2018/01 其2 懐中時計
「アーモ……ボックス……?」
「そ、なかなか渋いだろう? あ、これがアーモボックスってやつね?」
アーモボックスさんはスマホ越しに、『アーモボックス』での画像検索結果を見せてくる。なんというか鉄の箱? アーモボックスさんのトレンチコートの色とよく似ている物がチラホラと見える。
言われてみれば似合っているような気がしないでもない。くたびれた感じとか。
「ごてごてしてるけど、安心感あるだろう? あ、でも気軽にアーモボックスさんって呼んで大丈夫だからね?」
「は、はい」
「変に距離感を詰めてるんじゃないよ、アモカン」
ガラリと扉が開く音、それと同時に聞こえてきた声にビクリとなる。慌てて振り向くと一人の女性が私達を睨んでいた。
ミディアムくらいの艶やかな黒髪、無愛想な感じの表情。そしてアーモボックスさんと同じでトレンチコートを羽織っている。こっちの色は黒く、サイズもピッタリだ。
だが全身を見回して視線が一番注目してしまったのは彼女の腰、トレンチコートの内側から拳銃が覗いているのだ。
多分本物だよね? 偶然迷い込んだコスプレのお姉さんってわけじゃないよね?
「あら、もう着いたのかアクロ」
「お邪魔虫みたいな言い方だな。おっさんのクセにエフェボフィリアを拗らせるのは止めておけよ」
「ま! そうやって誤解させるような言い方をして! 大丈夫だよ悠ちゃん、お兄さんのストライクゾーンは三十歳からだからね!?」
「は、はあ……」
「赤の他人のおっさんの性的趣向なんて、女子高生の知りたくない情報ランキング上位に入るぞ」
「おっさんじゃないですー! お兄さんですー! そんなこといったらアクロだってこの子からみればおばさんになるんだぞー! ねー?」
「そ、そんなことないですよ! 私だってもう高校三年生ですし!」
「うっそ!? 高校一年生かと思ってた、ごめん!」
アクロさんという人が来てから、なんだか急に会話のテンションがおかしくなった。
それにしてもアーモボックスさんの口調、大分変っていません!?
「あ、ちなみにこの目つき悪い奴がお兄さんのパートナー、アクロさ」
「勝手に通称で紹介するな」
「良いじゃないのよ、減るもんじゃなし」
「私の台詞が減るだろう」
「減らず口は増えてるでしょ」
通称、ということはさっきアクロさんが呼んでいたアモカンってのも……アーモボックスだからアモ缶?
「それで、その子が縁人か?」
「そ、白山悠ちゃん」
「説得は済んだんだろうな?」
「……説得?」
私何か説得されたっけ? アーモボックスさんの顔を見るともの凄く目が泳いでいる。
それを見たアクロさんは忌々しそうに舌打ちする。怖い。
「おい、まさかとは思うが――」
「エニシ退治に同伴することになりました! てへ」
「ま、た、か」
「だってさー、お父さんの形見だって言うんだよ? 見届けたいって言うんだよ?」
アクロさんはつかつかと私の方へと歩み寄り、厳しい目つきで私を見下ろす。
「これから私達がやるのは人間に害を成す化物退治だ。言うまでもなく命懸けだ。何も知らない素人が無駄な責任感を持ったところで、何の役にも立たないどころか邪魔になる。お前のせいで失敗することになれば余計な死人が出ることになるんだ。それくらい理解できる知性はあるんだろう?」
アクロさんがきっぱりと突きつけたその言葉は、グサリと私の心に刺さって私の決心をいとも簡単にぐらつかせてきた。
アーモボックスさんと会話して和らいでいたエニシへの恐怖が、事の重大さが再認識されて行く。
「んま! 何て言い方するの! もっとオブラートに包めないの!?」
「足手まといが増えて困るのは私なんだ。気を遣う理由がない」
「あーもぅ! この子はいつもそうやって人を突き放す!」
「お前は人に構い過ぎなんだよ」
「あの……アーモボックスさん、私……」
アーモボックスさんが戦えないということは、あの化物を相手にするのはこのアクロさんなんだ。
あんな化物を一人で迎え撃つのに、私という足手まといがいればどれだけそれが絶望的になるかなんてわかりきっている。
遠慮するべきだ。いくら本心で見届けたいと思っていても、優先すべきことくらいはわきまえるべきだろう。
続けて声を出そうとすると、アーモボックスさんが私の両肩に優しく手を置いて微笑んだ。
「大丈夫だよ。そこの厳しいお姉さんの言うことは確かに事実だ。君がいない方がこのお姉さんは楽にエニシを倒せるだろう」
「なら――」
「でもそこのお姉さんはとっても強い。何せ普段から足手まといが一人いるんだからね。それが二人になったところで、手間や苦労が増えるだけで正直何の問題もないのさ」
