君色人生
「君がいたから僕は変われたんだよ。だから、自身持ってよ。君のために変わりたいと思えたから。ありがとう」
彼がこの答えを導き出すためにかけた時間は彼の一生涯でした。
「隣良いですか?」
彼は学校の映画鑑賞の時間に風のように私の隣にスッと流れるように実に自然に座ってきた。
「えぇ。どうぞ」
これが私が転校した初日だったから私は緊張して顔が引きつっていたのだろうと今になって思う。そのとき見た映画の内容なんて一つも入ってこなくて、ただただ感じたのはなぜ彼が私の隣に座っているのだろうか。という気持ちだけだった。
学校側が用意してくれたお菓子とジュースに手を付ける彼の行動に目が行ってしまう。
そのとき、私の視線と彼の視線がピタッと合致する。
「しまった。凝視しすぎた」
そう思い、サッと目線をそらすため下を向く。そんな私のことに気付いた彼は私の肩を右手の人差し指でツンツンと叩いた。
「はい!」
私はとっさに大きな声を出してしまう。私を見て彼はその指で口元を押さえて「シーッ」と声をかける。私はさらにうつむいた。
「終わっちゃうよ? ちゃんと見なきゃ」
彼の言葉は私には到底届かなくて、私の頭にはクエスチョンマークが数多く並ぶだけだった。
映画が終わると彼は私に「楽しかったね」と一声かけて先生の前に行き、感想文を提出しにいった。私は彼を目で追うだけで精一杯だった。
「あと、感想文出してない人は放課後までに出すように」
先生の声に私は映画の内容が入ってきてなかったのを思い出した。
それもこれも全部彼のせいだ。私はどうしようかと真剣に悩んでいた。
友達がいるわけでもないし、転校初日で大恥をかかなければならない。
そんな私の元へにっくき、彼が舞い戻ってきた。
「感想文書けないの?」
「えぇ」
私は心の中であなたのせいだと言い放っていた。
「しょーがないな。手伝ってあげるよ」
彼はそう言って私の感想文用の紙を取ってサラサラと文章を書き上げた。
「文体は変えといたから。僕が書いたってバレるとマズいしね。これでも物書き目指してるんだ。それなりの文章が書けると思うんだけどな。じゃあ、また明日」
彼が書いた文章を見るととても私では書けない文章だった。さすが作家の卵。
いや、そんな感心している場合じゃない。
私はなぜ彼がこんなにかまってくるのか分からなかった。そんな疑問を抱きながら、私は感想文を提出して、学校を後にした。
次の日、彼の席は静かだった。そう、欠席だったのだ。
「昨日の映画の感想文だが、とても素晴らしい感想を書いた人がいた。先生は感激したからちょっとここで読ませてもらう」
先生のそんな声は私の耳には入ってこず、彼がいないことへの寂しさだけが心に影を落とした。
「田辺!」
ふと、私は先生の大きな声で我に返った。思わず昨日と同じく、「はい!」と大声で返事をして立ち上がった。
「お前の文章よく書けていた。初日から全速力だな。素晴らしい!」
違う。私の文章じゃない。彼が考えた文章だ。私は再び彼の席に目を向ける。彼の姿がない席はずいぶん閑散としていた。
私は彼にこの思いを伝えたかった。
でも、待って。私は彼の名前すら知らない。だって、転入学してきたところだもの。だけど、彼は私の隣に座ってくれた。彼に会いたい。そんな感情が強くなる。
先生に彼の名前と家を聞こうと放課後、職員室を覗くと先生はなにやら電話をしているようだった。
「はい、わかりました。いじめなどは学校側として発見してはおりません。はい。はい」
盗み聞きをするつもりはなかったが、聞こえてくる先生の対応からして誰かの親御さんがいじめがあったのではないか? と聞いているのはなんとなく理解できた。先生は頷きと「はい」という言葉を連発していた。
そして、話が終わったのを確認して、私は先生の元へ向かった。
「お、田辺。どうした?」
「あの先生、今日欠席してた人ってなんていう人ですか?」
先生は私の質問に少し苦虫をかみつぶしたような表情を見せる。
「山崎だ。なぜだ?」
「いや、実は感想文手伝ってもらって」
私は先生に正直に話して、彼が明日登校してきたらお礼を言おうと思った。でも、先生の返答はそんな私の心をかき乱してしまった。
「山崎は今日から入院で、いつ学校に来れるかわからないんだ」
「え?」
先生はそれ以上多くは語らない雰囲気を見せたが、私は引かなかった。
「どうして入院なんですか?」
「昨日、自殺未遂を図ったらしくてな。なんとか一命を取り留めたが、意識はないそうだ。何が山崎を襲ったのかは本人しか分からないんだがな」
私はすぐにでも彼に会いに行きたいと思った。初めて声をかけてくれた人だったから。
違う。そんな理由じゃない。一瞬で消え去る風をここで留めさせておくことをしたかったから。
私の心を一瞬で奪った人だったから。
「面会拒否?」
私は病院に着くと看護婦さんにそう言われた。
「えぇ。親御さんが学校でのいじめが原因だって思い込んでるみたいで。本当のことは分からないんだけどね。とにかく会うことは出来ないのよ」
看護婦さんはそう言って私の元から離れていった。
「僕は今日まで生きれたことに感謝するよ。だって、君に出会えたから。作家になるためのストーリーはここで途切れてしまうけれど、文章を紡ぐことが最後に出来て嬉しかった。僕が君の隣に座ったあの瞬間から僕は変われたんだ。大丈夫。君ならどんな立場になっても強く前を向いて歩いて行けるから。僕の代わりにその道を歩いてね」
我に返って、それが夢だと気付いたのは朝、枕がぬれていたのに気づいたからだった。
その日、彼は息を引き取った。短い人生に幕を下ろした。
私は彼の書いてくれた感想文と映画を今でも見返している。そして、彼が果たせなかった作家の道を私は歩いているのだ。ゆっくり、彼の思いと共に。
―完―