2018/01 其1 懐中時計
「悠、今日帰りにクレープ食べに行かない?」
「ごめん! ちょっと用事があって、週末は大丈夫だから!」
終礼直後に靴箱へ直行、非常に魅力的なクラスメートの誘いを断って帰り道を急ぐ。
本当、自分の迂闊さを恨みたくなる。早く見つけてしまわないと。
帰路にある河原へと辿り着き、鞄を比較的綺麗な橋の結合部にあるコンクリートの上に置く。
家から持ってきた軍手を装着し、いざ探し物開始!
「といっても……この広い河原を全部探さなきゃならないのよね……」
探し物、それは父さんの形見。私は幼い頃に交通事故で亡くなった父さんの思い出の品を、鞄のアクセサリー代わりにつけていた。
いつもそばで見守って入れくれたらなって気持ちでつけたことに反省はない。
だけど帰り道に見つけた猫に気を取られて、接近していた車に気づかず、そのクラクションに驚き、形見を付けていた鞄をこの辺に放り投げたことについては進行形で反省中。
鞄は直ぐに見つかったけど、家に帰りついた時に父さんの形見が忽然と消えているのに気づいた。
だからあの時に落としたのだという結論に至り、今こうして捜索をしている。
「うう、見つからない……」
既に無くしてから五日が経過。途中誰かが拾って届けてくれていないか、そんな期待を胸に警察にも問い合わせてみたけど結果はダメ。
もしも届けられたら連絡をしてくれると言っていたが、そもそもここは人通りが少ない。誰か拾ってくれるってこともないだろう。
まだ誰かの手に渡ってしまったとかなら、悲しいけど諦めもつくかもしれない。でも父さんの形見が野晒しで放置されていると思うと、やっぱり諦めきれない。
鞄の中からスマホを取り出して時間を確認する。そろそろ日が暮れそう。
十年くらい前だろうか、未成年は日が沈んだ後は外を出歩いてはいけないだなんて条例ができたのは。
夜になるとエニシという化物が徘徊することがあるらしい。
各県で条例ができた当初は国民から非難の声が多く上がったそうだけど、実際に条例を無視した人達が沢山被害に遭ってからは皆守るようになった。
インターネットが普及してからは、そのエニシの姿を捉えた動画も公開されたりして皆がその存在を自覚するようになった。
今でも条例を撤廃するために活動する人達が、国に早くエニシを駆逐しろだなんてデモを行っているニュースがテレビで見られる。
いつ現れるか、何処にいるのか、それらがはっきりしていないからと意見はいつも水平線で、それらの特集が組まれた番組を見ると億劫になっていつもチャンネルを変えちゃってる。
日が沈んでいきなり現れるなんてことはないだろうし、暗くなりきるまでもう少し探しておこうかな。
「やあ、お嬢ちゃん。探し物かな?」
「ヒッ!?」
突然背後から掛けられた声に思わず叫び声、スマホが手からこぼれ落ちそうになったのを頑張ってキャッチする。
恐るおそる振り返るとそこにはトレンチコートを着た、いかにも不審者そうなおじさんが立っていた。あ、でも三十歳前後だろうし、おじさんは失礼かも?
「驚かせちゃったかな、ごめんごめん。怪しい者じゃないんだ。でも軍手を付けてこんな所にいる女子高生はなかなかに珍しくてね。そろそろ日が暮れちゃうから気を付けるんだよ?」
「え、あ、は、はい」
ただ私に注意しにきただけだろうか。でもその格好はいかなものか。
まず来ているトレンチコートだが明らかにサイズが合っていない。
ダボダボしていてかなり動きにくそう。そしてなんだか左腕がごつい。反対の腕は余裕がある感じなのに、左腕だけがパツンパツン。アームレスリングの左利きの選手なのだろうか?
どれだけマイナーな人なのだろう。って違う違う!