「おい、手間と苦労が増えてるだろ。問題だろ。つか私任せじゃないか」
「どうせ大して変わらないでしょ! 俺がこの子を守りながら後ろで応援するだけなんだから!」
凄い。見事なまでに他力本願さが滲み出ている。
ここまで清々しい言い方をされると、アーモボックスさんの言葉に凄い説得力を感じてしまう。
「お前が流れ弾で死ぬのは構わない、だが民間人が巻き込まれるのは問題だろ」
「俺の命が軽い!? でもそれくらいどうにかできるだろ! 楽してるんじゃありません!」
「作業は効率化するのが基本だろ。省ける苦労を残すなんて無駄なことだ」
「必要な苦労だってあるんですぅー!」
「あ、あの、喧嘩しないでください!?」
「喧嘩なんてしてないさ。ちょっと相談しているだけだよ。慌てなくていいさ」
そうは見えないから慌てているのですが。
「ならその必要な苦労ってのを説明してみろ」
「うーん……。やっぱさ、大切なものの最期を見届けられないってのは、残りの人生においていつまでもしこりになると思うんだよ。アクロはこの子にいつまでも残る悔恨を与えたいわけじゃないだろう?」
もしも見届けられなかったら。その言葉でその後の事を考えてみた。
エニシは無事退治され、犠牲もなかった。それで終わり。
だけど私がなくして、そのままで終わった形見に対しては……いつまでも未練が残ってしまうだろう。
だからといって、アクロさんの危険を増やしていい理由には――
「……巻き込まれたらお前が肉壁になれよ」
「巻き込まれないように圧倒してよね!?」
……あれ? ひょっとしてアクロさんが折れてくれたの?
今の言葉が彼女の心に響く出来事が、過去にあったというのだろうか。
アーモボックスさんの方を見ると、どうだと言わんばかりにウインクをしてきた。ちょっと似合わない。
「アモカン、懸念事項が増えるんだから弾は一発多目に寄越せ。二発あれば何とかなる」
「あー、それがさ。さっきの接触時にちょっとね……」
そういってアーモボックスさんはトレンチコートの左腕の部分を捲る。
そこにあったのは普通の腕ではなかった。一言で言えばそれは黒い金属で作られた腕だ。
手首から肘の奥まで素肌が見える箇所が一切なく、映画とかで見る銃のパーツ……シリンダーだっけ? そんな物を彷彿させるデザインとなっている。
それがあの時のエニシの一撃のせいだろう。見事にひしゃげており、ぽたぽたと赤い液体を溢している……って血!?
「ア、アーモボックスさん、そ、その腕、義手、でも血が、えと、ええと……!?」
「どうどう。お兄さんの腕は普通にあるよ。これはちょっとした装置でね。腕周りにつけているだけさ。出血しているように見えるけど、これは元々お兄さんの血管から血の一部を循環させているだけだよ」
その機能の理由は良く分からないが、アーモボックスさんはひらひらと左腕を動かして怪我はしてないとアピールしてくる。
「弾は出せるのか?」
「取り出し口が見事に破損しちゃってて無理っぽいな」
「お前にある僅かな価値すら失って、何が残るんだ」
「酷い! まあ何とか応急処置してみるさ」
アーモボックスさんは立ち上がり、置かれていた工具箱を手に取るとその中から幾つかの工具を取り出し、左腕の装置を弄り始めた。
よくは分からないけど、あの左腕の装置はとても重要なものらしい。
私を守るために……申し訳なさが込みあがってくるのを感じる。
「気にしないで悠ちゃん。装置一つで人命を守れたんだ、安いものさ。だいたいこの左腕を盾にしなきゃお兄さん死んでたよ?」
「それは……そうかもしれませんけど……」
「なぁに、経費で直せるんだから問題ないよ。君たちの親御さんが払った税金なんだから堂々としていればいいさ」
「はぁ……お前の弾なしで、足手まといを増やして戦えってか。どれだけハンデを付けてくれりゃ気が済むんだ」
「あ、ついでに形見を壊さずにコアを狙えよな」
「ふ、ざ、け、る、な」
「えー、できないのー?」
「エニシの体の何処にあるかも分からない、さらには見えないコアの外側だけ撃ち抜かなきゃならないんだ。どんな奇跡だ」
「あのエニシは懐中時計から生まれている。種類は蓋つきのハンターケースだろう。蓋を開いて、蓋の上側をこっちに向けて地面に置いたような形状だ。眼は蓋の上側の部分にあったけど、普通時計は時間を指し示す方が本体だろう? つまりあのエニシは蓋を前に出して時計部分にあるコアを守っていると予測できる。コアのある場所は物の中枢に当たる場所なんだ。平べったい時計側の胴体の中央、もしくは動力部だろうね。悠ちゃん、お父さんの形見の懐中時計だけど、機械式? クォーツ式?」
