人魚姫
一応続きがある物語なので連載にさせてもらいました
気が向いたら続きを書きます
昔々と言ってもそこまで昔のお話ではないけれど、私は小さいころに不思議な国に訪れたことがある。
そこはいきなり現れたりするチェシャ猫や、我儘なハートの女王が私を迎えてくれた。
あれは夢だと思っていたけれど私にはどうやら童話の世界に行ける能力があるようで、それは私が望んで使うことはできないけれど童話の世界の人たちが望んだら私は強制的にそちらへ行くことになる。
私が呼ばれる先は毎回何か問題が起きていて、私は物語の修理屋として童話の人たちに知られているらしい。
「まぁ、自分のことを思い出しても何も起きないわよ…アリス。まずは、ここがどこかが問題なのよ」
今、私は広い海の真ん中にある岩の上に座っている。
「そうね、ここは海よ!見たらわかるじゃないアリス!私は今海の真ん中にいるの!だから、問題は場所じゃないわ!そうよ!ここが何の物語なのかが一番の問題ね!…とりあえず話しかける人を探さなくちゃ!」
アリスは思い立ったようにあたりを見回す…が先程から誰かいないかと探していたので誰もいないことはわかって本当はわかっていた。
「まったく、私をここに呼んだのはいったい誰なの?招待した人が出迎えをしないなんてマナーが悪いわ!」
岩の端に座り込んだアリスは靴と靴下を岩に乗せ、裸の足を海の中に入れてぱちゃぱちゃと音を立てる。
今のアリスにできる暇つぶしと言ったらこれしかないのだ。
「もう、こんなことならおやつのクッキーの一つでも持ってくればよかったわ!あぁ、でも…ここだと喉が渇いちゃうわね。そういえば海の水はしょっぱいって聞いたことがあるけれど本当なのかしら?こんなにきれいな水がしょっぱいなんて信じられないわ!」
そうね、試しに飲んでみたらわかるわ!そうよ、飲んでみましょう!
ひとり、頭の中で会話するアリスは両手で海水をすくって喉に流し込む。
「しょっぱい!しょっぱすぎるわ!喉が焼けてしまいそう!」
体が発達途中のアリスに海の水は塩分が濃すぎたようで、アリスは喉を抑えて咳をする。
「あら、人間のお嬢さん。こんなところで何を…ってもしかして、あなたがアリス⁉」
苦しそうなアリスに話しかけたのはサンゴ礁の髪飾りがよく似合う太陽のようなオレンジの髪をした女性。海からのぞかせた上半身は貝殻と真珠で作られた水着を着ている。
「あなた、が…私を呼んっだの…?」
喉の感覚と咳から何度も言葉につっかえながらアリスは尋ねる。
「えぇ、私たちがアリスを呼んだのよ!」
女性は嬉しそうな笑顔を見せてアリスの喉を抑える手を取り「みんなのところまで案内するわね!ついてきて、アリス!」と海に引っ張る。
「ま、待ってちょうだい!私は海で泳いだことがないの!それに、また海水を飲むかもしれないじゃない!そんなのごめんだわ!」
アリスは引っ張られる手に力を込めて必死に落ちないようにとしている。
「だいじょうぶよ、アリス!私を信じて!ここは物語の世界、私たちの思うままにできるのよ!」
女性は笑顔を崩さずにアリスに話しかける。
「…それは、本当なのね?」
アリスの疑うような表情にはまだ幼い雰囲気が残っている。
「えぇ、もちろん!」
彼女の言葉にアリスは思い切ったように海の中に足を踏み入れる。
耳元で響くのは泡の音、目を開けばそこは海の中。
「綺麗だわ…あっ!」
思わず口を開いてしまったアリスはここは海の中だということを思い出して慌てて口をふさぐと隣からくすくすと楽しげな声がする。
「大丈夫よ、アリスはこの世界の住人ではないからここのルールに従わなくていいのよ」
彼女の言葉にアリスは「そう…?」と少しあいまいに首を傾げると彼女の下半身が魚と同じものだと気付き思わず目を見開く。
「あなた、人魚だったのね!」
人魚と会うのは初めてで私が声を弾ませると、人魚はにこりと笑う。
「ようこそ、人魚姫の世界へ!」
「あらためて自己紹介するわね。私はイリナ、アリエルの姉の一人よ」
イリナは私を海の底へと案内しながら自己紹介をする。もちろん、私も自己紹介をしないとマナー違反よね。でも、なんて返ってくるかなんてもう想像がついてるわ。
「私はアリ「アリスよね、知ってるわよ。なんていったって物語の修理屋さんなんでしょう?アリスは私たちの世界では有名人なのよ?」
そう、知っているわ。だって、いろんなところに行くたびに毎回こんなことを言われるのよ?私が有名なのは嫌でも納得しなきゃいけないじゃない。
「それは光栄ね。ところで、私はどこに案内されているの?」
「もうすぐ着くわ」
アリスの問いかけにイリナは顔をアリスの方に向けながら答える。
イリナの泳ぐ先には岩場に集まる人魚たちの影が見えた。
「イリナ!その人がアリスなの⁉」
人魚の中の一人がイリナに近づいて話しかける。彼女の髪は珊瑚のようなピンク色をしている。
「えぇ!さっき岩の上で日向ぼっこをしていたわ」
日向ぼっこですって⁉ずっと岩の上から動けなくて困っていたのを日向ぼっこだなんて!よく言えるわね!
