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1.夏至の日

 夏至の日の夕方だった。

 氏神家の本堂の大広間。入り込んだ蟲の声と、ときおり吹き込む風が、夏の暑さを幾ばくか紛らわせていた。


 贅を尽くした料理が右側に34膳、左側に34膳。階段を3段上がった上座に2膳。

 すだれで仕切られた上座から、僕は夕餉の文言を唱えていた。


 夕餉の文言とは、氏神家に古くから伝わる、儀式の言葉だ。憑き物衆を集めた集会で、飯を振舞う時は当主が唱えるしきたりになっている。


 全てを言い終えるのに、おおよそ5分と20秒。

 ながったるくて、たまらない。


 だいたい、唱えている僕は、意味なんか理解していないんだ。

 教えてくれた、教育係兼相談役兼許嫁の詩音さんだって、こんなの、いただきますを回りくどく言っているだけですよ、と適当なことを言っていたわけだし。


 まぁ、そういうわけで。

 僕は、ろくすっぽ考えもせず、思考停止で暗記した言葉を吐き出しているわけだ。


 それでも、上座から見える、憑き物衆の皆様方34名と34匹は、瞬きもせず、すだれの先のこちらの方をむいて、神妙な面持ちで、僕の言葉に耳を傾けている。

 なんだか馬鹿みたいだと思うが、誰も彼も真面目で、それが正しい行動なんだから、やってられなかった。


 僕なんかと違って、彼らはきちんと理解しているのだろう。文言を一言でも間違えようものなら、何も言わず、顔をしかめるに違いがない。


 じゃあもう、君たちの誰かがやればいいじゃないのかな、とも思うけど、今日は僕の、氏神家当主就任の儀なわけで、つまりまぁ、僕が当主ということになってしまっているのだから、そういうわけにもいかないのだった。


 「永久狗了乃謝孟」


 最後の言葉を締めくくると、僕のほうを向いて、全員がうやうやしく頭を下げた。

 

 けれど、おそらく敬意あるいは畏怖の対象は僕ではない。

 彼らが本当に頭を下げたのは、僕の憑き物。隣に座っている鈴の方だ。


 残念ながら、その鈴は文言の半ばあたりから、目の前の膳に夢中で憑き物衆のことなんて、気にも留めていないのだけど。


 鈴は食べ物に夢中だった。嬉しそうに尻尾を振って、子犬か何かみたいに料理をほおばっている。せっかく大人びて艶やかな、黒い着物を見繕って貰ったっていうのに、子供っぽくって仕方ない。

 今まではそういう振る舞いでも、ある程度許されていたのかもしれないけれど、今日からはもう駄目なんだ。


「おい」


 僕が軽く鈴を肘で小突くと、鈴は口の中を米でいっぱいにさせたまま「ふぁに?」と上目遣いにこちらを伺った。


「終わった」

「お疲れ」


 鈴は、えへへと呑気に笑った。

 僕は「さっさと何か言え」と乱暴な言葉が出て来そうなのをなんとか抑える。


 僕だって今日からは、重苦しい肩書がのしかかるわけで、少なくともこういう場面では、らしい立ち回りをしなければならなかった。

「皆の者が鈴様のお言葉をお待ちしております」

 鈴は人外のものであると一目で見て取れる黒い獣耳をしおらせて、げんなりとした顔をする。

「その喋り方、嫌い」

 僕だって好きじゃない。だけど、仕方がないのだ。僕はそのまま何も言わず、他の憑き物衆のように深く頭を垂れた。

「分かったって」


 鈴はそう言って僕の頭を撫でた。けれども僕は額を地面に向けたままだ。鈴は不満そうに息を漏らす。かちゃりと食器が鳴る音がする。鈴はようやく箸を置いたようだ。

その後に「良い」と普段より張った声が聞こえた。

 鈴の言葉を合図に皆の頭が一斉に上がる。


 鈴の方を見ると、ふいと顔を背けて、また箸を取った。

 僕はため息を吐く。


 取り敢えずは。

僕は取り敢えず、今日の職務は、このすだれの中で飯を食っていれば終わりだなと考えた。



 氏神清秋という男は視える人間だった。彼には妖が、御伽草子の中の存在でしかなかった妖の存在がはっきりと見えていた。

 らしい。

 なにしろ僕がこの世に生を受けたころには、とっくに常世から消えてしまっていた人のことだから、それ以上のことは知るよしもないのだけど、彼の子孫である僕たちの今の陰陽師としての地位と、それから、僕の隣で吸い物を飲み干しているこの憑き物の存在は、彼の所業に端を発したものに違いないということは間違いがないらしかった。


