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3-b

 嵐が去った後のような静寂が書庫に訪れました。


『………………』


 ドールがレジスタンス軍人達の背中が消えるまで見送ると、最後にと唯一残っていた来訪者に首ごと目を向けました。

「ひっ!」

 ドールが一歩、丸眼鏡の作家に近寄ると、拒絶するように、合わせて丸眼鏡の作家もへっぴり腰に距離を取ります。


 そんな距離を詰め、離し、の悶着もんちゃくを続けていると、後退していた丸眼鏡の作家の背中が書庫の壁に付き、これ以上後には引けない状況に追い込まれました。

 どんどん自分に近づいてくる十歳くらいの少女にしか見えない人形に、情けなくも歯をガチガチと打ち鳴らし、何も出来ずに固まっているだけでした。


『…………本当に弱虫だ』


 ぽつり、ドールが不意に呟いたのです。

 驚くのも当然、丸眼鏡の作家も、思わず「へ?」と間の抜けた声が漏れます。


 同時、ボト、と丸眼鏡の作家の足元に何かが落ちました。

 それは、今までずっとドールが片手に握って持っていた、彼が創作で書いた人事目録でした。

 地に落ちた拍子なのか、本の中身が上を向くように開いてあり、そこには所狭しと隙間なく、




『弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫弱虫』




 と書き殴るように書いてあったのです。

 そのページは、人事目録の最後の三ページしか書いておらず、レジスタンス軍人にも見られていない隠れたページでした。


「もしかして、これを読んでいたから…………」


『……………………』


「彼らが本当は弱虫な人間なんだって、気づいたの?」

 彼からはもはや恐怖の顔はありませんでした。それよりも興味が強いといわんばかりに、あれだけ取っていたドールとの距離をあっけなく自ら縮め、恍惚に語りだすのです。

「もしもさっきのが演技で、彼らを追っ払うために一芝居打ったんだとしたら…………」


『……………………』


「したら、だよ? そんな器用な真似をするのは“人間”だけだ。ということはつまり、君のその身体にはもう意思が――――」


『僕ってやつは本当に弱虫だ……』


 先ほどまでの厳格ある顔つきはどこへやら、まるで気弱な少女のような不安げな表情を作り出してみせました。

「…………もしかして、僕の、マネ?」

 その問いかけに、マネをすることしか能がないドールは取り合いません。


『彼らは弱虫だ。僕の方が強い、偉いはずだ。でも言えるわきゃない……だって怖いから』


 眉の根を八の字に曲げて上目遣いをして見せるそのドールの姿は、どこか丸眼鏡の作家を煽っているようにも見えます。

 少なくともそう受け取ったのでしょう、丸眼鏡の作家は、顔を赤くして憤慨した様子を見せました。


「こ、怖いわけあるもんか! あいつらは軍人なんかじゃ決してない、無作為に堕落した生活をして社会から落ちたゴミの掃き溜めのような負け犬のゴロツキの集まりでしかないんだから! そんな奴らが怖いなんて絶対にありえない!」


『違うよ、僕が怖いのは奴らじゃない……“争いをすること”が怖いんだ』


 自分の心でも見透かされたかのように、驚いた表情をして、再度後ずさりして距離を取りました。

『だって争いなんか起こしたら、僕の人事目録に傷が付くから。だから僕は争いを起こさないよう乗らないように徹底してきたんだこれまで……』

「君は一体…………」

 もはやここまでくると、ホラーの領域だとでも言わんばかりに、顔を引きつらせました。


『なのになんで!』


 急に声を荒げたかと思うと、ドールは頭を抱えて、その場でヒステリックに地団太を何度も何度も踏み始めました。

 その度にドールのブロンド色の髪が靡き、宙の埃を掃いていきます。


『なんでどいつもこいつも、僕に言いがかりをつけてくるんだ! しかも、僕よりも弱い立場の人間ばっかり! 僕が自分より弱い人間だと思ってるからって偉そうにしやがって!』


