2002~2015 其8『AA』
私の今の気分は最悪だ。冴えないおっさんとのコンビを組まされただけではなく、私がしたい顔をこのおっさんがしているからだ。
「おい」
「……なんです?」
「その顔を止めろ。私がその顔をしたいんだ。並んで同じ顔とか冗談じゃない」
コードネーム、アーモボックス。弾薬箱としての役割を担う立場としてこの場にいるわけなのだが、その顔は数日前よりも随分と凹んでいる。
理由は知っている。こいつに適応するモルギフトが一つもなかったからだ。本部に保管されているモルギフト全てを試し、そのどれもがアーモボックスに適応しなかった。結果、こいつはただの一般人が装備を持っているだけの存在となっている。
「……うん、ごめん」
「しおらしくなるな。気持ち悪い」
気持ちは全くわからないわけじゃあない。私だって少しでも多くのモルギフトを装備したいと思っているわけで、本部にモルギフトが補充される都度にその適正を確かめにいっている。その時に全てが外れだった時の気分の数倍凹んでいる感じだろう。
「アクロさんは複数モルギフトを装備してるんですよね……凄いなぁ……」
訓練を終えたエニシ狩りが適応するモルギフトの期待値は三~四個程度。適応するモルギフト同士の相性が良いと見なされた場合に複数の所持を認められる。
私の場合モルギフトの特異性を弾丸に反映させる戦い方を取っているので、複数の所持が容易に認められているのだ。しかしその特異性を直接戦闘に持ち込む奴は、自分の戦闘スタイルに最も適したモルギフトを選ぶことになる。
これまで適応数がゼロだった訓練生の話はなかったわけではないが、自分のパートナーがモルギフトなしというのは前代未聞だ。そもそも適応しなければ裏方に回るしかないはずなのだ。
「どうでもいい。どうせ戦闘訓練も積んでない素人に、下手な身体能力が身についたところで自滅のリスクが上がるだけだ」
「くすん」
モルギフトの強みはその特異性よりも、その人間に与えられる付加能力にある。それは素人が身体能力向上系の恩恵を得た場合、自分は最強になったんじゃないかと夢を見る程度には顕著だ。かくいう私も弾丸のバリエーション以上にこの付加能力に助けられている。
直接身体能力を向上させる特異性は欲しいことには欲しいのだが、そのリスクを考えるとどうしてもというほどではない。特異性の使用は体力気力と共に消費が激しく、特異性で強化するエニシ狩りは基本的にスタミナ切れが早い。
まあとにかく、こいつがモルギフトで便利な特異性を得ようと、超人的な身体能力を得ようとも元がただのおっさんでは活かしきることはできない。むしろ半端に自信がついて自滅するだけだ。
私はこいつにパートナーとしての期待はしていない。私の足を引っ張らず、私が望むような狩りが続けられればそれでいいのだ。
「目的地はここで合っているんだろうな?」
「そうだね。この周辺でファレアティップ粒子の検出を確認したそうだ」
駅から降りてバスを乗り継ぎ二十分、そこからさらに徒歩で三十分。海岸線沿いにあるやや寂れた工業地帯へと到着した。その間常にこの萎れたおっさんの顔が入ってきたのだから最悪だ。
「工業地帯の忘れ物か。使わなくなった機材とかだと面倒そうだな」
「落とし物とかの可能性もあるかもだけど、そっちの方も想定しておきたいね」
時刻はもう間もなく日が沈む。報告にあったファレアティップ粒子の量からして、既にエニシ化はしていると考えていい。夜には人がいなくなる工業地帯だからこそ被害は出ていないが、その反面発見が遅れている。多少は成長していると考えて行動すべきだろう。
「弾薬を寄越せ。まあ……二発あればいい」
「え、まだエニシの場所も分からないのに?」
「もう秋も過ぎて夜も早くなってるからな。人間が適当にぶらついていれば向こうから食いついてくる。私自身を餌にするのが手っ取り早い」
「えぇ……」
アーモボックスは少しだけ唸ったが、ブラッドガントレットから二発の銃弾を取り出した。私はそれを専用のカートリッジの方へと詰め、鞄の中へとしまう。
「じゃあお前はホテルの手配でもしとけ、後は私一人でやる」
「え、ちょっと、それは――」
「囮役をやるんだ。お前が襲われたら誰がお前を守るんだ。私は守らないぞ」
エニシは人間を見かければ躊躇なく襲ってくる。性別や年齢の趣向はなく、単純に距離の近い者や狙いやすい者を本能的に選んでいるのだろう。
隙がない私と、隙だらけのこいつでは高確率でこいつの方が狙われる。モルギフトの身体能力の恩恵も得られていない素人では、音もなく飛び込んでくる車を避けるようなものだ。
だからといって私が身を挺して守れば、私が傷を負う可能性が上がるし、何より攻撃役がいなくなる。エニシを倒すにはこの男は足手まといでしかないのだ。