今朝学校の先生の言っていた話を思い出す。通学路の周囲で怪しい不審者を目撃したという話があった。
間違いない、このおじさんだ。顔だけは人畜無害っぽいけどその格好と様子がもう不審者でしかない。
「ところで、何を探しているのか聞いても良いかな?」
「ええと、その、も、もう見つかりましたので! 失礼します!」
鞄を手に取って駆け足で河原を後にする。途中一度振り返ったがおじさんが追ってくる様子はなかった。
◇
安いホテルの一室、鳴り響くのはシャワーの音。
薄い壁のせいもあり、周囲を走る車の音や通行人のざわめきが外から届いてくる。
暫くして鳴り響いていたシャワーの音が止み、若い女が気怠そうに部屋のベッドの上へと腰掛ける。
上半身にはタオルを掛け、衣類は下半身の黒い下着のみ。
肩にギリギリ届かない程度の黒い髪はまだ湿っており、上半身に掛けているタオルで乱雑に水気を取っていく。
その作業の片手間に、女はテレビのリモコンを手に取りスイッチを入れる。
現在画面に映っているのは、専門家を招いて行われる世間の情勢の討論番組。真面目そうな有名芸能人と胡散臭そうな肩書の専門家が、用意された資料を参照しながら深刻そうに討論を行っている。
『ご覧の様に十数年前より発生したエニシの被害は年々増え、近年になりようやく横ばいになり始めました。ですがこれは危険な状況だと言えます。各国はエニシに備えての知識を蓄え、対抗策を練っているにもかかわらず減る傾向はないのですから』
『増え続ける被害を抑えてはいるものの、その対応が間に合っていないということでしょうか?』
『そうです! これは各国が予算を投じる大義名分ができたことを良いことに、その予算を無駄に消費している証拠なのです! 専門機関の方々はさらなる改善を行う義務を全うせずに、税金を私腹へと流しているのではと推測しています!』
「んなわけあるか。年々エニシが増えて、エニシ狩りも増えて、その設備費用が増えてるだけだっての。あーあ、被害が増えないように頑張ってるこっちの身なんざ真面目に考えちゃいないんだろうよ」
女はため息がてらに番組を数度変えるが、見たいとも思える番組がなかったのかヴォリュームを適度に下げた後にリモコンを放り投げた。
同時にベッドの上に放り投げられていた携帯に着信が入る。女はそれを手に取り、空いたベッドへと体を預けた。
「こちらチームAA、既にC県の任務開始地点に到着済み。明日から行動を開始するつもりだ」
『あら、あと一日くらい遅れると思っていたのだけれど。先の依頼が早く終わったのね』
「本当はもう一日早くこっちに来れたんだ。なのに現地の警察が『まだファレアティップ粒子が検出されているから待ってくれ』とか言ってきて引き留められた」
『彼らからすれば化物の痕跡が残っている状態なのよ、そんな中で専門家の貴方達に帰られたらと思うと不安で仕方ないのよ』
「そのくせメディアとかじゃ、擁護するような番組を見たことがないけどな」
『期待していないわりにはテレビを確認するのね』
「多少の雑音が耳に入った方が寝れるんだよ」
『そうだったわね。その地域ではファレアティップ粒子が一昨日から観測されているわ。エニシが動くのならば明日か明後日以降ね』
「昨日からアモカンを先行させて調査させてる。動く前には大よその位置は掴めるだろ」
『また一緒じゃないの? もう、いつも雑用ばっかり押し付けて』
「戦闘じゃ役立たずなんだ。雑用にでも使ってやらなきゃやることがないって拗ねるんだよ」
『気難しい年ごろなのかしらね』
「私としちゃ、下着一枚で寝られるんだ。どんどん送りつけたいね」
『デリカシーについてはアモカンさんが散々言っているでしょうから言わないけど。一月でそんな格好じゃ風邪ひくわよ?』