ふつふつと怒りを込み上げているアリスをよそに人魚たちは物珍し気にアリスのことを覗き込む。
「みんな、アリスのことが気になるのは分かるわ。けど、今はそれどころじゃないでしょう?」
イリナが口を開くと身を乗り出していた人魚たちはハッとしたように自分たちの座っていた場所に戻っていく。
「さぁ、アリスも座って」
イリナはアリスを人魚たちが作っている円の真ん中に座らせる。
「私たちがアリスを呼んだのは何でもない私たちの物語を修理してもらうためなの。お願いアリス、アリエルを助けて」
イリナの話をまとめると、王子様を助けて物語の始まりを作るところまではうまくいったけれど突然アリエルがいなくなって物語が進められなくて困っていたところに私のうわさが流れてきて必死の思いで私をここに呼んだってことらしいわね。
「それで、とても無理なお願いだってことは分かっているのだけど…アリエルの代わりにヒロインとして物語を修理してほしいの」
イリナは私の手を握り「頼れる人は貴女しかいないのよ、アリス」とまっすぐなその瞳を向ける。
「もちろん、それが私の仕事なのだから断るわけがないでしょう?」
イリナの手を握り返して笑うと周りの人魚たちは嬉しそうに互いの手を取りあう。
みんな仲良しなのね。私も姉さんとは仲がいいから少しだけ姉さんのことを思い出すわ…。早く姉さんに会いたいし修理を早く終わらせましょう!
「あ、でもなんてことなの⁉これじゃだめだわ」
そう、だめよアリス!だって私は、人魚じゃないもの!
「私はあなたたちみたいな綺麗な尾びれがないわ!どうしましょう…このままじゃ物語を修理することもできないじゃない!」
あぁ、困ったわ…。頭を抱えて考えるけどいい案は何も浮かばないわ!
「大丈夫よ、安心してアリス。ちゃんと策はあるわ」
イリナはアリスの肩に手を置いて「だから、落ち着いて。ね?」とウインクをする。
「そうなの?」
首をかしげるアリスにイリナは笑顔でうなずいて手に小瓶を握らせる。
「魔女からもらった特別な薬よ。これを飲めば私たちと同じになれるわ」
小瓶の中には飴玉が一つ入っている。飴玉は赤から紫、紫から黄色、時には海よりも深い青い色に姿を変えている。
「綺麗…」
その色はアリスの青空のような瞳に反射してまた違う色を映していく。
「これを食べればいいのよね?」
アリスがイリナに尋ねるとイリナはこくりとうなずく。
もう一度飴を見れば飴はまた色を変えていた。
意を決したように目を閉じてその小さい口に飴を含むと口に広がるのは海の味。しょっぱさの中に添えられたような甘さと塩の匂い、鼻から抜けるような夜の匂い。
飴を舐め終えてアリスが目を開いて自分の足を見るとそれはアリスの瞳と同じような、空色の尾びれになっていた。
「素敵な尾びれ!これなら物語を終わらせることができるわ!」
アリスは両手をたたいて喜び、人魚たちにありがとうと笑いかける。
「どういたしまして。それよりもうすぐ王子様の船が来るわ!外はもう嵐になっているはずよ!さぁ、王子様を助けてきて!」
イリナは私の手を取って海面に向かって泳ぎ始める。人間の足だったころと変わって速く泳げるようになっていて水を切る感覚が気持ちいい。
ずっと泳いでいられたら素敵なのに…!
