2018/05 其5 『美女と野獣Ⅱ』
落とし穴から這い出たアクロとベーテ、その二人の表情は分かりやすく苛立っている。そんな女性二人の苛立ちに触れたくない男性組は静かに後に続く。
ベーテとアクロは落とし穴から出た直後、周囲に八つ当たりをした。
具体的に言えば外れた取っ手や、背中を押してくれた骸骨の手に銃弾と斬撃をこれでもかと浴びせた。
しかしエニシ化の影響を受けたアトラクションには傷一つ付けることができなかったのだ。
「仕事が終わったらここを爆破してやる」
「手伝うわよ、アクロバット」
物騒な会話をしている二人を放って置き、アーモボックスはパンフレットを再確認する。
「確かお化け屋敷の紹介ページだと、ダンシングジェイソン以外にも色々なお化けが載っていたんだよな。ヴァンパイアにミイラ男、フランケンシュタインの怪物に狼人間か。他にも色々いそうだなぁ」
「ただお化け屋敷のシステムを活かすのであれば、ミラーハウスのように一度に襲い掛かることもない。それこそゾンビ映画のようなパニックホラー的な展開にはならないだろう」
「ドッキリがある時点でパニックホラーなのは違いないけどね……っと」
アーモボックスとベルは前方の二人の歩みが止まったことに気づき、合わせて止まる。
その視線の先にはこれでもかと怪しげな棺桶が設置されている。四人は揃って同じことを考えた。
「ヴァンパイアだよな、多分」
「だろうな」
「そうよね」
「取り敢えず撃つか」
アーモボックスが通常の弾丸を棺桶の上から打ち込むも、アトラクションの備品扱いとなっているせいか棺桶には傷一つ入らない。
「こういう棺桶とかを盾にするエニシだったら嫌よね」
「棺桶に銃を仕込む漫画ならあったな。というかコレ、一定距離まで近づかないと反応しないってやつか」
お化け屋敷の驚かせ方として、予測可能な場合と予測不可な場合に分けられる。
前者はこれ見よがしに大道具を設置し、不安を煽りつつ、襲い来るはずの恐怖を楽しませる。
後者は曲がり角や、一見何もない場所で参加者の油断を誘い、驚かせ突発的な恐怖を楽しませる。
一日に何百、何千と人が訪れるアトラクションで常に人員を割くことは難しいため、大抵はセンサー式のギミックを取り入れている。
「飛び出してくるなら構わないさ。その瞬間に撃ち抜くまでだ」
アクロは躊躇うことなく棺桶へと近づく。すると棺桶はそれに反応してかガタガタと揺れ出した。
全員が警戒し、武器を構える。アクロも銃とナイフを手に、あらゆる奇襲に対応できるようにした状態で歩みを進める。
そして僅か一メートルの距離にまで近づいた瞬間、棺桶の蓋が勢いよく開き、中から小型の何かが飛び出してきた。
アクロはその何かに対し発砲する。銃弾は命中し、何かが地面へと落ちるのをアクロは目視する。
「(これは……蝙蝠か? ――ッ!?)」
一拍置いて、棺桶の中からさらに夥しい数の蝙蝠が出現し、周囲を飛び回る。アクロは咄嗟に距離を取り、数発発砲する。
銃弾は全て命中するも、現れる蝙蝠の数が多過ぎるため、その勢いを留めることはできない。
蝙蝠は統率が取れているかのように集団で飛び回り、やがて一箇所へと集まっていく。
ギチギチと重なり合い、蠢き、その形が気色悪くも歪んでいく。
そしてその姿は徐々に人型へと変質し、逸話に登場するヴァンパイアへと変貌していく。
「ヴァンパイアってのは予想していたけどな。随分と再現率の高い特異性を持ちだしてきたもんだ」
「アクロ、注意しろ! 安っぽい分身体にしちゃあご丁寧な演出だ!」
「ああ、さっさと始末するさ!」
アクロは血弾の装填された銃へと持ち換え、発砲する。
しかし銃が命中する直前、ヴァンパイアは再び無数の蝙蝠へと姿を変え、周囲に散開する。
そして再び別の地点で集合し、新たに体を構築し直した。
血弾は蝙蝠を数匹撃ち抜いていたが、ヴァンパイアを仕留めるには至れていない。
「血弾が効かない……いや、蝙蝠は確実に塵になって死んでいる。あのヴァンパイアそのものが群体のエニシなのか!」
「つまり全ての蝙蝠を仕留めれば倒しきれるということだな。いくぞラ・ベーテ!」
