2018/02 其1 『オキツネ様』
しんしんと雪の降る山道を、アクロは相方のアーモボックスと共に進んでいく。
マフラーから覗く鼻は寒さの影響で赤く、息は白い。
積もった雪を踏み抜く音が、小刻みなリズムで辺りに響く。
「うー寒い寒い。そして山道ってのが辛い!」
「弱音を吐くな。男の方が平均体温は高いんだろう? 体の持つ熱量も、私よりでかいんだからマシなはずだ」
「鍛え方が違うんですー! インドア派の体力の低さ舐めないでくださいー!」
「お前と組んでもう二年は過ぎてるんだ。そろそろインドア派の言い訳は通じないと思うんだがな。そろそろ年齢を言い訳にしたらどうだ? そうすれば少しくらいは労わってやるぞ?」
アクロは意地悪そうな視線をアーモボックスへと向ける。対するアーモボックスは、三十一歳という自分の年齢をまだ若いと言い張りたい建前、苦々しい顔を見せる。
「ぐ、それを認めるのはまだ早い! まだ俺はピチピチなんだ!」
「ピチピチのおっさんとか気持ち悪いだけだ。お兄さんでもな」
「……自分でもそう思った。男の場合はなんて言えば良いんだ?」
「イキイキとかか?」
「あー。でもおっちゃんでもイキイキしているのはいるからなぁ」
「ハッスルハッスル」
「方向がずれてる気がするな」
「マッチョマッチョ」
「ずれてるね。明らかにずれてるね……っと見えてきたな」
二人が山道を抜けると、そこはタイムスリップでもしたような田舎の風景が、降り注ぐ白い雪に寂しそうに染められていた。
特異災害駆除機関、通称『トキ』。その所有する航空機がこの周囲の上空を偶然飛行した際、エニシの放つファレアティップ粒子を検出した。
しかし現地にある村からは被害報告などは一切届けられていない。故にエニシ狩りのチームAA、アクロとアーモボックに現地調査、及びエニシの駆除の指令が下ったのだ。
しかし辺鄙な田舎村とだけあって、その場所への移動はなかなかに困難な物であった。
車で向かうことは可能とあったが、現地の者でしか正しいルートを知らず。道に迷った二人は途中下車をし、発見した山道を頼りに徒歩で向かうこととなっていた。
村に辿り着いたアクロ達は先ず村長の家の場所を調べ、訪ねることにした。
幸いにも村の人々の人当たりは良く、雪の降る山道を徒歩で来るような自殺志願者ともいえるアクロ達を心配し、快く迎えてくれていた。
村長の家へと案内される最中も何人もの村人と接触。
興味を持った者が次々と追随し、村長の家へと到着することには総勢八人もの大所帯となっていた。
村長もアクロ達を丁寧に招き入れ、体の温まる囲炉裏を囲む形で村長と対談することとなる。
「あの辺は雪が積もると道が本当に分からなくなりますからなぁ。よく山道を抜けられたもんです」
「いやぁ、鍛えてますから。方向さえ間違わなければなんとかなりますよ」
「散々弱音を言っていたのは誰だ」
「んん! それで我々はこういうものでして――」
アーモボックスが名刺と共に自己紹介を行う。僻地でも人の住む場所ならばエニシについての注意喚起は届いている。しかしその危険性については実害の話が届いていない。
「県の役員さんが話してくれたのは知っておりましたが。本当にいらしゃったのですな」
「ははは……。夜は一人で出歩いちゃダメですよ?」
「ご安心を。この村では日が沈んだ頃には皆寝静まります。たまに近所に飲みに行くことはありますが、暗い夜道に酔っ払いを送り出すような無作法な者もおりません。この村で夜に酒を頂くということは、今夜泊まらせてもらうという意思表示ですからな」
「家と家の距離も遠そうですからね。良い習慣だと思います。それでこの村周囲からファレアティップ粒子……エニシと呼ばれる化物が存在する痕跡が発見されたのですが、何か心当たりはないでしょうか?」
「化物ですか……」
村長が気難しそうな顔をするのと同時に、周囲の者達もひそひそと左右の者と話し合う。
