ポケモンマスターになろう
将来、何になるの?
私の漠然とした問いに友人Rはハッキリと、そして雑念など微塵も感じさせない口調でこう答えた。
「ポケモンマスターになる」
初めは私も笑ってしまったが、Rはいたって真剣だ。
「なりたい」ではない。
「なる」と断言したRに私は少しばかりの感動と期待を抱かずにはいられなかった。
私も「ポケモンは現実にいないのに?」とか「なれるわけない」などと否定するつもりは毛頭ない。
恥ずかしながら私は、論文(…と言えるほどかっちりしたものではないが、公的ではない私的な、そのようなものの)作成を趣味にしている。
この出来事がきっかけで私はRの将来の夢であるポケモンマスターについて、ゲーム・アニメ等のポケモンについて調べ、まとめることにした。
以下は「現代におけるポケモンマスターの職業性およびポケモン世界による現代社会への物質的・概念的アプローチについての考察」と題した私的論文である。
現代におけるポケモンマスターの職業性およびポケモン世界による現代社会への物質的・概念的アプローチについての考察
序論
本論では以下のテーマについて様々な角度・ジャンルからアプローチしていく。
第1章「職業としてのポケモンマスター」
第2章「現代におけるポケモンバトルと金銭授受」
第3章「ポケモンマスターと法令」
現代の社会において、「ポケモン」はあまりにも浸透しすぎている。90年代から00年代にかけて、日本のキャラクター文化、とりわけ「かわいい/kawaii」に関する文化は爆発的に世界に広まった。フランスではセーラームーンが愛され、イタリアやスペインではキャプテン翼が読まれ、中国や韓国でもハローキティやドラえもんなど日本産のキャラクターが当たり前のように消費されている。そして言わずもがなアメリカにおけるポケモン人気は絶大だ。これだけ日本から生まれたポケモンというキャラクターが世界で知られているのに、アニメやゲームなどのように実際に生命を宿した形で存在していないのは不思議で仕方ない。しかし、仮にポケモンがいたとしたら私たちの生きる現代社会にはどのような影響があるのだろうか。
私たちの生きる現代社会はほとんどが資本主義的な思考で動いている。ポケモンの存在を考える際も資本主義的な概念と絡めないことは許されないだろう。使役、労働、自己実現、管理体制、権利……そんなものがキーワードになってくると考えられる。3つの章においてポケモン世界と現代社会の共通点や特徴、融和性や問題点などを明らかにし、ポケモンとともに生きる未来の現代人としての私たちの姿を考えていく。
本論
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1.職業としてのポケモンマスター
-1.ポケモンマスターとは
(1)ポケモンマスターという肩書について
「ポケモンマスター」(以下:PM)の定義はなんだろう。PMであるための条件はあるのだろうか。また、誰がPMの(あるのなら)資格を与えるのだろうか。まず、現代における「ポケモン」にはビデオゲーム、カードゲーム、ぬいぐるみ、フィギュア、アプリゲームetc.というように様々な媒体が存在する。しかし、基本的には2次元的世界観からの人工物(的様相は少ないけれど。)である。そういったモノに対して「マスター」という肩書を名乗る、もしくは与えられることを何か既存の枠組みを使って図式化できないだろうか。
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(2)鉄オタ方式
仮説として、電車オタク的な系統分けができるんじゃないだろうか。電車オタクと一口に言っても撮り鉄や乗り鉄がいるように、PMにもビデオゲームにおけるPMやカードゲームにおけるPMが存在しうるんじゃないか。各媒体におけるPMというのも定義され得るかもしれない。話逸れそう。また、ユーチューバーやスポーツ選手のように、パフォーマンスをすることでスポンサーや団体などの各種契約をし、収入を得るという職業形式なんかも参考にできそうだ。
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(3)アニメ・ゲーム世界のPM
仮説ならいくらでも並べられるが、一旦ここでアニメやゲームにおけるPMの地位と条件について整理しよう。まずはアニメ。バッジを一定数取得後、当該地方のポケモンリーグで優勝し、その地方の四天王とチャンピオンに勝利する必要がある。そして他地方のチャンピオンに勝利した後、なんやかんやあってPMになれるらしい。アニメの主人公・サトシの最高成績がリーグベスト4ということを考えると非常に遠い道のりである。(サトシはなぜかシリーズや地方が変わるごとに、手持ちポケモンがピカチュウのみになってしまう体質なのだが。)続いてゲームである。赤版や緑版をはじめとした歴代の各バージョンでは、四天王を倒し、その後チャンピオンに勝利することで殿堂入りすることができる。また、ほとんどの場合、殿堂入り後にはポケモン図鑑完成を目指すことになる。誰かに勝つだけならまだしも、ポケモンを全種類図鑑に登録するのにも大変な苦労を要する。レッドさんすごいっすね。