「ええ、ル・ベル!」
ベーテが飛び出し、ヴァンパイアにコンツェシュを突き立てる。ヴァンパイアは同じように蝙蝠へと姿を変え、その場を離れる。
ベーテはお構いなしに散開した蝙蝠を次々と斬り落す。そして後方からベルのSAM-Rによる射撃が複数の蝙蝠を巻き込み、吹き飛ばしていく。
その一瞬の攻防で仕留められた蝙蝠は十三羽、だがヴァンパイアは何事もなかったかのように体を再構築する。
「……見た感じだと消耗が見えないわね。不死ってことはないと思いたいのだけれど」
「質量保存の法則が働いているのならば、減った分だけ体内が空洞になっている可能性はあるが、さて……」
構築中のヴァンパイアに対しベルが狙撃しようとすると、ヴァンパイアは即座に蝙蝠へと姿を変える。その反応速度は獣以上に早い。
「反応速度が異常だな。蝙蝠の動きはそこまでではない分、撃てば多少は削れるようだが」
「ベルちゃん、多分お化け屋敷のギミックについているセンサーに近い特異性を付与されていると思うよ。意識的に回避しているんじゃない、機械的に回避しているんだ」
「なるほど。だが体を構築するまではこれといった動きもない。時間は掛かるが常に攻撃をし続ければ――ラ・ベーテ!うしろだ!駆けろ!」
ベルはベーテの背後に何か巨大な生物がいるのを確認した。叫んだベルの声に反応し、ベーテは振り返ることなく前へと飛び出す。
同時にベーテのいた場所にその生物の巨大な腕が振り降ろされる。
距離を取ったベーテは振り返り、その相手の姿を直視する。
二メートル半を超える巨大な体躯、その全身が古びた包帯で巻かれており、所々からどす黒い腐食した肌が覗いている。眼は虚ろでありながら、その動きは確実にベーテを認識している。
「ミイラ男!? せめてツタンカーメン見たいな黄金の棺桶と一緒に出て来なさいよ!?」
「でかいだけなら良い的だ。ミイラ男なら蝙蝠にならないだろ」
アクロは血弾をミイラ男に向かって撃つ。しかしミイラ男も血弾に反応してか、鈍重な動きから一転、素早い動作を見せ、銃弾を包帯の巻かれた腕で弾いて見せた。
「――おい、エジプト製の包帯は銃弾を通さないのか!?」
「俺の知ってる包帯と大分違うな。多分ミイラ男の全身に巻かれている包帯、アレ全部がこの施設と同じ特異性で破壊不能になっているんだと思う。狙うなら肌が見えている箇所だ!」
「簡単に言ってくれる。今アイツ銃弾を見てから防いだぞ!」
「センサー型のギミックらしく、その反応速度は一級品ってことだろうな……って何か色々増えてない!?」
通路の奥からはさらに狼人間、フランケンシュタインの怪物、ゴースト、ゾンビと次々と西欧の化物が現れてくる。
「一度に襲い掛かってくることがないとか言った人は誰ですかね!?」
「私だ、すまない。冷静に考えて獣並の知性しかないエニシが順番待ちをするはずもなかったな」
「全部が一度に襲い掛かってくるとか、こんなお化け屋敷は嫌だランキング上位にありそうな展開だよな!」
「せめて雰囲気は大事にして欲しいところだな」
アクロが舌打ちをしながら発砲するも、狼人間は銃弾を回避し、フランケンシュタインの怪物はその外皮で銃弾を弾く。
ゴーストにいたっては銃弾が完全にすり抜けた。ゾンビだけは血弾が直撃し、もがき苦しみながら地面へと倒れていくも、次々と新たなゾンビが曲がり角から姿を現してくる。
「手数に質、随分と手厚い歓迎だな。銃弾がまともに通らない敵ってのはつくづく面倒だな」
悪態をつくアクロと同時に、ベルのSAM-Rの銃弾がフランケンシュタインの怪物の頭部に命中するも、僅かに後方に仰け反るだけでまともにダメージを与えていない。
「九ミリどころか、この場にある火器では満足にダメージを与えられそうにないな」
「脆い部位くらいあると思いたいもんだ。ただあのゴースト、銃弾がすり抜けたんだがどうしたもんかね。おいアモカン!あのゴーストの分析は任せるぞ!」
「はいよ、攻撃してくる素振りがあるから回避はしっかりね!」
「ラ・ベーテ、骨の折れる相手だろうが上手く時間を稼いでくれ」
