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3-a

 書庫の大扉が開く音は熟睡している人を飛び起きさせる程には大きいのですが、今回の来訪者は、それをかき消してしまうほどの音で入室をしてきました。

 太鼓や様々な管楽器で不規則なメロディーを奏でながら、その中に紛れるように無駄に揃った軍靴の音が聞こえます。


「大隊ぜんたーい、止まれ!」


 一番最初に足を踏み入れてきた、先頭に立つ大柄な軍服の男性が声を張り上げると、ぴたっと、ラッパの音も太鼓の音も、軍靴の音もぶつ切るように止みました。

 彼の背後には十数人ほどの同じ軍服を纏った軍人達が控えています。

 先頭の大柄な軍人が無言で目の前に視線を投げました。

 そこには山積みになった本の塔の頂上に、ちょこんと鎮座している、十歳程度の少女を思わせるような風貌をした赤いドレスのアンティークドールがあります。


 その存在を確認するや否や、大柄な軍人は背後に控える軍人に、おい、と適当に声を投げます。

 すると、十数人の軍人の背後から「痛い痛い、押さないでくださいって……」という声と共に、唯一軍服を着ていない丸眼鏡の猫背な少年? が大柄の男性の前に踊り出されてきました。


 特に彼に声を掛けることも無く、威圧を掛けるような目つきで一瞥をくれた後、顎をしゃくって指示を仰ぎます。

 それを見上げて片眉を曲げていると、じれったいと言わんばかりに、「ほら、さっさと行け!」と彼の背中を別の軍人が手に持っていたライフルの銃口で押し出しました。

 前によろめきながら背後を振り返りますが、軍人たちの威圧のある空気によって、丸眼鏡の彼に今更戻るという選択は出来ません。


 仕方なくといった様子で首を前方に戻すと、遠目から見れば人間の少女にしか見えない華奢な身体が本の山の上で頭を項垂れさせながら座っています。

 丸眼鏡の彼の脇には一冊の本が抱えられています。

 それは人事目録じんじもくろくと呼ばれるもので、人の人生の軌跡を綴った書物です。

 丸眼鏡の彼は、意を決するように脇の人事目録をぎゅっと強く握ると、力強い足取りで本の山を登りました。


「………………」


 頂上に着くと、すぐ目の前には噂のアンティークドールが眠るように鎮座しています。

 数十年前に作られたドールだというのに、その美しさは色褪せてはいません。精密に繊細に形作られたそれら顔の一つ一つのパーツは、少なくとも、丸眼鏡の彼を見惚れさせる程の美しさは兼ね備えられています。


「おい! 何してんだ! さっさとしねえか!」


 彼の背後から飛んできた怒鳴り声にようやく意識を取り戻した彼は、びくっと身体を小さく震わせながら、「は、はい! す、すみません!」と言って、急いで脇に抱えていた人事目録を適当なページで開きました。


「………………」


 そこに書かれている文字列を改めて眺めるように見て、それから、おずおずと言った様子で背後で剣幕を向けている軍人たちを首だけで振り返りました。

「あ、あの…………ほんとにやるんですか?」


「うるせえ! 良いからつべこべ言わずに命令された通りやれ!」

 苛立ちを隠せない様子の軍人の一人が、ライフルの先を地面に叩きつけ、耳障りな金属音を響かせました。

「ひぃっ! わ、分かりました、分かりましたから…………」


 ドールに向き直り、仕方ないというような表情を見せながら、開いた人事目録を渋々といった感じでドールの折り曲げられた膝の上に置きます。

 それから数秒何も起こらないことに不審に思った様子の丸眼鏡の彼がドールに耳を近づけると、同時、ギチギチと何かが動いている音が微かに鳴り始め、それはやがて小刻みでテンポのある音へと変わっていき、そして。


「うわっ!」


 瞼がひとりでに開いてブルーマリンの瞳があらわになり、垂れ下がっていた頭と両腕がゆっくりと持ち上がったことに驚いた丸眼鏡の彼は、身を引いたついでに後ろ手で足場の一つであった人事目録に体重を掛けてしまい、そのまま滑るようにして山の麓まで無様に盛大に転げ落ちていきました。