「く、くぉーつ?」
「ああごめん。ぜんまいで巻くタイプ? それともボタン電池を入れるタイプ?」
父さんはその懐中時計を使っていたが、形見として受け取った私は壊れていて動かないものだと思って使っていなかった。記憶を頼りに思い出してみる……どうだったっけ。
「ええと……電池を入れるような場所はなかったような……」
「あんまり自信はない感じかな、でもありがとう。機械式なら正面以外から見ればぜんまいの形が尻尾として存在しているかもしれない。そこはアクロが見極めるから問題ないね。機械式なら中央もしくはぜんまい部分にコアが。クォーツ式なら中央部もしくは電池を入れるであろう場所付近だろう。多分底から見れば何かしら見えるんじゃないか? コアとなった物質の形状はエニシの通常時の姿と類似した状態だってことは言うまでもないよな? つまり――」
「わかった、わかったから。一度に長い台詞を喋るな。分析モードのお前は気持ち悪いだけなんだ」
「酷いわ!?」
突如流暢に喋り出したアーモボックスさんに、思わず私も気圧されてしまった。
私を助け出して逃げるまでの間、そこまであのエニシを観察していたなんて……。
「場所が分かったとしても、そのリスクを私が背負う必要はないだろう」
「まあできないって言うなら? やらなくても? 良いんですよ?」
「安い挑発には乗らないぞ」
「乗れないんだよね? 自信ないんだよね? 失敗するのが怖いんだろう?」
「こんの……、ならやってやるよ」
「へへ、ちょろい」
うん、私もそう思った。まさかそんな挑発で危険を冒してくれるなんて思いもしなかった。
「だが安い挑発に乗らないのは変わらないからな。ここに来る前に美味そうな匂いのする焼肉屋があった。成功したらそこでお前の奢りだからな。食べ放題コースだぞ」
それでも十分に安いと思うのですが。いや、高校生の私のお小遣いだと結構辛い物はあるけど。
「ぐ、お兄さん肉は嫌いじゃないけど、食べ放題コースは次の日胃にくるんだけどな!?」
「ならアモカンはサラダバーの番人にでもなってろ。ケーキバイキング専門なら元は取れるだろ」
「いーえ! 焼肉屋で肉を満喫しないわけにはいかないね! あ、失敗したら割り勘だからな!」
「望むところだ」
「そこはアクロさんに払わせないんだ……」
何だろう、最初に抱いていたアクロさんへの畏怖がすっかりと抜けてきた。
それでもアーモボックスさんと比べれば怒らせないようにしなきゃって気分にはなるのだけれど。
「悠と言ったか。その懐中時計はどれくらいの年代物なんだ?」
「ええと……父さんは母さんから結婚記念日のプレゼントで貰ったもので……母さんはデパートで趣味の良さそうなものをセールで買ったって……」
「ならメーカー品か。希少価値は低いな」
「んまっ! 人様の形見になんて言い草なの!? お手頃価格でも思い出の品はプライスレスなのよ!」
「あの、希少品だったらどうかなったんですか?」
「同じ物から生まれたエニシでも、その物の質によって個体差が生じるんだ。オーダーメイドのアンティーク品から生まれたエニシといったら、そりゃもう凄いよ?」
どう凄いのかはあまり聞かないでおこう。よもや思い出の品が比較的安物で良かったと思える日が来るとは。
「時計にアラーム機能とかは付いてないだろうな? あるなら耳栓がいる」
「いえ、ないはずですけど……耳栓?」
「エニシはコアとなる物によって異なる特異性を持つんだ。時計なら時計としての機能をイメージできるような特異性だね。それは時にあらゆる法則を無視してくる。エニシの一番警戒すべきところなのさ」
「そんな力が……。時計の機能……時間を止めたり!?」
「ないない。本当に時間を止める未来ロボットの道具でもない限り、そんな特異性は持ち合わせないよ。時計だと針を正確に動かすくらいかな?」
「そう考えるとエニシの力って、思ったより寂しい感じなんですね……」
「アラーム機能が付いている時計のエニシだと、かなりの騒音をまき散らしたりできるから一概には寂しいとは言えないけどね」
なるほど、日用品の使用イメージ、それを物理的に強力にするといった感じなのだろうか。
「電子レンジのエニシはなかなか殺傷能力が高かったな。相手を腹の中に取り込んでも扉を閉めるまで特異性が発動しないのには呆れたが」
「セーフティ機能を考えた先人に感謝しないとね」
「そんなのもいるんですか……」
笑い話のようだが懐中時計のエニシでさえあの大きさだ。電子レンジのエニシにもなれば人の一人や二人、簡単に取り込むことができるだろう。
