3.夏至の日
氏神家の本堂には客間室があった。
出来れば使いたくないと思っていた。
こういう場所では、作り笑いを浮かべて、つまらない話をすることと相場が決まっている。
けれど、流石に就任初日から使う羽目になるとは思いもしなかった。
客間室では男が二人、畳に額を擦りつけるようにしている。
氏神毛堂と氏神楊。
太っていて、脂汗をかいているのが毛堂。こけた頬をして、青ざめた表情をしているのが楊だった。
僕は鈴とは違って、心が覗けるわけではないけれど、彼らの心中は何となく察しがついた。
当主の影口を叩いた。その日の内に呼び出された。当主はいつだって自分たちを殺すことが出来るはずだ。そりゃあ、たまったものじゃないだろう。
後ろには狐と亀。
彼らに憑いた付喪神だ。
四足歩行すらしていない、彼らの付喪神。つまりは低級も低級の付喪神であるのだけど、鈴とは違って、いやに佇まいに威厳がある。雑魚ゆえに、人間とかけ離れた姿をしているからこその、こけおどしの神々しさだ。
「ああ、いやそんなに畏まらないで下さい。大した話をするわけではないんです」
精一杯の愛想笑いを作る僕。
隣にいる鈴は微かに鼻を鳴らした。
「ただ新当主は、就任初日ここで誰かをもてなすのが仕来たりみたいでして、今回はここから最も離れた場所で守護の任に当たっていただいている毛堂さんと楊さんを選ばせていただきました」
自分以外の誰かが喋っているみたいだった。
そんな仕切たりがあるわけない。
白蓮さんあたりが聞いたら、噴き出しかねないような、下手糞な建前だ。
「とにかく、遠路はるばるご苦労様でした」
僕が言葉を重ねると、鈴はまた鼻を鳴らす。
不機嫌そうにするのは構わないけど、せめて、余計な口を挟むなよ。そう思い、ちらりと鈴の顔を見ると、一切の感情を失ったような表情で、ぼんやりと天井を見つめていた。
たぶん、鈴なりに僕に協力しようと努力しているんだと思う。
地面に張り付いていた毛堂と楊の頭がようやく上がる。表情には理解できないといった困惑とそれから疑いの色が垣間見えた。
「光栄ではありますが、相手が我らのような下賤のものでよろしかったでしょうか」
喋ったのは毛堂の方だ。額にはやはり汗が浮かんでいる。
「下賤だなんて、同じ一族でしょう」
「源である清秋殿の力を搾りカス程度にしか引き継げなかった故、辺境の地で任に当たっておる我らなど、鈴様のような付喪を授かった一月殿と比べれば下賤も下賤でありましょう」
毛堂の言葉を引き継ぐように、楊が語る。こちらはもう半分開き直っているようだ。真っすぐに僕の目を捉えてくる。
「そんなことありませんよ。お二人は十二分に任を果たしていると聞き及んでいます」
ああもう本当に面倒くさい。
そりゃあ、鈴に比べれば君たちの付喪神は弱いかもしれないけれど、それでもただの人間には過ぎた力であることは間違いないだろう。
「ああそうだ。あなたたちの付喪神の力を、お聞きかせ願えませんか」
毛堂と楊は図ったように顔を見合わせる。
そんなことは聞かずとも、鈴に聞けば直ぐに分かる。
そんなことすら把握出来ないのだと、勘違いしてくれれば良いと思った。
狐が、毛堂の付喪神が重々しく口を開こうとしていた。
全身を毛並みのいい金色の毛で包んだその付喪神は宿主に、暗に搾りカス扱いされたことなど気にも留めていないようだった。
「炎が操れる」
「炎ですか」
「ああ、森羅万象ありとあらゆるものを焼き尽くす」
「へぇ」
僕は、必要以上に面白がるような反応をしてみせる。実際には物騒な能力だと、内心、うんざりしているのだけど。
さて。僕は上手くやれるだろうか。
「じゃあ、試しに僕を燃やして見せてくれませんか」
そう僕は言った。出来るだけ悪意のなさそうな作り笑いを浮かべて。
「お戯れを」
慌てて言った毛堂は、それこそ、業火に焼かれているように、ひどく汗をかいていた。涼しい顔をしている狐の姿とはひどく対照的だ。
「本気ですよ」
「当主様に危害を加えるわけにはいきませぬ」
「命令です」
「は?」
「当主の命だ。僕を燃やせ」
毛堂は、汗をかきながら、引きつった表情で、目線を泳がせ、助けを求めるように鈴を見た。「こんな愚かなことを言ってますよ。止めなくて大丈夫ですか」と言いたいのかもしれない。
鈴はまだ、ぽかんと口を空けて天井を見つめている。
「御意」
結局、そう答えたのは、狐だった。毛堂が目を白黒させている内に、狐は多分何かをしようとしていたのだと思う。力のある視線で僕を睨みつけていた。けれど、僕は今日の昼ほどの暑さすら感じていない。狐は身体から力を抜いた。
「燃えぬな」
「そうですか」
「別の何かなら燃してやるが」
「ああ、それは、またの機会にお願いします」
「ふむ」