アリスがそう思っても海面はすぐそこにまでやってきて、気が付いた時には海から頭を出していた。
「もう夜なの⁉」
アリスが驚いたのも当然なのだろう。飴を舐めていた間に夜になっていたのだから。
「さぁ、アリス王子様を助けて」
イリナは囁き声で私に告げると、海の底へと消えていく。確かに物語りではここにイリナはいないから、居てはいけないわね。
その王子様はどこかしら…?
私が周りを見ると誰かが海に落ちていくのが見えた。
助けなきゃ…!
「あなた、大丈夫⁉」
近くによって体を抱えると冷たい体には確かに心臓の音がする。
「よかった!生きてるわ」
どこか安全な場所はないかしら?そもそも海の上に安全な場所なんてあるのかしら?
あぁ、でも海の沖ならきっと大丈夫よ!そうよ、海の沖に連れていきましょう!
アリスが海の沖に人間を寝かせたころ、嵐は過ぎ去り海は穏やかなものへと表情を変えていた。
「み、水を…」
沖に寝かされた人間は澄んだ低い声で水を求める。
「水…、水ね!ちょっと待ってちょうだい!」
アリスは男にそう告げ、少しすると貝殻に水を入れて戻ってきた。
「さぁ、これを飲んで」
男の口元に水を運んで飲ませていると、沖の向こうから馬の足音と人の声が聞こえる。
「っ…⁉」
このままじゃ見つかっちゃうわ!
慌てて海に飛びこんで気づかれないように頭を少しだけ出してみると、彼の傍らには教会の服を着た女性が立っている。
女性はぁれに気づくと、彼を馬に乗せてどこかへと消えていった。
「これでよかったのかしら?」
馬車を見送り終えると、海底からイリナが現れてアリスに笑いかける。
「大成功よ、アリス!このまま物語を終わらせてちょうだい!」
イリナは嬉しそうに笑って、この物語のあらすじを話す。
あるところに、人間の王子様に恋をした人魚がいた。人魚は王子様と同じ人間になりたいために魔女の力を借りて人間になる。ただし、歩くたびに心臓をナイフで貫かれる痛みが走り、美しかった声はおろかしゃべることもできないのだ。人魚は王子様と結ばれなければ海の泡となって消えてしまうことを覚悟し、王子様のもとへと行く。しかし、王子様には素敵なお姫様と結婚する約束があります。途方に暮れた人魚は月の綺麗な夜、船の甲板で海を眺めていたら人魚の姉たちが現れ魔女からもらったナイフを人魚に渡し「王子を殺したら助かる」と告げる。人魚は王子様を殺すぐらいなら…と自らの命をナイフで断ち切り海の泡となって消えてしまった。
「これが人魚姫のお話。アリスが終わらせる物語の結末よ」
イリナの笑顔はとてもうれしそうでそれは私の失敗を許さないと言っているようで胸が痛くなる。
「えぇ、私にまかせて!」
失敗するわけにはいかないわ…。
それから私は人魚姫として足の激痛に耐えながら、物語を順調に進めていった。
王子様はとても素敵な人なのはよかったわ!私のために馬を用意してくれたり美味しい食事をだしてくれたりしたの!…だけど、馬を引き連れてる騎士はとてもひどい人だったわ!
私と目があえば嫌な顔をするし、いつも私に聞こえるように「めんどくさい、めんどくさい」なんて言うのよ!
茶色い髪と月色の瞳はとても素敵なのに!
