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五話

「坊主。ほら、壁が見えてきたぞ」


 とぼとぼと俯きながら歩いていた詠士は、アリサの言葉に首をもたげた。


「おぉ!!」


 確かに都市は、そこにあった。

 話に聞いていた焦げ茶色の防壁、そして防壁の近くには青い海と多くの船群。


「あれって海ですよね! でも、どうしてこんな所に?」

「あん? ……そりゃあ、海がそこにあるからだろ。歩いている時に気づか――なくても、おかしくは無いか。ここいらは海面よりも地面が高いし向こう岸も見えてるもんな」


 今まで詠士が気づかなかったのは背の重みから逃れるように視線を地へと向けていたからであるが、アリサの言う通りでもある。

 崖、というほどではないが海へ行くには大きく、急な坂を下る必要があるようだ。

 また、幅はだいぶ広いが入り江のように大地と大地の間に海がある。


「んなもんより、ほらアレだ」

「ええ!」


 自慢するようにアリサが指差すそれに、興奮している詠士が何度も頷く。


「あれが――」

「あれが、迷宮だ」


 アリサの指した先には、一際目を引くものが都市の中から飛び出ていた。

 上部は雲を突き抜けていて遠くからでもその全容を掴ませず、一方下部は地面へと近づくにつれ、迷宮を形作る岩の量が増大している。

 上側だけを見れば塔に見えなくもない。

 しかし、遠くから見ると円錐状の形をして黒に近い灰の色調をもつそれ(迷宮)は巨大な岩山のように見える。

 詠士は思わず溜め息をついた。

 威風堂々たるその姿に、溜め息しか出なかった。

 しかし、呆然と立ち尽くす詠士の傍らでアリサの眼はすでに街へと移っていた。


「んじゃ、さっさと行くぞ」

「はぁぁ、そう……ですね。行きましょう」


 本当はもう少しだけここから見える風景を楽しみたい。

 だが――


「これ以上ここにいたら干からびそうですしね」

「ああ。さっさと酒を飲みてえしな」


 酒を飲む己の姿を想像したのか、垂れてくる涎を拭いながらアリサが答える。

 日は未だ高く、時折熱風が三人に吹き寄せている。

 その風が体を攫おうとする不快感に詠士だけではなくアリサも顔を顰める。


「よし、あと一踏ん張りだ」

「はい」


 歩き出すアリサに、遅れを取れぬように付いていく詠士。

 そして、最後まで何も言わず二人の背だけを見つめる老爺が続いた。



 -----------------------------



「ひっ、ひぃぃぃ。何か、ベタベタするぅ」

「今日は風が吹いているからな。潮のせいだろう。後は坊主自身の汗だ」


 息も絶え絶えに門前までたどり着いた詠士は、衆目を集めるのも構わずその場でへたり込んだ。

 しかし、そこは人通りは少ないとはいえ往来である。

 アリサは寝転がっている詠士の首根っこを掴むと、人々の往来の邪魔にならぬ様に道端まで引きずっていった。


「坊主はもっと体力を付けねえといけねえな。この程度でへばってちゃ、これから先どうすんだ」

「ぜぇ…ぜぇ……、そ、そんな事言われましても。それに、あそこからここまでこれほどの距離があるとは思っていなかったので」

「ああ、そういえばそうらしいな。迷宮の大きさのせいで距離感が掴めねえとか何とか。ま、これからも外出る機会はあるだろうし、距離は体で覚えとけ」

「は、はい」


 両腕を使い上体を起こした詠士は、傷だらけの雄々しき門を見るとふと疑問が沸いた。


「アリサさん。門兵というか門番というか、街の出入り口を取り締まる人はいないんですか?」


 詠士が見つめる門やその周辺には物見櫓の類は無く、誰にも何にも邪魔されることなく人が門を出入りしている。

 あまりの無防備さから、もしかしたら離れた場所から行き来を監視する何かがあるのかもしれない。

 そう思った詠士は、立ちながら詠士を見るアリサに尋ねた。


「あー、いねえな。そんなの」

「これだけ大きい街なのにですか?」

「ああ。そもそも誰が、何の為にそんなことをするんだ?」


 質問を受けたアリサの方が、詠士に疑問を投げかける。

 