「言われなくても――さあ、踊るわよっ!」
アクロはナイフを抜き、ベーテは『演奏は常に傍に有りて』、『狂おしく踊れ』を発動し、それぞれが化物の懐へと飛び込んでいく。
ミイラ男の体を覆う包帯とフランケンシュタインの怪物の外皮は異常に硬く、コンツェシュの一撃でも貫くことは難しい。
しかしそれでもテンポを上げ始めたベーテの速度とパワーは、鈍重な動きを見せる化物を完全に翻弄し、武器の衝突の威力はその体を大きく揺らせ、行動を阻害していく。
アクロは血弾を使いミラーハウスの時の要領でゾンビをまとめて処理していく。
そして隙を見てはヴァンパイア、ミイラ男へ通常弾による牽制を行う。
ベルもアクロと同様にゾンビの処理、蝙蝠化したヴァンパイアへの攻撃を行う。
さらに前衛の二人の視線を確認しつつ、『そして我が姿を刮目せよ』を発動し、狼人間を中心とした敵の動きを鈍らせていく。
異なる敵との乱戦となっても、アクロ達の動きは乱れることなく冷静に戦闘を有利に進めていく。
そんな激戦の中、アーモボックスはゴーストを見つめ、その行動を確認する。
ゴーストは近くにいるアクロやベーテへと手を伸ばし、その首を締め上げようとしている。
その動きは鈍く、勢いに乗っている二人の反応速度は容易にその攻撃を回避することができている。
そして時折二人の反撃がゴーストへと向けられるのだが、その攻撃は体をすり抜けてダメージを与えることができないでいる。
「(いっそ気にしなくても良いんじゃないかと思うのは愚考か。攻撃を仕掛けようとしているということは、敵に対して何らかの被害を出せるからだと理解しているからだ。まずはそれを確認するべき、考えられる手段としては――)――アクロ!ゴーストの攻撃を引き付けて、ゾンビの盾で凌いでみてくれ!」
アーモボックスがそう伝えると、アクロは近場にいたゾンビの首根っこを掴み、迫りくるゴーストの間に引き寄せる。
すると物理的な盾ならばすり抜けると思われたゴーストの腕が、ゾンビの頭にぶつかった。その瞬間をアクロは見逃さなかった。
「なるほど、腕だけが実物ってことなのか。上出来だアモカン!」
用済みになったゾンビを壁へと叩きつけ、トドメの蹴りで頭部を圧し潰す。
そして銃を構え、ゴーストへと向かうアクロ。ゴーストも再度アクロを掴もうと腕を伸ばす。
アクロは回避を選択せず、その腕の動きに集中する。ゴーストの腕はアクロの首へと迫り、そしてがっしりと締め上げた。
「――せこい真似をしやがって」
だがその間には既に血弾の装填された銃口が滑り込まれており、銃口はしっかりとゴーストの掌へと押し付けられていた。
「ギィアァッ!?」
発砲音と同時にゴーストが苦しみだす。アーモボックスの血液に含まれるウイルスがゴーストの片腕から全身へと巡り、ゴーストは空中で暴れながら塵となって消えていった。
「さて、これで丁寧に狙いやすくなったな。ベル!ゾンビ共の動きをコンマ五秒止めろ!」
「了解だ」
ベルが『そして我が姿を刮目せよ』を発動し、ゾンビの動きを封じる。
アクロは目を閉じたまま、血弾の装填された銃を構え、ミイラ男のいた方向へと向ける。そして頭の中でコンマ五秒、数えると同時に目を開く。
ベルのモルギフトの能力が途切れ、動き出す周囲のゾンビ達を無視し、ミイラ男だけを見据え、トリガーを引く。
「ゲグギャッ!?」
放たれたのはアクロのモルギフト、『愚王の新服』により五感による認識を阻害させられた不可視の銃弾。
阻害したのは触覚、視覚の二つ。ベーテの『演奏は常に傍に有りて』により周囲には音楽が流れている。だがエニシ達はその音に反応を示す様子はなかった。
つまりエニシが反応しているのは視覚、又は何かしらの方法で物質の接近を感知できる触覚であるとアクロは判断した。
その判断は的中し、ミイラ男は迫りくる弾丸に一切反応を示さず、包帯の隙間へと血弾が滑り込むこととなった。
ミイラ男は地面に倒れ、苦しんだ後に包帯だけを残して中身だけが消滅した。
「ミイラ男の包帯は備品扱いなのか。経費が掛かったんだろうな」