その光景を想像するだけでぞっとしてしまった。
「さて、それじゃあ行くか」
「ちょっと!? まだ装置直ってないよ!?」
「どう見ても直らないだろうが。今日のハントは完全に私一人でやる。お前はその子を巻き込まないよう、後ろでゴールキーパーの真似でもしてろ」
「酷い! でもゴールキーパーって守護神って言うし、格好良いかも?」
「失点したら末代まで恨まれるけどな」
「ゆ、悠ちゃん。ヤバい時は逃げようね!」
「は、はい」
先ほど逃げてきた道を戻り、河原の方へと進んでいく。
先行するのはアクロさん。間に私、後ろにアーモボックスさんが続いている。
周囲には街灯の灯り以外の光はなく、とても暗い。どこにあのエニシが潜んでいてもおかしくない。
「あの、アーモボックスさん。あのエニシはまだこの辺にいるんですよね?」
「そうだね。生まれたてのエニシは人を探す能力も未熟だから、自分が生まれた場所を中心に縄張りを巡る。こっちを逃した後はきっと一度河原に戻っているはずだ。縄張りに人間が現れたら直ぐに顔を出してくれると思うよ」
「獣よりも頭が悪いって感じがしますね」
「最初はね。でも直ぐに危険の度合いを理解できるようになる。一定以上負傷するようなら逃げるし、縄張りからも離れたりする。獣並になるまでそう時間は掛からないんだ。そしてそのまま放っておけば……ま、今回は大丈夫だけどね」
そのまま放っておけばどうなるのか、気にならないわけではなかったが、きっと私が怖がるような内容なのだろう。
「その……アーモボックスさんは直接戦うわけじゃないんですよね?」
「そうだね。お兄さんは正直弱いよ。趣味でボクシングジムに通ってる人にも勝てない自信がある」
「そんなもん威張るな」
「えと、でも普段からこうしてアクロさんと一緒にエニシを倒しているんですよね。……怖くないんですか?」
「いや全然」
あんな化物、格闘技をやっている人だって怖いに決まっているのに。アーモボックスさんはまるで動じることなく、あっけらかんと言い切った。
「どうして……アーモボックスさん一人じゃどうやっても敵わない相手なのに……」
「理由は幾つかあるけどね。一つはアクロがいるから。アクロは人付き合いも悪いし、口も悪い、生活態度も悪い」
「当人の耳がある前でよくもそれだけ悪口を言ってくれるな」
「だけどアクロは強い。戦闘技術もだけど何より心が強い。どんなエニシが相手でも恐れないアクロの横でお兄さんだけが震えていても滑稽なだけだろう?」
「……戦わずに立っているだけなのも滑稽なんだがな」
「たまには支援してるでしょ!? ……こほん。あとはやっぱり慣れちゃったんだろうね。最初は怖かったよ。そりゃもう三十路前にこの業界に入ったけどさ、良い大人が半泣きで情けないもんだったよ」
「私の記憶の中ではあの頃が一番可愛げがあったけどな」
「だから趣味嗜好捻じれ過ぎよ!? ……こほん。だけどこの道を選んだのはある覚悟があったから、辞めようとは思えなかったんだ。そして気づいたんだ。恐怖に震えていても何も変わらない、むしろ危険なだけだと。震える暇があったら、少しでも安全に事を成すことを考えるべきだって」
「……凄いですね」
「ああ、凄いだろう? なかなか時間が掛かったからね。真似するのは大変だぞう?」
「真似したところで震えない木偶の坊になるだけだろ」
「あーもぅ! さっきから話の腰を折らないでもらえる!?」
アクロさんは一緒にいるだけでも、こう、何か凄い人だってオーラが溢れている。きっとこの道のプロなんだろう。
だけどアーモボックスさんからは一般人のおじ……お兄さんとしか感じられない雰囲気がある。
そんな人がどうしてこんな危険な仕事を、立場を受け入れられたのか。
周りが凄ければそれに引っ張られるだけなのか。慣れてしまえばなんとかなるものなのだろうか。
私にはどうもピンとこない。きっと他にも何かあるんじゃないかと、女の勘が囁いている。……色々と女子力のない女だけど。
「しっ、来るぞ」
「―ッ!」
アクロさんが制止する言葉に思わず身構える。
その視線の先、大きな影が徐々にこちらに近づいているのが分かる。
河原の方からこちらに目掛けて、あの化物が駆け寄ってきていた。
明らかにこちらを補足し、敵意を持って接近している。和らいでいた恐怖も、再びしっかりと沸き上がってきた。
だけどさっきみたいに腰が抜けるようなことはない。私とあのエニシの間には二つの頼もしい背中が見えるからだ。
アクロさんがホルスターから拳銃を抜き、そしてエニシに向かって物凄い速度で駆け出した。
まるで本人が弾丸みたいに、というかアレって人の速度なの!?