「安いホテルでも暖房くらいはあるよ。最低限のサービスを有効活用させてもらうだけさ。他に連絡はあるのか? ないなら切るぞ」
『今の所は特にないわね。それじゃあお休み、アクロ』
通話が切れたのを確認し携帯を枕横へと転がす。ベッドの傍にある照明のスイッチを手探りで探し当て消灯。
外から漏れてくる日常音、テレビの音、安いエアコンの稼働音、それらを耳にしながらテレビの灯りに背を向ける。
「アモカンの奴、無理とかしてなきゃいいんだけどな。……それこそ無理か」
そう呟いた後、アクロは眠りについた。
◇
次の日の放課後も私は再び河原へと足を運んだ。周囲を警戒するが誰もいない。
昨日の今日で探すことは避けたかったのだが、今日の深夜から雨が降り出すと天気予報にあったのだ。
父さんの形見が風雨にさらされることになればきっと錆びてしまうだろう。何よりその光景を思い浮かべてしまうことが辛かった。
今日で見つけなければ、そう意気込みこそすれども結果はこの数日となんら変わりがない。
誰かが拾って持ち帰ったのかもしれない。そう納得して終わってしまえれば楽になれるのだろう。
だけど頭の中にもしもとよぎってしまえば、どうしても草むらをかきわける手が止まらなくなる。
探しても探しても見つからなくて、気が付けば昨日と同じ時間になってしまった。
昨日と違って今の天候は曇り。昨日よりも一段と暗くなるのが早い。
諦めてしまおうか。でも私の不注意で落とした父さんの形見が……。
「あともう少しだけ……」
スマホのライトを点灯させ、作業を再開する。あと一時間、それでダメなら諦めて帰ろう。それまでは一生懸命探そう。
十分が過ぎ、二十分が過ぎ、三十分、四十、五十……あっという間に一時間が経過してしまった。日はすっかりと沈み、町の街灯がつき始めた。
河原の傍には僅かな明かりしかなく、周囲はもうスマホの灯りなしではほとんど見えない。
こんな状況で探しても見つかることはないだろう。探すことは続けるとしても、今日はもう諦めるしかない。
もしかしたら昨日今日で誰かが拾って、警察に届けてくれていたかもしれない。
そして警察の人は忙しくて、連絡をし忘れているだけかもしれない。
でも違ったら……いや、これ以上は母さんにも心配を掛けてしまう。
鞄を置いていた橋の下にまで移動する。スマホの灯りがなければ鞄さえまともに見つけられなかった。
鞄を手に取り帰り道を照らす。
「……あれ?」
灯りを向けた筈なのに視界の先が真っ暗だ。さっきまでは辛うじて見えていたと思ったんだけど。
スマホを左右に振る。すると左右に僅かな道が見えた。
そこまでしてようやく私の鈍い頭でも、その異常さに身震いすることができた。
今目の前に、何か黒くて巨大なものがある。それはすぐ傍にあって、私の前に立ちはだかっている。
思わず後ずさりをしてしまい、灯りがその全体像を照らし上げてしまった。
それは全身が黒くて、大きさが四メートルはあった。
胴体はとてもずんぐりとしていて丸く、下部からは先の尖った節足動物のような足が何本も生えている。
そしてその胴体の中央に、赤々と輝く対の眼。
そんな良く分からない生物が、私をじっと見降ろしていた。
こんな動物がいるはずがない。私の頭の中で一つの答えが導き出される。
これがエニシ、人を襲うと言われている……化物。
「ひ、い、あ……」
叫ぼうと思ったのに口が震えて声が出ない。逃げようと思ったのに足に力が入らない。
膝が崩れ、ペタンと地べたに尻もちをついてしまう。
カチカチと歯がぶつかり合い、その音がまるで目の前にいる化物に威嚇しているようで、止めたくて。
化物は暫く私を眺めていたけど、やがて足の一本を大きく振りかぶり、私目掛けて振り下ろした。
ぐしゃりと何かがひしゃげる音。ああ、私、死ん――
「お嬢ちゃん、できればそろそろ正気に戻ってくれないかなぁ?」
「……え?」
