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2018/02 其2 『オキツネ様』

 アクロは神社への山道を登る。その道は所々が破壊されており、その不規則性を冷ややかに一瞥する。


「獲物を殺せないからって、獲物の匂いが染みついた物にあたるのか。お預けをくらい続けたエニシってのも滑稽なもんだ。私がエニシをお預けされたら……まあアモカンにでもあたるとは思うけどな」


 山の中程まで進むと、アクロの足が止まった。視線は道の先ではなく、横にある森へと注がれる。

 ホルスターから銃を静かに抜き取り、視線の方向へと構える。

 アクロの耳に聞こえるのは、僅かな風で揺れる森のざわめきのみ。だがそれでもアクロは感じ取った。

 自分のテリトリーにようやく現れた餌の存在、それを嗅ぎ取った化物の殺意の呼吸を。

 それは数秒か、数分か。張り詰めた緊迫感を破ったのは森の中に潜んでいた存在だった。

 暗闇に溶け込む黒い体躯、炎のように赤々と輝く眼。その大きさは日本に存在するどの熊よりも大きく、三メートルは超える巨大な狐。

 月明りに照らされたのは、その化物が高速道路の車にも追いつく速度で迫りくる光景。

 常人ならばその印象に硬直しかねない状況。アクロは獣の胴体に向け、銃の引き金を引く。

 使用している銃はシグ・ザウエルP320、近年アメリカ陸軍によって採用されたダブルアクションの自動拳銃。放たれたのは一般的な九ミリパラベラム弾。

 初速においては音速を超える弾丸を、狐のエニシは横に逸れて回避して見せた。


「やっぱ生後一月にもなれば勘も目も良いな。――チッ!」


 舌打ちと同時に、飛び込んできたエニシの攻撃を回避する。

 今の攻防でアクロはエニシの強さを見積もる。

 初撃を回避したことによる、銃が危険だと察知できる危機管理能力の高さ。二発目を撃とうとした際、こちらの銃口を避けるように動いた視力と対応力。巨大な体躯に似合わぬ俊敏性。