これは見当が付かないというわけではない。心当たりがある反応だとアーモボックスは確信し、村長の言葉を待つ。すると村人の一人が村長へと言葉を投げ掛けた。
「村長、やはりオキツネ様でしょうか」
「オキツネ様?」
「ええ……一月ほど前からでしょうか。この村で祭事を行う神社が祭られている山、その山に狩りに出た者があまりにも巨大な狐の姿を目撃したのです。幸いにもその者は無事に村に帰り付き皆に報告をすることができました。我々は猟銃を扱える者達を集め山狩りを行ったのですが、そこで見つけたのは熊の死体でした」
「熊の?」
「はい。大きな雌の熊が無残にも引き裂かれ、バラバラになっていました。しかしその熊の死体はどの部位も残っており、ただ殺されただけだと分かったのです」
「ふむ……確かに熊を殺すような獣なんてそうそういないでしょうし、何よりバラバラに殺しておいて食べていないというのは不自然ですね」
「それで我々はその巨大な狐の仕業、山の神社に祭られているオキツネ様がやったのだと結論付けました」
「なんだそりゃ、随分と飛躍した推理だな」
「アクロ! しっ! ……コホン。オキツネ様について聞かせていただいても?」
村長はゆっくりと頷き、この地方に伝わる言い伝えを話していく。
かつて村の山にとても賢い狐がいた。その狐は長く生きて山を我が物としていた。
だが近くに人間が村を作り、平和に過ごしているのを見かけた狐は、自分の縄張りを荒らされたと怒り、村の作物を荒らし、人々を傷つけたりした。
村人達はそれに抗おうとしたが、その狐はとても賢く、そして強かった。
困り果てた村人の元に一人の高僧が現れた。その高僧は瞬く間に狐を追い詰めて見せた。
自分の負けを認めた狐は大人しく首を差し出そうとしたが、その潔さに感心した高僧は狐にこう言い聞かせた。
『お前は如何なる動物よりも賢い。ならば良き器量を持て。さすれば今よりももっと優れた日々を送れるだろう』
狐はその高僧の言葉を受け止め、村に現れ悪さをすることを止めた。そして山の中で様々な善行を働くようになった。
山に薬草を求める者には道案内を行い。迷い込んだ者には村の入口まで導いた。獣に襲われた者がいれば勇敢に助け出した。
狐のおかげで山はとても平和な場所となった。
村人達は狐に感謝し、毎日のように山に食べ物を捧げるようになっていた。
狐は死を迎えるその時まで、村人達を想い、共に過ごした。
狐の死後も村人たちは『オキツネ様』と崇め、今に至るまで祀られている。
「ありがちな話だな」
「あーもぅ! そういうケチをつけないの! でも確かにそういった伝承があるのならオキツネ様の仕業だって思いたくもなりますよね」
「ただあの熊の殺され方は尋常じゃなかった。我々はオキツネ様が何かしらの理由でお怒りになっているのではと思い。山にある神社まで供え物を届けに行ったのです。しかし神社は無残にも破壊し尽くされており……その怒りを鎮める方法が分からぬ以上、山には入らぬようにと皆で決めていたのです」
「被害者は出ていないんですよね?」
「ええ、まあ……」
アーモボックスは顎に手をやり、思慮に耽る。十中八九それはエニシであるが、如何なるエニシなのだろうかと。
「アモカン、どう考える?」
「先ず一ヶ月以上も前に発生したエニシだというのに、この村に被害が出ていないのが気になるな」
「それは同感だ。一ヶ月も生きたエニシなら間違いなく高い知能がある。村に下りて民家に潜む村人を喰い殺すくらいやってのけるだろうな。普通のエニシならこの村一つ皆殺しにしていてもおかしくない」
「ヒィッ!?」
「村の人達が怖がるようなことを言わないの! すみませんね、この子ったら……。ところでその神社ですけど、管理している方はいらっしゃらなかったのですか?」
「村に住む一人の老婆が神社の世話をしておりました。しかしオキツネ様が現れる少し前に病で旅立たれまして……」
「その神社ですが、御神体のようなものはありました?」
「はい。オキツネ様を模った木像が祭られておりました」
「神社に向かわれた際、それは確認できましたか?」
