2002~2015 其1『AA』
あの日、エニシに家族を皆殺しにされた光景によって、私の過去は全て塗りつぶされた。
真夏の夕暮れ、涼むために開いていた窓から侵入したエニシは父を殺し、姉を殺し、母を殺した。エニシに対する安全策など知れ渡っていない時代。だからエニシが現れた時、私達は無力でしかなかった。
クローゼットという閉じられた箱の中に逃げ込んだ私の判断は、子供ならではの浅はかなものだった。だが知能のないエニシに対して効果的な結果を残せたというのは皮肉な話だ。
私を見失ったエニシはその後近隣の住民を次々と殺し、警察と交戦。応援で駆け付けた自衛隊により処分された。時刻は既に夜、人々を殺したエニシの姿をハッキリと見れたのは私だけだった。それがどのようなエニシなのか、縁人は誰なのか、当時の私には知る由もなく、その情報も今では探すこともできないでいる。
残っているのは記憶だけ、夜を迎えようとしていた夕日が最後に照らし出した凄惨な光景。家族の叫び声と、家族だった肉塊の姿と、その感触。家族のことを思い出そうとする度に、この時の記憶が鮮明に蘇る。
『忘れてしまった方が良い。君がそれを望むのならば私が忘れさせてあげよう』
連れて行かれた病室で医者は言った。だけど私は首を横に振った。これは家族のことを忘れたくないといったセンチメンタルな理由ではなく、怒りだった。何の罪もない家族を一方的に殺し、私の全てを奪ったエニシに対する。
家族を殺したエニシはもういない。だけど私は耳にしてしまっていた。エニシは次々と湧いてくるものだと。だから私の心の中には一つの想いだけが残っていた。
「――許さない。私は絶対に、絶対に許さない!」
子供が見せる眼ではない、この子を放っておくことは危険だと、医者は私を先生の元へと預けることにした。先生は発生し始めたエニシの対策を任されたトキの創立メンバーの一人だった。
『なるほど。この眼は手遅れだな。手の付けようがねぇ』
先生は初め、私を見るなり溜息を吐いた。だが直ぐに厳しい視線を向け、私に告げた。
『良いか嬢ちゃん。ワシにはお前がエニシを恨むことは止められねぇ。だがな、勝手に死なれるのは迷惑なんだ。それくらいは分かるな?だから強くなれ、ワシが認める程強くなれば好きなだけエニシを殺させてやる』
私の肩を掴む先生の力はとても強かった。奪われていなかった時の私だったらその痛みで泣いていたに違いないほどに。だがそれが良かった。私自身が弱い存在に過ぎないことを理解させてくれたから。
私は先生に引き取られ、最低限の勉学を叩き込まれた。小学校のカリキュラムなんか知ったものかと無理やりに知識を詰め込まれた。七歳から十歳までの記憶はまるでない。ただひたすらに知識を詰め込んだだけの日々が記憶になる筈もない。
その数年の間にトキは正式に発足し、モルギフトの開発も行われた。モルギフトの開発は対エニシにおいて非常に有用であると証明され、世界に流布されることとなった。そしてモルギフトを使いエニシを駆逐する存在、エニシ狩りの育成計画がスタートした。
十歳の体で第一期生と同等の訓練はできない。早くあの場所へ、エニシと戦える場所へ、と願いながら私はひたすらに基礎鍛錬を続け、世にエニシ狩りが生まれていくのを歯がゆい思いで見つめていた。
幸いだったのは先生が強過ぎたということだ。自分の力不足を思い知ることができなければきっと私は中途半端なままエニシと戦う道を選び、死んでいただろう。
結果だけ言えば、私がエニシ狩りとして正式に採用されたのは十八歳の時だった。エニシ狩りの養成開始を始めた者達と同じ年齢でエニシ狩りになれたのだから、十分異例な立場だろう。
恵まれた点はそれだけではなかった。幼い頃からトキに所属していたおかげで、新規に造られたモルギフトをいち早く確認することができたのだ。
エニシ狩りになった者は自らに適応するモルギフトを手に入れ、本業を開始する。その時期に適応するモルギフトがあれば良いが、見つからない者もいる。適合するはずだったモルギフトを他の者が持っていく可能性だってあるからだ。
私に適応するモルギフトが見つかる都度に先生はそれを取り置きしてくれた。そして正式採用された時には六つものモルギフトを得ることができたのだ。
さらにその全てがそれぞれ平均的な能力向上の恩恵持ち。一つだけでも超人的な身体能力を得られるモルギフトの強化を私は六倍も受けられたのだ。
欲を言えば特異性にも身体強化の能力が欲しかったが、それだけは叶わなかった。だがそういったモルギフトを持つ相手と大差なく戦える能力を得ているのだから、これ以上は欲が過ぎるだろう。
『特異性の全てが曲芸撃ちに役立ちそうなものとはな。ある意味では統一性があるのかもしれねぇな』
私自身がエニシを攻撃するためだけにしか考えていないという理由もあるのだろうが、六つのモルギフトの特異性は全て私の射撃のサポートとなるものばかりだった。