掛けられた言葉で我に返って、目の前の光景を改めて確認する。
先ほどと違うのは、目の前にはトレンチコートを着たおじさん……昨日の不審者の方が立っている。
化物が振り下ろした足は私に届くことなく止まっていた。
おじさんが左腕を盾に止めていたのだ。
相当重そうに、右手で支えながら、今もなお化物の足を受け止めている。
ぷるぷると震えながらもおじさんは私に向かって声を掛けてきた。
「立てるかい?」
「え、いや、その……」
立ち上がって見ようと思ったが体が動かない。腰が抜けるってこういうことなのだろうか。
ふるふると首を振る。おじさんの視線は化物に注がれているから見えないはずだけど、私に動く気配がないのを察してか唸り始める。
「んむむ、そうなると君を助けるためには君を抱きかかえて走らなきゃならない。そこは大丈夫?」
「は、はい!」
「ほっ、良かった。最近じゃ声を掛けるだけで不審者がられるからね。それじゃあ……どっこいしょっと!」
おじさんが踏ん張って足を僅かに押し返す。そして僅かに緩んだ隙に、私を抱えて後方に飛んだ。
支えを失った化物の足が地面に振り下ろされ、コンクリートでできた地面を砕いた。
「あー明日絶対筋肉痛だよ。いや、明後日くらいかなぁ……。あ、怪我はない?」
私がコクコクと頷くと、おじさんは優しく笑って私を抱えたまま立ち上がる。
あ、お姫様だっこ……王子様じゃないのが残念。ってそんなことを考えている場合じゃなかった。
でもついつい考えてしまうのは、おじさんが落ち着いていて、余裕がある感じなのが伝わってくるからなのだろう。結構重そうに持ってる。私が重いってわけじゃないよね?
「……片腕が負傷しているから重そうにしているわけであって、君が重いって言いたいわけじゃないから安心して欲しい」
「それはそれで大丈夫なんですか!?」
「ムードをぶち壊すようで悪いけど、今から必死の形相で走らせてもらうよ!」
そういっておじさんは私を抱えたまま走りだす。その速度はお世辞にも早いとは言えない。
化物も逃げだした私達に反応してか、急に動き出し追いかけてきた。
大体子供が走る速度と大人が走る速度くらい。つまりはあと数秒で追い付かれる。
恐怖がどっと押し寄せてくる。……でも何か妙な感じがする。いや、そんな違和感なんてどうでもいい!
「おじさん、追いつかれます!」
「三十と一歳だからまだお兄さんだ!」
追いついた化物が前足を振り下ろす。
するとおじ――お兄さんはそれを見る事無く横に動き、ギリギリのところで回避してみせた。
「見ないで避けられるんですか!?」
「あんなにでかい足音を立てて、途中止まって片足を上げてたら、どっちから来るかくらいわかるさ! 風切り音怖いよね! 大丈夫、お兄さんも怖いよ!」
「そんな共感は嬉しくないですよ!?」
攻撃が外れた間に差が開くも、直ぐに追いつかれる。だけど足を振り下ろす攻撃はお兄さんが次々と避けていく。
とても凄いのだけれど、その都度に『ヒィ!』『ヤバイヤバイ!』とか漏らしているのでいまいち頼りになりきれない。
既に河原から出て夜道を走っている。だけどどこまで逃げればいいの!?
「お嬢ちゃん! そろそろ手が動いたりしないかな!?」
「え、あ、はい! 動きます!」
「お兄さんのコートの左胸ポケットに入っている奴取ってくれない!?」
コートの上から触ると何か硬い物が入っているのが分かる。
胸元に手を入れ、ポケットの入口を探す、あった。
奥に手を潜り込ませると手に金属が触れるような感触。
何かの缶だろうか、握りしめて取り出してみる。
それはゴキブリを退治する殺虫スプレーのような形をしているが、ラベルなどは張られていない。
無骨で飾り気のない缶。思ったよりかは重くない。
上部には指を差し込んで引き抜くピンのようなものが……ってこれ爆弾!?