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(4)PM認定機関っていうのがほしい
以上を踏まえるとPMになる条件はアニメ・ゲーム共にとても難しいものになっている。ゲームの方が比較的容易な条件ではある。しかし問題は現代社会におけるPMの称号である。我々が生きる現代社会では前述のようにポケモンについての様々な媒体がある。そのため、アニメやゲームでのポケモン世界のような統一されたPMの基準を作るのが難しいと思われる。したがって本論では「ポケモンに関する媒体を介し、一定の知識や技術を身に付けたと第3者によって認められた者」をPMの基準にする。「第3者」はまあ、そういう機関があるとしよう。
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-2.ポケモン世界における職業と職業観
(1)ポケモン世界における専門職
アニメやゲームのポケモンを参考にすると、ポケモン世界には以下のような職業が存在する。
・ポケモントレーナー:ポケモンを育てる人の総称。
・ポケモン博士:ポケモンを研究する者のうち、特に携帯獣学の博士号を取得した者。
・ポケモンレンジャー:自然やポケモンの保護を目的に、ポケモンと共に活動する人
・ポケモンハンター:他人のポケモンや野生のポケモンを強奪し、売りさばく人。
・ポケモンドクター:ポケモンを専門とした診察や治療を行う人。
・ポケモンパフォーマー:トライポカロンにおいて、ポケモンの魅力やポケモンとのパートナーシップをパフォーマンスによって魅せることを職業にしている人(※女性限定)
このように列挙したが、PMへの道を追求できるのはポケモントレーナーだけではないだろうか。もちろん、PMになった後にポケモンレンジャーになったり、ポケモン博士として研究している中でPMになったりする可能性はある。しかし、(第2章で示すことになるが)PMになるためには「ポケモンバトル」が必要不可欠になってくる。
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(2)仮定として
この章ではPMを職業の一つとして捉えようとしている。ということは前項でも示したように、「ポケモントレーナー」を職業として捉え、我々の暮らす社会に落とし込まねばなるまい。もしくは、ポケモントレーナーが存在することを中心に社会像を構築していかなければならない。些か厄介なのは、ポケモンの存在だ。残念ながら私たちの生きるこの世界には、アニメ世界のように生き生きとしたポケモンはいない。かろうじているのは画面の中のポケモンと、3次元化された、商業的人工物としてのポケモンである。しかしそれでは話が進まない。ここは思い切って「ポケモン」がいるということで論を進めていこう。
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(3)プロvs.アマチュア
PMがポケモントレーナーの延長にあるならば、言わばPMはプロのポケモントレーナーだ。PM以外はアマチュアということになる。「プロ アマチュア 違い」で検索してみたところ、「『プロ』と『アマチュア』の違いは『意識』の違い」というような頭の痛い記事ばかり見かけてしまった。本論においては「『プロ』とはその道においてパフォーマンスをすることで生計を立てている、かつ何らかの契約においてそのパフォーマンスを行う者」とする。「アマチュア」においてはその限りでない。つまり「契約」に関する部分で区別が可能となるだろう。
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(4)ポケモンによる職業への介入
ポケモン世界において、ポケモンの存在は非常に大きい。ポケモンを中心に世界が動いていると言うのは過言かもしれないが、ポケモンたちは多分に人間たちの社会に入り込んでいる。警察にはガーディが、病院にはラッキーやハピナスが、建設現場にはゴーリキーなどがいることだろう。私たちの仕事にポケモンが参加しているということは、その人間とポケモンはある種の「契約」をしていることになる。ここで思い出してほしい。「契約」の中で「パフォーマンス」をする者は「プロ」だと定義した。果たしてポケモンと共に仕事をする人間はPMであると言えるのだろうか。ここで言っておきたいのは、前述した「ポケモンに関する媒体を介し、一定の知識や技術を身に付けたと第3者によって認められた者」というPMの定義と、件の「契約」の定義は矛盾しないということだ。アマチュアのポケモントレーナーは特定の機関によって部分的・専門的なPMの資格と権限を与えられると考えてみると、「ポケモンバトル」によって最終的に得られるPMの資格も、格闘技や競技等の各種大会などで得られる称号と同じようなものだと見なしてもおかしくはないだろう。
