったが、触れるならこの過去だろう。


「……そうね。あの時とは状況が逆だけど」


「覚えてたんだな」


「うん、仁に助けてもらった日だから。……あの時は、傘に入れてくれてありがとう」


 思いがけない言葉。ここでもまた「ありがとう」と言われてしまった。その事実に少しだけ気持ちが軽くなる。


「迷惑じゃなかったか?あの時、結構強引に誘ったと思ったんだが」


「ううん。凄い助かったし、その……嬉しかった」


 僅かに目を伏せ、俯き加減にポツリと零す。細く消え入りそうな声であったが、確かに俺の耳に届いた。


 ああ、そうなのか。俺は力になれていたのか。迷惑ではなかったのか。


 しみじみと胸の奥に響き渡る。ストンッと腑に落ちるように、心の重しが無くなった。引っかかっていた過去の欠片は安らかに消えていった。

 暗雲は消え、爽やかな風が心の内を吹き抜ける。


「そうか、お節介になっていなかったなら良かった」


「うん、本当にありがとう」


 さっきよりも幾分か軽くなった足取りで帰り道を進んでいった。


 気まずい雰囲気はほとんどなく、気付けば互いの家の前までたどり着いていた。


「じゃあね」


「ああ、じゃあな」


 澪を見送り、背を向ける。背中越しにガチャッと家へと入っていく音が聞こえた。その音を聞き届けて、ほっと息を吐いた。


 ここまで話せば流石に分かる。

 やはり、澪は変わっていた。礼を言ってくれるし、過去のことについても感謝された。きっとそれが彼女なりの変化、いや成長なのだろう。


『凄い助かったし、その……嬉しかった』


 さっきの澪の言葉が蘇る。

 嘘ではない。本音だろう。情感の篭ったその声には、確かに優しさと真剣さがあった。不覚にもあの言葉に救われてしまった。


 澪は過去と向き合って変わったのかもしれない。いつまでも何もかも自分から動かなかったあいつは、そうして成長したのだろう。


 それに比べて俺はどうだ?いつまで過去に囚われている。今と向き合っているのか?


 否だ。いつまでも昔のことを気にして、振り返って。何も変わっていない。変わったのは見た目だけだ。

 周りは変わっていく。時の流れと共に。澪も変わった。中学の他の奴らだって変わった。みんなみんな変わった。


 ……そろそろ、俺も変わろう。いつまでも気にするのはやめて。澪との過去に囚われるのはやめて。


 小さく想いを吐き出して空を見上げる。そこには空全体を覆う厚い雲があった。じっとりと湿った風が肌に張り付くように吹いてくるのも感じる。

 学校を出た時と何も変わらない。それらは何も変わっていない。


————でも、雨だけは知らない間に降り止んでいた。

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初恋リベンジ〜ハイスペック陽キャになって青春を謳歌するはずが別れた幼馴染と再会した〜
― 新着の感想 ―
[良い点] 仁が背負った罪とは何なのか?続きが気になります
[一言] このような「表現する」サイトで言ったところで無意味な誹謗中傷は無視して頑張ってください。 引き続き楽しい物語を待っています。
[一言] 澪ちゃんが過去に何を思っていたか。何故辛辣だったのか。あの発言がどういう意図だったのか。早く知りたいですね。雰囲気だけ見れば素直であれはお似合いに見えるし…今回の話のように。
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