「こ、ここ、これ! 手榴弾!?」
「スモークグレネードだよ! 合図したらそのピンを抜いて適当に落としちゃって!」
「は、はい!」
「はい、今!」
「早いっ!?」
掛け声と同時にお兄さんが化物の攻撃を回避する。
私はピンを力いっぱいに引き抜くと、足元に放り捨てた。
だけどそのスモークグレネードとやらは何の反応も見せない。
「お兄さん! 何も起こりませんよ!?」
「時間差だから大丈夫! 抜いて直ぐだと投げられないでしょ!」
お兄さんがそう叫んだ時、大量の煙が化物の足元から巻き起こる。
化物は僅かに怯んだかと思ったら、煙に対してがむしゃらに足を振るって払い始めた。
お兄さんはその隙にその場から離れ、近くにあった建設現場へと逃げ込んだ。
周囲を見渡した後、立てられていたユニットハウスを見つけるとそこに駆け寄り私を降ろした。
「ちょっとお邪魔しますよっと!」
お兄さんは左肘で窓ガラスの一部をたたき割ると、中に手を入れて鍵を開ける。
中に滑り込んだあと、内側から入り口の鍵を開けて私を中に連れ込んだ。
その後、中に置かれていたガムテープを拝借し、割った窓ガラスをペタペタと目張りしていく。
それらが終わるとぜぇぜぇと息を切らせながらお兄さんは私の隣に座りこんだ。
「どうにか撒けたようだね。生まれたてのエニシってのは突発的なことに過敏でね。足元で発生した煙を敵か何かだと勘違いしちゃうのさ」
「やっぱりあれがエニシ……なんですか」
「そ、夜中に出回ったら危ないってのが良く分かっただろう?」
コクコクと頷く。
「でもあんな化物が現れたら、家に閉じこもっていても危ないんじゃ……」
「生まれたてのエニシは頭が悪いからね。密閉された空間に隠れていればまず気づかれないよ。頭が良くなるころにはお兄さん達が何とかするしね」
「お兄さんは……警察の人?」
エニシに詳しく、服の中にスモークグレネードなんて物を隠し持っているような人が一般人とは思えない。
「お兄さんはトキ……特異災害駆除機関って言えばわかるかな?」
「ええと、確かエニシを駆除する専門機関ですよね?」
「そ、そこに所属しているエニシ狩り。エニシをハントする人さ」
急にこのお兄さんのことが頼もしく見えてきた。だけど同時にいくつかの疑問が沸き上がる。
「でもそうならなんで最初からそう言わなかったんですか?」
「それが昨日こっちに急いでやってきたものでね。殆どの荷物を相棒に預けたままなんだ。その中には身分証とかも色々あってね……。財布にある運転免許証じゃ信用してもらえないだろう?」
それは個人の特定はできても、機関に所属することの証明にはならないと思います。
あ、でもゴールド免許とかならマナーを守ってそうだなって信用もできるかも。
「で、でもエニシを倒す人ならあの化物も何とかなるんですよね!?」
「それがお兄さんはサポート専門でね。実力はからっきしなんだ」
急にこのお兄さんのことが頼りなく見えてきた。確かに今までの行動を見るに凄く強い人って感じはしなかった。
でもこうして普通に喋れるあたり、私はこのお兄さんのおかげで大分冷静になれているんだと思う。
「それじゃあ私達は……」
「エニシは日の光が嫌いでね。弱点ってわけじゃないんだけど、太陽が昇れば物陰に隠れちゃうんだ。朝までここにいればとりあえずは無事だよ」
「よ、よかった……」
助かる、そのことが分かっただけでも本当に安堵できた。
あの状況からここまで辿り着けるなんて、それこそ私一人では無理だっただろう。
「ただ幾つかやっておくことがあるね。携帯電話は持っているかい? 先ずは心配するだろう親御さん達に無事を伝えなきゃね」
「ええと……落としちゃいました……あ、でも自宅の電話番号なら覚えています」
お兄さんに電話番号を伝えると、お兄さんは自分のスマホで通話を掛け始める。
「あ、もしもし……あ、すいません少しお待ちを。ええと、君の名前は?」
「白山 悠です」
