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偉大な発明家がこの世を去ってからからもう数十年。
国の都心部である蒸気の街では、賑わいと喧騒で渦巻いていました。
密集する縦長の建物群の身体の脇からは、外に排気するためのパイプが取り付けてあり、そこから出た黒煙によって、上空に黒い雲が出来、街中は昼間も街灯を付けなくてはいけない有様ですが、それでも人々の活気のおかげで雰囲気までも暗いということはありません。
「あれ、あれって、うちの国の飛行船じゃ……」
「あんたねえ、民報ラジオ聞いてないの? あの、なんとかって発明家の新たな試みで、黒い雲の上に飛行船隊を飛ばしたのよ」
「なんで?」
「蒸気機関の黒い雲のせいで太陽の光で電気を作るのが困難になったから、飛行船使って空で電気作ろうってことらしいよ。天才の考えることは、訳わかんないわ」
「ふうん…………」
彼らの目線の先には、あともう少しで黒雲の中に入っていこうとしている何艇もの飛行船の姿でした。
そちらに目を奪われていると、背後から、甲高いラッパのような音が響いてきます。
「どけどけ! てめえら道を開けろ! 轢き殺されてえのか!」
人の塊を押し退けるようにのろのろとラッパのような音を鳴らしながら進んでくるのは、蒸気を吐き出しながら駆動する大型の自動車です。
周りの人々は、怪訝な目をその車と運転手に向けながらも、渋々といった感じで道の脇に退きます。
「なんなんだよ、あのオッサン、デカい態度取りやがって」
「新参の田舎者なんでしょ、郊外では自動車走らせ放題だからこっちまで来ても威張ってんのよ、ありゃいつか都心部の荒波に耐えきれずにひと月もしないで郊外のママのいるお家に帰るパターンね」
ふうん、またも興味無さそうに返事をすると、二人は人の流れに沿って都心部の街の中へと向かって歩いていってしまいました。
街は活気に満ち溢れています。
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あるいは、組み立て式の台を街の入り口付近に設置して、その上で、数人の軍服を着た男たちが並び、中心の大柄な男性が拡声器を手に流れゆく人々に訴えかけています。
「この国は、いいえ、この世界は今、危険にさらされています!」
流れゆく人々は、彼の声に目を向けません。
「民報ラジオをお聞きになったでしょう! 数十年前に作られた自律式ドール、それが忽然と姿を消したのです! 我々は知っています、あの人形は、我々人類を今にも滅ぼそうとしているのです! 胡坐を掻いている場合でしょうか! 今、今こそ国民、いえ、世界中の人間が一致団結し、この人類の敵を討たなくてはなりません! しかし今の政府は我々の話を一向に聞き入れるどころか信じようともしません。政府がやらないのであれば、我々が率先して対策を打つべきだと考えるのです! どうか、皆さんのお力をお借りしたい! 我こそはという方、是非、是非とも我ら『ドール討伐軍』へ! あなたがこの国を救う英雄かもしれないのです!」
「うるせえ! いつまでもごっこ遊びしてねえで働けバカ共が!」
「……………………」
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あるいは、郊外から都心部への架け橋である大橋の脇。丸眼鏡の作家が、自分で書き、出版した本を大きなシートを敷いて、その上に並べて売っていました。
「つまんなーい!」
「そ、そう…………ごめんね……つ、次は絶対面白いもの書いてくるから」
「いいよ、どうせもうオジサンの本なんか読まないもん!」
「もういいよレナちゃん、早く公園行って遊びに行こうよ」
「そうだね、いこ」
丸眼鏡の作家の前から、小さな子供たちが小走りに都心部の方へと去っていきました。
「はは…………オジサン、か……まだ二十代なんだけどな……」
はあ、とため息を吐きながら落胆した丸眼鏡の作家は、傍らに置いてあるラジオに電源を付けました。
『――――とのことで、男性は自分の父親を殺したことを供述しました。また、書庫内から見つかった五十代くらいと思われる女性の遺体は、眉間に銃弾を受けた痕跡があり、今回の父親殺しとの関連性は薄い……と思われる、らしいですが、専門家としてはいかがです?』
『そうだねえ、憲兵の話によると、その女性と父親殺しの男性は一切面識ないみたいだからねえ……殺す動機が無いんじゃ無関係ってのが濃厚かな』
『では、女性を殺害した犯人は別にいる、と?』
『まあ、そうなるねえ、現場は人目に付かない郊外だったみたいだしい? 死体を隠すには丁度いいかもねえ…………ただ』
『…………ただ?』
『近所の目撃情報によると、その女性が書庫の中に一人で入っていくのを見たっていう人が居るのよ。ていうことは少なくとも、彼女が死んだのは書庫内ってことになる。そしてそこから彼女の目撃情報は一切ない。つまり、可能性は無限大ってことだよねえ』
『無限大…………とは?』
『だーかーらー、後から入って来たヤツに殺されたかもしれないし、もしかしたら自殺かもしれない…………それか、はたまた別の何かに殺されたか……』
『別の何かって……あそこには大量の本と人形しかないと聞き及んでいるのですが……まさか人形が殺したとでも?』
『だから可能性は無限大だと言っているんだよレディ。人形が忽然と消えたのも、もしかしたら何か関係あるのかも――――』
「なあ、君」
「へっ? は、はいっ!」
急に声を掛けられた丸眼鏡の作家は、驚きのあまり身体を震わせてラジオの電源をオフにしました。