 推定レートは上から三番目のCランク。可能ならばエニシ狩り複数人での対応が推奨される個体だ。

 左右を森に囲まれていては、ヒットアンドアウェイによる奇襲攻撃に晒され続けることになると判断したアクロは山を駆け上り、神社へと向かう。

 しかし後方から飛び掛かってきたエニシの攻撃を見て、新たに舌打ちをする。

 エニシの攻撃は回避できた。しかしその攻撃は囮、エニシの本命はアクロの進行先、斜め上の木であった。

 巨大なエニシの体当たりにより、木は容易くへし折られて倒れる。そして倒れた木の枝により神社への道が塞がれてしまった。

 倒木を迂回するためには森に入る必要がある。しかしただでさえ積雪によって足場の悪い状態で、森に入ろうものなら確実にその動きは制限される。

 草木に足を捕らわれては、あのエニシの攻撃は回避しきれない。

 相手はこの場所が自分にとって有利だと理解している。故に逃がさないように進路を妨害してきたのだと。

 アクロは心の中で相手のエニシの評価を上げていた。

 エニシは森の中を縦横無尽に駆け回り、アクロの隙を伺っている。


「まともに撃っても当たらないってんなら、曲撃ちの出番なんだが……ホジャじゃ無理か。『白兎』も……まあ微妙だよな。――なら!」


 エニシが再び飛び出してきた瞬間、アクロがモルギフトを発動させ銃弾を放つ。

 赤い軌跡が弧を描き、回避行動を行ったエニシの傍を通過する。

 アクロが放ったのは、銃弾の軌道を一度だけ任意のタイミングで変化させる『へそ曲がりのホジャ』。しかし素早く突進してくるエニシ相手にはそのコントロールも振るわない。

 しかし、アクロはもう一発ホジャを撃ち、同様に赤い軌跡をエニシに命中させようとする。

 その精度は先に放った弾よりもよりエニシへと肉薄していた。

 だがそれが限界。接近を許したことにより、エニシはその爪をアクロに向かって振り下ろす。

 アクロは思い切り地面を蹴り、坂道へと飛び出すことで回避。その勢いのまま転がっていく。

 そして背中から取り出したナイフを地面へ突き立て、無理やりに急停止し、雪まみれになりながらも立ち上がる。


「(血弾まであと二発撃つ必要がある。一度の突進に対して撃てるのは二発が限度、適当に撃つか? いや、無駄弾なんか撃ってたまるか)」


 再びエニシが飛び込んでくるのに合わせ、アクロはホジャの一撃を放つ。

 先ほどよりも狙いを定めたつもりではあったのだが、今度は初撃以上に綺麗に回避されてしまった。


「ホジャの軌跡を目で追ったな? 良い反応だ」


 アクロは銃口をエニシに向け、狙いを定める。エニシの方も曲がる軌跡の弾、通常の弾の両方を警戒しながらその距離を詰める。

 直線的な弾ならば銃口が跳ね上がった瞬間に、射線上から体を逸らせばいい。

 曲がる弾ならばその軌道を目で追い、変化したタイミングで自身の軌道を変えればいい。

 エニシはそれらの学習を持って、アクロへと迫る。

 しかし、その学習をさせることこそが、アクロの仕組んだ罠だった。


「――ギャオンッ!?」


 何の予兆もなく、突進するエニシの胸元に風穴が空いた。その痛みにエニシは思わず攻撃を止め、森へと飛び込む。

 アクロが放った曲弾、その名は『愚王の新服』。任意の物質を一定時間認識不可にする特異性を込めた弾丸である。

 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、五感による認識を任意で阻害させることができる。

 アクロが認識を阻害させたのは視覚と聴覚。これにより見えず、聞こえずといった特異性を持つ弾丸を放つことができたのだ。

 強力な特異性ではあるが、消費する体力も大きいその曲弾を確実に当てるためにアクロは入念な事前準備を行っていた。

 それが『へそ曲がりのホジャ』による射撃である。赤い軌跡を残し曲がる弾は、一度でも見れば強い印象を相手に植え付けることができる。

 通常の銃弾とホジャの曲弾、これらを意識させることで相手に『赤い軌跡が見えれば曲がる弾、見えずに銃口が跳ね上がれば通常の弾だ』と二択の判断を持たせる。

 そこに『愚王の新服』が混ざることで、完全に相手の意表を突くことができる。

 さらにアクロはモルギフトの副次効果により、全身の肉体を大幅に強化されている。

 その気になれば全身を筋肉で固定し、九ミリ弾程度ならばその反動を完全に殺しきれるのだ。

 本来ならば銃の反動を計算に入れて撃てば済む。だが完全に反動を抑えることでその奇襲性は大幅に増す。

 判断力の高い賢者を仕留めるアクロの得意技の一つである。


「くそっ、心臓の位置にはコアはないか。『愚王』を使ったってのに」


 動物型のエニシの場合、そのコアが存在するのはその動物の心臓の位置にある場合が多い。

 ただし、純粋な獣のエニシでない場合は別の箇所にあることも多々ある。

 アクロは心臓の位置にコアがあると判断し、的確にその位置を撃ち抜くことに成功した。