「夢のない話ね。さて、あとはフランケンシュタインの怪物と、ヴァンパイア、狼人間、ゾンビか。ベーテの方は……」
アーモボックスはベーテの方へと視線を向ける。ベーテは『狂おしく踊れ』の効果を累積させ続け、既にミラーハウスで見た速度を遥かに凌駕している。
ベルの狙撃銃でようやく仰け反るほどの頑丈さを誇っていたフランケンシュタインの怪物が、ベーテの一撃一撃で壁へと叩きつけられ、まるで身動きが取れていない。
さらにその傍には全身を無残にも穿たれた狼人間の亡骸が塵へと還っている。
「あははっ!本当に外側だけは破壊不能なようね?でも内側に衝撃がしっかりと伝わっているのが分かるわよ!」
既にベーテの一撃は銃弾より早く、重い。
獣の様に素早かった狼人間は容易く捕まり、ミイラ男と同じく二メートル半は超えるフランケンシュタインの怪物の体をピンポン玉のように壁へと何度も叩きつけ、弾んだ体にさらに攻撃を浴びせていく。
「うわぁ、ひでぇ……」
「際限なく加速するラ・ベーテ相手に、硬いだけの敵では遊び道具にしかならないな。壁が壊れればあの猛攻も終わるだろうに」
「と言うかあのフランケンシュタインの怪物、もう死んでるんじゃないの?」
「かもしれないな。ラ・ベーテ! その速度のまま一度ヴァンパイアの方も頼む!」
「ええ、良いわよ!」
ベーテはアクロとベルが牽制を続け、蝙蝠化と人化を繰り返していたヴァンパイアの懐へ一瞬で滑り込む。ヴァンパイアはその接近に反応し、即座に蝙蝠化するも、目にも映らぬ速度で繰り出されるベーテの剣が、全ての蝙蝠を捉え、切り刻んだ。
「あはっ、逃がすわけないでしょ!?」
全ての蝙蝠が地に落ち、ヴァンパイアは完全に消滅した。
その様子を踊りながら確認したベーテは、フランケンシュタインの怪物への攻撃を再開しようとするも、地面に倒れ動かないままの姿を確認し、フィニッシュのポーズを決める。
「――残念ね。でもここまでテンポを上げられたのは久々よ? 嗚呼、楽しかったわ!」
「楽しんでるところ悪いけどな。ゾンビも処理しろ野獣」
うっとりと満足そうな笑みを浮かべるベーテの横を、銃を撃ちながらアクロが悪態をつきながら通り過ぎる。
「あら、忘れていたわ。でもごめんなさいね? フィニッシュ決めちゃったからもう『狂おしく踊れ』の効果は切れちゃったわ。アンコールをするには相手がゾンビじゃあ……不足よね。雑魚は譲ってあげるわよ、ル・ベルと二人で頑張りなさい」
「こんの……」
そして程なくしてゾンビも打ち止めとなり、お化け屋敷内に静寂が戻って来た。
それぞれは武器の点検を済ませつつ、周囲の警戒を行う。
地面に転がっているミイラ男の包帯や、フランケンシュタインの怪物の死体にも注意を怠らない。
「このフランケンシュタインの怪物、中身がなくなってるな。随分と軽くなっちゃってまあ……」
「破壊ができない外皮に覆われている時点で反則級ではあったんだろうがな」
「ただ見た感じ、目や口から内部に攻撃が届くっポイね。あとツギハギのところとか」
「ということはミイラ男と同じで『愚王』で倒せたな。同じ弱点を持った敵を同時に出すとか致命的な欠点だろ」
「アトラクションであって、シューティングゲームじゃないからね?とと、忘れてた。悠ちゃん、他の班にお化け屋敷のエニシが妙に強いことを報告しておいて貰えるかな? 多分ここにコアがありそうなんだけど――ってあれ?」
アーモボックスはイヤホンマイクを数度操作するも、悠からの返事がないことに気づく。
記憶を辿り、切っ掛けを思い出す。アクロとベーテが落とし穴に落ちた時には会話に参加していたが、ヴァンパイア達との戦闘が始まってからは一切の声を聞いていない。
ミラーハウスでの悠の反応を考えるに、アレだけの西洋お化けを相手に静かなのがそもそも不自然ではあった。
「アーモボックス、どうしたトラブルか?」
「うん、通信が途絶えている。ミラーハウスよりも強めの特異性が働いているようだ。ヴァンパイアの襲撃が始まった頃から音信不通っぽい」
「そうか。ということはやはりコアはここにあるのだろうな」