 らしい。らしい。らしい。全部聞きかじっただけの話だ。

 けれど、伝説のように祭り上げられている、氏神清秋のことが僕は嫌いだ。

 余計なことをしてくれたものだと、心から思う。


 始めの内は、誰一人、口を開くことのなかったこの氏神家の本堂にも、そろそろと人やその憑き物の喋り声が聞こえるようになってきた。

 鈴はもう膳に載せられていたご飯は全て喰い終えていて、僕のわきで退屈そうに頬杖をついて、耳と同様に漆黒の尻尾を弄んでいた。

 

 ふと鈴が僕の着物の袖を引っ張った。嬉しそうに頬を緩めている。


「あそこ、一月の悪口言ってるよ」

「どこ?」

「ほら、一番末席のあそこあそこ」


 そうやって鈴は指を指す。何故か嬉しそう。まるで、落とし物でも見つけたみたいだ。そうは言ってもすだれの先の景色は僕には見えない。席次から、名前ぐらい割り出せるだろけど、僕はそういう手間を割くのはあまり好きではなかった。


「なんて言ってる?」

「うーんとね、かような化け物に憑かれた当主様は永くは持ちますまい、すぐに憑り殺されてしまいますよ。だってさ。好き勝手言っちゃって、ばれないとでも思ってるのかな。あはは」


 鈴は声を上げて笑っている。だけど、僕には愉快だとは思えなかった。

 ひとしきり笑った後、鈴は褒めて欲しそうにこちらを見たけれど、そういう気分でもない。

 だいたい、今日の僕の仕事はもう終わっている。これ以上に何かをする必要は何もないんだ。

 鈴は可笑しそうな顔をして、それから言うのだった。


「怒ってるんだ」

「…覗くなよ」

「それぐらいのことは、覗かなくても分かるよ」


 鈴は得意気だった。そして、僕に顔を近づけて目を輝かせた。幼い少女のような表情だった。


「あいつら、むかつくし殺しちゃおうか」

「殺さなくていい」

「ふーん」


 鈴は笑うのを止めて、顔を少し離した。

 あっさりと引き下がったけれど、今の言葉は冗談の類ではない。

 鈴は、化け物ばかりの憑き物のなかでも、群を抜いた化け物で、道徳の類も欠けていた。ここを血の海に変えるのに、瞬きするほどの時間も必要なく、たぶん躊躇もない。


 たしかに僕は、いまは全部がどうだっていい気分だけど。ここにいるみんなが、消えてしまえばいいのにと考えているけれど、だからって、死んで欲しいわけじゃなかった。


 鈴は、こちらを伺うような上目遣いで、僕の目を見る。

 背後から誰かに覗かれているような感覚。

 鈴は間違いなく僕の心を覗いていた。

 それから少しの間、考えていたようだけど、そのうちに面倒臭くなったのか、


「まぁいいや、眠い」


 そう言って、胡坐をかいた僕の膝の上に頭を預けて、目をつぶってしまった。勝手に心を覗くなと叱る間もなく、間があっても僕はそうしなかったに違いない。


 僕は息を吐く。

 僕の心を見通せる鈴が、何もしなかった。どうやら僕は本心から誰も殺したくないと思っているようで、ひどく安心していた。


 僕が殺したいと願っただけで、鈴はこらえ性もなくすぐ殺す。

 僕がもっと幼い頃は、感情を抑えきれず、何人も殺させてしまった。

 不愉快な気分には違いない分、僕はひょっとしたら彼らを殺したいんじゃないだろうかと、ひやりとした。


 鈴は確かに化け物だ。

 神様みたいな力を持っている。

 けれど、鈴が力を使うのはいつだって僕のためなのだ。僕が望まなければ、鈴は獣耳と尻尾が生えただけの、女の子でいられるはずなのだ。


 化け物扱いなんてされていいはずがないだろう。


 久しぶりに不愉快な気分になって、そのせいで鈴が誰かを殺すことにならなくて、良かったと僕は心から思った。

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