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一話

 空には雲一つなく、蒼天がただ無限に広がっている。

 四方は豪壮な山々で囲まれ、足元は深い鮮やかな色をした草が茂る。

 人が手を加えて作った利己的な美しさではなく、活力に満ち溢れた生命本来の美しさがそこにはあった。

 ただ、目に見える風景全てが雄大で手付かずの自然のままではない。


 そこには、周りに比べると明らかに不自然な物があった。

 焦げ茶色の屋根、薄い黄色をした壁、木製の扉に家を取り囲む色鮮やかな花々。

 素朴とも質素とも言えそうな一軒家がそこにはあった。

 周りは雑草が荒れ茂っているにも関わらず、その家の周りだけは手入れのされている芝生で覆われている。

 その芝生の上に一人の少女が立っている。


 夜に浮かぶ月のような白銀の髪、白磁のように白く滑らかな肌、翠玉のような瞳。

 美少女と呼ぶに相応しい彼女は一本の黒い杖を使って、何やら面妖な模様を芝生に描いている最中である。

 杖が芝生の上を通過すると、まるで最初からそうだったかのように芝生が青く光ってゆく。

 少女の手つきは熟練の職人が行うように滑らかに動き、次々と複雑な模様を作り出している。


 せわしなく動いていた少女の手がついに止まった。

 しかし、少女は結果に満足出来なかったようで不満げに首を傾げる。


「やっぱりだめか~。うーん、何が駄目なんだろうなぁ? しょうがないね、もう一回だ!!」


 少女が思い描いた結果が出なかったのか、少女は嘆息しながら杖をクルリと回すと青く光っていた芝生が元の緑色に戻っていく。


「カレン、もう止めましょう。やはりそんな事をしてもどうにもなりませんよ」


 再び杖で芝生の上をなぞり始めようとする少女の背後から声が掛かってきた。

 声は少女の方には顔を向けず、家の近くで屈んで何やら作業に熱中している女から聞こえてくる。

 女は家の周りに植えてある花の手入れをしているらしく、その手は土まみれである。


「そんな事を言っても、もうこれ以外手立てがないじゃないか」

「ですが。それにカレンでは力が足らないじゃないですか。失敗するのがオチです」

「や、やってみなくちゃ分からないじゃないか、ムメ」


 図星を指されたのか、杖を持っている少女カレンの語尾は尻すぼみになっていた。

 どうやらカレンも、自身の行っている事が徒労に終わるだろうと思っていたらしい。

 結局不貞腐れてしまったカレンは、ピンッと張り詰めていた糸が切れたかのように寝転がってしまった。


 膨れっ面で芝生の上に倒れこむカレンを見たムメと呼ばれた女は、何故か笑みを浮かべながらカレンを見守っている。

 ムメがカレンに近づき、隣に腰を下ろす。

 カレンの頭を撫でようと手を伸ばしたムメだったが、その手が土で汚れていることに気づくと、水滴を払うかのように手を軽く振る。

 すると、ムメの手についていた土がまるで水のように飛び散ってゆき、まるで最初から汚れなど無かったかのように綺麗な手が現れた。


 汚れが取れたことで気兼ねなくカレンの頭を撫でるムメ。

 少し荒っぽい気もするが、カレンは気持ち良さそうに撫でられている。


「別にこのままでもいいではありませんか。私達がどうこうする訳にもいきませんし」

「だけど……僕の力が弱いから皆に迷惑掛けてる訳だし。せめて、僕も僕自身を賭けなきゃ……駄目だと思うんだ」


 カレンの決意が固い事をムメも承知の上で言ったのだが、それでも漏れる溜め息は隠せなかった。

 この娘がここまで力を失くしたのは、そもそもあれらのせいなのに。

 何故ここまでこの娘があれらに献身しなければいけないのだろうか。

 ムメは自身の中から憎しみにも近い感情が吹き上がってくるのを感じたが、カレンの手前である。

 無理矢理その感情に蓋をして、見ない振りに努めた。


「ですが、今からしようとしているのは世界の理から外れた所からの召喚でしょう? 他のお方々でも出来ないでしょうに、カレンに出来る訳無いではありませんか」

「うん、それは分かってるんだ。この世界の外にいる者をこちらに呼ぶなんて奇蹟は他の誰にも起こせないってことはさ。だからこそ、今の状況を打破する唯一の手段にも成り得るんだよ。このままじゃ、どう足掻いても只人種(ヒューム)はこの世から消えてしまうから」