「うう……いてて…………」

 地面に放りだされた丸眼鏡を拾い上げて掛けなおした彼の前には、軍人たちの姿があります。

 その丸眼鏡の彼のマヌケな姿を笑いモノにする余裕もないのか、彼らは揃いも揃って、口を半開きにさせながら、山の上のドールを見ています。


 改めて丸眼鏡の彼も山の上に振り返ると、ドールは彼が今渡した人事目録を両手で支えてペラペラとページを捲っていました。


「こうして見るとただの少女だ……とても人形とは思えない……」

「ああ、可憐だ……」


 各々口々に感嘆の息を漏らす軍人達。


「しかし隊長、あれが本当に我々の戦力になりえるのでしょうか、少々甚だ疑問です」

 傍らにいた軍人がそう心中を吐露すると、隊長と呼ばれた、先頭に立つ大柄な軍服の男性は、ううむ、と低いうなりを上げます。

「先入観に捉われるな。見た目はただの少女でも、アレは人間ではない。噂によれば、銃撃を受けても壊れないらしいからな」

 その隊長の言葉に、その場にいた全員の生唾を飲む音が鳴りました。一気に緊張の空気が張り付きます。

 その張り詰めた空気は、山の上のドールが乱暴に本を閉じた音によって破られました。


 流石にその場にいた軍人たちが一斉に身を縮め、握ったライフルや腰に提げられた拳銃のグリップを握る力を思わず絞ります。


『汝らか』


 山の上で可憐な様子を見せていた少女の姿のドールは、少年のような声色のハスキーボイスでひと言そう口にしながら、閉じた人事目録を片手に山の頂上に仁王立ちし、軍人たちを見下ろします。


『汝らが、我の眠りを起こした者どもか』


「僕が書いたキャラクターそのままだ…………」

 丸眼鏡の彼が目をぱちくりと瞬かせながらひとちると、それを聞いていた軍人たちは互いに互いの顔を見合わせて静かに喜びの声を交わしていた。


『問いかけに応えぬか』


 苛立たしさを演出するドールでしたが、すぐさま丸眼鏡の彼を脇に押し退けて、隊長が代表してドールの前に出てきました。


「はい、ご明察通り。我らが貴女を眠りから解放させていただいた者共でございます」

『何者だ、汝ら、身分を名乗れ』


 はっ! と腹の奥から覇気のある声を出すと、隊長は右足で地面を強く一回叩く。

 すると、それを合図に、背後に控えていた十数人の軍人たちもダンダン! と二回強く地面を右足で揃って叩きました。


「我ら、国家非公式のレジスタンス軍団! 人事目録などというもので人を判断、区別し、勝手に生き方を割り振っていくこの国の理不尽で不条理なシステムに異議を唱えるべく集結した勇士共でありますっ!」


「「「民衆に生き方の自由と尊厳の解放を!」」」


 隊長の言葉の後に一斉に声を揃えた背後の軍人達は、またもダンダンと強く地面を軍靴で叩きました。


「そして、私がそのレジスタンス軍を執り仕切る、隊長であります」

 それを一通り見下ろし眺めたドールは、『ふむ、そうか』となんとも興味なさげに鼻を鳴らし一蹴して見せた後、ちらりと、目線を隊長から隊長の傍へと移しました。


『汝はなんだ。見てたところ、どうやら汝だけは他のレジスタンス軍とやらとは違うようだが』


「え、ぼ、僕…………?」

 信じられないと言った様子で、丸眼鏡の彼が周りをキョロキョロさせながら自分を指さしました。

『汝以外に誰が居る』

「こいつは違います、こいつは――――」


『汝には訊いていないわ!』


 不躾にも、丸眼鏡の彼とドールの間に割り込むように口を開いた隊長に威圧をもって一蹴すると、下唇を噛みながら「申し訳ありません……」と呟いて、半歩身を引きました。

「ぼ、僕は…………作家……ただの、作家です」

『作家』

「はい…………」委縮して身を縮めさせながら、消え入るような声で返事をした丸眼鏡の作家に、しかし、興味を示すわけでもなく怒りを露にするでもなく、『そうか』と先ほどと同じように軽くあしらうだけでした。