「え、えーと。例えば犯罪者が街の中に入ってきたり違法な薬物とかを密輸したり」

「他所から流れてきた罪人でもここで暴れなければ問題はないし、薬も自己責任だ。言っておくが、ここに法は無いからな。全てにおいて自己責任がまかり通っている」

「えー。ここって本当に無法地帯なんですか?」


 想像以上に立派なアルフォリアの町並みを見た詠士は、ここに法が無い事信じられずにいた。

 それは、法が無いにしてはあまりに街が整っているからである。

 もし法もその代わりとなる統治機構もなければ、建物を建てるにしても各々の好きなように好きな場所に建てて、町並みは雑多なものになってしまうだろう。

 第一、ここまで立派な防壁を築き上げられる訳がない。


「あ~、坊主には色々教えなきゃならねえんだったな」


 アリサは頭をボリボリと掻き毟ると、困ったような顔を詠士に向けた。


「と言っても、アタシだってよく分からないことばかりだしな。そういった事はアイツに任せるか。……ほら、立ちな。坊主」


 アリサはすぐに悩むのを止めると、そう言いながら詠士を手を差し伸べる。

 未だ疲労の渦から脱せずにいる詠士ではあるが、アリサに手を伸ばされれば掴むしかない。

 歯を食いしばり、震える足に活を入れながら詠士はアリサへと手を伸ばした。


 まるで釣り上げられた魚のように引き上げられ、フラフラと外部と内部を隔てる門を通り抜けた詠士の鼻腔を今までに嗅いだことのない臭いが貫いた。


「ぐっ……ふっ、ふぅ~。これは、強烈ですね」


 潮の匂いがするものの清涼な空気が吹き抜ける外とは違い、中は生ゴミによる腐敗臭や焦げた臭いなど酷い悪臭が辺りを漂っているのだ。

 詠士が思わず鼻を押さえ、苦悶の表情を浮かべてしまうのも無理はないだろう。

 しかし、悪臭だけが周りにあるだけではない。

 何処かしこで肉や魚の焼ける香ばしい臭い、周囲を行きかう人々の熱気。活気が、そこにはあるのだ。

 

「かー、クセェなぁ。壁のせいで外からの風が入りづらいから、空気が淀んじまうんだ。それでも中に居ればすぐにでも慣れちまうし、特にここ等外周は特に酷いからな。そんなことより、こっちだ。行くぞ」


 通りをただ歩いている者や重そうな荷を肩に担ぐ者、熱心に物を歩行者に売りつけようとする者、様々な人、人、人。

 アリサはそんな多くの人を掻き分けながらどんどんと進んでいき、建物と建物の間にある薄暗い細道へと向かっていった。

 それに師匠、遅れて詠士が慌てながらついていく。

 路地裏を一歩一歩進むにつれて表の喧騒が掻き消えていき、それに伴って燦燦と降り注いでいた日の光も薄らいでいった。


 アリサと師匠はその道を通るのに慣れているのだろう。特に周りを気にすることもなく先を進んでいく。

 しかし、詠士はその道の陰鬱な雰囲気に少し怯えを見せ始めていた。

 路地裏は外の空気とは異なり、一面ジメジメと湿っている。

 石畳で舗装されていた大通りとは違って何の舗装もされていないために、湿った土を踏みしめる他ない。

 建物の壁には苔が生えていたり泥で汚れていたりと清潔とは無縁のようで、かすかに鉄の臭いすらしてくる。

 どう見ても、真っ当な人間が通っていいような道ではないだろう。


「あのっ! こんな道、本当に通って大丈夫なんですか?」


 何処かで悲鳴のような音を聞いた詠士がアリサに尋ねる。


「こんな道もなにも、今向かってる所はマシな部類だぜ。この道を通る奴は限られているからな、裏道に潜むような小悪党共もわざわざ寄り付かないぐらいさ」


 それに誰か潜んでいても、と腰に差している短剣をアリサが叩く。

 どうやらアリサは斧だけではなく、短剣の心得もあるようだ。

 詠士はここである事に気づいた。

 前を行く二人の様子が外を歩いていた時と、この道を歩いている時とで違っていたのだ。

 それは垣間見える所作の違いのように言葉で明確に表せるものではない。

 あくまで詠士の感覚によるものである。だが、詠士はその些細な感覚をしっかりと掴んでいた。

 二人の違い、それは言うなれば警戒心の差であろうか。

 外を歩いている時と比べて、今は何処か安心感のようなものを詠士は感じ取っていたのだ。

 それは、大通りを歩いている時にも感じなかったものである。


 詠士がこの違いに気づくと、途端にこの道に対する恐怖心が収まった。

 自分よりも上位者の二人が安心するものがこの道にはあるのだという事実に、この細道に対する安心感が芽生えたのだ。


「はぁ」


 詠士はアリサに対し、気の抜けた返事を返した。

 実際、気が抜けたから出てきた返事でもある。

 アリサはそんな詠士を見ると、ふんっと鼻を鳴らし、荒々しい笑みを浮かべた。

 