 何処か遠くを見るような目で、カレンが悲しそうに言った。


 そんなカレンをムメも悲しそうな目で見つめる。

 この世に八柱しかいないとされている神の一柱。

 それが今、ムメによって撫でられているカレンの正体である。

 只人種(ヒューム)の女神である彼女。

 そしてムメはその女神の傍に仕える、唯一の従者なのだ。


 カレンの慈愛は只人種(ヒューム)に注がれ、ムメの恵愛はカレンにのみ与えられる。

 ムメにとって只人種(ヒューム)の興亡は興味の対象外である。

 カレンが只人種(ヒューム)に思い入れしているからこそ頭の片隅に残しているが、そうでなければ記憶に留める事はなかったはずだ。

 確かに只人種(ヒューム)がこの世から消え去れば、カレンの神としての力はほとんど無くなってしまうかもしれない。


 だが、ムメにとってそんな事は些事である。

 力を使わなければ、カレンと一緒にずっとこの庭で過ごしていける。

 ムメは、カレンの傍に居られる事だけで幸せなのだ。



 ======



「さてっ、気分転換は終わり、終わり。次は成功させて見せるから、ちゃんと見ててよね」


 笑いながらカレンが言う。

 その言葉に対し、ムメはカレンを心配そうに見守っている。


 カレンが行おうとしていることは、世界の理から外れた外法である。

 神ですら手が出せない、出してはいけない領域に手を突っ込もうとしているのだ。

 どんな事が起きるか、ムメもカレンも予測できない。

 ムメは何も起きない事を祈っていたが、そうはならないだろうと内心考えていた。

 神と呼ばれる者達でさえ、その身に余る力には代償を支払わなければならない。

 それがこの世の理であることを、ムメは知っていたからだ。


 カレンの手が動くと同時に、様々な模様が生まれ、輝きを放っていく。

 女神の従者であるムメでも、その模様がどういった力を持つのか理解できなかった。

 だが、カレンが注ぐ力の流れはムメでも見ることは出来る。


 ムメでは出しえない膨大な力が、カレンから描かれた模様へと流れ込んでいっている。

 衰退の一途を辿る只人種(ヒューム)の女神とはいえ、神は神である。

 世界を直接改変し得る力を持つ神が、本気を出してその力を模様へと流し込んでいるのだ。

 例え思惑通り事が運ばなくとも、何かしら事象が発生することは間違いない。


 カレンの手が止まった。

 だが、ムメの目にはカレンと模様との間に力の繋がりが依然映っている。

 ムメの握り締められた拳に思わず力がこもる。

 先程は失敗したからこそ、すぐに模様に力を注ぐ事を止めたのだ。

 しかし、カレンが今も模様に力を注ぐ事を止めない事の意味は一つだ。

 成功である。




 まるで脈動するかのように光が揺れ動いた。

 既にカレンが模様を描き終えたというのに、光が脈動するにつれ模様の端から周囲の芝生へと模様が侵食してゆく。


 脈動が段々と速くなっている。

 模様の侵食も段々と速くなっている。


「カレンっ――」


 ムメがカレンの名を叫ぶ。

 模様がカレンをも飲み込んでしまったのだ。

 しかし、事を始めた本人を飲み込んでも模様の侵食は止まない。


 次第に模様は芝を侵食するだけに留まらず、ありとあらゆるものを飲み込んでいった。

