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2.蠅

 首が二つ並んでいた。並んでいるのは昨夜、顔を合わせたばかりの顔だった。

 毛堂と楊。もっとも昨夜出会った時には、こんな風に目を見開いて、苦しそうな顔などしてはいなかったし、喋ることも問題なく可能だったし、そもそも胴体に繋がっていたのだけど。

 彼らの胴体はもはや原型を留めていなかった。腕も足も何もかもが分かりはしなかった。全てが全て、小さく細切りにされた肉塊になって、辺りに散乱していた。転がった肉塊が元々はどっちに繋がっていたのかさえ、分かりはしなかった。


 ひどい匂いがした。

 鴉が肉を突いていた。

 纏わりついた蠅は不快な羽音を鳴らしていていた。


 首から上だけが、綺麗に残っている。何故だかそれが神聖なものであるかのように、蠅も鴉も目を見開いたままの頭にはたかろうとしていなかった。そうでなければ、この頭が残っていなければ、毛堂と楊が死骸になってしまったことに誰も気づくことはなかったのに。どころか散乱している肉塊が元々は人間であったことにすら気付かなかったのに。そっちの方が良かったのに。


 場所は、氏神家の本堂から僅かに歩いたばかりの、集落の真ん中だった。

 おそらく彼らが息絶えて、ぐちゃぐちゃになったのは昨夜。そうして、今、昼頃になってひどい腐臭を漂わせるまで一切の手を加えられず、ここに放置されているのだ。


 何か失わせる情報があるかもしれないとか、そんな適当な憶測で、往来の真ん中で内臓も骨も混ぜこぜになったものを、僕と鈴が来るまで放置していたらしい。


 いい迷惑だった。

 わざわざ引っ張り出されて、こんな光景を見せられていたんじゃあ、たまらない。


「鈴」

「なに?」

「消してくれ」


 鈴はこくりと頷いた。瞬きする間もなく、毛堂と楊だったものは消え去った。けれども悪臭だけが、まだ鼻の中に残っている気がした。


「何かお判りでしょうか」


 いつも通り無粋な響きの声だった。

 真夏にもかかわらず、黒子に身を包んだ男は、顔を覆った黒い頭巾から、冷たい目もとだけを覗かせていた。


 彼らを御伽草子と言った。

 氏神家にかかわる組織の人間だった。

 僕たちを死体と腐臭が漂う場所へ連れていく人たちだった。

 人間社会で生きていたいのであれば逆らってはいけない人達だと、僕は詩音さんに言い聞かされていた。


 言いつけを破り、勢いあまって、既に何人か殺してしまっているが、僕はまだ咎められてはいなかった。

 殺すたびに、同じ服装をした見た目の変わらない御伽草子が新しく現れた。

 不躾だった口調もだんだんと丁寧になっていったが、僕には外堀を埋められているようにしか思えなかった。


 それももう、幼い頃の話だ。あの頃に勢いで殺してしまった人間は、御伽草子に限らない。

僕はもう当主だった。次に殺してしまったら、僕は何か報いを受けるに違いない。


「お判りでしょうか、一月様」


 御伽草子は繰り返す。僕は黙っていた。

 僕はこの人たちのことが苦手だった。毎回、無理に連行されて不快なものを見せられて、好きになれるはずもなかった。


「殺してしまうのは構いませんが、なにぶん数が多いです。もし、本気で戦うのであれば、修羅の道ですね。あと報復と復讐の最中私は殺されちゃうんじゃないですかね」


 他人事のように言っていた詩音さんの言葉を僕は思いだしていた。

 御伽草子は瞬きもせず、僕のほうを向いている。僕が黙っているのは、彼らのことが嫌いだと言う理由だけではなかった。単純に僕には何にも分かっていないからだった。ただの人間である僕が現場を見ただけで、事象を解明できるはずもないことを、御伽草子だって分かっているはずなのに、彼は、やはり僕に問いかけているようだった。

 僕は御伽草子の視線から逃れるように鈴の方を向いて、受け取った問いかけを馬鹿みたいにそのまま投げ返した。


「鈴、何か判ったか?」

「なんにも視えない」


 つまらなそうに口を尖らせて仏頂面で鈴は言った。

 僕としては、鈴に視えないのであれば、もうどうしようもないのだから、へぇ、そうか。珍しいこともあるもんだな。と適当に話を切り上げてこの件をお終いにしてしまいたいのだけど、横にいる男がそれで納得するはずもないことは、ずいぶん昔から知っている。