「ありがとう。あ、もしもし、こちら特異災害駆除機関の者です。――あ、はい、そのテレビで色々言われていますけど真面目に頑張っているそれです。実は今この地域でエニシの発生が観測されまして、私が調査をしていたところお宅のお嬢さん、悠さんと出会いまして。――ええ、無事です。ただ日が沈んでしまい、運が悪いとエニシに遭遇する恐れがありますので、朝になるまではこちらの方で身柄を預からせていただこうかなと。――はい、わかりました。それと今から言う番号を控えておいて貰えますか? 私が特異災害駆除機関の者であることの照会番号です。一応警察の方に連絡して照会してください。――いえ、奥さんが信じていたとしても規則なのでお手数ですが……はい、よろしくお願いいたします。番号は――」
お兄さんは受付の人みたいに手慣れた感じで母さんと話を進めている。ひとしきり連絡が済むのを見届けていると、こちらの方に顔を向けてきた。
「お母さんはよろしくお願いします。って言っていたけど、君から話しておきたいこととかあるかな?」
「え、ええと、大丈夫です」
「わかった。ああ、すいません。それではよろしくお願いします。……ふう」
通話が終わったと思ったら、お兄さんはスマホを操作して新たな番号へと連絡する。
「あ、もしもしアクロ? 今どこさ? ――わりと近いな、良かった。――うん、そのまさか。エニシと接触した。――戦うわけないだろ! ただ近くにエンビトがいてな、保護せざるをえなかった。――今は河原近くの工事現場のユニットハウスに籠ってる。――頼まれても動かないっての。急いでな!」
今度こそスマホへの用事が終わったのか、お兄さんはスマホをポケットにしまった。
そして懐を新たに探り、飴玉をとりだした。
「ソーダ味、食べる? 朝までご飯食べられないけど」
「ええと……いただきます」
「携帯食料も置いてきちゃったからなぁ……準備不足でごめんね?」
「いえいえ! 助けてもらったわけですから……。ええと、さっき電話で話していたエンビトって何ですか?」
「んむむ、まあ本人には説明しておいてあげた方が良いか。君、エニシについてはどれだけ知っているかな?」
「ええと……突然現れる化物とだけ……」
「エニシはね、人と縁のあった物から生まれる化物なんだ。人が大事にしていた物ほど、長い歴史がある物ほど、エニシはそれらに宿って生まれてしまうんだ」
「人と縁のあった物……」
そこまで聞いてある一つの事実が脳裏によぎり始めた。
私の顔にそのことが出ているのか、お兄さんはやんわりとした口調で話しを続けた。
「君の探し物、多分思い入れのある品なんだろう?」
「……父の形見です」
「……そっか、それじゃあ思い入れは深いだろうね。無くしたのは一週間前後だよね?」
「はい……」
「人と縁のある物が人の傍から離れると、最短三日でエニシが発生するようになる。そして最短三日で人を襲えるまでに成長する。あのエニシは君のお父さんの形見に宿ってしまったようだね」
「で、でも、別の物かもしれないじゃないですか!」
「最初君を見つけたエニシは、君を見つめたまま直ぐには襲い掛からなかっただろう? エニシは人を見つけたら直ぐに襲ってくる。だけど自らが宿った縁のある物の所有者を見つけるとああやって動きが止まるんだ。お兄さん達はそういった人物を縁のある人、縁人と呼ぶんだ」
「……」
「ついでに言うとあのエニシだけど、フォルムからして懐中時計に宿った物だ。君のお父さんの形見もそうじゃないのかな?」
「……はい」
あのエニシの姿を思い出す。確かにあれは開いた懐中時計に足が生えたような形だった。
感じていた違和感、それは父さんの形見と類似していたからだ。
父さんの形見が、あんな化物に……。
「エニシが生まれると周囲に独自の粒子が散布される。お兄さんはそれを辿って来たんだけど、その時見つけたのが君でね。がっつり探し物をしていたから『あー、縁人かなぁ……』って思って君を見張らせてもらっていた。ストーカーとか不審者じゃないからね?」
「そ、それは大丈夫です」
「うん、その眼の泳ぎ方は不審者だと思ってたんだね。まあ仕方ない。そういう時代なんだし」
そういうお兄さんの顔はなんだが悲しそうな表情だった。不審者認定してごめんなさい。
……そろそろ気になっていることを訪ねなければ。
「あの、エニシを倒すって、具体的にはどうするんですか?」