 木々やムメにとって慣れ親しんだ家だけではなく、空すらも飲み込もうと模様は世界全てに広がってゆく。

 勿論、その侵食は不安そうに周囲を見ていたムメをも飲み込んでいく。

 ムメが抵抗しようにも、相手はムメの理解と力を超えた代物である。

 光はまるで何もいなかったかのように、小さく悲鳴を上げたムメを飲み込んでしまった。


 それでもなお、光の侵食は止む事がない。

 ついに、世界は青い光に侵食された。


 青一色となった世界からピキ、ピキキと甲高い音が聞こえてくる。

 その音が始まりの合図であったかのように、徐々に世界が伸縮を始める。

 縦にも横にも伸び縮みしながら、その形を小さな球状へと変えている。

 ついには人の掌に納まるほどの球へと変わり果てた世界は、その形に耐える事が出来なかったかのように爆発を伴い、その姿を消し去ってしまった。



 斯くて、一柱の神が住まう世界は神自身の手によって崩壊したのだった。

 しかし、それで全てが終わったわけではない。

 爆発と共に、球に内包されていた途方も無いほどの力が一筋の光を形作り、虚無へ向かっていったのだ。

 虚無へ向かった光の反対側でも、その光は曲線を描きながら伸び続け、電球のように光っている小さな星に向かっていた。

 その全容をムメが見たのならば、おそらくこう思ったことだろう。

 まるで天を横切る河のようだ、と。


 しばらくすると、虚無へ伸びた光から何やら奇妙な物が流れてきた。

 その代物の奇妙な所は、見えないことだ。

 周りの光の歪みによってのみ、それが本当に存在しているかを認識できるのだ。


 だが、その物体の異様な点は直接見る事が出来ない事ではない。

 その存在感が異様なのだ。

 見なくても、極論目を閉じていてもそれがそこにあるという事が分かってしまう。

 それほど周囲に与える存在感が凄まじい。


 そのような面妖な物が、川の上を流れる一個の桃のように下流へと流れていった。

 本当の川ならば、もしかしたら大海へと流れていったかもしれない。

 しかし、この川の終着点は大海ではない。

 次第に遠ざかっていく不可視の何かは、そのまま流れてゆき、ついには小さくなって消えていった。



 ======



 とある荒野。

 時刻は昼のようで、太陽が雲によって見え隠れしている。

 所々に木々の姿は見えるものの、大半は薄い黄色をした土と背丈の小さい草だけで人影が全く見られない場所である。

 周りの風景や土の乾燥具合を見るに、ここはあまり雨が降らない地域らしい。


 ゴロ、、、ドガンンン


 突然、地を震わせるほどの轟音が辺り一帯を支配したかと思うと、一呼吸遅れて大量の雨が降ってきた。

 嵐が来たのだ。

 先程まで晴れていたはずなのに、不自然なほどの変わりようである。


 ピー、ドゴンンン


 一瞬、世界を白色が覆った。

 轟音の感覚が段々と狭まってきている。


 ピッ、ガガンンン


 徐々に雷が落ちる速度が速まりだす。

 やはり、あまりにも不自然すぎる天気だ。


 ドガガ、ガガ、ガガガガ、ガガガガガガガガガ


 雷が落ち続ける。

 凄まじい数の落雷が共鳴を起こし、まるですばらしいハーモニーを奏でているような錯覚に陥らせる。

 その光景は、神聖な儀式でも行っているような厳かで神秘的なものを感じさせるほどである。

 