「それはそうだけど、せめて安全そうな場所とか指示を出してくれるとか……」
「エニシのいる場所に安全もクソもあるか。物陰は奴らの寝床だぞ」
密閉された空間に隠れれば、エニシは人間の存在を探知しにくくなるが……それを理由にこいつが隠れられそうな場所を探したりするのも面倒だし、何よりそれで絶対に大丈夫なんて保証はない。
「ファレアティップ粒子の濃度とかでおおよその距離が分かったりするんじゃなかったっけ?」
「……分かる。ただ言いたくないが、私の感知範囲はエニシ狩りの中でも下の下なんだよ」
これは嘘ではない。モルギフトを持つ者はファレアティップ粒子の濃度を感じ取ることができる。だがその精度には個人差があり、私の精度はかなり低い。
調子が良くて半径一キロ、酷い時は数百mでようやく近くにいると確信できる。銃を使うせいか、その射程以上の距離はほとんど鼻が効かない。
「感知可能範囲は?」
「絶好調で一キロだ。今日は不調気味だからその半分もないかもな」
「……じゃあその距離までは大丈夫なんだろ?」
しつこい、が食い下がりたい気持ちくらいは分からないでもない。ただ半径一キロ圏内でもエニシによっては人間を補足できる。補足されてからではこいつの脚では逃げ切ることは不可能だし、隠れる場所を見つけられるかも怪しい。
まあいい。おおよその距離を感知したら、走って距離を詰めてこいつが合流する前に終わらせればいいだけのことだ。
「好きにしろ」
日が沈み、工業地帯は街頭の明かりだけが照らす空間へと変貌していく。エニシの存在が世間に広まってからは、秋や冬の終業時間がより厳密に制限されるようになった。多くの労働者はその事を喜んでいるが、変わりに週休みが二日から一日に制限されてちゃ意味がないと思うんだがな。
さらに進むことでファレアティップ粒子の濃度が強まってくるのを感じる。間違いなくこっちの方向にエニシがいる。もう少し絞れたら走るとしよう。
「……もしかして近いのか?」
「どうしてそう思う?」
「いや、アクロさんの空気が変わったから」
洞察力はそこそこあるらしい。特に様子を変えたつもりはなかったが、エニシが近いことで昂ぶっているのを悟られたようだ。いっそそのへんの感覚も素人同然ならばやりやすかったのに。
「ファレアティップ粒子の濃度が上がったのを感じた。お前はエニシより、隠れる場所を探しとけ」
「あ、ああ……」
二百メートルほど進んだところで、エニシのいるおおよその位置を確信する。視界内に見えないのにこれだけ濃いとなると推定でもDランクはあるか。
心が高揚しているのを感じる。今回からはDランクだろうとも気兼ねなく殺しにいける、もう上に報告をして撤退するような屈辱的な気分を味わう必要はない。
銃を抜き、より濃い位置へと向かって駆け出す。見晴らしのいい工業地帯なのだから、丁寧に探し出すような真似はしない。どうせ奴らは人間を殺したくて堪らないのだから、必ず私と同じように飛び出してくる。
「ちょ、ちょっとアクロさん!?」
案の定叫ぶ声が聞こえるが、待つつもりはない。足並みを揃えてあいつが先に襲われたら邪魔にしかならない。あいつが追いついてくる前にエニシを補足し、狩るつもりでいく。
進行方向にあったのは巨大な貸倉庫。預けられた荷物の何れかがエニシ化したと考えるべきか。人の出入りも少なく、エニシが生まれやすい環境であることには違いない。
三メートルほどの位置に窓を見つけ、跳躍する。垂直飛びで飛び込める距離ではあるが、窓の内側で待ち構えられていては面倒だ。窓の縁に掴まり、銃を構えながら中を除く。
倉庫の中は暗いが、窓から差し込む月明かりでおおよその内部構造は把握できた。コンテナが等間隔に配置されており、天上にはむき出しの工場用照明がちらほらと見える。エニシの姿は見えないが、ならば取る手段は簡単だ。
「ほっ、と」
窓の上側を掴み、勢いよく窓の枠を蹴破る。そのまま中にあるコンテナの上へと着地し、銃を構える。
……いる。私の存在に気づき、襲いかかろうとするエニシの気配がぷんぷんする。さあ、どうでる?小賢しい策を練ってくるようなら、本体はそこまで頑丈じゃないだろう。もしも真っ直ぐにくるようなら――
「腕に自信あり――か!」
正面から飛び込んできた黒い物体の攻撃を後方に飛んで回避する。まるで目の前に餌を置かれた肉食獣のように仕掛けてきた。警戒する気配もなにもなし、ただ純粋に私の命を取りにきた。脳筋馬鹿は嫌いじゃない、殺したいほど憎んではいるがな。
ライトを取り出し、エニシの姿を確認する。大まかなシルエットしか把握できなかったが、それでも元の形を象徴する姿にコアとなった物質の正体まで看破することができた。
「……マジか、倉庫に預けられた物がコアと思っていたのに、フォークリフトのエニシかよ」