民報ラジオの内容に聞き入っていたせいで、目の前に人が居たことに全く気付かなかったようでした。
丸眼鏡の作家が居住まいを正して正面に顔を上げると、白衣を着た青年が、彼の本を一冊手に持って屈んでいました。
「あれ、あなた、どこかで見たような……」
「見たような? だと? キミ、本当にこの惑星の生き物かい? ボクは、世界一、宇宙一、そして未来一の天才発明家だぞ!」
聞いて、丸眼鏡の作家は、一度白衣の男性から目線を外し、都心部の空を飛ぶ飛行船隊を見てから「ああ!」と思い出したような声を出して、首を正面に戻します。
「すみません、すみません! 僕しがないただの作家で、いつも家で引きこもって執筆していたから人の顔とか見分けつかなくなってて…………」
「…………まあ、いい」
ペコペコと頭を下げる丸眼鏡の作家に、白衣の青年は、呆れたようなため息を零しました。
「え、えっと、それで、その、そんなに凄い発明家さんが、ぼ、僕になにか……?」
恐る恐る丸眼鏡の作家が尋ねると、なぜか白衣の青年は恥ずかしそうに頬を赤く染めて手に持っている彼の本を彼に突き出しました。
「これ、一冊買う……」
へ? と思わず間の抜けた声を出して目を丸くさせる丸眼鏡の作家。
「なんで?」
「なんでって……その、なんだ、キミの書いたこの本を読んだら、少し興味が湧いただけだ」
どうやら丸眼鏡の作家がラジオに夢中になっている間に、白衣の青年は彼の本を読んでいたようです。
その白衣の青年の言葉に、しかし、どこか雲がかったような、複雑な表情を丸眼鏡の作家は見せるのです。
「面白かったんですか? 僕の本が? …………」
「そう、そうだと言っているだろう!」
「で、でも、さっき子供たちからは全然ウケなくて、つまらないって……」
丸眼鏡の作家が擦れるような声で呟くと、今まで気恥ずかしさから顔を背けていた白衣の青年が、「はあ?」と声を大にして疑問を呈しました。
「そんなの作品に対する見え方は違うんだから、面白いつまらないがあるのは当然だろう。その子供はつまらないと思ったみたいだが、ボクは面白かった。ただそれだけだろうが。仮にも物を作っている人間がそんなことも分からないままなのか? ずっと貶されるだけの物なんかないんだよ、反対に、ずっと褒められる物もだが…………」
「発明家さん…………」
「小説にしたって何にしたって、他人から見たらそれこそ人の数ほど解釈があるのだ。自分がいくらダメなものだって思っていても世界中のどこかには、それを凄いって言ってくれる奴が一人は絶対居る。だから自分を卑下しちゃいけない……それが、ボク流のポジティブな生き方さ!」
本を突き出して丸眼鏡の作家に手渡すと、白衣の青年は、白衣のポケットから財布を取り出します。
「まあ、確かに、キミの作品は子供にはウケないかな、描写が生々しすぎる。もしも、子供に面白いと言ってもらいたいなら、もっと作風を考えることだな」
商品の本とお釣りを受け取った白衣の青年が言うと、丸眼鏡の作家は、破顔して「はいっありがとうございます!」と返事して見せた。
背中越しに手を振る白衣の青年を「あの」と丸眼鏡の作家が呼び止めると、
「また、ボクの本買いに来てください。その時はもっとお話しお聞きしたいので」
「…………ま、忙しくなかったら」
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そして、あるいは、大橋近くの公園広場で。
『あはは! ほら早く早く! こっち、こっちだってば!』
「ま、待ってよレナちゃん! そんなに走るの速かったっけ?」
十歳くらいの少女が二人、楽し気に緑の広場を駆け回ります。
つばの広い帽子を深くかぶった赤いドレスのレナ、と呼ばれた少女に、もう一人の少女が肩で息をしながらやっとの思いで駆け寄りました。
『あなたが走るの遅くなっただけでしょ?』
「そうかなあ…………あれ?」
そこで違和感が気づいたように、少女は、レナの姿を観察するように見上げます。
「レナちゃん、今日そんな恰好だったけ……」
『………………』
「おーい! どこまで行ってるの!」
レナが何か答える前に、少女の遠くの背後から別の少女の声が聞こえてきました。
少女が声に振り返ると、「えっ!」とあからさまに驚いた表情をして目を張りました。
『……ふふ』
少女の真後ろからレナの笑い声が聞こえてきて、即座に振り返ります。
「あれ……」
少女の目の前から、赤いドレス姿の少女の姿は無くなっていました。
「もう、一人で何やってたの、こんな遠くまで」
「レナちゃん…………」
呆けた様子で、後から追ってきた少女、レナを見つめます。
「なに? どしたの?」
「レナちゃん、本物?」
「なに言ってるの?」
「いや、さっきまでここにもう一人のレナちゃんが!」
「なにそれ?」
本当に何も分かっていない様子のレナに、少女はさっと血の気が引いたような怖気づいた表情を見せました。
「もしかして…………あのレナちゃんは、幽霊……?」
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それからというもの。
人々の中で度々、『自分そっくりの声がどこからともなく聞こえてくる』『自分は何もしていないのに自分が何か言ったことになっている』などいうことが噂され、もしかしたら、もう一人の自分がこの世界のどこかにいるのでは? というドッペルゲンガーの都市伝説が広まるようになりました。
そのオカルト伝説は、子供を中心に人々をビクビクさせるのです。
そしてそんな中、街のどこかで、人間に意地悪をして驚かせるのが大好きなモノがくすくすと笑っている声が響いています。