 だがエニシは再び森の中を動き回っている。コアが破壊された形跡はない。

 しかし次から放たれる銃弾はアーモボックスの血弾。当てることさえできればどの部位に命中したとしても確実に仕留めることが可能の必殺弾。

 アクロは冷静に愚王による曲撃ちで血弾を命中させる方法を考えるも、その思考を邪魔せんとばかりにエニシが飛び出してくる。

 銃口を向けるアクロ、しかしエニシはその銃口の先を避けながら突進してくる。

 エニシは愚王の詳細こそ掴み取れなかったが、銃口を向けられることが危険だと学習していた。


「出し惜しみすべきだったか。まあ仕方ない」


 アクロは銃を両手持ちから片手持ちへと切り替え、空いた片手でナイフを構える。


「(攻撃を回避し、足を攻撃する。動きが鈍くなれば至近距離の弾丸は回避できないッ!)」


 迫りくる爪を紙一重で回避し、ナイフを振るう。しかしエニシもナイフの鋭利さにアクロの思惑を感じ取ったのか、ナイフの攻撃を的確に回避してみせた。


「無駄に賢い奴だ、獣は獣らしく脳筋で動け!」


 回避の隙を狙おうと銃を構えるもエニシは素早く距離を取る。

 アクロは渋い顔をしながらエニシを睨む。

 遠距離の攻撃は銃口を向けられること自体を拒否してくる。近距離ともなるとその速度に肉体で肉薄しなくてはならない。


「面倒だ……まあいいさ、徹底して刻んでやるよ」


 アクロはこの巨大な獣相手に、難易度の高い近接戦で挑む覚悟を決めた。

 エニシもその気配を察知してか再び突進を仕掛ける。


「オキツネ様! どーか山をお守りください!」


 両手を叩きつける音、そして大きな声が山に響いた。アクロが視線を向けると、そこにはお参り姿でエニシに向き合うアーモボックスの姿があった。

 呆気に取られるアクロをよそに、アーモボックスは再び柏手を行う。


「オキツネ様! 今年も豊穣な山の幸を我々にお与えください!」

「おいアモカン、何を……」


 アクロは思わず口を挟もうとしたが、目の前の光景に我に返る。

 直前まで自分に向かって突撃していたはずのエニシが、アーモボックスの方へと向き直り鎮座しているのだ。

 その目線は既にこちらを見ていない、ならば今が好機とアクロは『愚王』による血弾をエニシへと撃ち込んだ。


 長期戦を覚悟していたにもかかわらず、決着はあっさりとしたものとなった。

 地面に転がっているのは狐を模した木像。アーモボックスはそれを拾い上げ、雪を払う。


「なんださっきの」

「この村に伝わっているオキツネ様へのお参りさ。祀られた御神体のエニシなら、ひょっとしたら人々の願いを聴く特異性もあるのかなって思ってな。村長さんに聞いて来たのさ」

「んな馬鹿な。って本当に効いてたしな」


 アクロはため息を吐きながら木像を見つめる。


「言い伝えを律儀に守っていたエニシだからな。可能性は十分にあると思っていた」

「……まあ私としては楽ができたから良いんだけどさ。なんか不完全燃焼なんだよな」

「今にも斬り合いしようとしてたな。でもあんなのと近接戦とか脳筋もいい所だぞ。 人間なんだからもっと知的に行こうぜ?」

「ほっとけ。……結局二発余ったな。勿体無い」

「勿体無いからって適当に撃つなよ? 血を抜いてから持って帰ればリサイクルできるんだからな」

「一度で良いから、マシンガンでお前の弾を乱射したいよ本当」

「俺の血液がなくなるっての! 酷い時は献血よりもペース早いんだからね!?」


 献血では成人男性で四百ミリの血液を抜き取ることができ。その失われた血液が戻るのは三~四週間前後とされている。

 その理論で単純計算したとして、一日に使える血液を計算すると十五~二十ミリ、料理用のおおさじ一杯程度である。

 時にはトラブルなどで血液が失われることもあり、アーモボックスの血液は非常に希少な消耗品となっている。


「何にせよ終わったんだし、報告に行くぞ。早く猟師に熊狩りに出て貰わなきゃな」

「冬場の熊って大抵冬眠しているんじゃないのか?」

「なんだ、知らないのかアモカン。熊は冬眠中が一番脂がのってるんだぞ」

「へぇ……栄養蓄えるからかなぁ。ま、良いか」


 アクロは帰り支度のための装備の点検を始める。

 アーモボックスはそんなアクロの無事を確認し、抱きしめている木像へと優しく呟いた。


「……山を守り、人々の幸せを守ってきた貴方の在り方を守れて本当に良かった。アクロを守ってくれてありがとうございます」

「なにぶつぶつ言っているんだ?」

「オキツネ様にお礼をだな。オキツネ様の特異性があったからこそ楽に倒せたんだぞ?」

「エニシに頭を下げて祈るくらいなら、過酷な方がまだマシだね」

「あーもぅ、そこは見方次第だろ?」

「どういう見方だよ」

「このオキツネ様はエニシに憑りつかれていたんだ。それを払うアクロのために、エニシを縛るような特異性を残してくれたんだってさ。オキツネ様はエニシ狩りを手伝ってくれたんだよ」