「だろうね。機械が破壊されたってわけでもないし、こっちからの通信が届いていることを期待してこのままで行くとするよ」
四人はお化け屋敷の中を進む。ミラーハウスの状態と類似しており、その内部は外見以上に広くなっている。
だがそのルートは一本道であり、迷う心配はないのはアーモボックス達にとっては救いだった。
道中にミイラ男が入っていたであろう黄金の棺、ゴーストやゾンビが潜んでいたであろう墓場地帯を見つける。
「あいつら、出番待ちが面倒だからってフライングし過ぎだろ」
「アトラクションとは言え、エニシ化しているわけだからな。素直に待つ気はなかったんだろうさ。お、ここはフランケンシュタインの怪物が寝ていた手術台かな」
「こっちは狼人間が縛られていた鎖か。周囲の雑魚を先に処理できたのはこちらにとっては都合が良い。コアを発見した時に寄られていては手間だったろうからな」
「ここまでコアにお目に掛かれてないんだ。順番に倒しても良かっただろ」
「それは結果論だ。――だがここまでの位置にいた化物が全て一斉に襲い掛かって来たということは……近いな」
「だろうね。……なんかあそこの曲がり角の先、変じゃない?」
アーモボックスが指摘するまでもなく、三人は曲がり角を警戒していた。
曲がり角の奥からは僅かな明かりが差し込んでいる。外の明るさほどではないが、何か室内を照らす物があると、直感することができた。
アクロは銃を構え、曲がり角を先行する。曲がった先へと銃を向け、周囲の様子を確認する。
アクロが即座に発砲しないことから、危険性が低いと判断した三人も曲がり角を進み、その先の景色を見る。
「……いよいよもってクライマックスらしいな」
通路の先、そこは月明りに照らされた湖だった。
満月が湖とその周囲の森を照らしている。お化け屋敷の内部だと言うのに、その物理法則を完全に無視した風景に四人は嫌でも緊迫した空気を味わう。
四人が出てきた道は湖のほとりにあった小屋の扉へと繋がっていた。丁度小屋から外にでた形となっている。
しかしその扉の奥には今まで自分達が曲がった曲がり角がはっきりと見える。
「小屋の中の状況を真面目に考えると頭が痛くなるな」
「実際はお化け屋敷の中にあった簡単な湖とかだったんだろうけど、ここまでリアルに再現されるとはね。実際にあったら大人気アトラクションだ」
「評判は良いかも知れないけどな。あんな化物が襲ってくるんじゃ、誰も寄り付かないだろうよ」
アクロが湖の方へと銃口を向ける。そこには湖の中から徐々に姿を現す人型の何かがいた。
二メートルほどの大柄な体躯。汚れたジャケットを羽織り、その顔には赤い装飾の入ったホッケーマスクを被っている。
右手には斧、左手には巨大な鉈。そのどちらも刃先が黒い汚れで染まっている。
四人の持つモルギフトが本能に警告を促す。あれは特異性を生み出す化物だ、そして自らの傍に訪れた者を排除しようとする敵だと。
それは遊園地のマスコット、ダンシングジェイソンとは似ても似つかない、西洋のホラー映画の代名詞ともいえる怪物そのものであった。
「コア持ちなのは確かなようだな。ラ・ベーテ、慎重に頼むぞ」
「ええ、肌で感じるわ。アレは強いって。コア持ちで人型な時点で慎重にならざるを得ないけどね!」
アクロの発砲に合わせ、ベーテが駆ける。ダンシングジェイソンは銃弾をそのホッケーマスクに受けるも、微動だにしない。
続くベーテのコンツェシュの刺突が腹部へと突き立てられるが、硬い音と共に剣先が弾かれる。
「またアトラクションと同じで破壊不能なのか!?」
「いえ、違うわ。感触が違う。こいつ、ただ硬いのよ!」
コアの回収が必要なため、アクロは血弾を使えない。通常弾による射撃を体に向けて発砲するも、その肉体は銃弾を容易く弾く。
「ビクともしないな」
「ヘタに貫通されちゃコアを抜いちゃうしね。ベルちゃんも狙いにくそうよね」
「そうでもない」
ベルは呟きながらダンシングジェイソンの右手の親指に弾丸を命中させる。
しかしその直撃を持っても、ダンシングジェイソンの親指を僅かに歪めるだけに終わった。