「いえ、それが……探しても見つからず……」
そこまで聞いてアーモボックスはなるほどと頷き、アクロへと視線を向ける。
「アクロ、山にいるのはその御神体に宿ったエニシだ。神社の世話をしていたお婆さんがなくなったことで、人の元から一定時間離れすぎていたんだろう」
「御神体が狐だから狐型のエニシになったってことか。だけど他のことはどう説明するんだ?」
「恐らくは御神体の逸話にまつわる特異性を身につけたんだろう。『この村に立ち入らず、山を守る』的な。熊を襲ったのはそう言う理由だろう。でも人を襲うっていうエニシの本能は消えていない。だから人の痕跡のあった神社を破壊しつくした」
「筋は通っているな。それにしても随分と局地的な特異性だな。モルギフトにしたらどうなることやら」
「多分この村に入れないけどその山でとっても強くなる?」
「ゴミもいい所だな。なら駆除だけ考えるとするか」
「一応本部に報告してからね? それでは村長さん、そちらの件は私達にお任せください」
「しかし……大丈夫なのですか?」
「ええ、専門家ですので」
時刻は昼過ぎ。エニシが活発化し、人の前に姿を現すだろう夜まで一定の猶予がある。
この村では年に一度、外部からも狩猟を行うためにやってくる人の為に用意された民宿があった。
アクロ達はそこに案内され、暫しの休息を取ることになった。
人の来ない田舎村と思っていただけあって、小さいとはいえ露天風呂まで備え付けられていたのはアーモボックスにとっては思いがけない幸運であった。
ジャンケンに勝利したアーモボックスは、先に風呂に入り体をしっかりと温め、浴衣姿で報告作業を行う。
「はい、はい、ではコアの回収は考慮せずに処理ということで。ではでは」
アーモボックスは衛星電話の電源を切り、荷物の中に直していく。その横には圏外と表示されていた彼のスマホが寂しそうに置かれていた。
アーモボックスは大きめのアタッシュケースを取り出すと、囲炉裏の傍に置き十数桁のパスワードを入力してその電子ロックを解除する。
開いたケースの中に収納されているのはアーモボックスの左腕に装着する機械。
アーモボックスの体に流れているのは、エニシにのみ致死性を持つウイルスを含む血液。
その自らの新鮮な血液を常時循環させ、装填されている銃弾に流し込む装置である。
防水性ではあるが、風呂に入る時くらいは左腕も洗いたいとは本人談。そんなわけで作戦行動外の入浴時にのみ取り外しの許可が出ている。
装置を取り出しぱかりと開く。次に左腕の二ヶ所に埋め込まれたプラグの蓋を外し、装置の中にある端子と接続する。
そしてプラグのコックを緩め、血液を循環させる。腕を装置に完全に固定し、開いていた装置を閉じて腕に装着する。
紛れ込んだ空気が抜き取られ、プラグ越しに血液が循環しているのを確認しアーモボックスは使い捨てであるプラグの蓋をゴミ箱に捨てる。
「うひょう、やっぱ装置を外しておくと最初の循環時は冷たさを感じるなぁ……。充電式にして血液を温める機能とかつけてくれないものかな」
「余計な機能をつけていたら故障した時に対応できないだろうが。それくらい我慢しろ」
独り言をつぶやくアーモボックスの背後から、二番手に風呂に入ったアクロが姿を現す。
「技師の資格とか取ればなんとか行けるんじゃないの……って! 前! 前! 帯を締めなさい!」
アクロもアーモボックスと同じく、用意された浴衣を着ているがその違いとして帯を締めてない。必然として前が全開ではだけ、下半身の黒い下着もはっきりと見えている。
「着てるんだから良いだろ別に」
「着ていれば良いってもんじゃないでしょ!? あーもぅ!」
アーモボックスは手早くアクロの浴衣を正しく着付けする。その速度は非常に手慣れたものである。
「むう……締め過ぎじゃないのか? こういうところの浴衣ってのはゆったりするためのものだろう?」
「節度を守ってゆったりしなさい! 本当にこの子は! あ、こら、勝手に帯を緩めないの!」