----------------------------------------------------



 少しぬかるんだ道を歩く詠士たち。

 唐突に一番前を歩いていたアリサの足が止まった。

 そのアリサの視線の先には、小道に対して一軒だけ扉を向けている建物があった。


 その建物も周りの壁しか向けていない建築群と同じように汚らしく、陰鬱でみすぼらしく、まるで墓場のような雰囲気を漂わせていた。

 この都市の建造物一般に見られるような石造りの建物であり、建てられてから日が経っていることを思わせるようにあちこちに傷や劣化痕、石と石の隙間には苔がびっしりと生えている上に虫が蠢いている。

 詠士が嫌そうに顔を顰めながら扉すらない入り口の向こう側を見てみる。

 かすかに灯りは見えるものの中は仄暗く、まだ日は登っているというのにも関わらず外からでは中の様子を確かめることが困難なほどである。

 到底、人が住んでいるようにも思えず、まして人が住めるような所だとも詠士には思えなかった。

 唯一の取り得は、ただ大きいだけだろう。


「えっ、あっ……え? あの、目的地はこんな所ではないですよね?」


 戸惑いながら否定してくれるのを期待するように、詠士はアリサに縋りつく勢いで尋ねた。


「こんな所とは何だい。ここがアタシらの根城だよ。坊主も今日からここに住むことになるんだし、少しは愛着を持ちなよ」


 アリサはそう言うと、ドシドシと迷うことなく建物の中へと入っていく。

 鼻歌混じりなのは、ついに渇望していた命の水を飲めるからであろう。

 無論、師匠もそれに続く。

 しかし、詠士は足をそれ以上前に進めることが出来ず、じりじりと後ずさる。


「ああ、何やってんだ、坊主。ほら、入るぞ!!」

「嗚呼……」


 それを目ざとく見つけたアリサが駆け戻り、泣き言を叫ぶ詠士の首根っこを容赦なく掴むと、引きずるように中へ連れて行った。


「おい、帰ったぞ!」

「ひっ!」

「はいはい。お帰りなさい、アリサ君」


 アリサの声に反応したのは二人。

 というのも、そこにはそのたった二人しかいなかったからである。

 一人はカウンターの奥で何やらごそごそといじくっている男で、もう一人は一本の火のついた蝋燭だけが置かれたテーブルと向かい合って座っている長髪の女であった。

 アリサはそんな二人を気にすることなく、詠士を引きずったままズカズカと男のいるカウンターに向かっていく。


「おい、とりあえず依頼は終わらせたぞ」


 アリサは言うや否や詠士から皮袋を取り上げると、乱暴にカウンターの上に乗せた。


「酒!」

「はい、分かりました。すぐにお酒とお食事を用意しますので、座って待っていてください。それと……そちらの子は?」


 男は値踏みするような、ねっとりとした視線を詠士に向ける。

 それは部屋の暗さも相まって、まるで闇の中から一匹の蛇が詠士を食べようとするのを今か今かと待っているかのようである。

 そんな底冷えのする視線は詠士に不快感、恐怖心、敵対心と様々な感情を産ませ、呼び起こし、ついには男から顔を背けさせた。


「外で拾ってきたんだよ。これからコイツはアタシらの荷物持ちさ」

「ど、どうも……エイジです」


 アリサに肩を強くたたかれながら素っ気なくあいさつした詠士であったが、決して男と目を合わせようとはしない。


「そうですか。私はこのギルドのマスターをしているイルジオです。ここのギルドは見ての通り、表になんか出られないほど貧乏でしてね。日がな一日中、ここで内職をしていますので、何か用があれば来てくださいね」


 男は仮面に張り付けたような笑みを浮かべて言った。


「それと、あそこで俯いている方はシエラさん。ここのギルドメンバーの一人です」


 紹介された女は先程の長髪の女である。

 名前を呼ばれた女は、ガタガタと震えると元々猫背だった姿勢がさらに悪くなり、テーブルと顔が接しているのではないかと思うほど俯いた。


「いつもあんな風に暗い奴だ。アタシだってまともに話せたことはないしな」

「良い子ですよ。少々人付き合いに難があるだけで」


 本人を前にズケズケと物言うアリサに、苦笑いしながらイルジオがフォローした。


「他にもギルドメンバーはいますが、皆仕事に行っていますので夜に紹介しましょう」

「はぁ……その、ギルド、というのは何でしょうか? 分からない事だらけでして」


 詠士の返答が予想外だったのか、イルジオはきょとんとしながらアリサの顔を見る。


「ああ、そうだった。コイツは常識が無いんだよ。なぁ、色々教えてやってくれよ」

「なるほど、分かりました。では、君も席に座りなさい。アリサさんたちと一緒に何か食べながらお話ししましょう」


 イルジオはそう言うと、静々と奥の部屋へと消えていく。

 詠士はというと勧められた席にも座らず、惹きつけられるようにイルジオの消えていった暗闇をただ不気味そうに見つめていた。

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