親指は徐々に元の形へと再生し、何事もなかったかのように完治する。
「確かに、指先にはコアはないか。でも銃弾直撃であれって、何処を撃っても変わらない気がするな」
「目や耳、口にでも直撃すれば貫ける可能性はあるが、人型となると頭部、胸部は避けたいところだな」
人型のエニシの場合、心臓を指す胸部、または脳を指す頭部にコアがある可能性が高い。
手足にコアがある前例も過去にはあったが、その場合その部位を守ろうとする傾向がある。
ダンシングジェイソンの動きは至って普通。そのことから頭部、又は胸部にコアがあるとアーモボックスは分析する。
「開幕そこのアクロって奴が問答無用で顔面撃ち抜いてたけどな」
「これ見よがしな防具だ。普通のホッケーマスクでも九ミリじゃ頭蓋まで抜かないだろ」
「そりゃそうですけどね。んで、人型の動きを止めるとなると四肢の破壊が必要だな」
「私が動きを止め、ベーテとアクロバットの近接攻撃で四肢を切断するのが一番だろうな」
「異議なし。ただどれだけ動けるのかは注意したいところだけども……」
ダンシングジェイソンがゆっくりと斧を振り上げ、ベーテの方へと振り下ろす。
その斧の速度は人間の振るう武器の速度を遥かに凌駕している。しかしモルギフトの特異性により身体能力を強化したベーテは何の苦もなく回避する。
続く振り払いの鉈攻撃も、動作が起こる前に回避が完了している。
「動きは人より少しばかり早いくらいかしら? それならテンポを上げていけば……ッ!?」
再びダンシングジェイソンの正面へと踏み込んだベーテだが、突如後方へとステップで下がり距離を作る。
そして自分の手足の様子を確認する。
「どうした、ラ・ベーテ」
「ル・ベル。このエニシ、貴方と似た能力を持っているわね。奴と目が合った時、少しだけ手足が震えたわ」
ダンシングジェイソンはベーテへとゆっくりと近寄る。それと同時にベーテは全身が自らの感情を無視し、震え出すのを感じ取る。距離を取るとその震えは徐々に収まっていく。
「ホラーハウスのエニシらしく、相手に恐怖を植え付ける特異性か」
「特異性を発動させるにはある程度の距離が必要なようだけど……踊り子を硬直させようなんてマナーのなってない観客ね!」
ベーテはモルギフトの特異性を発動し、テンポを上げる。そしてダンシングジェイソンの背後を取り、攻撃を仕掛ける。
攻撃は通らなくとも、牽制にはなる。ダンシングジェイソンが振り返るよりも早く動き、背後を取り続ける。
しかし途中から手足が同じように震える感触を覚え、再び距離を取り直す。
「ダメね。目で見られたらすぐさま、近くにいても徐々にって感じかしら。これじゃあ最高速度まで上げられないわ」
「気合で行けよ猛獣。お前から勢いを取ったらただの家畜だぞ。プロ意識持てよ」
「うっさいわね!? アクロバットだって近づかないように距離を取っているじゃない!?」
「攻撃自体は単調そうだが……こちらの攻撃では決め手に欠けるな。どうするアーモボックス」
アーモボックスは少しだけ考え、一人で納得して頷く。そしてくるりとUターンし、ダンシングジェイソンに背中を向ける。
「よし、逃げよう」
「おい、諦めが早すぎるだろ」
「違う違う。この場所で戦ってたら、ベーテがダンシングジェイソンの四肢を潰せるほどにテンポを上げることができないだろ? だからベーテには入口付近でテンポを上げてもらう。アクロとベルちゃんは牽制と動きを阻害しつつ、ゆっくり下がってきてね! ほら、ベーテ、行くぞ!」
「なんで貴方が私に命令するのよ!?」
「班長!今俺班長だからね!?」
アーモボックスはベーテと共に来た道を戻り、後方を確認する。
後方ではベルとアクロがダンシングジェイソンに攻撃を誘発させながら、器用に下がっている。
「よしよし、あの場所から動かないってわけでもないようだな」
「私がトップギアに行くまでだったら、私一人でこの辺で踊れば良かったんじゃないの?」
「それなりに再生能力もあるからな。四肢を潰すだけじゃコアを取り出すまでの時間が足りるか分からない。だからちょっとばかり知恵を絞る」