アーモボックスさんはアーモボックスさんで、工事現場から拝借した工具を片手に左腕の装置と格闘を始めていた。ただし鼻歌まじりで。
「アーモボックスさん! エニシって銃が通用するんですか!?」
「するとも。エニシの外皮はちょーっと硬いけど、火器なら十分に貫ける。コア以外の内臓を持たないけど与えたダメージにはしっかり痛がってくれる」
突撃していくアクロさんが急停止し、銃を構える。そして銃の発砲音が響いた。
しかしエニシはまるで意に介していない様子で突進を続けている。
「効いてなくないですか!?」
「あー、正面って時計の蓋の部分でしょ? 時計を守るための部位だからエニシ化した際にちょっと硬くなってるのかもね。表面をちょっと傷つけるくらいにはダメージを与えられたかな? でもあれか、防御する部位だから痛みに対して鈍感っぽいね」
「か、勝てるんですか!?」
「大丈夫大丈夫。今のは様子見、硬さを確認したんだろう。ほら――」
アクロさんは構えを解き、再びエニシに向かって駆け出した。
その距離はもう数メートル、あのままじゃアクロさんは車に撥ねられるように――
「――生まれたてが。年配には道を……譲れ!」
「ギィッ!?」
一瞬、今起きた光景に自分の眼を疑った。こともあろうに、アクロさんはそのままエニシにぶつかり、足蹴にしてその突進を止めた。
そしてその足を降ろしたと思ったらそのままエニシを……蹴り飛ばしたのだ。
常識ではありえない。あのエニシの大きさは四メートル、重さだってきっとトンは超えるだろう。
そんな化物の突進を一般女性の体で受け止めて蹴り飛ばすだなんて、そんなことができるはずがない。
「ア、アアア、アーモボックスさん!? 今のって!?」
「うん? アクロがエニシを蹴飛ばしたんだろう?」
「普通できませんよ!? あのエニシってどう見ても車より重いですよね!?」
「アクロは車くらいなら蹴飛ばせるんだよ」
「できませんよ!? 体重を考えてくださいよ!」
「実はアクロの体重は五十トンもあるんだ」
「嘘っ!?」
「おい! あからさまな嘘を教えるな!」
遠くにいるはずのアクロさんがこちらに向かって吠えるように怒鳴った。
今の会話が聞こえていたってこと!?
「お兄さんは常人並なんだけどね。本来エニシ狩りってのはね、人ならざる力を持っているんだ。エニシの脅威に対して人類は色々と対策を編み出していたのさ。その一つがこの『モルギフト』だよ」
アーモボックスさんは作業を止め服の中に手を入れたかと思うと、胸元から黒いロザリオを取り出して私に見せてくれた。
「これはトキの備品なんだけどね。指輪やイヤリングといった素肌に触れるアクセサリーとして提供されている。細かい話を省くけど、これを装備すると超人的なパワーが得られるのさ」
「凄い、魔法のアイテムみたい。……でもそんなものがあるのなら、警察や自衛隊の人達にも配れば十分にエニシに対抗できるんじゃ?」
「モルギフトは捻くれ物でね。誰にでも恩恵を与えてくれるわけじゃない。個々のモルギフトと個人の才能が適合して初めて効果を得られるんだ。不一致のまま腐らせるわけにはいかない。だから広域に配布することができない。そんな条件で誕生したエニシ狩りはモルギフトに選ばれた超人なのさ」
「……でもアーモボックスさんは常人なんですよね?」
「……個体差があってね。このモルギフトはお兄さんに適合してくれた唯一の品なんだけど……肉体的恩恵は得られなかったんだよ……くすん。……ともあれアクロはそのモルギフトの恩恵であれ程の身体能力を得ているってわけさ」
「でもあんな大きなエニシを蹴り飛ばせるなら、銃とか使う必要ないんじゃ?」
「強力な力を得たといっても、肉体が鋼の様に硬くなるってわけじゃない。直撃を受ければ危険なことには変わりない。不規則な動きをするエニシを相手にするには遠距離攻撃の手段は必須なんだよ。ああやって肉弾戦を仕掛けるエニシ狩りは相当腕に自信があるか、脳みそがゴリラなんだ。アクロは多分両方だと思う」
「聞こえてるからな!」