如何なる相手にも必ず鉛玉を撃ち込める。故に私にはコードネームとして『アクロバット』の名が与えられた。
正直細かいことはどうでも良かった。正式にエニシ狩りになったのだから、これでエニシを殺せる。私の過去の全てを奪った怨敵の全てを奪い返してやれる。だが、初めての任務で得られた達成感は思った以上に侘しいものだった。
エニシを発見し、即座に蜂の巣にしてやった。僅かな抵抗もあったが、何の危険性もなく一方的にエニシを始末できた。だが拍子抜けだった。
こんなものか、こんな奴が、私の過去を奪ったと言うのか。怒りを通り越し、虚しささえ感じた。
もっと強いエニシを狩らねば。だが新米に与えられる任務はたかが知れる。ならばもっと実力を身につけ、成果を見せなければ。私は任務に没頭し、エニシを狩り続けた。
◇
「――なんてこったい」
自分の現状を分析し、漏れた感想がこの一言だった。だってさ、仕方ないでしょ?『あー体がだるいなー。冷房強すぎたかなー』って感じで病院に顔を出して採血。そしたら――
『貴方の体の中から未知のウイルスが検出されました。調査が済むまで隔離病室に入院となります!』
と突如危険人物扱いされ、家に帰ることも許されずに即入院。ていうか隔離されました。しかも家の鍵も没収されて現在進行形で自宅の検査をされております。願わくは男性だけにして欲しい。秘蔵の本やDVDを女性に見られるのは正直辛い。ちなみにだるかった体調は入院のごたごたのうちに改善されました。
「三十路前にウイルス感染って……大丈夫なのかね、俺」
窓も扉もロックされて開かない。無理に開けようとすれば部屋内にある監視カメラで筒抜けとなり、全身防護服のお医者さん達に取り押さえられてしまうだろう。そうなればベッドの上で拘束され、完全に身動きもできなくなるに違いない。模範的な患者として振る舞わねば。
幸いにもテレビはある。テレビカードも昔やっていたカードゲームのデッキくらいの厚さで貰っている。これで退屈を埋めるしかあるまい。
「って、昼にやってるテレビじゃなぁ……」
夜ならばバラエティ番組や映画などもあるので成人男性の暇は潰せるかもしれないが、正直退屈にならざるをえない。下手に運動しようとするとお医者さんが何か言い出してくるかもしれないしなぁ。企画された番組には期待せず、真面目にニュースでも眺めましょうかね……。
『本日午前三時、〇〇市の路上で成人男性の死体が――』
「また変死体か。エニシだろうなぁ」
二十一世紀になって割と直ぐに世界中で注意喚起が行われた。政府の発表ではエニシと呼ばれる異形の化物が現れ、夜になると人を襲うと。
最初は国民皆さんで大笑い。メディアでお笑い芸人がネタにし、犯罪の助長になるとか叫ぶ政治家がテレビの前で熱論。だけどそんなお祭り騒ぎは一年もしないうちに終わった。夜に外出しないようにとの注意を無視した人達が次々とありえない変死体で発見されたからだ。
全国のあちこちで同様の事件が発生してしまえば、流石に能天気な国民達も危険なのだと理解する。近場で被害に遭わないと危機意識を持たないってのは人間らしいといえばらしいけどね。
インターネットの普及が進み始めると今度はエニシを撮影した動画とかも広まり、その脅威性は一気に広まっていった。最初は度胸試しに撮影したがる若者が多かったが、撮影中に無残に殺される映像が生配信されてからは国が厳重処罰の対象にするようになった。飲酒運転よりも罪が重いというのは恐れ入った。
「まあ、夜に戸締りしていれば大丈夫だってんだから、妙な怪物もいたもんだよなぁ」
これが殺人犯とかならば戸締りだけでは不安となるだろう。災害ならば家に籠ったところで無駄な場合も多い。だがエニシに限っては夜に外出を控え、戸締りを徹底すれば安全と発表されている。おかげでエアコンを始めとした空調管理の家電には国からの補助金がどさっと出るようになった。そこはエニシ様様である。
俺としちゃあ素直に従っているんで、今のところエニシの危険な話題に巻き込まれたことは一切ない。まあ四ヶ月前に大規模な交通事故に遭って死に掛けたけどさ。あれは昼間の事故だし、エニシは関係ないよな。うん。
「気分が滅入るだけだな……やめやめ」
ゲーム機かパソコンでもあれば言うことはないのだが、流石に許可は下りないだろう。ここは無難に読書用の本を所望するとしよう。そんなことを考えつつ、ナースコールのボタンに手を伸ばした。
◇
「――こちらアクロバット。標的は仕留めた。次の依頼を」
今回の依頼も拍子抜けするものだった。生まれたてのエニシは知能も低く、行動も読みやすい。特異性の発動にだけ気を付けていればただの雑用でしかないし、その特異性も生まれたてのFランクでは大した脅威にもならない。さっさと上位ランクの重要な任務をやりたいもんだ。
『次はK県ね。ファレアティップ粒子の散布が数時間前に観測されたわ』