「……なるほど。そういうことなら」


 アクロはアーモボックスの近くへと歩み寄り、柏手をして木像に一礼する。


「でもぶっちゃけ、エニシに憑りつかれる神様とかどうなんだ?」

「アクロ、そこは考えちゃだめだ」


 二人は無事に下山し、一連の出来事を報告して村長に木像を預けた。

 これによりこの村でのエニシの一件は終わりを迎えた。


 その後アーモボックスは露天風呂に入り、寒さを和らげる。

 夜の時間も間もなく終わりを迎え、空が明け始めようとしている。

 エニシ狩りはエニシの活発な夜に行動する。移動や戦いが長引く時はこうして眠らないまま朝を迎えることも多い。


「いやー、極楽極楽! 景色も良いし、肌寒さも温泉の気持ちよさを際立たせてくれるねぇー。そして……やっぱり露天風呂と言えばこれでしょ!」


 アーモボックスは木像を無事に取り戻したお礼にとお酒を貰っていた。露天風呂のある場所があるのならばとこうして雪見酒をしようと持ち込んだのだ。

 露天風呂に浮かべた桶からヌル燗を取り出し、青竹酒器に酒を注ぐ。

 それを景色に向かって捧げ、一人で乾杯する。


「くぅー! 暖まるなぁ! 我ならが良い余暇過ごしてますねぇ!」

「まったくだな。一人で贅沢か?」

「いや、ちゃんと後でアクロにも――ブッフォッ!?」


 アーモボックスが盛大に咳き込む。酒の美味さに舌鼓を打っていると当然のようにアクロが入って来たのだ。

 手拭いは肩に掛け、一切隠そうとすらしていない。

 アーモボックスは全身を背け、縮こまる。


「拭き溢すなよ。勿体無いし、汚い」

「なんで入ってくるんですかね!?」

「ここは混浴だろ、問題があるか?」

「ありますわよ!? 普通気を遣ってずらしたりしません!? 羞恥心持ちなさいよこの痴女!」

「なんで私がアモカンのために気を遣わなきゃいけないんだ。言っておくが私だって街中で全裸になるような神経は持ち合わせちゃいないさ。羞恥心くらいはある」

「全裸の殿方の前なのに欠片も感じないんですが!?」

「なんで熟女好きなアモカン相手に恥ずかしがらなきゃならないんだ。よっと……ああ、良い湯だ」


 アクロはアーモボックスの真横にするりと入浴する。そして気持ちよさそうに両腕と背筋を伸ばす。


「なんで隣なんですかね!?」

「なんでって、真横なら視界にも入りにくいだろうからって気を遣ってやったんだがな。まったく、股間だけは立派なくせに気は小さ過ぎだろ」

「隠してるよね!? 見えてないよね!? 人のサイズをなんで知ってるんですかね!?」

「エロ女医が言ってた」

「あんのエロ女医!」

「それにだ。それ、私にも寄越せ。村長から貰った報酬だろ? 私にも飲む権利はあるよな?」

「……はぁ。どうぞ」


 アーモボックスは観念したように酒器をアクロへと渡し、アクロをなるべく見ないように酌をする。


「おい、こぼれる」

「とと。……折角の一人タイムがぶち壊しだよ、まったく」

「趣味趣向に関しちゃ自由にさせているだろ。飲食くらいは諦めろ。……くぅ、美味いなぁ」

「あんま飲みすぎちゃ駄目よ? アクロちゃん、一定ライン超えると酒癖悪いんだから」

「風呂場で飲んだら酔いも早いからな。雰囲気だけを楽しむさ。もう一杯くれ」

「せめて交互に飲みましょう!?」


 二人は酒器を渡し合い、互いに酌をしながら露天の景色を眺める。

 すると先ほどまでエニシと戦っていた山の方角から銃声が響いた。


「猟銃の音だな。どうやら無事に熊鍋にありつけそうだ」

「この子ったら、帰るなり猟師さんを急かしてからに……。危険だった山に日の出前から送り込むとか酷くない?」

「良いじゃないか。山が平和になって喜んでいたんだ。思う存分礼をさせるのも大事なんだろ?」

「そりゃそうだけどさ。……先にひと眠りしておこうかな。寝る前に食べると胃もたれしそうだし」

「直ぐに準備するって言ってたんだから、寝るわけにはいかないだろ? それまでは酒盛りでもして時間を潰せばいい」

「今から熊鍋出来るまで、早くても一~二時間掛かるんですがね?」

「頼めば他の前菜でも用意してくれるだろ。あと酒も」

「んまっ! 図々しいっ!」

「それじゃあ先に上がっているぞ。待っているからな」


 アクロが立ち上がり、湯船から出る。アーモボックスは流れるような速さで首を背けるのであった。


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