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(5)PM資格の重要点
そのPM資格を受けるにあたって、その資格取得者は「パフォーマンス」をしなければならない。そのパフォーマンスとは、1つ目の定義における「知識や技術」の使用・利用に他ならない。警察官がガーディをどう使うか、医療従事者がラッキーをどう使うか、大工がゴーリキーをどう使うか、……そのポケモンを適切な場所・場面で力を十分に引き出せるか否かという点が「パフォーマンス」において重要であり、「知識や技術」が問われる点ではないだろうか。
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(6)国家資格としてのPM資格
公的機関や医療機関などにもポケモンが関わっているとなると、どうやらPM資格は国家資格とも考えられそうだ。携帯獣省なんてものもありそうだ。知っている人もいると思うが、国家資格はその資格によって管轄の省庁が異なる。有名どこを挙げると、医師国家試験や保育士国家試験は厚生労働省、情報処理技術者試験は経済産業省、測量士国家試験や気象予報士国家試験は国土交通省というように管轄が決まっている。しかし、ポケモンが介入できる現場は1つの省庁で手に負える範囲ではない。そこで、思い付きではあるが、各省庁に外局としての「携帯獣労働管理委員会〇〇部局」のようなものが設置されているとうまく機能するのではないだろうか。各省庁の管轄において、現場に即したポケモン使用のスキルを試し、部分的・専門的なPM資格の付与と管理を行う、そんな委員会だ。もしくは、自動車学校のように公安委員会指定のポケモン学校と各都道府県の特定機関が連携し、労働に際してのポケモン使用を認めるポケモン免許(PM資格)を発行する、という手段もあるだろう。
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(7)戦ってPMになるより、働いてPMになる方がなんだかハードル低い気がしてきた。
それはそう。
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-3.「プロ」ポケモントレーナーとしての活動
(1)モデルケースとしてのプロスポーツ選手
一般的に最も知られた、ポケモンバトルを通してPMになるという方法はとてもハードル高く、20年間PMを目指しているサトシさんでさえ未だPMになれていないのだ。仮にバトルを通してなるPMがプロスポーツ選手のようなものだとしても、2通りのモデルが考えられる。1つは野球やサッカーのように、プロリーグのチームと契約を交わし、そのチームの所属メンバーとして活動するパターンだ。2つめとしては、ゴルフやフィギュアスケート、体操のように個人としてプロ宣言して活動するパターンである。後者のパターンは大会での賞金を得る傍ら、コンサルタント会社と契約を結ぶことでCMやイベント、イメージキャラクター等の契約を得て生計を立てることになる。最近だと体操の内村航平選手が良い例になるだろう。
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(2)モデルケースのパターン分け
まず、前者のパターンでPMを考えてみよう。PMとなった者はPMが集まるチームと契約をする。そこではパフォーマンスとしてのポケモンバトルが行われ、シーズンを通してのリーグ戦が行われるだろう。その順位や個人の活躍によっては年俸が変わってくる。しかしリーグ戦の特徴としては試合数が多くなる。そのため、「魅せる」バトルが多くなると考えられる。では後者のパターンではどうだろうか。後者は個人戦が主となる。コンペティションかトーナメントかという部分も多少関係してくるがリーグ戦に比べ試合数は少なく、非常に泥臭いバトルになる可能性が高い。
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(3)共通点及び資格としてのモデルケース