結局アクロは相当着崩れした状態に落ち着いた。見えたら不味い箇所はギリギリ死守できたものの、いっそ見えた方がマシじゃないのかとアーモボックスはため息を吐く。
そうこうしているうちに時刻は夕方となり、村人が食事を運んできた。
色とりどりの野菜を使ったおひたしや天ぷら。煮つけなどが美味しそうに並んでいる。
「おお、山の幸って感じですね!」
「……肉がないな」
「文句言わないの!」
アクロはため息まじりに箸を手に取り、黙々と食べ始めた。
料理を持ってきた村人は、アクロの分かりやすい対応に思わず苦笑いする。
「悪いな。普段は俺達が仕留めた熊を鍋にして提供してんだが……山に入れなくちゃどうもなぁ……」
「あ、おっちゃん狩人なんだ?」
「まあな。ここ最近狩りに出れねぇから、キノコや山菜を取る腕ばっかり上がっちまってな」
「神社のある山以外には獣はでないんですか?」
「反対側の方は他の村や町に繋がるからな。道路やらが造られた場所じゃそんなに獣は寄り付かねぇ。目印が多いから逆にキノコや山菜は取りやすいんだがな」
「ならエニシを狩ったら次の飯は熊鍋だな」
「そらもう、朝一にでも狩りに行かせてもらうさ!」
「アクロさん? 俺達夜にエニシを狩るんだよ? 朝に熊鍋って重くない?」
そして時刻は夜。アクロとアーモボックスは着替えを済ませ、エニシ狩りへと望む。
雪は止み、月明かりが照らす村を二人は黙々と進んでいく。
しかし途中、何かを思い出したかのようにアーモボックスが手を叩く。
「あ、いっけね。村長さんに確認しておくことがあったんだ。ちょっと行ってくる!」
「おい、いまさらなんだ」
「いや、一応念の為に聞いておきたいなーってことがあったんだけどさ。誰かさんが浴衣をちゃんと着ないから、すっかり意識から飛んでたんだよ」
「私のせいにするな。まあお前がいても地面に肉を置くのと変わりないからな。弾だけよこせ」
「酷いっ! もう少しくらい活躍できるわよっ!? 取り敢えず三発あれば足りるか?」
「十分だ」
アーモボックスは腕の装置を操作し、その一部を開く。そこにはコードに繋がれている弾丸が埋め込まれており、それを一つずつ丁寧に取り外しアクロに渡す。
その後、懐から新たな弾薬を取り出し、再設置していく。
「ほらよ、俺の血肉なんだから大切にな」
「お前より貴重だと思いながら使ってやるさ」
「それはそれでムカつくわね!?」
アクロは空のカートリッジを取り出し、受け取った紅い弾丸を装填する。その後数発の通常弾を装填していく。
ホルスターから銃を取り出し、通常の銃弾だけが詰まったカートリッジと血弾の詰まったカートリッジを交換する。
「我ながら貧乏性だよ。カートリッジ全部をお前の弾で埋めりゃ、贅沢に撃てるってもんなのにさ」
「取り出した弾薬は再利用できないんだから仕方ないだろ。専用の規格のせいでコストも高いんだ。無駄に使ってたら経費で落とせなくなるんだぞ?」
「もうちょい給料が出てくれたら、それでも良いんだがな」
「君はもう少し無駄遣いを止めなさい」
「飲食に関しちゃ私の腹に入るんだ。無駄なもんか」
「んもう。それじゃ、気を付けるんだぞ? 少なくとも歴史のある御神体のエニシで一ヶ月は生きているんだ」
「わかってるって」
「厄介そうなら一度引くんだよ? 行動パターンをある程度持ち帰れたら色々対策だって練れるんだからね?」
「わかってるって」
「靴ひもはちゃんと結んだ? 服のボタンとかもしっかり留めてある?」
「うるさいぞ、オ缶!」
途中から煽られていることに苛ついたアクロは、吠えるようにアーモボックスを追い払う。
アーモボックスは笑いながら手を振って村長の家へと走って行った。
アクロはそれを見届けるとため息を吐きながら山へと進んでいく。
「ったく、要らない気遣いだっての。いまさら多少の強敵くらいで緊張するわけないだろ」
なんで三人称視点でアクロだけ略称なのかというと、アクロバットって打ってると黄金バットをイメージしちゃうんです。