「エニシの中にはコアというものがある。コアは人と縁のあった物を中心に形成される結晶体となっている。それを破壊すればエニシは体の維持ができなくなる」
その言葉が示すのは形見を巻き込む破壊行動。つまり父さんの形見ごと……。
予想できていなかったわけではないがやはり辛い物はある。
「でも破壊しなくても取り除くことができれば同様の結果を得られるんだ。あとは体の過半数を破壊するって手もあるけど」
「それじゃあ、父さんの形見を取り出せれば――」
「あの化物の中にあるコアをピンポイントで抉り出すか、再生できなくなるまでバラバラにするか。そうでもしないと君のお父さんの形見を無傷で取り出すのは難しいってことだよ」
その方法をイメージしようとしたけれど、私にはできなかった。
父さんの形見を無傷で取り戻すというのは、きっと無理な話なのだろう。
でもそんなことを言える立場なんかじゃない。私が不注意でなくしたせいで、父さんの懐中時計に化物が宿って私を襲ったのだ。
私だけじゃない、このままだときっと他の人だって襲うだろう。
そうなれば私と同じように家族を失う人も……。
「辛いよね。だから君は決断なんかしなくていい。可能性はあるとだけ信じてもらえれば良い。あとはお兄さん達がやれるだけやってみる。ダメだったらいくらでも恨んでくれて構わない」
「いえ、父さんの形見が誰かを傷つけるくらいなら……お兄さん達にとって一番安全な方法で処理してください……」
「そうなると君の手元に戻ってくることは二度とないかもしれない。それでも良いんだね?」
その言葉に胸が締め付けられる。父さんとの思い出が……最後の繋がりが……。
父さんが亡くなったあと、母さんは父さんの遺品は全て祖父の元へ預けてしまった。
やはり見てしまうと辛くなるのだろう。だけど私が無理を言って懐中時計だけは残して貰っていたのだ。
これが終わればそれすらも……。だけど物とこれから襲われるであろう人名を天秤に掛けることなんて許されないと思う。
「……できればその……、エニシを倒すところを、形見を壊すところを見届けさせては貰えないでしょうか?」
「それは……民間人を危険に晒す真似はできない」
「お願います! 私がなくしたせいで父さんの形見が壊されるというのなら、私はそれを見届けなきゃダメだと思うんです!」
お兄さんは暫く私を見つめていたが、まるで観念しましたと言わんばかりにため息をついた。
「――わかった。君の意見を尊重しよう」
優しく笑いながらお兄さんは右手で握手を求めてくる。私は何も考えずに両手でその大きな右手を握り返した。
「よろしくお願いします!」
「ただしお兄さんの言うことを絶対に守ること。状況によっては君を連れて逃げ、その間に破壊する状況も十分にありえる。その時はあとでお兄さんを引っぱたいても良いから素直に従ってね」
「そ、そんなことはしません!」
「人と縁のある物を壊すとなるとね、縁人の人達はとても辛い思いをすることが多いんだ。だけどやる時にはやらなくちゃならない。そんな人達の行き場のない憤りを受け止めるのもお兄さん達の仕事なんだよ」
「でもお兄さん達は人の命を守るために戦っているんでしょ?」
「だからといって貴方達には文句を言う権利はありません、って突き放すのは冷たすぎるでしょ?」
「……大変なんですね」
「給料が見合ってくれれば言うことないんだけどね。命懸けで戦うんだから美味しいものくらい食べたいのよ」
お兄さんのしかめっ面に思わず笑ってしまう。お兄さんが円満に仕事を済ませるのならば私の言うことなんて取り合わなければいいのに、丁寧に説明して、私の意見を取り入れようとしてくれている。
きっとこうやって緊張のほぐれる会話も、私のために気を使ってくれているのだろう。
「そういえばお兄さんの名前って聞いていませんでしたよね?」
「ああ、トキに所属するエニシ狩りは色々あって本名を使っちゃいけないんだ。だからお兄さん達はコードネームで呼び合っているんだ。スパイ映画みたいで格好良いだろう?」
「自分で言っちゃうんですか」
「あんまりペラペラ喋ると怒られちゃうんだけど、まあ悠ちゃんは特別だ。お兄さんのコードネームはね、『アーモボックス』、弾薬箱さ」