「てことはまたFランクか。そろそろ歯応えのある獲物が欲しいと言ってるだろうに」
『アクロの実力は評価されているわよ。貴方個人はね。だけどランクD以上は複数のエニシ狩りを持って担当するようにと決まっているってこの前も言ったわよね?』
チッ、またその話か。耳にタコができるほど聞いているに決まっている。一定以上の危険度があると判断されたエニシに対して、エニシ狩り個人で担当させることはほとんどない。先生くらいの実力者にもなればその限りじゃないが、私のような若いエニシ狩りでは特例扱いにはできないと本部は判断している。
つまるところ、強いエニシと戦いたけりゃパートナーを見つけろって話だ。それができれば苦労はない。古参のエニシ狩りは言わずもがな、新規に採用されるエニシ狩りも訓練施設での日々を経てパートナーを見つけていることがほとんどだ。つかそんなカリキュラムが組み込まれている。
こちとら先生の下で拷問じみた訓練を受け続けて自分を磨いてきただけだ。そんな関係を作る暇なんてなかった。今から作ろうにも近しい年代のエニシ狩りはほとんどいない。いるのは訓練生ばかりで足手まといになるのが確実だ。
パートナーを失った熟練のエニシ狩りでもいれば交渉したいところではあるが、各地を転々と移動して雑魚を狩っていては接触も難しい。
「手ごろな奴とかいないのか。実力があれば選り好みはしないぞ」
『パートナーを失ったエニシ狩り同士に接触させる仕組みはあるわよ。アクロもきちんと登録しているわ』
「なら――」
『選ばれてないのよ。貴方。そりゃあ十八歳のエニシ狩りなんて書類で見た時点で敬遠したがるわよ』
「測定テストの結果とかで判断させてくれ」
『そこも見せているわよ。アクロを未熟者だと思っている人はいないわ。でもこれはパートナーとして選びたいかという問題になるのよ』
エニシ狩りは命懸けの仕事、パートナーを失ったエニシ狩りは慎重になる場合が多い。実力はあっても訓練生と同じ年齢では懸念事項として見られるってわけだ。どうしろってんだ。
「なら特例にしてくれ。実績ならさっさと作ってやる」
『もう……。仕方ないわねって言いたいけど、そう都合よく良い任務なんて……あら?』
「なんだ。都合が良さそうな声を出してくれるな」
『うーん……推定のランクはEよ』
「なんだEか。もったいぶった癖にしょっぱいな」
多少発見の送れたエニシはある程度の知能を持つようになる。その場合生き抜く知恵を身につけたり、特異性を活かした戦い方を覚えたりと危険性が増す。この程度になるとランクはEとなる。多少クセはあるが雑魚には違いない。認められる成果を上げるにはD以上の相手が好ましいが、Fよりはマシだ。
『ただ間隔がちょっと気になるのよね。この地域はちょっと前に機材トラブルがあって、定期観測の間隔が長いみたいなのよ』
日本では各地を定期的に観測し、ファレアティップ粒子の様子を確認している。観測が遅れればそれだけエニシの発生に気づくのが遅れ、脅威度が上昇する可能性があるからだ。だから人口が多く主要な場所ほど頻繁に行い、人の手があまり入っていない過疎っている場所などは間隔が長い。
「つまり、ファレアティップ粒子の散布状況からFより上であることは確定だが、下手をすればEより上の可能性もあるってことか。私にはうってつけだな」
『そうは言うけどね。怪しいものは要検討する必要があるのよ』
ファレアティップ粒子を観測する装置が開発されてからは、エニシの発生にもある程度は対応できるようになっている。だがその数には限りがある。運用コスト以外にも人手などの問題があるために普及率は芳しくない。だからこういった不安要素は頻繁に発生している。そのおかげで私にはしょっぱい任務ばかりが回っているのだ。
「問題ない。逐次連絡すれば済む話だろう?」
『はぁ……良いわ。でももしもエニシがDランク相当だった場合、無理はせず報告すること』
「了解了解。それじゃあ端末に詳細を送ってくれ」
『あ、ちょっと――』
通話を切り、余計なことを言われないようにする。先生譲りのぶっきらぼうな口調のせいで相手を不快にさせることはもう諦めているが、それを押し通す場面くらいは考えているつもりだ。何はともあれ、運が良ければDランクのエニシと戦える可能性が出てきた。ハズレの可能性もあるがこういう時のくじ運は良いつもりだ。
端末に送られてきた情報を確認する。なるほど、確かに微妙なラインだ。これはひょっとするとひょっとするかもしれない。一週間ほど時間を掛ければほぼ確実となるだろうが……流石にそんな真似はしない。
エニシがいると分かっている以上、一秒でも早く殺す。それは私がエニシ狩りである上での拘りだ。強いエニシを求めるのも私の立場を誇示したいからじゃない。これまでに磨き上げた力を無駄にしたくないからだ。少しでも効率的に、確実にエニシを減らしたい。
これ以上好き勝手に人間を襲わせるような真似は、絶対に、許さない。