アクロさんが蹴り飛ばしたことで、正面を向いていたエニシの後方部分がはっきりとした。
時計部分を模した胴体箇所から十二本の足が生えており、さらには尻尾のようなパーツがあるのが見られた。
つまり、あの懐中時計は機械式、ぜんまい仕掛けということになる。
「中央か、動力部分のぜんまい部分にコアがある。蓋の部分があれだけ硬いなら胴体の方はあの銃でも中にあるコアに十分ダメージを与えられるね」
「で、でもエニシが直ぐに起き上がってきましたよ!?」
蹴り飛ばされた衝撃が終わるのと同時に、エニシは体制を元に戻す。
そして目の前に現れたアクロさんを、自分に害を成す敵だと認識したのだろう。
「ギィ、ギイィ!」
金属が擦れるような耳を防ぎたくなる叫び声を上げ、アクロさんへと再突進を仕掛けた。
対するアクロさんは銃をホルスターへと戻し、背中へと手を回す。
そして刃渡りが十五センチを超えるナイフを取り出した。
その隙にエニシは自ら急停止をしてアクロさんの正面へと陣取る。
そして私を襲ったのと同じようにその足を振り上げ、アクロさんへと振り降ろした。
アクロさんはその攻撃をギリギリまで引き付けてから回避し、エニシへとさらに接近。
その接近を嫌がったエニシが別の足で払うように攻撃を仕掛けるも、アクロさんは軽々と回避した。
そのまま蓋部分を模した胴体の端っこを掴み、蓋と本体の連結部分にナイフを突き立てた。
「蓋が邪魔だってんなら取り除くまでだ」
「ギギイィ!」
エニシが叫び声を上げた瞬間、巨大な蓋と本体が綺麗に別れた。アクロさんは掴んでいた手を放すと後方に飛んだ。
「す、凄い! あんなナイフであの大きな体を分断しちゃうなんて……」
「いや、あれは……」
「おいアモカン! なんかあいつ勝手に分離したぞ!」
「……え?」
言葉の意味を理解している間に、さらに予想外のことが起きた。
蓋部分と本体部分は切り離された。アクロさんが手を放し後方に飛んだということは蓋の部分は地面に倒れてなければおかしい。
だというのに、蓋の部分は依然として起き上がったままこちらを向いているのだ。
「ちっ、面倒臭い奴」
アクロさんがエニシの横へと駆け抜ける。手にはナイフ、本体を狙おうとしているのだろうか。
しかしそのアクロさんの素早い動きに合わせて、蓋の部分が高速で動いた。
その部位は明らかに浮いている。そして本体部分をアクロさんから守ろうとアクロさんの前に押し出しているのだ。
「悠ちゃん。ひょっとしてだけど形見の懐中時計って、ちょっと変わった仕掛けとかなかった? 蓋をわざと外す的なの」
「そういえば蓋を外して土台にすることで、置時計として使えるって父さんが……」
「あー、それでか。アクロ! そいつは蓋部分を切り離して自在に操ってくるぞ!」
「見りゃ分かる! そしてそういう仕掛けはもうちょい早く説明しろ!」
「そんなこと言ったってねー? 悠ちゃんもあんな特異性を持つとか思うわけないしー?」
コクコクと頷く。土台として使うのならばまだしも、あんなに自在に動く盾になるなんてわかるはずがない。
だがこれではいつまでも硬い部位が前に陣取り、本体へと攻撃を行うことができない。
アクロさんはナイフを仕舞い、銃を手に取り、数発発砲しながらこちらの方へ下がってくる。
放たれた銃弾は全て、前に押し出されている蓋の部分が受け止めてしまっている。
「くそ、生まれたてのクセに無駄に生存能力が高いな」
「へいへいアクロちゃん、もうギブ?」
この人、私相手には凄く紳士なのに……仲が良いのだろうけど……なんというか、うん。
エニシはアクロさんを警戒しているのか、ゆっくりとこちらに迫ってきている。
「ああ、ギブだ。あれじゃ力尽くの突破は面倒どころじゃない。だから技を使う」
「あ、モルギフト使うのかよ! 生まれたて相手には使わないってルール破るのかよ!」
「焼肉が掛かっているからな。自分のルールの一つや二つ緩めるさ」
「ずるぅいー!」
凄く緊張した状態のはずなのに、なんというかマイペースな二人。
それよりも私としては妙な言い回しが気になる。