…でも、それも今日でおしまいよ。だって、私は今からこの物語を終わらせるんだから。
イリナから受け取った短剣はとても綺麗な装飾をされていて、私が使うにはもったいないと少しだけ思う。
この短剣を胸に突き刺せば物語は終わり。私は元の世界に帰れるわ。…なのに、どうしてこうも胸がざわつくのかしら?いつもと、何かが、違う…そんな気がするの。
「アリス?」
アリスの立っている船首の下には不安げな顔を向けるイリナたちがいる。
『大丈夫、大丈夫よアリス。今の受胎より怖いことなんてたくさんあったじゃない』
短剣を振りかざすと、その切っ先に月の光が反射する。目を閉じて、その細い腕を自分の胸めがけて下したその時、
「やめなさい」
静かな声が海に響いた。
短剣がその小さな体を呑み込む前にアリスの腕を掴んだのは、馬を引き連れていた不愛想な騎士だった。
『あなたは…』
声の出ないその口を動かしてしゃべるアリスに騎士は人差し指を立てて少女の唇に触れる。
「アリスさん、あまりこちらの世界に関わってはいけないと何度言えばわかるんですか?」
騎士の体の表面は紐を解くようにほどけ、そこに現れたのは一匹の狼。
茶色い毛並みに満月のように光る瞳、きっちりと着たスーツ。二本足で立つ狼のその首には鍵束がかけられている。
「な、なんで…物語の修理屋の狼がここにいるのよ!」
甲高い声、吊り上がった目じり。それは先ほどの優しげな人魚を忘れさせるようだった。
「お久しぶりですね、イリナさん。相変わらずその猫をかぶる性格は治っていないようで私は残念です」
狼は一度深々とお辞儀をして凶悪な牙がのぞく口で笑って見せる。
「前回も忠告しましたが、個人の感情で物語の結末や登場人物を書き換えることは禁じられています。この言葉は、三回目ですよ?」
とがった耳をぴくりと揺らして首をかしげると、人魚は声を荒げる。
「愚かな人魚の為に私たちの可愛いアリエルを泡になんかさせないわ!あの子が泡になるぐらいなら、そこの娘を代わりにした方がいいじゃない!」
その指がさした先にいるのは紛れもなくアリスだった。
『っ…⁉』
自分が騙されていたと知った少女は目を見開いて短剣を握りしめたまま、ぐらりとよろける。
「大丈夫ですか?まずは貴女の呪いを解くのが先でしたね」
自身の爪で傷つけないようにしながらよろけた少女を抱きとめ、その足に肉球のある手のひらを滑らせればナイフで刺されていたような激痛は引き、あどけない声は甦る。
「先生!」
少女が先生と呼んだのは紛れもなく狼のことだ。
「…その呼び方はやめてくださいと何度も言ったはずですよ」
爪の甲でつんと少女の額をつつくと、少女はくすぐったそうに笑った。
「でも、私にこの世界のことや仕事を教えてくれるのは貴方でしょう?だから先生よ!」
「そうですか。それじゃあ、雑談はこれが終わってからにしましょうか」
少女の言葉に狼は呆れてため息をつけば、人魚の方へと顔を向ける。
「ではイリナさん、あなたの大好きなアリエルさんを連れてきましたのでその言葉を胸に刻み込んでください」
狼が船の奥を見ると、そこから美しい女性が現れてきた。
「今回は特別にその声で話すことを許してあげましょう」
女性の喉に鍵束の一つをあてて回すと、暗い紫色の火花が弾ける。
「__わたしは、あの人の為なら泡になっても構わなかった。姉さんの気持ちも嬉しかったわ、本当のことよ?…でもやっぱり駄目ね」
女性は目を伏せて笑った。それは寂しさと懐かしさを織り交ぜた感情が込められているようだと少女は思う。
少女の手に持っている短剣を取り、女性は船首に立つ。
「どんなに辛くても、いつまでも苦しくても、繰り返すたびに私はあの人好きになってしまうの。この足の痛みなんて代償にならないぐらいにね」
ごめんなさい、女性はそう笑って自分の胸に短剣を突き刺して海へと落ちていく。
いずれ、浮かんできた海の泡は空へと浮かび上がり次第に風の精へと姿を変えていった。
「人魚姫は泡になって終わる悲しい物語じゃないんですよ。ただあのままアリスさんが胸に短剣を突き立てていたら、貴女はこの物語の登場人物として今の彼女のようになっていました。私の言っている意味が分かりますね?」
狼が少女を睨むと少女は肩をすくませて「今回は私が悪かったわ」と頭を下げる。
「…理解してくれたならいいんです。ここはアリスさんが思っているよりもずっと危険なんですからね」
少女の頭をゆっくりと撫でて狼は微笑む。
「なので、アリスさん。その能力を私に「あっ、私そろそろ帰らなきゃ!」
先生の言葉が最後まで続けられる前に私は叫ぶようにして頭をあげて走る。
「あっ!待ちなさい!」
先生が私に向けて手を伸ばすのを視界の端にとらえて振り返る。
「先生!また私が困ったら助けてくれるんでしょう?」
首をかしげながら尋ねると先生ははぁ…とため息をつく。
「お腹はもう石でいっぱいですよ」
「私は石よりもずっと魅力的よ?」
少し鼻で笑うように答えて先生に背を向けると、そこはもう私の暮らすいつもの景色だった。
あの出来事が嘘のように暖かい日差しが射して、木の下では姉さんが本を読んでいて私に気が付くと「おいで、アリス」と手を招いてくれる。
木の下に向かって走りながら大きな声で答える。
「ただいま、姉さん!」
さっき会ったばかりじゃない。と笑う姉さんに「そうだったかしら?」と首をかしげて隣に座る。
髪を揺らす風から海の香りがして振り返ると、アリエルさんが笑っている気がした。