表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

4

 ドールを造った発明家が命を絶ってから、もう数十年。


 厄介払いのようにドールが保管され入れられたのは、都心部の郊外に位置する、発明家の記念館の中の奥まった部屋、通称書庫です。

 元々は何も無いただの物置部屋でしたが、何百、何千、いいえ、その倍以上はあるでしょう本の数々がその部屋を書庫と通称される要因となっているのです。

 その数千、数万の本一冊一冊はただの詩集や小説なんかではありません。


 人事目録じんじもくろく


 そう呼ばれたこれらの本は、人々のこれまでの一生涯を大雑把に記録した、壮大な日記のようなものです。


 つまりこれらを読めば、その人が一体どういう人間で、どういう生き方をしてきたのか、そして、どういう人間でどういう人間だったのかがひと目で分かってしまいます。

 いわば、これら人事目録は、その人のもう一つの姿と言えましょう。

 それらがこの書庫には数えきれないほどにあり、元々あった本棚にも収まりきらなくなって、果てには文字通り、山を作り出しています。


 そしてその頂上でちょこんと構えているのは、十歳程度の少女の姿形をした、アンティークドール。

 彼女に意思を、魂を、自立を与えようとやってきた者たちの人事目録で作られた山の上に彼女は座っているのです。

 その様はまるで幾多の敵兵をなぎ倒し、その屍の山の上に立つ戦士のようにも見えました。


 しかし、そのドールの光景は、誇りと栄誉に満ちた戦士とは違い、どこか哀愁を漂わせているように感じる者もいることでしょう。


 そう感じる人はきっと、このドールを“ただの物”としてではなく、“一つの情”として見ているのです。


 そしてそんな人がやってくるのを、この一体の人形は待っているのかもしれません。

 あれからもう数十年。

 清掃する者すらいない書庫では、細かい埃が舞い続けています。



「遅れてすまないっ!」

 書庫内に若い男性の声が響き渡りました。

 その男性は、全身真っ黒なスーツを着ています。ここまで慌てて走って来たのか、膝に両手を置いて荒い呼吸を全身でしていて、髪はボサボサ、スーツは皺だらけ、捲いてあるネクタイも今にも解けそうなくらい緩んでいます。

 嗚咽を混ぜながらも、何とか呼吸を落ち着けて、ゆっくりと顔を上げました。

「やっと…………会えたな」

 まるで生き別れた恋人と再開でもしたかのように嬉し気な面持ちで、スーツの男性の眼先に鎮座する、ドールを見上げました。


「いや、ごめん。俺と君は初対面だった」


 喉を鳴らすと、スーツの男性は、緩んだネクタイを締め直し改めました。

「俺は君を作った発明家の孫にあたる。君をじいちゃんの子供とするならば、君は俺の叔母ということになる」

 ただの人形は、その彼の自己紹介に返答することは当然ありません。

 それでも、彼は続けます。

「俺が今日ここに来たのは他でもない……じいちゃんの意思を継ぎに来た」

 そして、スーツの男性は目の中を輝かせ、真っ直ぐにドールを見つめます。


「君に自立を与えよう」


「……………………」

 相も変わらず瞼を閉じたまま起動しないドールに、彼は嫌な顔一つせず、むしろ自らの子供を眺める母親のような表情をしていました。


「じいちゃんは、命を作りたかったらしいんだ」

「……………………」

「俺のじいちゃんは凄い発明家だったよ。自動で動くことが出来て、更には人のマネまで出来る人形を難なく作って見せたんだから」

 それを一人、語るスーツの少し俯きがちな顔の中の表情は、どこか遠くを見ているようでした。


「でもそんな凄いじいちゃんでも、どうしても分からないことがあったみたいだ。それが、物に魂を、命を与える方法さ」

 語りながら、スーツの男性は積みあがった人事目録の山へと一歩一歩近づいていきます。


「人の魂を移植しようとか、そもそも魂なんてものは存在するのかとか、そんなことばかり考えて、結局、物に魂を与える方法が分からないまま死んでいった……でも、死んでも尚、じいちゃんは諦めていなかった、その執念深さは呆れを通り越して尊敬ものだ」


 苦笑して、山の上のドールを下から覗き込むようにしながら、「分かるだろう?」と尋ねました。

「じいちゃんは死ぬ間際、『私が死んだ後、あのドールに魂や意思を与え、自立させることが出来た者にのみ人形の所有権を継がせる』って遺言を遺して後世の人たちに任せた。つまり人任せだな」