「あの、モルギフトを使うって……?」
「ああ、モルギフトってのはね。エニシのコアから造られているんだ」
「エニシの!?」
「そ、エニシの持つ特異性、それを封じ込めたのがモルギフト。肉体強化の恩恵はオマケのようなものでね。……わりとメインだったりもするけど……くすん。つまりモルギフトに選ばれた者は、その素材となったエニシの持ち合わせていた特異性を使うことができるようになるのさ」
「……あの、一般人にそんなことを話して良いんですか?」
「君は人に言いふらすような子じゃないだろう? なら大丈夫さ」
「その道の連中には知れ渡っていて、わざわざ秘匿すべきことじゃないから構わないけど、その発想は大丈夫じゃないからな」
アクロさんが銃を構える。だけどその銃口はエニシのいる場所ではなく、遥か斜め上空という見当違いの方向を狙っていた。
そして二発、銃弾を発砲した。
「―!?」
本来ならば銃弾の行き先など一般人には決して目で追うことはできないだろう。
しかしその二発だけは見えてしまった。何故ならその銃弾は赤い光を帯びており、赤い軌跡を描いていたからだ。
銃弾は遥か上空へと飛んでいく。しかし、突如ありえない軌道へと切り替わり急降下した。
そしてその軌跡は蓋部分によって隠されていた本体部分へと吸い込まれて行った。
「アクロって名は通称だって言ったよね? アクロの正式なコードネームはね――『アクロバット』、曲芸師さ」
「ギィィアァ!?」
蓋部分が突如暴れ、地面に叩きつけられた。
蓋だけではない、本体部分も暴れている。本体のぜんまい部分とその中央に、放たれた弾丸と同じく赤く光る傷が見えた。
「今のは……銃弾が急に曲がって……?」
「アクロの持弾の一つ、『へそ曲がりのホジャ』。物体に加えられていたベクトルが突然逆になる。アクロの性格を疑いたくなるような特異性だ」
「ついでのように私を非難するな。それに説明が雑だ。この弾は一度だけその勢いを変えず、ベクトルの向きだけを任意に変えられるんだ。逆になるだけなら私に帰ってくるだろうが」
「細かいって。説明ってのは分かるように言えば良いんだよ!」
良く分からないけど、あのエニシの蓋の部分を上側から通り越して、軌道を変化。
がら空きの本体に上から降り注いだってことよね? うん、滅茶苦茶。
しかもコアがあるって話していた場所の二ヶ所を同時に撃ち抜いて……もう凄いとしか言いようがない。
「あの反応だ、コアは撃ち抜けたな。角度も調整したから多分形見の時計も無事だろう」
「そんな調整までしていたんですか!?」
「焼肉が掛かっているんだ、それくらいはする」
「形見を意識してくれるのは嬉しいけど……焼肉のためってのが……ううん、ありがとうございます」
「悠ちゃん、そこは文句の一つも言って良いんだよ? ……ってアクロ!」
「ああ、分かってる」
二人が再び視線をエニシに向ける。私もそれに合わせて向けると、エニシの蓋の部分がこちらの方へ高速で回転しながら飛んできている。
それを確認するのと同時にアーモボックスさんが私を抱えて横に飛ぶ。
アクロさんの動きは見えなかったけど、どうやら無事らしい。
でもどうして!?
「コアを撃ち抜いたんじゃないんですか!?」
「元々分離して動かせる箇所だからなぁ。多分もう暫くすれば勝手に力尽きてくれるとは思うんだけど……鼬の最後っ屁ってやつ?」
「な、なら逃げれば――」
「あの状態を見る限りじゃ、力尽きる最後の瞬間まで暴れ続けるだろう。そうなれば近くの民家にも突っ込みかねない。あ、ごめんね急に抱きしめて」
「あ、いえ、助けてもらったわけですし……ってそんなことを言っている場合じゃないでしょう!?」
「まあきっとアクロが何とかしてくれるでしょう」
「流石にあんなに回転されちゃ止められないぞ。アモカンも制限時間までその子を守るんだな」
「そりゃ無理だ」
「無理なんですか!?」
「無理だろうな。私が保証しよう」
「アクロさんの太鼓判まで!?」
つまりそれは私の命の危機、絶体絶命のピンチ!