二人は一気に落とし穴の地点まで戻ってくる。
落とし穴は既に元通りに塞がっており、視線の先には最初にベーテが躓いたマットレスが見える。
二人は落とし穴に引っかからないよう、慎重に移動し、さらに戻る。
「入口の方は……そんな予感はしていたけど塞がっているな」
お化け屋敷の運営法として、後続の客が驚くポイントを知れないように先行した客との間を離すことがある。
外と音信不通ともなれば他の遊撃班がこちらに向かっていても不思議ではない。だが入口まで戻ったのにも関わらず誰とも遭遇しなかった。
ある意味では逃げ場のない厄介な特異性だなとアーモボックスは溜息を吐く。
「よし、ベーテはここでテンポアップよろしく」
「貴方だけの前で踊るとか、悲し過ぎてやる気がでないわね……」
「大丈夫だ。俺はちょっと向こうに用事がある。一人で踊っててくれ」
「なおさら寂しいわよ!?」
アーモボックスは喚くベーテを無視し、お化け屋敷の奥へと戻っていった。
◇
「――ちっ、動き難いったらありゃしないな」
アクロは震える自身の体を侮蔑するかのように見下し、舌打ちする。
距離を取れば震えは緩和する。しかしそうなるとダンシングジェイソンの歩みが早くなる。
後方に回り込む方法も試したが、自身がダンシングジェイソンの視界から切れるとベルがターゲットとなる。
ベルのモルギフトは相手の視線を釘付けに出来るが、最初から狙いを定めておけば問題なく接近できる。
つまりは自分がターゲットでなくなった分だけ、アーモボックス達との距離を詰められてしまう。
そんなジレンマを抱えつつ、アクロは敢えて正面に陣取り、ダンシングジェイソンに攻撃を誘わせ、回避を繰り返している。
攻撃が届く距離にいれば当然その特異性の影響を受け、震えが増していく。
蹴り飛ばすことも考えたが、相手の武器のリーチギリギリの範囲だけでも影響は大きい。
直接触れる距離ともなると無事では済まない可能性の方が高い。
「おい、乙女!お前も一回裏側に回れないのか!」
「難しい相談だな。そのエニシの攻撃速度、接近による特異性の影響、それらを見切り、間合いをすり抜けて回り込むのは至難の業だ」
モルギフトの身体能力向上には個体差がある。七つものモルギフトの恩恵を得ているアクロは満遍なく高いが、一つしかないベルはその効果は低い。
常人を超える能力は確かにあるがベルの場合、その身体能力強化の大半は精密性に回されている。
「ならいっそ先に行ってもらえりゃ助かるんだがな」
「それも難しい相談だ。先ほどから私はモルギフトを連発している。私が離れれば動きと特異性の影響が倍になるが、回避しきれるのか?」
都度ベルが『そして我が姿を刮目せよ』を発動し、ダンシングジェイソンの視線をバラ突かせているからこそ今の状況が保てている。
ベルを離脱させ、ダンシングジェイソンと一対一となれば常に視界に囚われる。
震えが一気に加速すれば最悪動きが封じられることになる。アクロもそのことを理解していないわけではなかった。
ベルの離脱後に反対側に逃走すれば可能性はあるが、ダンシングジェイソンが素直についてくる保証がない。
それこそ自由に移動し、入口の方へ向かってしまえば時間稼ぎは失敗となる。
ベーテが入口付近まで移動し、踊りによって身体能力を強化する時間を考慮。現在の位置からその場所に辿り着くまでの時間を算出する。
このままのペースでは時間稼ぎとしては足りない。アクロはそう結論づけている。
「――ちっ、ままならないもんだ。殺すだけなら手はあるってのに」
アクロにとって、エニシを殺せないこと、エニシ相手に体が震えることは耐え難い屈辱。
それでも堪えることができるのは、このエニシのコアを手に入れることで多くのエニシが駆逐されることとなるからだ。
だがそれでも限度はある。自らの命が窮地に立たされるくらいならばいっそ――と銃を握る手に力が入る。
「どうしたアクロバット、また相方を信じられなくなったか?」
自らのモルギフトをアクロに使用してしまわぬよう、常に細心の注意を払い、アクロとダンシングジェイソンを観察していたベルが、そんなアクロの焦燥を感じ取る。そして淡々とした声で、アクロに向かって呟いた。