狐は首を傾げる。毛堂はまた頭を下げ、額を擦りつけていた。別に僕は怒っていないし、気を遣わなければいけないような気がして、面倒だから止めて欲しいが、そう口に出してしまったら、毛堂はなおさら顔色を目まぐるしく変えるに違いない。
僕は楊の方に視線を向ける。
「そちらは」
「儂は毒だ」
亀が喋った。やはり、明らかに人間でない何かが人の言葉を喋るというのは、神様然としているように見えるな、と僕は思った。
「失明させる毒。記憶を失わせる毒。人格が変わる毒。必ず殺す毒。おおよそ人に害をなせる毒なら、何だって作れる」
「へぇ、面白い」
面白くもなんともない。どいつもこいつも。明らかな化け物だ。それで鈴の1/10ほどの力も持っていないのだ。本当にうんざりする。
「興味があります」
「こしらえてやろうか?」
「いいですか?」
「何が望みだ?」
「殺す毒」
僕は言った。
亀は性格が悪そうに口元を歪めた。もごもごと口を動かし、そうして小さな丸薬を吐き出した。
粘液に覆われているみたいに、端的に言えば、涎まみれで触りたくない。一瞬そう思ったが、数歩亀の元まで歩み寄り、仕方なく僕はそれを触り、飲んだ。
「は?」
それまで、無表情を貫いていた楊の目が見開かれた。
「お前さん死ぬぞ?」
亀は面白そうに言う。
まぁでも。こんなの君の涎が不快なぐらいで、毒にも薬にもなっていない。
果たして、僕は死なないのだ。
「これが僕の付喪神の能力です」
僕は言って、鈴の方を見やる。鈴はまだぼんやりとした表情をしている。
「鈴」
そう僕が呼びかけて、ようやく目の焦点が合ったようだった。覗いてくれ、目を合わせて僕は鈴に念じる。伝わったみたいだ。今日何度目かの心を覗かれている気味の悪い感覚。
これから、僕は嘘をつくから、気が向いたらその手助けをしてくれ。そう僕は鈴だけに言った。
鈴は、ふいと僕から顔を背ける。
まぁ、別に助けてくれなくても構わないけど。その時は自力で、出来る限りやるだけだから。
「鈴の力はとても受動的だ。あらゆる、危害から僕たちを守り続ける。何があっても僕たちは傷つけられることはない」
まるきり嘘だ。
鈴はその気になればなんだって出来る。火だって毒だって、やりたい放題で論理や合理や感情を全て無視する無茶苦茶だ。
それでも僕は嘘を吐く。自分はあなたたちに危害を加えることなど出来ないのだと、警戒する必要なんてないのだと。
「なぜ、そんな話をなさるのですか?」
楊が僕に聞いた。都合がいい質問だ。鈴が操ってくれたのか、それともごく自然な問いかけだったのか、僕には分からない。
「僕には、一族の力が必要だということです」
「ほぉ」
「鈴は強い。おそらく一族の誰にも負けはしないでしょう。けれど、炎を操ることも、毒を作ることも出来ない」
「ふむ」
毛堂の汗は少し引いただろうか。楊はすでに冷静。ようやくまともに話が出来そうだ。
「だから、下賤のものだなんて言わないでください。争いのない平時には、あなたたちは僕よりよっぽど有用なんですから」
「そのようなことは」
「あります。僕は今、普通の人間となんら変わらない。平時の政にはどうしてもあなた方の助力が必要だ」
騙されただろうか。
鈴は大したことが出来ない。普通の人間と出来ることはなんら変わらない。彼らの力が必要。
全部が全部嘘だ。
こいつらなんて、いなくてもいい。むしろ逆らわれると面倒な分いない方がいい。
毛堂と楊。それから彼らの付喪神は、畏怖や媚びのない純粋な視線を僕のほうに向けていたように見える。
口を開いたのは、楊の方だった。
「そのような話をされずとも、私は一月殿に恭順する心積もりでございます」
「右に同じでございます」
そう言って、二人は頭を下げる。
「有難い話です」
僕は、笑みを浮かべる。視線を畳に向けた宿主と違って、付喪神はまだ僕を見ている。作り笑いはまだ必要だった。
「少ないですが、直に酒と料理が運ばれます。それから余興が少し、ぜひお楽しみになってください」
「有難き幸せ」
「僕はこれで失礼します」
そう言って、僕は客間を出た。
鈴も俯いたまま黙って僕の後ろについてくる。
今日は嘘ばかり吐いた。
仕様もなくて、関わりが薄い彼らぐらいにしか通用しなくて、それでも悪意も害もない、ただ鈴が伏し目がちに、耳を折った、それだけの嘘。
「鈴、あいつら信じてくれたかな?」
「知らない」
「助けてくれてた?」
「知らないもん」
僕は頭を掻く。そりゃあ機嫌悪いよな。何だって出来るのに、何も出来ないことにされたんだから。
「まぁ、どっちでもいいけどさ。もう終わったことだし、やるだけやったわけだし」
「…少なくとも、もう一月の悪口は言わないと思うよ」
鈴は小さく呟いた。そっか、と僕は頷く。だったらまぁ、そんなに不味くはなかっただろう。それなのにどうして僕は、こんな風にやり切れない気分なんだろう。