「視えないとは、一体どういうことでございましょうか」


 案の定。御伽草子は言う。

 知るかよ。僕に聞かないでくれ。


「鈴様に判らぬことなど何もないと、伺っておりますが」


 判らないことはない。それも微妙に間違っているが。

 ともかく御伽草子の問いかけが向けられているのは、あくまで僕だった。僕は頭を掻いて、やはり馬鹿みたいに繰り返した。


「鈴、どういうことだ?」


 鈴は片耳を折って、不機嫌な眼差しで僕を見た。憎しみが込められた刺すような視線だった。その眼差しを受け止めなければいけないのも、向けられているのも、きっと僕ではないんだが、実際に受け止めているのも向けられているのも僕なのだ。

 鈴は口を尖らせて文句を言った。


「どうもこうも、視えないって言ってるじゃん」

「分かってるけど」

「分かってるなら聞かないでよ」


 鈴に怒られて僕は目を逸らす。見上げたのは空だった。僅かばかりの現実逃避。雲一つない夏の空に心を癒される間もなく、右からは御伽草子の容赦ない詰問があって、困った顔をして左を向くと、やはり鈴は不機嫌に僕を睨みつける。


「もう分かったよ」


 結局そうやって折れてくれたのは鈴の方だ。ため息混じりにそう言って、それから左手に繋がれていた体温が失われて、鈴は僕の隣を離れて、三歩進む。そうやって一寸前まで死肉と首が晒されていた所までやってきて、しゃがみ込み、地面に右の手のひらを当てた。目をつぶり深く息を吸う鈴の姿は、陰陽師と呼ばれている僕たちの付喪神が霊的な能力をふるっているようではあるけれど、その実、何の意味も持たないことを僕は知っていた。


 鈴の周りに、つむじ風が巻き上がる。鈴の黒髪は風に吹かれて浮き上がり、辺りには土埃が舞った。鈴の身体が仄かに白い光に包まれている。

 これも、御伽草子を納得させるための演技でしかないだろう。これから鈴が行うことには何ら関係ないに決まっていた。


 瞬間。僕は何も見えなくなった。完全な闇。鈴が僕の視界から光を奪ってしまったのかと思ったけれど、そうではなかった。

 空には蛍のような微かな光が散らばっている。それから、大きな月。昨日見たのと殆どかたちが同じだ。

 ここは多分、昨日の夜なんだろう。


 そんなことは幾らでも起こり得る話だ。時間が巻き戻ったのか、それとも、ただ夢を見せられているだけなのか。どちらにしても鈴にそれぐらいのことが出来ないはずもなかった。


 前方に、星が現れた。地上に星が見えたなどとあり得ないことを思考してしまうのは、一重にここが鈴の見せている世界であるからに他ならない。だけど、ここはあくまで昨日の夜だった。だから地上に星は姿を現さない。僕の認識は誤りである。

 それは、ゆっくりと近づいてくる。

 あれは炎だ。

煌々と燃え盛る炎がその姿を明らかにするとともに、辺りは紅く照らされ、じんわりとした温かさを感じる。熱くもなく、夜風の冷たさを都合の良く誤魔化す柔らかな炎だった。

そういえば、毛堂の付喪神は炎を操るんだった。これは毛堂の付喪神が出した炎に違いない。


 その炎のすぐ後ろには、4つの影があった。さっき見たばかりの顔と、さっきは見なかった顔。毛堂と楊。それから彼らの付喪神だ。足音が大きくなり、二人と二匹はだんだんと近づいてくる。

 そうして話声が聞こえるようになってきた。


「なぁ、楊よ。やはり我らの仕様もない陰口が聞かれていたのだろうかの」

 そう喋っているのは毛堂だ。楊は腕を組み、何か思案に耽っているような表情をしていた。

「なぁ、楊よ」

「俺に聞いても分かるはずがなかろう」

「まぁ、そうだがの。世間話だ」

「その世間話で俺たちは肝を冷やしたんだ」

「そう言うな」


 僕にはついぞ気づく機会はなかったが、毛堂という男は性根が明るい人間であるようだ。眉間に皺を寄せる楊をよそに、にこにこと屈託のない笑顔を浮かべている。


「楊、何を考え込んでおる」

「氏神家と付喪神の縁についてだ」

「また、けったいなことを考えるの」

「けったいとは何だ」

「そんなのは、誰にも答えが出せぬ問いだろう」

「お主だって、今しがた、分かるはずのない問いを俺に投げかけただろう」

「それもそうか」


 毛堂は、口元を大きく曲げて、愉快そうな笑みを作った。ひょっとしたら酔っぱらっているのかもしれない。


「俺はな、楊」

「なんだ」

「大器な宿主には、見合った付喪神が与えられると思っていたのだ。己の付喪神に絶大な能力がないのは、自身の狭量さがため、そうやって力のない自分を戒めてきたし、納得もしてきたつもりだ」