どちらのパターンでも共通しているのが、観客が見ているバトルであるということだ。観客を増やしていくためにもその競技(=ポケモンバトル)を広める活動が必要になってくる。この点もプロとアマチュアの相違の一つとなり得る。所謂「広報活動」や「営業」と呼ばれるものである。ここで一つ出しておきたいのは、フォトマスター検定(以下:フォト検)の例だ。フォト検は3級から順に2級、準1級、1級があり、最上級として「フォトマスターEX」なる階級が存在する。3級から1級までは写真やカメラに関する知識や技法を試されるが、EXは高度な実用知識を前提に、作品創造力や写真活動実績、あるいは指導性などの総合評価により認定される。おお、なんとこれまでのPMの話をまとめるのにちょうどいい例えであることだ!PMにも階級があるとすれば、3級は一般的なトレーナーである。2級はジムにいるトレーナーレベル、準1級がジムリーダーレベル、1級は四天王やチャンピオンレベルであろう。EXは1級レベルの知識・技術をどう扱うかにかかってくる。ポケモンを持つこと自体から、ポケモンを使って何かをすること、はたまたポケモンを愛でる活動などを広めていく、指導することのできる能力が問われることになる。
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(4)PM制度の緩さ
ここで「ん?」となる人も多いだろうが、詰まるところ誰でもPMになれるのである。あの有名な「ああ憧れのポケモンマスターになりたいな」という歌詞、上記のような階級制PMの世界なら「より上級のポケモンマスターになりたいな」と歌われていた可能性もある。また、上の階級分けに沿うような形で改めて「プロ」と「アマチュア」を分けるならば、プロとアマの境目は準1級と2級の間にあるだろう。ジムリーダーとはポケモンジムの運営者である。個人経営の塾の塾長、武道教室の師範、みたいな感じである。そこで教わるトレーナー(2級)は月謝を払ってその長からポケモンについて学んでいる。サトシを含め私たちは道場破りである。3級のくせに。いや、3級だからこそ、と言うべきだろうか。少し話が逸れたが、準1級PMであるところのジムリーダーは「プロ」と言っても差し支えないだろう。ジムの門下生たちからお金を集めてジムを経営し、特定タイプのポケモンの取り扱いについて教えている。そういう「契約」体制をとっているのである。四天王やチャンピオンもその地方におけるポケモン使用の統括的な役割を担っていると推測できる。そうでなきゃルビー/サファイア版でダイゴさんがあんなに出しゃばってくるはずがない。また、ジムリーダーだった者が次作で四天王になったり、四天王だった者がチャンピオンになったりする例を鑑みると、どうやらジムとポケモンリーグは同じ(もしくは提携している)グループのようだ。もっと言っちゃうと、地方自治体っぽいね。……と思っていた矢先、ポケモンに人生を極振りしている友人からのメール。どうやら「ジムリーダーは地方公務員」であるとのこと。ただ、ジムリーダーではなく、過疎の影響で子どもを満足に集められないジムについては国費で運営するため、そのジムに地方公務員のジムリーダーを置くということのようだ。
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(5)疑問は残るが
このように、ポケモントレーナーは明確な階級付けにより「プロ」と「アマチュア」のPMを区分し、ポケモンリーグがチャンピオン・四天王・ジムリーダー制を管理していることが想定できる。そしてポケモンリーグは国が管理しているのであろう。あとは給与体制なども気になるところではあるがとりあえずここまでにしておこう。
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2.現代におけるポケモンバトルと金銭授受
-1.現代社会とポケモンバトル
(1)アニメ世界におけるポケモンバトル
アニメ世界のポケモンにおいて、ポケモンバトルはサトシとポケモンの成長描写や苦難を乗り越えるストーリーの部分的な完結という大きな役割がある。基本的に経験値という数値的概念はなく、レベルが上がったことによる「わざ」習得や進化ということは明言されていない。初代アニメで「25レベルくらい」というレベルについての発言はあったが、それ以降レベルに関する発言はほぼない。
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(2)ゲーム世界におけるポケモンバトル
アニメ世界のバトルと比較すると、ゲーム世界のポケモンバトルはものすごくシビアだ。レベルや経験値、「わざ」の威力などが明確に数値化されているために、経験値マラソンやたまご孵化マラソンなどをする人も出てくる。アニメと異なり、「レベルを上げて物理で殴る」こともできるのがゲーム世界のポケモンだ。また、ジム戦など、特定のバトルに勝たないとストーリーを進められないということもあり、強くなることを強要されている。そしてゲーム世界ではバトルの後にはお金の受け渡しが必ずある。主人公は道端にいる短パン小僧や水着のおねえさんからお金を巻き上げながらポケモンの回復アイテムやモンスターボールを購入しているのだ。レベルとお金が物を言う世界である。
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(3)バトルの整理その1