 そう言いながらスーツの男性は、山の麓で屈みこみ、適当に一冊、人事目録を拾い上げて感慨深そうな表情で眺めました。


「でも、どうやらやっぱり、“答えに”辿り着けた者はいなかったみたいだな」


 そう笑うスーツの男性は、まるで、自分はその答えを知っていると言うかのようでした。


「…………ああ、知っている。俺はずっと昔から“答え”を知ってる」


 スーツの男性は、手に取った人事目録を一度眺めながら、その場を立ち上がりました。

「そもそも君に自立を与えるのに、こんなもの、必要なかった」

 言って、スーツの男性は、おもむろに手の中の人事目録を傍らに放り投げたのです。


「何故なら君は、もう、唯一無二の意思を持っていたから」


 挑戦的な目で見上げたスーツの男性は、それで動揺を窺っているようでしたが、ドールはドールに徹しています。


「それが分かったのは君の見た目の年齢と同じくらいの時だ、君を自分の物にしようと人事目録を作成し人格をコピーさせようとした人たちが、次から次へとこの書庫から去っていくのを見た。そして皆口を揃えてこう言った。『あのドールは歪んでいる不良品だ、渡した人事目録を変に改変して真似をする。なんとも悪質だ』って」

「………………」


「それって、言い換えれば“解釈”だ。人事目録に限った話じゃなくて、絵や書物、料理なんかの創作物から、人や物そのものまで、ありとあらゆるものに、良い悪いと評価が付けられる。それには個人差がある、『これが美味しい』とある人が言っても、『いやこれはまずい』という人だって絶対に居る。それはどちらが正解とかじゃない、違っていて当然なんだ。だってそれは、人によって感じ方が違うんだから」

「………………」


「そして、それを持っているのは、意思や魂を持っている生き物だけだ。だから君はもう既に意思は持っている、自分で動くことが出来るはずなんだ。なのに、なんで君は数十年もここに居座ってお人形ごっこをやり続けている?」


 問いかけますが、ドールは頑として答えません。

 それどころか、指一本、瞼の薄皮すら動かすことはありませんでした。

 しかし、彼もドールへそれについての答えを欲している様子ではないようで、「それも分かってる」と続けました。

「完璧に君は自立が出来ていないから、ここを出ようとしない。そうだろ? だって今のまま外に出ても、君はまだ、“所有物”のままなんだから」


 一旦言葉を区切ったスーツの男性は、スーツの内ポケットから四つに折りたたまれた紙を取り出しました。


「君がずっと待っていたものは、これだろ?」


 そう言って折りたたまれた紙を広げて、瞼を閉じたドールに見せつけるように腕を頂上に突き出しました。


「じいちゃんの遺産相続の書類だ」

「………………」


「じいちゃんの遺言があったとはいえ、遺産はすべて自動的に親族の元に仮ってことで来る。これが君を縛り続けていたものの正体だ」

 自分の胸元まで引き寄せたその紙を見るスーツの男性の目は、まるで親の仇を見るかのような目つきをしています。


「今まで親父、じいちゃんの息子が持っていたから、君の仮の所有者は、親父だった。でも親父はつい先日不慮の事故で亡くなってしまってね」


 ほら、これ、今日葬式だったんだ。と笑いながら自分のスーツの裾を上げて見せます。


「だから、親父の息子である俺にこれが回ってきた。つまり、君の今の仮の所有者は俺だ」

 そして、と、彼はおもむろにその手の中の紙を勢いよく破ってしまいました。


「これで君は晴れて、自由の身だ! 君を縛るものはもう無くなった!」


 二つに破いただけでは飽き足らず、スーツの男性は更に細かく紙を破き、それを上空に向かって散らせました。

 ひらひらと、男性の手から離れた紙片の数々は、まるで舞い散る花弁の様に、書庫の中で漂う埃と一緒に宙を踊ります。

 その花弁のシャワーの中で、スーツの男性は一人、大きく両腕を広げました。


「君の名前はロマン、ロマンだ! 俺が昔からずっと考えて考えて、温めていた名前。浪漫をいつまでも追い求める探究者や研究者の様に、この先、自分だけの未知な未来を追い求めていってほしい。そういう意味と願いを込めてのロマンだ!」


 スーツの男性の歓声が書庫内に響き、祝福の紙片や埃が地面に落ち切ります。

 完全な静寂が訪れてから、数秒の時間を要しました。

 本の山のてっぺんに座り込んでいた、ドール……ロマンがゆっくりと自立的に瞼を開いたのです。

 彼女の原動力となっていた人事目録なる書物は、彼女の膝には置いてありません。

 たっぷり時間を掛けて立ち上がりそして、山の麓、スーツの男性の前まで降りてきました。


「ありがとう。ずっとこの日が来るのを待っていた」


 ロマンが初めて、誰かの二番煎じではなく、自分の意思で発したそれを、スーツの男性は驚くことも無く、柔らかな笑みを浮かべてゆっくりとかぶりを振りました。


「いや、むしろ謝らせてほしい。ずっと君の事を解放してやりたかったんだが、遺産相続権が俺の手元に来るまで待たないといけなかったから…………数十年もこんなところで待たせてしまって、すまない……」