「ほぉ」

「なんだ」

「現当主様はその器ではないと、言いたいのか」

「別に、愚図ではないと思う」

「ふむ」

「逆らおうとも思わん」

「今日、締められたのが利いておるの。悪く言う流れになればすぐこれだ」


 揶揄うように言った毛堂に、楊は不貞腐れるようにそっぽを向いた。

 毛堂は鼻の穴を大きく膨らませた。それから毛堂がまくし立てたことは、ただの酔っ払いそのものの台詞で、僕は苦笑いをするしかなかった。


「俺が言ってやるぞ、楊。現当主も、もっと言えば先代当主も、ごくごく普通の人間だ。あんな化け物まがいの付喪神を授かる器ではない。あ奴らが、当主になり、上座に座っておるのは、ただの運だ。それ以外の何物でもない」

「そうかもしれん」

「俺は妬ましいぞ、楊。生まれ持った運だけで、奴らは全てを手に入れたのだ」

「そうは思わん」


 叫びまくっていた毛堂とは対照的に、楊はひどく陰鬱に相槌を打っていた。毛堂は気を悪くしたらしく、非難の目を楊に向けている。


「何だ。辛気臭い顔ばかりしおって」

「むしろ、当主様は哀れだと思わんか」

「どこがだ。哀れなのは我らの方だろう?」


 その問いに楊は答えなかった。代わりに別の問いを投げかけた。


「毛堂。人を殺したことはあるか」

「ある」

「何人だ」

「3人」

「俺は4人だ。それは、付喪神を制御できなかった回数と言っても差し支えない。憎いと思った時には、相手はもういなくなっていた」

「俺も、まぁ、似たようなもんだな」


 それでひと時の沈黙が流れた。楊がふと歩みを止めた。景色に見覚えがあった。僕たちがついさっきまでいた場所だ。ああ、この場所でこの人たちは屍になるのだと、僕はぼんやりと思った。

 楊は夜空を見上げていた。


「現当主様にしかり、先代当主様にしかり。本当に自分の付喪神を制御できておるのかの?」

「さぁの」

「もう、数え切れぬほど殺してしまったのだろうな」

「知らぬ」

「お主は冗談で、現当主はすぐに憑り殺されてしまうと言ったのであろうが、強ちそれも間違いではないのかもしれぬな」


 毛堂が何か言いかけて、その瞬間僕には何も見えなくなった。視界がさらに暗転したのだ。どころか五感全部がなくなった。僕には何にも分からない。


「鈴」

「ちょっとだけだよ」


 どこからか鈴の声がした。そして数秒もしないうちに、僕は五感を取り戻す。

 血の匂いがした。

 月に照らされて、辺りに何かが転がっているのが辛うじて見える。だからつまり、彼らはこうやって死んだのだ。

 確かにこれでは何も分かりはしないが、これで良かったと思う。流石に、ひと時前まで生きていた人間が、いかに臓器をまき散らしてぐちゃぐちゃになったのかなんて、確認したいとは思わなかった。


「これが私が視えるものの全部だよ。他は正真正銘真っ暗、何にも見えない」

 鈴の声が頭に響いた。

 眩しい光に包まれたような感覚。昼に戻ったのだ。突然、僕の身体に突き刺さった太陽光。目がいたい。突然流れ始めた汗は、多分、暑さだけのせいではない。

「これでいい?」


 数歩進んでいた鈴は振り返り、右耳を傾げて僕を見つめた。鈴は僕に命令されただけなのに、悪いことでもしたような済まなそうな顔をするのだ。

 だから僕は頭を撫でてやる。よくやった、なんて言葉は出てこなかったけれど、今見たものはあまり気持ちの良いものではなかったけれど。


 鈴は一度だけ尻尾を左右に振って、なんだか仕込まれた芸でもこなした犬みたいだった。

だったら、ご褒美に帰り路には何か甘いものでも買ってやろうと僕はそう思う。

 そうして僕は今日初めて、御伽草子に自分の意志で、自分の言葉を伝えた。

「鈴に視えないなら僕には手の打ちようがありません。帰らせてもらいます」


 果たして御伽草子は何も言わなかった。


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