改めてポケモンバトルについて考えてみよう。原作内ではタマムシ大学において携帯獣学部がある。そこでニシノモリ博士やオーキド博士らが研究をしていたわけだが、ポケモンは元来野生の生物であるという扱いをされている。モンスターボールの発明以前にポケモンは存在し続けていた。繁殖するということは種の存続のために行動できるということである。ここで言う「種の存続のための行動」とは単に生殖行動のみを指さない。群れの形成や縄張り争い、またそれに付随する闘争も含む。つまり、ポケモンには戦う本能が備わっているとも言えるだろう。その本能を人為的に抑え、携帯性を高めるための道具がモンスターボールであり、そうやって自らの目的または社会的目的のためにポケモンの力を活用しようとするのがポケモントレーナーと言える。
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(4)バトルの整理その2
ポケモンバトルは言わば「ポケモンの野性性の解放」である。そして、元々備わっていた戦闘本能を適度に表出させ、戦術・戦略を指示するのがポケモントレーナーの役割となる。また、野性性の解放とは言え、片方のポケモンの戦闘意思がなくなった時点でそのバトルは終了するため、「適度に」と限定した。
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(5)何が取引されるか。
ゲームのパッケージやゲーム内における主人公のイラストを見るに、彼らは小中学生くらいである。それくらいの年代の子どもが同じトレーナーと言え、小学生にしか見えない少年から数百円を巻き上げる。20代後半の青年や70代にもなろうかというトレーナーからもバトルをして勝つことができれば容赦なく数千円をもらっている。私たち自身の小中学生時代に落とし込んでみればそれは驚くべきことである。ゲーム世界の中では「円」という単位で取引されていたが、それが私たちの使っている「円」という流通貨幣単位と同じものとは考えにくい。(しかしポケモンの世界では小学校を卒業したら大人扱い。厳しいのである。)
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(6)現代でのポケモンバトル
ゲームでは「目が合ったら」バトル開始だが、現代ではそのようにはいかないだろう。バトルだらけで外にも出られない、ということにもなりかねない。また、ゲーム世界ではトレーナー全員とバトルをするわけではない。街中や民家の中ではバトルが行われないのが常である。
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3.ポケモンマスターと法令
(1)ルール・規制・秩序
ゲームにしてもアニメにしても、ポケモンに関する何らかのルールはあるはずだ。現代社会においては余計必要になる。現代日本における法律ではペットや家畜は「モノ」という扱いを受けている。ペットを殺害したとしても罪状は器物破損になる。しかしポケモンはペットや家畜とするには些か人間世界に入り込みすぎている。もちろん、ポケモンを愛でるだけの人もいるだろうが、警察や建築現場、病院などで働くポケモンもいる。人と動植物の間くらいにポケモンの存在があるのだ。かと言ってポケモンが人間世界の法律に縛られないとなるとその穴を利用した犯罪も増えるはずである。
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(2)法律の中での扱い
ポケモンははっきりと自分の意思を持っていることが多い。また、モンスターボールによって捕まえられた又はトレーナーとの信頼関係が結ばれている場合などに人間の指示を受けて行動することもある。トレーナーには監督責任のようなものも生まれる。ポケモンに至っては専用の法律を作り、適用させるのもいいだろうが、法律作成による社会の混乱や疲弊を避けるためにも、人間世界の法律をポケモンにも準用することが合理的な解決方法ではないだろうか。
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(3)小卒大人法
ポケモン世界の大きな特徴、また私たちの住んでいるこの世界との大きな差異として、この「小学校卒業みんなが大人法(略称:小卒大人法)」がある。義務教育であるところの小学校教育は10歳までで、中学校へは行きたい人が行くというものだ。10歳の誕生日を迎えた次の年の4月にはポケモンを捕獲するための免許が交付され、モンスターボールを持つことが許される。また、税金などの義務も10歳から大人同様になるようだ。この法律により、自らの進路決定を自分で行うことを許されたサトシさんは旅に出るのだけれど、サトシさん……余計に、最低限度の文化的生活を営むためのインフラ利用や資金が気になってくるんですが。