だというのに、この二人はマイペースのままで――
「そんなわけで終わらせてくれアクロ、一発だが無事なのを取り出せた」
アーモボックスさんがアクロさんに何か小さな物を放り投げる。
弧を描くように投げられたそれを目で追うと、それが真っ赤な銃弾だと認識することができた。
アクロさんはそれをキャッチすると流れるような動作で銃のカートリッジへと滑り込ませる。
「狙ったかのように遅すぎだ。今までの私の苦労が無駄になっちまっただろうが」
「これからの苦労はなくなるだろ?」
蓋の部分が再びこちらへと迫ってくる。アクロさんはそれに向けて迷うことなく発砲した。
銃弾が当たる音は聞こえた。だけどそれだけだ。
蓋の部分はさらにこちらに迫って――
「ギィャアアァ――ッ!?」
叫び声が響いた。コアを撃ちぬいた時よりもさらに苛烈で、苦しそうな。
聞いた者誰もが相手の死を確信できる断末魔。
蓋は軌道を変え、数度のバウンドを経て地面へと墜落する。
しかしそれで動きを止めるのではなく、滅茶苦茶に、もがき苦しむように揺れ、暴れている。
やがて動かなくなったかと思えば、ボロボロとその体は風化するかのように崩れていった。
奥で苦しんでいた本体も、気づいた時には同様に崩れ始めていた。
「……今の……は?」
「アモカンの血が混ぜられた特殊な弾丸、アモカンの存在価値だ」
「なんかそれしか価値がないって言い方は止めましょう?」
「実際私はこれの価値だけで、お前みたいな足手まといと組んでいるからな」
「へいへい、そうですよねー! 知ってますよーだ!」
「アーモボックスさんの血液が……どうして?」
「……俺はね、とあるウイルスに感染しているんだ。そのウイルスが混ざった血液は人間には無害でも、どういうわけかエニシにとっては致死性の猛毒となるんだ。効果は今の通りさ」
「猛毒の……ウイルス……!?」
「ああ、大丈夫! どうやっても人には感染しないからさ、エンガチョじゃないよー!」
一瞬本能的に警戒をしてしまったが、アーモボックスさんがそういうのならそうなのだろう。
「私としては性交でもして血液感染してくれるなら、そっちの方がありがたいんだがな」
「もう! そういうシモな言い方はしちゃいけません! ……こほん。本当に特別なウイルスでね。輸血とかでも俺から離れちゃうと半日もしない内にウイルスは死滅しちゃうんだ。ほんと、なぜか俺の体の中だけで元気なのよね。だからこの装置があるってわけ」
アーモボックスさんが左腕の装置を見せてくれる。無理やりこじ開けられた装置の中には幾つかの弾丸らしきものが見えた。
「常に俺の血液を入れ替えながら、新鮮なウイルス弾丸を取り出せる装置なんだ。そしてエニシを倒す際に取り出して、アクロが撃ち込む。それが俺達の本来の戦い方なのさ」
当たればエニシを確実に倒せる弾丸、それを超絶技巧と特異性を組み合わせた射撃術で命中させる。
確かにこの二人の相性は抜群だ。強力無比ってもんじゃない。
「そのウイルスは……モルギフトとかじゃなくて?」
「うん、自前。モルギフトはモルギフトできちんと特異性を使えるよ」
「ゴミ以下の能力だけどな」
「あーもぅ! 人の才能をそういう言い方しないの!」
「事実を言ったまでだ」
「ふんだ! 俺は使える特異性だって信じてるもんね!」
アーモボックスさんは怒りながらエニシの崩れた場所へと移動していく。
……それでなのだろうか。特殊なウイルスを保有するアーモボックスさんの体はエニシの天敵ともなりうる。
エニシを狩る者としてこれほどの天性の素質を持った者はそうはいないのだろう。
だからこそ、自分の存在意義を、エニシ狩りに見出しているのではないだろうか。
それがあの化物を恐怖しない理由……だけどそれはなんて……。
「おーい、悠ちゃん! あったよー!」
アーモボックスさんが笑顔でこちらに駆け寄ってくる。その右腕には父さんの形見の懐中時計が握られていた。
その懐中時計を私の手に握りしめさせ、その上からその大きな手で優しく包んでくれた。
「さぁ、細かくチェックして! アクロの弾丸が傷つけていないかチェックするんだ! こことか新しい傷じゃない!?」
「おい!」
「だ、大丈夫だと思います」
「本当!? よおく見るんだよ!?」
「アモカン! お前焼肉奢りたくないだけだろ!」
「ぷ、あはははっ!」
本当に、この人たちは……マイペースなんだなぁ。
その後、二人は私の住む地域から姿を消した。
形見の時計について大丈夫なのかと確認したのだが、一度コアとなり破壊された物に新たなエニシが宿った事例はないとのこと。
だから私は今までと変わらずに鞄に取り付けることにした。
今度はなくさないように、とっても頑丈なチェーンを取り付けている。
「悠、今日帰りにクレープ食べに行かない?」
「うん、行く! 絶対行く! 今すぐ準備するね!」
この懐中時計を見ると、幼き日々に過ごした父さんとの思い出が浮かんでくる。
だけどそれと同時に、あの時に知り合った二人との思い出も一緒に浮かぶようになっていた。
あの夢を見ていたかのような一時は、この時計に込められた思いにも負けないほどに、私の心へと鮮明に刻み込まれた。
人ならざる力を自在に扱うエニシ狩り、アクロさん。
そして自らの境遇を受け入れ、その身を捧げて生きているあの人。
献身なアーモボックス……さん。
「また会えるかな……会えると良いな……」