攻撃に使った部位も、フォークリフトのフォークの部分を振り回したものだった。ただ本来の元とは速度が違いすぎる。人の体に直撃すれば、胴体くらいは引き千切れるだろう。
しかし何よりも厄介なのは、フォークリフトが鋼鉄製だということだ。エニシの装甲はコアとなった物質に比例して硬くなる傾向がある。元々頑丈なフォークリフトから生まれたエニシともなれば、銃弾が通用するかも怪しい。
「ただあのサイズ、コンテナよりもでかいよな。窓から見れば見えたはずだよな、ならなんで……っ!?」
エニシのフォークが下がったことで、頭の中に湧いた疑問は消えた。あのエニシ、フォークの高さに比例して全長まで変化している。今ではすっかりとコンテナの影に隠れてしまっている。
随分と物理法則を無視してくれているが、そんなことはどうだっていい。元々道具が人を食い殺す化物になる時点でメルヘンなんだ。細かいことを気にしたって仕方がない。
隅に移動すればどの方向からの攻撃でも対応ができる。倉庫の角へと走り、銃を構える。同時に目の前に詰まれていたコンテナが持ち上がり、こちらへと突撃してくる。フォークリフトとしての役割、コンテナを持ち上げて盾にしてきたのか。
「生前の行動はできるか、くそっ!」
押しつぶされる前にコンテナの方へと駆け寄り、蹴りを入れる。衝撃を膝で吸収しつつ、コンテナの上へと飛び上がる。その勢いのまま、コンテナを持ち上げているエニシに向け、数発鉛玉を叩き込んだ。
しかしこちらの予想通り、エニシの外皮を少しだけ傷つけるだけで銃弾は弾かれ、跳弾の音が虚しく倉庫内に木霊する。その後にコンテナが壁に叩きつけられる轟音、近所迷惑もいいところだ。ああ、ここは工業地帯だったか、ならいい。
「コアを狙いたいところだが……コアまでの分厚い装甲をどう抜いたもんか」
フォークリフト本来の大きさを考えるに、ある程度まで小さくなったタイミングを狙えば、鉄板を撃ち抜く程度の威力でコアまで到達するだろう。
サンボのトラを使えば、可能性はある。あれだけ大きければコアの位置なんか余裕で分かるし、狙いに付いては問題ない。ただ問題は威力が足りるのかという点だ。銃を壊すつもりで撃つのは当然として、それでも威力が足りなかった場合、いよいよこちらの火力が失われる。
「なら……早速こいつを試すとするか」
カートリッジを入れ替え、アーモボックスの血液が含まれている弾丸を装填する。そのままノータイムでエニシへと一発。しかし反応はない。傷をつけることすらできずに弾かれてしまったようだ。
血弾の弾頭が脆いのか、火力の量が足りてないのか、フォーク部分がさらに硬いのか、理由はいくつかあるが、適当に撃つだけでは奴の体に血を届かせることはできないらしい。
「なら――」
再度銃を構えて発砲する。二発目の血弾、今度はエニシを直接狙わずその頭上を狙って撃った。そしてそのまま『へそ曲がりのホジャ』の特異性を発動する。弾丸はフォークの部位を避け、最初の攻撃でつけた傷へと正確に吸い込まれていく。
「ギィィアァッ!?」
エニシが叫び声を上げた。持ちうるすべての力を振り絞り、のたうち回っている。私が獣医や機械整備士でなくとも、それが苦しんでいるのだとはっきりわかる。
痙攣を繰り返し、やがて動かなくなったエニシはボロボロと風化していく。そしてそこに残されたのはコアに変貌する前のフォークリフトの姿だった。
「……なるほど。こりゃ便利だ」
フォークリフトの近くに落ちている歪んだ弾頭を拾い上げる。ひしゃげた先には赤い液体が仄かに残っていた。
かすり傷でもつけることができれば、あとはそこにアーモボックスの血液を塗りつけるだけでエニシは死ぬ。傷つけるだけならば銃はうってつけだし、そのかすり傷を狙う技術が私にはある。
これまで私に足りなかった決定力が、この弾丸には詰まっているのだ。あらゆる手段で弾丸を当てる私に、必殺の一撃が加わることになる。
「っ」
口がニヤけていることに気づき、手で抑える。調子に乗るな。確かにこの弾丸は強いが、この強さは麻薬だ。これだけに依存するようになってしまえば、私は力に振り回されるだけの馬鹿に成り下がる。
フラワーショップの言葉が脳裏に思い出される。そう、この血弾は私にとって強力な武器となるが、それは私に限った話ではない。他のエニシ狩りにとってもアーモボックスの血液は魅力的に映る果実なのだ。
癪ではあるが、相性はいいんだ。単身で戦う能力に長けている私と、全く戦えないがその血液だけは無類の威力を誇るアーモボックスとでは。
私こそがこの血弾を最も有効的に扱える実力があるのだと証明していかなければならない。そうでなければ私はおもちゃを取り上げられた子供のように、またあのもどかしい気持ちのままあの日々に戻ってしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。