  ガガガガガガッガガッガガ……


 始まりと同じように、終わりも突然やって来た。

 落雷の終焉と同じくして、激しかった嵐までもが突如止んだ。


 しかし、まだこの奇妙な現象は終わっていない。

 本来ならば、雲は気流に沿って流れていくものだ。

 けれども曇天を形成していたこの雲は中心から外側へ向かって四方八方に雲が流れ、中心に大きな穴を作り出している。


 光を遮るほど厚い雲に出来たた穴から、眩しいほどの陽光が下りてきた。

 明暗のコントラストがはっきりしており、天界と地上がそこだけ繋がったような光景である。

 光が届いた地上では、嵐の後らしく泥だらけであった地面が急速に乾いてゆき、元の乾燥しきった土へと元通りになっていく。


 雲で作られた輪が一定の大きさになってから変化が見られなくなった。

 その時である。

 天界から地上へと、陽光に負けぬほど一際輝く三つの玉がゆっくりと下りてきた。

 玉の周りには白い雲のような(もや)が覆っており、イマイチその全容を掴む事が出来ない。


 時間を掛けて下りてきたその玉が、ようやく地上に降り立った。

 玉が地面と接した瞬間、今まで周りを漂っていた靄が突然渦を巻きながら空へと登ってゆき、それと呼応して次第に輪を作っていた雲が急速に薄れ、空は晴天へと早変わりした。


 靄が晴れ、その身を露わにした三玉。

 その正体は、この世界の只人種(ヒューム)と呼ばれる者とそっくりな者たちであった。

 美しい女と少女の二人、そして二人に比べると平凡な顔つきである少年の一人、計三人の只人種(ヒューム)である。

 地に降り立った彼らは虚ろな表情を崩さないまま、その場を動かず立ち尽くしている。

 まるで出来の良い人形のような彼らは、吹き抜けた一陣の風に対し何の抵抗も見せることなく押し倒され、ついには仲良く地面へと倒れていった。



------------------



 三人の頭上を数羽の大きな鳥たちが悠々と飛んでいる。

 三人が現れてから、程なくして現れた鳥たちである。

 どうやら倒れている三人の様子を伺っているようだ。

 腐肉を漁って生きる類の鳥らしく、今にも三人に襲い掛からんとしている。 


「ん……んん」


 しかしながら、幸運にも(鳥たちにとっては不幸ではあるが)一人が意識を取り戻して起き上がると、鳥たちは興味を失ったかのように何処か彼方へ飛び去っていった。

 最初に起き上がったのは少年である。 


「……!?」


 少年は腕で上体を支えながら起き上がると、目の前の荒野を見た瞬間硬直してしまった。

 しかし、魚のように口をパクパクと開けたり閉めたりしながらもすぐさま立ち上がる。

 すぐに自身に何が起きたのか、ここは何処なのかを確かめようと上下左右とあらゆる方向に体や首を動かしている。


「えーと、何? 何が起きて……それにここは?」


 錯乱したように、周りを見渡す少年。

 少年の頭の中は今まで少年が見たことのない風景だけが占領していたが、ここでようやく自分以外にも人がいることに気がついた。

 少年はすぐさまその無事を確かめようと二人の傍へと駆け寄る。


「ひ、人!?それよりも、だ、大丈夫ですか!!」


 二人の体には怪我の類は見られない。

 また、胸を見ると上下に動いており、呼吸はしていることは間違いないことは少年にも分かった。

 だが乏しい知識しか持たない少年は、次に自分が何をすればいいのか分からず辺りを右往左往するばかりである。


 しかし幸いなことに、少年の混乱は長くはなかった。

 すぐに二人とも目を覚ましたのだ。


「大丈夫ですか?」


 少年は二人が起き上がるのを助けながら言う。


「う……ん。ありがとう……ありがとう」


 少女は少年の助けを得ながらも、自身の足でしっかりと立ち上がると少年に向かって礼を言った。

 それに対して、女は少年が差し出した手を払いのけ、生まれたばかりの小鹿のように全身を震わせながらも自力で立ち上がった。

 少年は二人の無事を確認すると、動揺を隠せないまま困惑した表情を二人に見せた。


「えっ、あっ……ごほんっ。その、いきなりで悪いんですが。この状況が何なのか、分かりますか?

あっ! こういう時は自己紹介が先と聞いたことが。すみません、僕の名前は詠士(えいじ)仙石(せんごく)詠士(えいじ)といいます」


 握手を求める少年。

 女はその手を汚らわしい物でも見るような目で見るだけであったが、少女は迷うことなくその手を握った。


「エイジ……君は、エイジっていうんだね。僕の名前はカレン。カレン・ペレンニウスだ。そうだね、君には話さなきゃならない事が沢山あるんだけど……まずは――」


 向かい合う詠士に対し、カレンは満面の笑みを見せた。


「ようこそ、エイジ。ここは『神の(エルト)箱庭(オーラリア)』。キミが英雄になる世界だよ」

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