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(4)小卒大人法の余波
小学校を卒業したら自分で進路決定をすることができるが、大人としての義務(税金など)も負わなければならないのは少しばかり10歳への負担が大きいような気もする。ポケモントレーナーへの優遇制度なんかも発達してそうではあるが、現実的な例を考えてみよう。パッと思いつくのは医療関係ではないだろうか。各都市にポケモンセンターがあり、ポケモントレーナーであれば無料でポケモンの治療をさせてもらえる。また、通信インフラなども充実しており、相当快適な造りになっている。ゲームでは描かれていないが、宿泊系の施設もポケモンセンターに併設されていてもおかしくはない。納税面なんかも優遇されそうだ。所得税の把握とかできそうにないが、マイナンバー制度や電子マネーの発達などにより、誰がいくら(ポケモンバトルなどにより)お金を得ているかを調べるような仕組みがあるのではないか。ゲーム世界においても、アニメ世界においても、役所のような場所はほとんど出てこない。わざわざ確定申告や納税に赴かなくても、自動的に口座から税金が引き落とされるような仕組みがあるに違いない。
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まとめ
——ポケモンの出現する未来はあるか。
「ポケモン」は子どもだった私たちの眼前に(当時はゲームとして)突然現れ、そして瞬く間に世界を席巻した。ゲーム、アニメ、書籍、カード、スマホアプリ……と形を変えつつ今でも私たちの傍にポケモンたちはいる。「ポケモンGO」というアプリは今やほとんどの人が知っていると言っても過言ではないだろう。ポケモンGOの世界は、一説ではゲームより前の時間軸であるらしい。子どもたちを魅了したゲーム世界のポケモンは、ある程度ポケモンに対するルールができあっている状態だ。それ以前——神話的世界線——では人々はルールに頼らず、目の前のポケモンに対峙することとなる。さらにAR(拡張現実)というスマホのカメラ機能を利用した要素もあり、あたかも私たちの暮らしているこの現実にポケモンが迷い込んだかのような、身近にポケモンが常在している世界を味わうことができる。
大きく話を逸らすが、日本では、(もちろん日本以外にもあるが、とりわけ日本では、)擬人化という文化が花開いている。文化というか、性癖というか、嗜好のようなものである。無機物・有機物問わず、人語を介さないものにまるで人間のような振る舞いをさせたり、人間のように言葉を介してのコミュニケーションをさせたりして楽しむ文化である。ゲームに出てくるポケモンが全てではないと考えると、ポケモンの可能性は大いに広がってくる。実はイスってそういうポケモンだったとか、なくなった靴下の片方、あれは靴下ポケモンが逃げていっただけだった、とか。バオバブってポケモンっぽい名前してるよね、とか。知らぬ間に、否、物心ついたときから私たちはポケモンに囲まれていたのかもしれない。擬人化ならぬ擬ポケ化……アリかもしれない。
こんなまとめ(錯乱)で終わってはいけないとは思っている。私たちは子どもから大人になるにつれ、想像力を急速に失う。「野生の思考」は息を潜め、思考は鈍化・平均化していく。言うなれば、私たちは未知なる範疇への探求心や好奇心を失いつつある。それは大人の言う日々の挑戦とか、海外での経験とか、そんなものではない。自らが行動しようがしまいが向こうからやってくる未知のものだ。自分の想像の範疇を超えたものが待っている感覚に私たちは少しばかりの恐怖と期待をしながら成長してきた。ポケモンはまさにそれだ。可愛らしい見た目のものもいれば、少し怖いようなものもいる。それらに出会い、バトルや登場キャラクターとの出会いを経験し、(ゲームなら仮の主人公を通してだが)未知の世界への没入と試行錯誤を体験する。そのポケモンの世界は半分知っている世界のような気もするし全く知らない世界でもある。そんな、子どものときにしかできなかったような「新鮮な発見」をさせてくれるのがポケモンである。大人になることは発見に「新鮮さ」がなくなることだ。常に過去との比較や自らのプライドがつきまとう。だからこそ私たちはポケモンをやらなければならない。そして、ポケモンマスターにならなければならないのだ!過去に囚われない、恐怖と期待の入り混じる生き方をするために。自分にしかなることのできないポケモンマスターに、今こんな世の中だからこそ、ならなければならないのだ。
拙い論でしたが最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
個人的にはどういう論の展開にしよう、というよりは、どうまとめに帰結させようというところに悩みました。
最後になりましたが、執筆途中に原稿を見てくれたり、アドバイスや参考資料の情報をくれたりした友人Rに深く感謝いたします。
ありがとうございました。