 呆気に取られていた丸眼鏡の作家でしたが、その言葉を聞いてか、彼の目からはすでに恐怖の色は消えていました。

「そ、そうだ! そうなんだ! そういうヤツらに限って争いをさせようとしてくるんだ! なんで他人を巻き込むんだ! 奈落に落ちたいのなら自分たちで勝手にすればいい、僕を道連れにしないでくれよ!」


『そう思って生きてきたから、僕は今の今まで流されるだけの人生だ』


 頭を抱えていた丸眼鏡の作家は、ゆっくりと顔を上げました。


『流されるだけの人生は、他人に合わせるだけの人生は損だらけだ』


「…………そう、本当にそうだった……僕は作家になってから一度も編集者に逆らったことなかった。編集者がここをこうしろと言われたら素直にそうした。結果的にはどうだ……本は全く売れず、批判の嵐……」


『売れなかったのは編集者のせい?』


 頭を抱えながら、丸眼鏡の作家は横にかぶりを振りました。

「違う。確かに編集者が言う修正はところどころ間違っていたかもしれない。でも、ちゃんと良いと感じた修正もあったんだ……単に僕の力不足さ」


『執筆の力じゃない?』

「うん、そう」


『もっと編集者と作品について言い争っていれば』

「何かが変わっていたかもしれない……かも…………でも――――」


『そもそも僕って、なんで作家になりたいと思ったんだっけ』

 え? と、今度はちゃんと間の抜けていない、聞き返す声でした。


『お金が欲しかったから?』

「違うよ、お金が欲しかったらもっと違う仕事をしてる」


『じゃあ、本が好きだから?』

「違う、僕は読むのが嫌いさ」


『じゃあ、書くのが好きだから?』

「違う、それなら書類作業をしてる方が幾分儲かる」


『物語を作りたいから?』

「物語を作りたい……そう、だけど、だからなりたいってわけじゃなかったような……」


『僕って、なんで作家になりたいと思ったんだっけ』

「……………………」


『ねえ、教えてよ、僕。僕は、一体何がやりたかったんだっけ?』


 丸眼鏡の作家は巡りに巡って返ってきた同じ質問に、神妙な面持ちで下を向いて考えこみ始めました。

 この書庫の中ではよく耳を済ませばドールの駆動音が微かに聞こえるだけでそれ以外の音がありません。ドールの駆動音も高速に何かが動いている音でしかないので、一切の時間の流れを感じさせませんでした。

 なのでどれくらいの時間が経ったのか、数秒か、一時間か。実際のところは分からないですが、丸眼鏡の作家はたっぷり時間を掛けたような顔つきをしていました。


『そうか、そうだった……僕がやりたかったことって――――』

「僕の作った物語で、大好きな子供達を笑顔にすること…………」


 するりと零れるように呟いてから、はっと、意識を戻したように丸眼鏡の作家は自分の緩い口を片手で抑えますが、もう時はすでに遅く、目の前に立っている可憐な少女の形をしたドールは子供が好きな優しい丸眼鏡の作家がしそうな柔らかい笑みを浮かべて、


『争いって、何も、傷つけ傷つけられの争いだけじゃない。何かを守りたい、何かを成し遂げたいからする争いもあるのかもしれない……僕は今、そう思った』


「………………うん」

 固く頷いた丸眼鏡の作家は、「ありがとう」とお礼を一つ述べてからドールの脇を通り過ぎ、書庫の出口まで堂々と歩いていきます。


 ふと、扉の前で丸眼鏡の作家が振り返ると、そこには積まれて出来た本の山があり、その頂上にはいつの間にか、小さな少女の姿形をしたアンティークドールが居座っていました。


 ドールは役目を終えたといわんばかりにその人工的に作られた瞼を閉じ、ピクリとも動かなくなっていました。勿論動く気配もありません。

 だから、何を言ったって、彼女に届くはずもありません。

 それでも丸眼鏡の作家は柔らかく微笑んで、


「君のやりたいことはなんだい?」


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