『それで、汝の眠りを解き放った理由を聞こうか』

 改めて首を正面の隊長に向けて問いを投げたドールに、隊長は少し遅れて、一歩再度前に出てきて言いました。


「はっ、先ほども申し上げましたように、我らレジスタンス軍の目的は、人事目録のシステムに縛られ、窮屈に生きている民衆たちの生き方の自由や尊厳を解放してやることです。そのために我らは国家と戦う必要があります」

『内戦をしようと言うのか、その人数で』

 十数人しか満たない寄せ集めの軍隊で国家に挑むという無謀さに、しかし、隊長は苦虫を噛み潰すような表情を露にしながら首肯しました。


『はっきり言おう、無理だ』

「重々承知しております。だからこそ、ここにやってきたのです。貴女さえいれば、こちらに勝機が訪れるのも、夢物語で終わることはないでしょう!」


 隊長の必死の熱弁を、ドールは自らのブロンドヘア―を指でいじりながら深いため息を吐いて見せました。


『否、断る』


 断言したドールの言葉に、「なっ……」と声を詰まらせて、あり得ないものでも見るかのような目つきで、本の山を下りてくるドールの姿を見やります。


「なぜ……なぜですか…………」


『何故? それはこちらのセリフだ。何故我が汝らに力を授けねばならぬ。その道理が一体どこにあるというのだ。当たり前のように我が加勢すると信じておごりおって……』

 十歳くらいの姿をしたドールは大柄な体躯をしている隊長の二分の一程度の背丈しかありません。

 それでも下から隊長を覗く彼女の威圧は充分なほどの貫録を醸し出していました。


『虫唾が走るわ』

「……ッ」


 顔の色が一瞬青白く変色した隊長は半歩距離を取るように後退しましたが、しかし、その両目には、まだ兆しの光が宿っているようでした。


「し、しかし、ドール殿は、なんとも思わぬのですか!」

『あん?』

「こ、この情勢にです! 人事目録などというもので人の今までの生き様を記録することを強制し、あわよくばそれを就職などの計りとする! 少しでも人事目録に傷が付けば問答無用でいらない人間扱いだ! それって、いわば差別でしょう! そんなことを平然と政策に組み込んでいるこの社会を、貴女はなんとも思わないと申し上げるおつもりか!」


『一切合切興味が無い』

「……………………」


 思わず、開けた口が塞がらないといった様子でした。

『我はドールぞ? 人情を訴えかけてどうする。我からしたら人間どものそんな些末な事、どうでもよいわ』

「どうでもいいだと! この、心が無いスクラッパーめが!」

 隊長の背後に控えて黙っていた、この集まりの中でも若いほうに入るだろう青年が声を荒げました。それが癪にでも触ったか、ピクリと瞼を小さく痙攣させて青年を睨みつけます。

「よせ! 感情的になるな! 軍人ともあろうものが」

 ドールを噛みつかんと言わんばかりの形相で前に出てこようとする青年を、隊長が片腕で制します。その様子をドールはただただ黙って観察していました。


『よし、気が変わった。我も内戦に参加しよう』


「ほ、ほんとか!」

 隊長の腕の前で落ち着きを取り戻した青年が問うと、ああ、と首肯しますが、しかし、そこに含まれた笑みには不敵なものを感じさせました。


『しかし、我一人、第三勢力としてだ。汝らに加勢するつもりは一切ない』


「なッ――――!」

「なぜです! あなたが内戦をする理由は無いでしょう!」

 言葉を詰まらせた青年のその後を引き受けるように隊長がドールに抗議します。


『我は常日頃から人間に対して憤りを感じていたのだ。ずっとこんな暗く埃臭い部屋で何十年も眠らせおって……いつしか、その報復をしたいと思っていたところだ。いい機会だ、これを機に我自らの手で直々に人類を滅ぼしてくれる』


 更に口の両端を裂いて不敵な笑みを浮かべ一歩前に踏み出すと、隊長を起点として、背後の軍人達もジリジリと後退していきます。


「む、無理です……いくら貴女といえど、人類には勝てない」

『それはやってみねば分からぬ』

 ジリ、更に足を踏み出します。


「と、止まれえええ! そ、それ以上隊長に近づくんじゃない!」


 隊長の後ろ脇に控えていた軍人が手に携えていたライフルの銃口をドールに向けながら声を荒げました。虫けらでも見るような目つきをさせながらも、ドールはその動きを止めます。