「別に平気。人間に意地悪して遊んでいたから退屈では無かった」


 そのロマンの言葉に、スーツの男性はぷっと噴き出してしまいます。


「そうか、それなら良かった」

「数十年も経っているから外は相当変わってる。私の存在を知っている人間も少ない。だから人間達を驚かせるのが今から楽しみ。あの人が居た時のあの頃の様に」

「きっと驚いて腰も抜かすだろうよ。……まあ、とにかく、元気でな」

「あなたも――――」言いかけて、ロマンは、あ、と口を開きます。


「今は元気、出せる状況ではない、か」


 ロマンのその言葉が一瞬理解が追い付かなかったか、スーツの男性は目を丸くしましたが、遅れてロマンの言葉の意味を汲み取ったようで、ああ、と頷きました。


「まあ、こればかりは仕方ない。人はいつか死ぬ、放置していても壊れない物とは違うからな」


 そう、ロマンが飛ばすように返して、スーツの男性の脇を通り抜けます。

 書庫の開かれた出口に向かっていた足を、ロマンは、ふと、何かに思い当たったかのように止めました。


「私を解放してくれたお礼に、一つ貴方に教えてあげる」

 思わずスーツの男性は、背後を身体ごと振り返ります。

 ロマンは背中を向けたまま。スーツの男性に振り返ろうともしません。




「そのふところに隠してある物騒な物、この書庫に隠しても意味ないよ」




「は?」言ってることがまるで意味不明と言わんばかりに、スーツの男性の表情は固まって動きませんでした。

 しかしロマンはそれを無視して続けます。


「もう誰にも見向きもされなくなっているとはいえ、数十年前の歴史的産物であるドールが忽然と姿を消したとあったら、大慌てで躍起になって探そうとするはず。そしてこの書庫はまず間違いなく一番最初にくまなく捜索する。それこそ、“ここにある人事目録全てをひっくり返してでも”」

「おい待て、待ってくれ! 何を言ってるんだ、さっきから! 何のことを言ってるのか俺にはさっぱり!」


 早口で言いながら、ロマンの方に駆け寄ろうとするスーツの男性を、ロマンは首だけで振り返って無慈悲に言葉を投げかけました。



「いくら私を助けたかったからって、自分の父親を殺しちゃダメよってこと」



「――――ッ!」

 驚いた表情で、ロマンに迫る足を急に止めた拍子に、スーツの男性の足元に何かが落ちました。


 それは白い雑巾のようなもので何重にも巻かれた何か。


 落とした拍子に、その巻かれていた雑巾のようなものが捲れ、中身が露になっていました。

 雑巾に巻かれていたそれは、刃渡り十センチ程度のナイフでした。刃の部分は拭ったのでしょうが、赤い血痕らしきものがうっすらと残って見えます。


 その自分の足元に落ちたソレを見てから、スーツの男性がゆっくりと顔を正面に上げると、ロマンは、首を後ろに捻った状態のまま、そのブルーマリンのガラス目玉でしっかりと地面のソレを見つめていました。


「なんで…………」

 行き場を失った男性の掠れた言葉に、ロマンは地面からスーツの男性の崩れた表情に視線を移します。


「“誰に対しても優しいだけ”の人間が一番狂気じみている。何故なら一つのモノに優しさを集中すればするほど周りが見えなくなる盲目となるから…………私が色々な人間をこれまで一体どれだけマネしてきたと思ってるの? 貴方の事は、信用はしていても、信頼はしてなかった。初めから」


「……………………」


「ねえ、貴方のお父さんもまた、私に向けたものと同様、貴方にとって優しさを向けるべき人だったのではなかったの?」


 そのロマンの言葉に、遠くを見つめていたスーツの男性の瞳孔が一気に開き、

「うわあああああ!」


 両手で頭を抱えて子供の様に泣きじゃくり始めました。

 ロマンは、その光景をあらかた見つめていましたが、やがて興味を失ったと顔を前方に戻し、視線からスーツの男性を外しました。


 そして、ロマンは悲鳴のような断末魔のような声を背中に受けながら、書庫の扉の外に出ました。


 両開きの大扉がゆっくりと閉まり切るまでのその間、書庫の中の男性の、後悔と懺悔の悲鳴は鳴り響いたままでした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