「うるさい。あの時と一緒にするな」
「そうか。あの時からお前はほとんど変わっているようには見えないのでな」
「例え私は同じだとしても、あいつの分が変わってるんだ。その分くらいは違いを見せてやるさ」
アクロは呼吸を整え、銃を握り直す。そして自らの苛立ちを抑え込み、エニシへと向き直る。
「――なるほど、私の眼が曇っていたようだ。謝罪しよう」
「お前からの詫びなんて何の価値もない。それよりもう少し動きを阻害できないのか?」
「良いだろう。五秒だ、次の合図で五秒動きを止める。その間に建て直せ……今だ!」
ベルが『そして我が姿を刮目せよ』を発動させる。その特異性は自らを見る相手から視線を逸らさせる行為を封じるもの。
一瞬でも効果を発動すれば相手に僅かながらの隙を生み出させ、活路を見出すことができる。
だがそれを持続させることで、視線だけではなく、意識すらも奪うことが可能となる。
SAM-Rを構えるベルの姿を見るダンシングジェイソンは視界からアクロを見失い、ベルの方へと歩み出そうとする。
しかしその頭部の頭上を狙撃による衝撃が襲う。従来のホッケーマスクからは想像もつかない硬さを誇る防具は破壊されることはない。
だがダンシングジェイソンの体躯は二メートル程度、狙撃銃の衝撃を額に受けて、その体が動かないはずはない。勢いを殺す為に首が曲がり、顔が上に向くのが自然の流れとなる。
しかし、今ダンシングジェイソンは『そして我が姿を刮目せよ』によりベルから視線を、意識を外せないでいる。
つまり視線が切れてしまわぬよう、首を硬直させ、その衝撃を体へと伝えてしまう。
結果、その体は大きく傾き、ダンシングジェイソンは後方へとバランスを崩して尻もちをつく形となる。
「――ッ!ハァッ!ハァッ!」
その転倒を見届けた後、ベルはモルギフトを解除する。自らを見る者全てに影響を及ぼすベルのモルギフトの特異性を扱うには多くの体力を使用しなければならない。
肉体が自然に行うべき反射行動を阻害するだけの時間を維持するとなると、その負担は多大なものとなる。
ダンシングジェイソンは結果として尻もちをついただけ。ダメージらしいものは一切ない。自らが転倒した事実を理解し、ゆっくりと立ち上がり、再び歩き出す。
対するベルは息を止め、全力疾走を限界まで続けたかのように息を切らせている。
「――上出来だ」
しかし状況は悪化してはいない。ほんの数秒のやりとりではあったが、アクロはその間に距離を取り、ダンシングジェイソンの特異性の影響から逃れることができていた。
さらに言えば、その間にダンシングジェイソンのターゲットは目の前にいたはずのアクロから外れ、視線を向けざるを得なかったベルへと移っていた。
視線を向けることでその効力を増す『恐怖を与える』特異性。だがそれは即ち、視線を向けられていないのならば多少の無理は効くということ。
アクロはダンシングジェイソンの視線に入らぬよう地を這うような低い姿勢でその懐へと滑り込む。
そしてモルギフトの恩恵により強化された肉体を、余すところなく総動員し、全力を持ってその体躯を蹴り飛ばした。
数メートルはあるエニシであろうと蹴り飛ばすアクロの蹴りが直撃し、ダンシングジェイソンは後方へと大きく吹き飛び、壁へと叩きつけられた。
「肉弾戦とは無茶をする。回復した分が無駄になったらどうする」
「その分はこの蹴りでまた回復させてもらうさ。さて、これでもう暫く稼げるな」
先ほどまでの震えは完全に収まった。強引に蹴り飛ばした際に相応の特異性の影響を受けたが、それも再び距離を作ったことで徐々に影響が薄れている。
前へと歩みを進め、特異性の影響を受けないギリギリの位置でダンシングジェイソンが起き上がるのを待つ。
「さて、本命の踊り子はカーテンの向こうでお前のために一生懸命リハーサル中だ。だがそれまでにはもう少し時間が掛かる。お前の名前にはダンシングが付いているんだろ?ならお前の最後のダンス、私が特等席で付き合ってやる」