 彼に続くように他の軍人達もドールに向けて銃口を向けます。


『無駄だ、銃撃程度では我を壊せないことくらい、汝らも知っているだろうに』


 ドールの言葉に、銃を構えた軍人たちは、先ほどの会話を思い出したのか、ぐっと顔をしかめさせて、銃口を少し下げました。


「…………た、隊長……どうしましょう……このままでは……」

 背後から耳打ちされた隊長は片頬をぴくぴくと痙攣させながらも、平静さを保とうとしています。

「大丈夫だ、案ずることは無い。ただのアンティークドール風情が人間に勝てるわけはない」

「分かっています! そんなこと。しかし、もしそうなって人類が勝利した場合、責任問題がこちらに……」


「責任、問題…………」一言一句噛みしめるように呟いた隊長は、少し遅れて、さーっと血の気が引くように顔色が今度はしっかりと真っ青になりました。


「と、止まれえ!」

『止まっているが』


 隊長が腰脇のホルスターから拳銃を取り出し、腕を真っ直ぐにピンと張りながら銃口を眼下のドールに向けます。傍らのドールにチラチラと注意を向けながらも、隊長は先ほどから黙って静観している丸眼鏡の作家に言葉を乱暴に投げました。

「お、おい! 作家! お前が書いた書物だろう! 何とかしろ!」

「な、何とかと言われましても…………僕は、オーダー通りに“攻撃的な最強の兵器風の人格”を書いただけですから……」

「じゃあ、弱点とかでもいい!」

「そんな! 弱点あったら最強じゃないじゃないですか!」

 その作家の言葉を聞いて、ドールは『ほう……』と感心するような息を漏らしました。


『それは良いことを知った。これで気兼ねなく殺戮の限りを尽くせるというわけだ』

「おい! 余計な事吹き込みおって! このボンクラ弱虫作家が!」

「ひぃ! ご、ごめんなさい!」


 ダン! と靴底でひと際強く書庫内の地面を叩く音が響き渡りました。

 それは軍人の中の誰のものでもありません。それは規律を守る軍人達を委縮させるほどのものでした。


『ピーピーピーピーやかましい。耳障りにもほどがある。そうやって自分が弱い立場に立ったら自分を棚に上げるのはやめないか、見苦しい』


 ぐっと、一帯の空気に重圧が掛けられたかのように、誰一人としてその場に固まってしまって、動くことも異議を唱えることも出来ない様子を見せます。


『まあ、しかし、だ。我を眠りから解放してくれたことは感謝している。我に弱点がない事も知れたしな』


 だから、と隊長をその不気味とも言える瞳孔一つ動かないブルーマリンの瞳で睨み上げると、隊長が短い悲鳴を上げて後ずさりました。

 隊のトップがそんな有様になってしまっては、背後に控える軍人達も仏頂面で強固な鎧を付ける理由はありません。不安そうな面持ちでジリジリと後退します。


『今日は汝らを殺すのは見逃してやる。早く各々家に戻って、家族や友人との最後の時間を踏みしめるんだな』


 それでもなお、両足を小刻みに痙攣させながらその地に踏みしめて耐えているのは、一種の意地でしょう。彼らに抵抗するような力も余力も残っていないのですから。

 崖から落ちそうになって必死に崖に捕まっている人間の指を剥がすように、ドールは最後の追い打ちを掛けました。


『さっさと失せないか! それともここで無様に人類の為に散った英雄の一人として名を刻まれたいか!』


 落下。


 最後まで指先の力だけで踏ん張っていたのに、なんともあっさりと簡単に指が外れて落下してしまいました。


「うわああああ!」


 軍人の一人が雄叫びのような断末魔のような悲鳴を上げると、開きっぱなしになっていた大扉の外へと駆け出ていきました。


 そうなると後は早いものでした。

 恐怖の伝播。

 一人が崩壊すれば、それはドミノ倒しのように崩れていきます。我が先と言わんばかりに次々と軍人が書庫を後にしていきます。


 何よりも傑作なのは、あの大柄な隊の隊長が一番子供のように泣き喚いて去っていったことでした。

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